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私は今、63歳なのだけれど、今日は青臭いと言われそうなことを書きたい。 私は、心のどこかが酷く疲れていて、それは、きっと誰にもわかってもらえないようなことで。 これと言う悩みではなく、何ということでもない。 強いて言えば、生きることと言えなくもない。 誰にも、そういうこと(...
ぼくは長田弘の良い読者ではなかった。詩も読まなかった。ある小説に引用されていた詩が気になって、詩集「奇跡 ― ミラクル」(みすず書房)を手にとった。天使がリュートをひいている絵が、白い表紙を飾っ
戻り梅雨でじめじめとした天気が続いていますね。 前回の記事から、ずいぶん間が空いてしまいました。 その間、日本には衝撃的なニュースが駆け抜け、 悲しみと驚きに包まれたり またコロナ第七波が急拡大したりと、 様々な出来事がありました。 前回は人生の「曲がり角」について書いたのですが、 今回は最近、私が遭遇した3つの曲がり角について書きたいと思います。 (つまり、近況報告です^^:) 最後までお付き合いお願いいたします。 ①年を重ねるという「曲がり角」 人間は生きている限り、年を取っていきます。 「誕生日」に対して、幼い頃や若い頃のような胸のときめき、 期待感、嬉しさはなくなっていき 「ひとつ年を…
長田弘さんのエッセイ「私の好きな孤独」は 題名に惹かれて読みました。 長田弘さんの紡ぐ文章は、 詩人だからこその言葉の選び方、感性に驚かされます。 簡潔な文章の中にこそ宿る、言葉のひとつひとつの持つ重さや美しさ。 一編が2~3ページという短いエッセイやストーリーが、 胸を震わせ、深く心に残ります。 孤独と孤立は別物。 たくさんの人と一緒にいても、「ひとりぼっちだ」と感じてしまうこともあれば 一人でいても、この世界のどこかにいる誰か、何かとの 繋がりを感じることもあります。 長田弘さんは、自分の「孤独」をまるで大切な友人のように 大切にしている人だと思いました。 そして、他者の「孤独」もまた、親…
家に帰ったら、誰もいなくても「ただいま」と言ったほうがいいと どこかで読んで、最近、そうしている。 実家にいた頃は、常に誰かが迎えてくれたけれど、 今は主人が帰るまで、私ひとり。 ガランとした家に向かって「ただいま」と言うとき 私は誰に挨拶しているんだろうと思う。 もしかして、家に、かな・・・? もし家というものに記憶があったなら そして、もし話せたなら、面白いだろうと思う。 まずは自分の実家の家と話してみたい。 私が赤ん坊のときから、ずっとずっと見守ってくれていた家。 「大きくなったもんだねえ、ついこの間、 あそこの門からママに抱かれて入って来たと思ったのにね」 祖母が目を細めながらそう言う…