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楽しい日本史 -武士による支配- 12.大天狗 後白河上皇に翻弄された源平合戦
大天狗とよばれる後白河上皇に翻弄され、平家は滅び、源氏は仲たがいが起きる。後白河上皇が平氏を揺さぶり、今度は源
楽しい日本史 -武士による支配- 11.平氏と源氏の戦いと平氏の政権
武士の力が強まり、平治の乱で平氏の地位が上がる。さらに平清盛は太政大臣までのぼりつめる。平清盛がすごいのは知っ
院政がはじまり上皇が大きな権力をもっていく。その裏で武士の武力も侮れないものになっていく。朝廷の中でマウントポ
奈良県の伝統野菜「大和真菜」(やまとまな)を水耕栽培で育ててみます♪水耕栽培はお部屋の中で家庭菜園ができちゃいます♪100均で自作の水耕栽培キットもできますがLEDのついた水耕栽培器もオススメです!家庭菜園初心者の私が挑戦した記録を書き綴っていきますよぉぉぉぉ!!
<森上城・今西城> 両山城を直登で訪城するも”土塁”や”大堀切”で大興奮!
本日も良い秋晴れの天気予報だったので、昨晩急遽近くの「山城巡り」を思い立ち、夜に情報収集と縄張り等のコピーをして用意しました。 場所は、我が「池田市」に隣接し…
<福山城(後篇)> 見事な”鉄板貼り”で真っ黒に変身した城壁
JRグループの「鉄道開業150年記念秋の乗り放題パス」で、10/18(火)〜20(木)にかけて、山陰、山陽地方の「城巡り」に出掛けました。 「福山城」(広島県…
<岡山城(前編)> 久々の登城で知らなかった箇所が探索できました!
JRグループの「鉄道開業150年記念秋の乗り放題パス」で、10/18(火)〜20(木)にかけて、山陰、山陽地方の「城巡り」に出掛けました。 「福山」から「岡山…
<岡山城(後篇)> 不等辺五角形に建つ歪な形の”天守”の美しさに満悦!
JRグループの「鉄道開業150年記念秋の乗り放題パス」で、10/18(火)〜20(木)にかけて、山陰、山陽地方の「城巡り」に出掛けました。 最後の訪城地「岡山…
~「卒業後、人に出身校名を言えるような大学に入れ」~ どなただったか忘れてしまいましたが、僕が19歳のときに通っていた予備校の先生の言葉です。 授業中にこの言葉を発した本人の名は忘れても、言葉そのものだけは数十年たった今でもはっきりと覚えています。当時の僕自身がこの意識にとらわれていたからですね。 浪人生として痛い目にあいながらも、希望校めざして日々学習に励んでいる生徒たちを励ましたつもりだったし...
平安京へ遷都し、奈良仏教から平安仏教への改革を行う。道鏡事件のように僧の勢力に脅かされることを警戒した気持ちが
天皇を中心とする律令国家「日本」として平城京をつくった奈良時代の政治・制度や当時の不安について当時は不穏なこと
中学受験塾に入る前にしていた歴史の体験のお話です。子どもたちと歴史体験のイベントに参加したり、世界遺産や名城、名園等を見学に行きました。歴史に全く興味のない子どもたちが、ママのためならと一緒に学んでくれ、そして教えてくれました。アウトプットもママのためです。
古墳・飛鳥時代での大きなできごと大化の改新についてこの頃から大きな勢力から天皇中心の中央集権国家に戻すためのク
銚子市公正図書館はなぜ「公正」がついているのか-濱口梧洞が目指した社会教育とは
皆さんの市町村にある図書館に「公正」って付いていますか?おそらく付いていないのではないでしょうか。なぜ銚子だけ公正図書館なのか?銚子市に住んでいながら図書館についている「公正」理由について知りませんでしたので調べてみました。調べてみるとその命名についてはヤマサの10代目主宰者「濱口梧洞」が関係していました。起源は大正時代にさかのぼります。
ナマズが地震の原因ってどういうこと?一体いつからそうなった?
「ナマズ」と言ってすぐに連想するのは「地震」ですよね。 一体どうして、いつからそのようなイメージがついたのでしょうか。 第一本当にナマズと地震に関係はあるのでしょうか。 ナマズと地震の関係を日本の歴史から読み解きます。 ...
【大河ドラマ2024キャストは超豪華!】『光る君へ』キャスト&あらすじ紹介!脚本は2006年「功名が辻」から18年ぶり「大石静」
2024年大河ドラマは7年ぶりの女主人公!大河ドラマ史上初の女性統括&プロデューサーで出陣!吉高由里子&大石静の強力タッグ!
鎌倉殿の13人における「そっち系の男の妻」の描き方が凄い件 私はこの大河ドラマをかなり途中から見始めたのと、そっち系の男の感覚がまるで分からないため、何かの説…
未だに謎の多い邪馬台国やヤマト政権の大まかな流れ邪馬台国という国があって卑弥呼という女王がいたらしいというのは
狩猟採取の縄文時代から稲作が本格化する弥生時代までの大まかな流れやはり日本列島は大陸とつながっていて離れた経緯
楽しい日本史 -日本のはじまり- 1.日本人はどこから来たのか
すべてのはじまりとなる地球の誕生からいったいいつ日本に人類が現れるまでの大まかな流れ地球が誕生してだいぶ遅れて
司馬遼太郎の『「明治」という国家』を読むと、ちょっと賢くなった気になれる。
今週のお題「最近おもしろかった本」 先週のお題「最近おもしろかった本」 出典:「明治」という国家〔上〕 (NHKブックス) 司馬 遼太郎 本 通販 Amazon 司馬遼太郎という名前だけで、尻込みしてしまう人も多いかと思います。 私はまったくそんなことなくて、今まで多くの司馬遼太郎作品を読んできましたが、1994年に発売された『「明治」という国家(上下巻)』については読んだことがなく、発売から四半世紀を経て初めて読んだんですけど・・・ なぜ発売から四半世紀も経過したここまで読まなかったかというと、本書が長編歴史小説でなかったから。 これは私だけかもしれませんけど、小説って内容もも…
いま中国、中国って問題になってるけど、昔、「元寇」ってあったよね。中国が2回も日本を攻めてきたけど、どちらも神風が吹いて撃退したってことがあったしょ。そのときの日本の対応って、どうだったのかなあ?幸福の科学の大川隆法先生は、『北条時宗の霊言──新・元寇にどう立ち向かうか』(幸福の科学出版)で、元寇のときの執権・北条時宗の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。すでに、元はスーパー大国で、世界一の超大国だったわね。ヨーロッパとイスラム圏が、「十字軍」で戦って決着がつかず、何百年も戦い続けていたけど、その彼らを、丸ごと侵略してしまうぐらいの力があったわけですからね。(中略)だけども、私は、単に拒否していただけではなく、攻めてきたときのための備えもやっておりました。例えば、北九州などに防塁を何重にも...元寇のときの日本の対応って?
富田林を旅立って、わずか二か月後に、24歳の吉田松陰が目の当たりにした「黒船来航」は、その後の松陰の人生を大きく変える。29才で刑に処せられるまでの五年間の半分を、獄舎の中で過ごすことになる。ベリーは開国を促す親書を幕府に手渡し、「1年後に再来航する」と告げて6月10日に浦賀を去った。黒船来航を目の当たりにした松陰はどう感じていたのか?松陰曰く、「天下の大義を述べて、逆夷(=外敵)の罪を征討(=討伐)すべし」。水戸藩と並んで長州も攘夷(じょうい=外敵を追い払う)思想の強い藩だった。それも単なる「攘夷」ではなく、「敵愾(てきがい=外敵と戦う)」という過激なもので、1863年の高杉晋作らによる四国艦隊下関砲撃事件(下関戦争)は、長州藩としては当然の行動だった。その一方では密航を試みる。佐久間象山の「男子たるも...その27幕末「松陰独行」②
安政元年(1854)10月24日、吉田松陰は萩の野山獄の囚人となり一年余りを過ごすことになる。安政二年(1855)12月15日、藩主毛利敬親の温情により、病気保養の名目で野山獄を出され、実家の杉家に閉門蟄居する。家には人を入れられないので、松下村塾の納屋を改造、増築し多くの門下生を育て、明治維新へとつながっていく。二年間あまりのしばしの安穏の時だった。29年間の生涯の中で松陰が成し遂げた業績は、松下村塾で後進を育てた以外、形として残っているものは何もない。それどころか為すことすべてに失敗している。それは、どうしようもない現状を打破するために、真っ先に自ら艱難辛苦に飛び込んで行ったからだった。真個(しんこ=まことの)関西志士の魁(さきがけ)、英風(=立派な姿は)我が邦(くに)を鼓舞し来たれり高弟高杉晋作の彼...その27幕末「松陰独行」③
9 清浦奎吾(きようらけいご) (1850 ~ 1942)3uwl1b~第二次護憲運動で総辞職に追い込まれた短命内閣の首相~ 「私は坊さんになるつもりはありません。将来、国のためになる立派な人になりたい」大正末期の総理大臣、清浦奎吾の若き日の言葉です。92歳の天寿を全うし、江戸時代から昭和まで生き抜きました。貴族院議員や首相を経験し、歴史上にその名を残しています。幼いころから学問の才能があり、山県有朋の...
第5集への中間報告9 3uwl1b こんにちは。 相変わらず足踏み状態が続いています。引き続き第5集への準備は、予定全体の約5分の1からなかなか抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 9回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのための...
日本とアメリカって、80年くらい前には戦争したんでしょ。なんでそんなことになったの。日本が悪かったの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』(幸福実現党刊)で、その戦争の開戦時の総理大臣だった東條英機の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。「日本人は猿だ」という認識であって、明らかなる人種蔑視政策をとっておった。また、日本からは、アメリカに、だいぶ移民が行っておったわけだけれども、戦争の前には、すでに、日本人移民排斥法(排日移民法)なるものがあり、西海岸の日本人たちは排斥されて、そうとうひどい目に遭っておった。(中略)その原因の一つとしては、やはり、「満蒙に対して、わが国の支配権が及んだことを面白く思っていなかった」というこ...日米開戦の理由って?
若き吉田松陰の探求心、行動力には感心する。何が松陰をそこまで突き動かしているのか。今しばし松陰の話。4月1日に富田林を立った後の吉田松陰の行動である。松陰はまず大阪へ行き、再び大和の五條に赴いてしばらく逗留している。その後、八木、奈良、伊勢へ向かって、江戸に着いたのは6月1日だった。6月1日晴鎌倉を出発して、来た道を通って江戸に入る。長原武の家の前を通り鳥山家に宿る。すでに夜になっていた。6月3日晴佐久間修理(しゅり=佐久間象山)先生を訪ねる。近澤啓蔵が来る。6月4日晴渡辺春汀を訪ねるが不在。麻布藩邸に行き工藤・新山に逢う。桜田藩邸に帰り、道家竜助と逢って辺警(外敵が国内に侵入)があったことを聞く。すぐに佐久間塾に行くが、塾生は皆、今朝方に浦賀に行って誰もいなかった。藩邸に帰り、支度をして急いで浦賀に出発...その27幕末「松陰独行」①
第5集への中間報告15 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備が、やっと進んできました。予定全体の約2分の1がまとまった状態です。残りはあと半分です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 15回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事15 今回...
第5集への中間報告16 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は予定全体の約7割がまとまった状態まできました。残りはあと3割です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 16回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事16 今回も、基本的人権の...
第5集 差別意識からの解放「現代編」 目 次はじめに第1章 昭和中期1 外国人差別(1) ペテロ ~道で偶然出会った白人~2 外国人差別(2) アインシュタイン ~日本はほとんど戦争に負けたことがない?~3 人種差別 キング牧師 ~土人とだっこちゃん~4 社会的身分差別(1)山県有朋 ...
日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。教科書でもお馴染みの彼だが細かいことは習っていない印象。
~○○町はいかんで、あいつら朝鮮だ~ 「弥生町(仮名)の子とは遊ぶな、弥生町の方へは行くな」「一緒に仕事をしたが、あいつら飯の時間になると真っ先に走っていく」「そんな辛いものばっかり食べてると朝鮮と同じだ」 差別意識が言葉になって現れてきていますね。残念ながら、僕の小学校時代はこのような言葉が、日常茶飯事のように飛び交っていました。 この差別的な環境の中で、僕は自然に 「そうなのかな」 と思ってしま...
第1章 昭和中期 8 地域差別(1) 謝花昇(じゃはなのぼる)
~名古屋弁はいかんで~ 僕は名古屋生まれなので、小さいときからごく普通に使ってきた言葉です。だから親しみを感じます。 ところが他県出身の知人、大原さん(仮名)の言葉です。 「・・・・だがや」 「がや、はいかんで」 名古屋弁という一つの方言を悪い言葉と決めつけた発言です。 そういう彼自身もかなりなまった方言を使っていました。その方言は良いというのです。 自分の価値観に凝り固まった偏見がなせる業です...
~大学合格者氏名を新聞が発表~ 今では皆無になりました。大学合格者の氏名を全員新聞記事で発表していたのです。 僕が中学生、高校生だった昭和時代後期のことです。当時は当たり前のように、3月になると大学名、学部学科名、氏名が新聞記事を賑わしていました。 同じ氏名の人が何か所も出ていることも珍しくありませんでした。でも21世紀になった今は、そのようなことをやる新聞社は見当たりません。 この事実の背景には...
~聞きもしないのに 「おかげさまでS大に合格」~ 僕が高校2年生の時だったでしょうか。全校集会の話はほとんど忘れているのに、数少なく覚えている一言があります。 「おかげさまでS大に合格しましたけれども・・・」 S大学というのはいわゆる受験の難関校の一つです。当時の同級生や同学年の生徒の中で、ここに合格できる学力のありそうな人は極めて少数でした。 もちろん、僕も問題外でした。話をしていたのは田辺さ...
~「お前らは〇〇に感謝するべきだ。でないと今頃は・・・」~ 感謝と恨みが相半ばする個性的な恩師がいました。僕が高校2年のときでした。 まず感謝です。「宗教」という教科の担当で山本先生(仮名)という方でした。彼の授業は言葉に癖がありましたがわかりやすく、世界のさまざまな宗教を幅広く公正に教えていただきました。 いろいろな宗教の良さ、特性を知ることができ、その中には今でも役に立っていることがたくさんあ...
2月23日に岸和田に着いてから3月3日までの十日間、二人は岸和田に逗留している。その間、佐渡屋と中家の仲を取り持つこともさることながら、岸和田の多くの学者と議論を交わしている。岸和田を立った後も堺、貝塚の学者を訪ね、3月18日の午後にようやく富田林に帰ってくる。それから4月1日に旅立つ11日間、富田林に逗留する。よほど居心地がよかったのだろう。3月27日晴弥生も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月はありあけにて光おさまる。千早の峰々かすかに見えて、庭の中の桜花の梢(こずえ)はまだまだ心ぼそい。旅の疲れもようやく癒える。もうニ、三日もすれば江戸に向かうことを告げると、佐渡屋の六つばかりの子がよちよちと寄ってきて、膝の上に乗のって「いやや」と言う。散歩がてらに石川の堤にあがる。江戸までの前途三千里...その26幕末「松陰一人旅」④
2月15日晴なおしばし佐渡屋に逗留する。董其昌(とうきしょう)や趙礼叟(ちょうれいそう)などの中国の画家および空海の書や雪舟の龍虎図などを観る。どれもこれもめったには見ることの出来ないもので、節斎先生も大いにお褒めになっていた。また、伊勢神戸藩が河内の国に7000石を領しているが、近頃は財政困難に陥り、新しく領民たちに法令を掲げていうことには、「百両出せば名字帯刀を一代だけ許し、百五十両出せば苗字は世襲として帯刀は一代だけ許す。二百両出せば苗字太刀を世襲、二百五十両出せば名字帯刀持槍を世襲、三百両出せば名字帯刀槍騎馬を世襲とする」これによって7000石の地ながら三千両を得て、借金をことごとく返却したという。河内大和は公領(幕府直轄)で、管轄する組頭である伍長(五人組頭)や年寄(庄屋の補佐)や庄屋(村の長)...その26幕末「松陰一人旅」③
吉田松陰が富田林に向かうことになる理由を先に述べておく。嘉永五年(1852)富田林の造り酒屋佐渡屋と泉州熊取の大庄屋だった中家との間で縁談の約束が取りかわされた。ところが、両家との間になんらかのトラブルが生じてもめ事になった。そこで、佐渡屋は、中家当主の中左近が尊攘派学者として大和五條の森田節斎と知り合いであることを知り、節斎に両家の仲裁を頼んだ。佐渡屋徳兵衛の叔父増田久兵衛が五條に住んでいた関係から、森田節斎とも親交があったようで、節斎もこころよく引き受け、2月14日に富田林へ行くと約束をしていたのだった。さて、話を日記にもどす。2月13日雨午前1時頃に晴れる。竹内の宿場を立ち、今市(葛城市)を経て御所に着く。御所は公領なり。高取藩の植村出羽守に託されている。竹内から今北(御所市)に着く。土地はがらんと...その26幕末「松陰一人旅」②
スタディサプリの社会の先生「伊藤賀一」先生とはどのような人物なのか、どんな授業をしているのか、受講者からの評判も含めて、ガイチ先生をまるごと解説しています。
5 伊藤博文 (1841 ~ 1909)3uwl1b~行政の頂点で国政を動かし海外で暗殺された長州の貧農~ 日本初の内閣総理大臣です。過去の千円札の肖像にもなった人物で、明治を代表する日本を動かした大物政治家としてあまりにも有名です。陽気で開放的な性格で人気が高く、明治天皇からも信頼されていました。お世辞を言わない無骨な正直者で、金銭にきれいなことがその理由でした。アジア最初の立憲議会政治家として、現在...
10 孝明天皇 (1831 ~ 1867)3uwl1b~鎖国にこだわり新時代を前に犠牲になった若き天皇~ 江戸時代で歴史上に登場したといえる天皇は2人だと思います。一人は初期の後水尾天皇(ごみずのおてんのう) で、もう一人が孝明天皇です。15歳で即位した、江戸時代最後の天皇です。学問好きな性格で、公家の学問所である学習院を創設したほどです。和歌にも優れ、歌集も出しています。影が薄い江戸時代の歴代の天皇の中...
受験まであと二か月に迫った頃だった。離れの自室で勉強をしていた。11月の半ばだったが、ぽかぽかと暖かかったので窓を開け放していた。するとそこへ春やんが骸骨のような顔をにゅうっと出した。少しどきりとした。親に用事があって来たのだろう。用事が終わってそのまま裏から回って来たのだ。「勉強か?しっかりやりや!」そう言って、めずらしく帰ろうとしたのだが、振り返って、「ええ言葉教えたろ。ちょっと紙と鉛筆かして」手渡すと春やんが紙に「至誠而不動者未之有也」と書いた。「至誠にして動かざる者、未だ之(これ)有らざるなりと読むんや。誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。一所懸命にやれば物事は叶うという意味や。頑張りや」そう言って帰ろうとしたのだが、また振り返って、「誰の言葉か知ってるか?」知らなかったので首をかしげると、「松下...その26幕末「松陰一人旅」①
日本って、反省しなきゃいけないことやった国だなんていって、ボロボロに叩かれてる気がするんだけど、でも美点もあるんだよね?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。日本は、第二次世界大戦が終わってから立派な国になったのではなく、昔の日本も優れていました。先の大戦が起きる前から、日本は「世界の五大強国」の一つと言われていたのであり、敗戦後にゼロから発展したわけではありません。今の日本人は、戦争が終わって日本が廃墟から立ち直ったところだけを知っていて、「敗戦後に経済的繁栄が起き、世界第二の経済大国になった」と捉えがちなのですが、それ以前に、日本はすでに世界の五大強国に入っていたのです。日本は、明治維新以降、非常に頑張りましたし、明治維...日本の美点って?(その1)
前回、日本の美点って話を聞いたけど、その続きがあるんでしょ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。それから、聖徳太子の時代も、それ以降も、日本には女性の天皇がいましたし、皇后でありながら軍の指揮まで執ったとされる、神功皇后という人もいました。そのように、日本には、昔から、優れた女性はたくさんいたのです。日本の女性指導者の偉い点は、天照大神のご威光もあったのでしょうが、残忍なことをあまりしなかったことです。中国の女性指導者は非常に残忍なことをよく行っています。自分が政治的な権力を握ると、反対勢力の人たちに対し、「九族、皆殺し」を行い、お互いに「親戚だ」と知らないような範囲の人たちまで、全部殺してしまうことが数多くありました。こ...日本の女性の地位って