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【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 07.新田義貞・五
新田義貞の軍勢は、足利尊氏の軍勢に敗北し、楠木正成と共に尊氏を挟撃しようとする。 1336年(/建武三年)5月24日、新田義貞は、楠木正成と合流して、酒を酌…
日本史Bは高校3年生の後半まで、 勉強方法がわかりませんでした。 高校の授業は先生がつくったプリント中心。 学校から夏休みの始めに 「大学入学共通テストへの道…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 06.新田義貞・四
足利尊氏は、後醍醐天皇の勅状を得ないまま、討伐に向かい、中先代の乱の鎮圧後は、鎌倉に本拠を置いた。 足利尊氏は、新田一族とその与党の所領を、北条時行の撃退に…
江戸幕府の終焉 大政奉還とは 楽しい日本史 -近代国家への道-
坂本龍馬の説得のもと長州藩と薩摩藩の間で薩長同盟が成立し、いよいよ倒幕が進みついに大政奉還が実行される。これに
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・参
新田義貞は、鎌倉を陥落させると戦後処理に奔走した。 各々の武将が、義貞へ軍忠状、着到状を提出し、義貞は、それに対して、証判を書いた。 しかし、7月に入ると、…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・弐
新田義貞は、碓氷川を渡って、八幡荘に到着すると、越後の後陣、甲斐源氏・信濃源氏の一派等の各地から参集した、五千騎と合流して、新田義貞軍は、九千に膨れ上がった…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・壱
新田政義の死後、息子の新田政氏が、新田本宗家の五代当主となったが、前述の通り、新田氏の「惣領」の座は、世良田義季と岩松時兼に分割相続されていた。 政氏の死後…
ポーラ美術館 2023年企画展スケジュールのご案内 - Digital PR Platform Digital PR Platform 2023年は、近代から現代までの個性にあふれた作家たち
特別企画展コラボイベント「銅鐸鋳込み体験」【土日祝日限定】 - 吉野ヶ里歴史公園吉野ヶ里歴史公園開催日時 2022年9月17日(土曜)~11月6日(日曜)...
幕末を動かした長州藩と藩士たち 楽しい日本史 -近代国家への道-
幕末の歴史は長州藩抜きには語ることができない。長州藩士の吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎といった幕末の志士が歴史を
新田義重は、源頼朝より、三年、長生きし、1202年(建仁二年)、八十九歳で、死去した。 新田本宗家は、新田義重の三男、新田義兼が、継承する。 従兄弟の足利義…
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…
一色義定は、弓木城にて、織田軍に抗戦し、細川藤孝は、苦戦を強いられた。 そのため、織田信長の意向もあり、細川藤孝は、明智光秀の助言を受け、政略結婚により、和…
1487年(長享元年)、一色義尚の次男、義秀は、丹後国守護となる。 1493年(明応二年)、丹後において、伊賀次郎左衛門が叛乱を起こし、上洛中の父の義尚も、…
一色義直は、丹後国守護及び、伊勢半国守護となり、更に、三河国渥美郡・若狭国小浜を所領に得たが、若狭国、三河国の守護に任じられず、一色氏は、以降、両国の守護職…
1408年(応永十五年)、三河国守護の一色満範に対し、三河国守護代の小笠原明鎮の弟、小笠原長正が、三河国幡豆郡にて、一色軍と交戦し、12月26日、一族郎党と…
九州探題府の侍所、小俣氏義は、観応の擾乱では、足利尊氏に背き、直義に就くため、探題内部で、工作を行った。 尊氏の実子で、直義の養子の足利直冬は、直義の味方を…
足利氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 義国の次男、源義康は、上野国の足利荘を相伝すると、足利義康を称した。 源姓足利氏の誕生である。 義…
公武合体 開国派と攘夷派で揺れる日本 楽しい日本史 -近代国家への道-
桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺されると、幕府は復権のために朝廷との絆をふかめようと「公武合体」政策を行う。
#154 織田信長、今川義元の両雄そろう~『桶狭間戦記 3』を読む
織田信長ものし上がり、ついに桶狭間の戦いの両雄が戦国大名として揃い踏みとなる歴史マンガ『桶狭間戦記』の3巻すでに戦国大名の今川義元戦国大名にのし上がった織田信…
板倉宗家は、板倉勝重を初代とし、重宗、重郷、重常と嫡子相続が、継承されていたが、重常には、息子がいなかったため、初代の板倉勝重の三男、重大の息子、重冬を養子…
「今川家のその後の意外」 日本史にそれほど詳しくない人にとっての今川家はおおよそこんなイメージではないだろうか??? 突如、戦国時代に登場し、「織田信長との桶…
#152 『信長公記』を読むその17 巻9後半:天正四(1576)年 安土城の築城
『信長公記』巻9 天正四(1576)年も長いので、後半は信長の居城の安土城の築城について安土城の築城近江八幡市HPでは、VR安土城が公開されています。 …
#151 『信長公記』を読むその16 巻9前半:天正四(1576)年 本願寺との戦いなど
『信長公記』巻9 天正四(1576)年も長いので、前半はこの年の戦いで大きなウェートを占めている石山本願寺との戦いについて大坂の石山本願寺をめぐる戦い毛利水軍…
#150 第6回「続・瀬名奪還作戦」の感想 ~大河ドラマ『どうする家康』
2023年1月29日の大河ドラマ『どうする家康』の第6話『続・瀬名奪還作戦』の感想 伊賀忍者、服部党蘇る!!前回登場の本多正信と服部半蔵のコンビが引き続いて、…
#149 まとめ『近世日本国民史 徳川家康』~大河『どうする家康』を楽しむために
司馬遼太郎先生の歴史小説の種本ともいわれた徳富蘇峰氏の『近世日本国民史』の徳川家康時代を読了しました。徳川家康は全三巻で構成されています。 豊臣秀吉死後から…
#148 『信長公記』を読むその15 巻8 後半:天正三(1575)年 後半
『信長公記』巻8 天正三(1575)年も長いので前後半の後半分 越前一向一揆を退治織田信忠が家督相続 越前の一向一揆を退治8.12 越前へ向けてご進発、…
井伊直弼の安政の大獄と将軍継嗣(けいし)問題 楽しい日本史 -近代国家への道-
ペリーの来航から5年後、大老・井伊直弼は勅許のないまま日米修好通商条約の締結に踏み切る。これが多方面から大バッ
ペリー来航と幕府の対応 日本への影響とは 楽しい日本史 -近代国家への道-
4艘の蒸気船を率いて日本に開国を迫ってきたアメリカ東インド艦隊の司令官・ペリーそのペリーについて「そもそも何を
松尾芭蕉 好きな武将は源義仲 日本中を旅して俳句を極める 楽しい日本史 -偉人編- 22
たくさんの有名な俳句で知られる松尾芭蕉。 その松尾芭蕉が「どのように生まれでどうやって俳句を学んだのか」、「な
田沼意次は何をした?二人の将軍に仕えた男 改革と天災 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ-
9代将軍・徳川家重、10代将軍・徳川家治に仕えて改革を行った田沼意次だが、その認知度は正直いって低い。田沼意次
この間、幸福実現党の釈量子党首が街宣してるのを見かけたんだけど、とっても心に残る演説だったよ。釈さんって、ほんとはどんな人なの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『釈量子の守護霊霊言』(幸福実現党刊)のまえがきで、こう説いておられます。あくまでも豪胆な女性である。間違いは許さない。正義は貫く。しかし感激したら、ハラハラと涙を流す。新入職員にごちそうしたり、自分の手作りのお弁当を分けてあげたりもする。そういえばケーキ作りも上手で、私もおこぼれにあずかったことがある。入局間もない頃、釈さんが半年ほど私の秘書になった。ある時、ハーブティーを入れてくれて、ハチミツをそえてくれた。私がそのハチミツをティーカップに垂らすと、薄い茶色の液体は、ただちに灰色に変色した。大川「あのー、ハーブテ...釈量子党首って?(その2)
1609年(慶長十四年)の猪熊事件では、板倉勝重は、京都所司代として、後陽成天皇と徳川家康の意見調整を図って処分を決め、朝廷統制を強化した。 大坂の陣の発端…
前項までに述べた様に、足利一族の名門、渋川氏は、室町幕府の草創期、肥前、備前、備中、安芸、豊前、摂津等の守護職に任ぜられ、九州探題職を世襲した。 渋川氏の一…
渋川義鏡の失脚後、息子、または、養子と言われる、義尭が、関東の渋川氏を継承した。 渋川義尭は、武蔵国蕨郷の蕨城を拠点とする、関東の一勢力に転落した。 義尭は…
#146 『信長公記』を読むその14 巻8 前半:天正三(1575)年 前半
『信長公記』巻8 天正三(1575)年も長いので前後半に分けて、前半のハイライトは、「長篠の戦い」です。武田騎馬隊を撃破! 長篠の戦い 武田騎馬隊を撃破…
#145 織田信秀・信長親子をめぐって〜『桶狭間戦記 2』を読む
永禄3(1560)年の桶狭間の戦いに至る今川と織田の両者を題材にした歴史マンガ『桶狭間戦記』の2巻織田信貞・信秀・信長の3代にわたる成り上がり記センゴク外伝 …
#144 ブックレビュー『近世日本国民史 徳川家康(三)』~『どうする家康』を楽しむ為に
2023年は、大河ドラマが『どうする家康』に備えて年末年始に読むつもりだった最後の第10弾 『近世日本国民史』徳川家康(三)徳川家康の特徴と家康時代の概観近世…
小学生のうちから世界史の内容をマンガでふんわり学習させておく効果
教育費は学習マンガにかける傾向があります。 今週のお題「かける」 いいですよ、学習まんが。 親が黙ってても、子どもが自動的に読んで、知らずのうちに学習します。 これほど楽なものはありませんね!金と時間のコスパ最強、うひゃひゃひゃひゃ。 世界史は中学の教科ですが、小学生のうちからスタート。 理由は、中学で成績を確保して、高校で志望校にすんなり行ってほしいので。 我が家は中学受験をしないので、学力別の進路は高校からなのです。 ふんわりとマンガで得る下地、馬鹿にできない効果がありますよ。世界史の教科書ほど眠くなるものはありません。だから、今から数年かけてジワリジワリとマンガで網羅し、繰り返し読ませて…
#143 『信長公記』を読むその13 巻7 後半:天正二(1574)年
『信長公記』巻7 天正二(1574)年 一向一揆勢を各個撃破、あの蘭奢待も登場 世にも珍しい酒のさかな正月1日 京都や隣国の諸将は岐阜に年頭のご挨拶に参上…
#142 第5回「瀬名奪還作戦」の感想 ~大河ドラマ『どうする家康』
2023年1月29日の大河ドラマ『どうする家康』の第5話『瀬名奪還作戦』の感想 悲劇の続く瀬名姫、さらなる暗黒面入りか 今川と手を切り、織田と結び、生母の於大…
評価:60点/作者:平野明夫/ジャンル:歴史/出版:2010年 『三河 松平一族~徳川将軍家のルーツ』は、江戸幕府を開き、二百落十年の太平の世を日本にもた…
#141 今川義元だって凄いんだぞ!〜『桶狭間戦記 1』を読む
ここ最近の戦国時代の大河ドラマでは、ナレ死だったり、あっというまに退場させられるやられキャラ的な今川義元。今回の大河ドラマ『どうする家康』でも1話でサヨウナ…
渋川義季は、1423年(応永三十年)、少弐満貞に博多を攻められ、敗北し、肥前国山浦城に逃れた。 その敗北を契機に九州探題の勢力は、衰退を始めた。 1425年…
~「家は○○です。田舎者ですがよろしくお願いします」~ ○○というのは名古屋の近くにある人口10万前後の都市の一つです。中学校の同級生の一人である大山さん(仮名)という女子生徒の自己紹介で発せられた言葉です。 新しいクラスがスタートすると、大抵どこの学校でも自己紹介をしますね。冒頭の言葉は最初の学活のときに発せられた彼女のものです。 そのときの学級担任はすかさず 「〇〇は田舎ではない」 と一言だけ言い...
#140 『信長公記』を読むその12 巻6 後半:元亀4・天正元(1573)年
『信長公記』巻6の元亀4・天正元(1573)年の後半部分です。長いので2回に分けて ※元亀4年の途中に、天正に改元 朝倉・浅井と一気に二大名を滅亡に 朝倉…
#139 『信長公記』を読むその11 巻6 前半:元亀4・天正元(1573)年
『信長公記』巻6の元亀4・天正元(1573)年の前半部分です。長いので2回に分けて ※元亀4年の途中に、天正に改元 信長に反乱を繰り返した義昭前半の主人公!?…
8代将軍・徳川吉宗は何をした?幕政改革 享保の改革とは 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ-
暴れん坊将軍でおなじみの江戸幕府の8代将軍 徳川吉宗徳川吉宗は何をしたのか?と聞かれると、暴れん坊将軍以外に何
徳川家綱と徳川綱吉は何をした? 象徴化する将軍と文治政治 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ-
江戸幕府の4代将軍 徳川家綱、5代将軍 徳川綱吉徳川家綱、徳川綱吉が何をしたのかについて、学校で習ったかもしれ