メインカテゴリーを選択しなおす
どうもこんにちは!!!今回は歴史関連を綴っていきたいと思います!近代日本財政の父、高橋是清についてです!!銀行家から大蔵大臣、そして総理大臣にまで上り詰めた高橋是清は、今日の日本経済の基盤を築いただけではなく、今の政治家たちに手本にしてほし...
School of Limitations 15 銀河史10
ヒューマノイドについてもう少し詳しい内容を紹介しています。『銀河史』が日本人に伝えようとしている意識変革の内容が徐々に見えてきました。
学童での読書本をまとめてみていたところ、 自分が小学生の頃って何を読んでいただろうかと思い… まぁにゃんたんのゲームブックが人気でしたよね。 にゃんたんのゲームブック【電子書籍】[ 巻左千夫 ]
googleニュースで「人生に疲れた人へ。チャップリンの名言「笑いの無い日は…」英語&和訳(偉人の言葉)」というのが目に止まりました。チャップリンの名言(和訳)で「笑いの無い日は、無駄にされた日である」「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」ヴィクトル・ユーゴー(フランスの小説家)「笑いとは、人の顔から冬を取り去ってくれる太陽である」ウィリアム・アーサー・ウォード(アメリカの作家)「優しい...
~3年たってやっと○○会を退会、ハンコをついた~ 「大川原さん、何で○○会やめたね?」・・・校長はそう言いながらハンコを付いてくれました。(えっ?今ごろハンコ?)口には出しませんでしたが、僕は心の中で驚いてしまいました。 やめたのは3年前。前任校に勤務していたときだったからです。前任校の校長とは口約束だけだったのです。 つまり僕はこの3年間、何も活動してないのに、高い会費だけ給料天引きで延々と支払わさ...
愛子さまが2024年4月から就職される日本赤十字社。 この記事では日本赤十字社のちょっと深い話を書いています。 ニュースを見て、日本赤十字社がちょっと気になった人、または、佐賀にゆかりのある方(私もその1人🤔)にぜひ読ん […]
~臨時職員を見下したために食らった痛い一撃~ 「・・・しなさいとは何だ‼」・・・突然怒鳴られてしまいました。強烈な一撃です。一緒に夕食を食べていたときのことでした。 相手は同じA中学校に同僚として勤務していた本田さん(仮名)です。即座に謝りましたが、まさか怒鳴られるとは思っていませんでした。 僕と彼は同い年。特に親しい友人でもありませんでしたが、同じ職場で同じような悩みや不満を持っていたので話がよく...
~教務が年度途中で教頭に~ 囲む会で胴上げ・・・? 「出なければよかった」・・・同調圧力に負けて参加した飲み会です。高い会費と貴重な自由時間を失いました。11月頃だったでしょうか。 僕が勤務していた同僚の研究主任、原山さん(仮名)からの呼びかけです。「教務主任の桑山さん(仮名)がこのたび教頭先生になられます。 祝賀と激励の会を開きますので、希望される方はぜひご参加ください」朝の職員朝会でのことで...
~偉いと思っていた生徒会役員バッジ~ 「生徒会だとよ、バカかあいつ」 名古屋の地下鉄に乗って、下校しているときに僕の耳に小さな声で飛び込んできた言葉です。高校1年のときでした。 右斜め向かいの反対側の席に座っていた顔も名前も知らない他校の生徒2人のひそひそ話でした。 自分が座っていた座席との間は3メートルほどありましたが、僕のことを噂して放った言葉であることは一目瞭然です。 制服の左えりのところに...
(写真:「河口慧海(かわぐち えかい)」が学んだ寺子屋「清学院」) 「仁徳天皇陵」を後にしてさらに、シェアサイクルで堺の街を散策します。「商人の町」堺はとても豊かな街でしたそのため、いまも豪商たちの豊かな生活を偲ばせる建物が残されています。☝同好の皆さんの
~「自分の子どもに知能テストの練習をさせた大学教授」~ 大学2年の時でした。僕は中学校と高校の社会科教員の免許状取得をめざして、専門科目と一般教養以外の単位になる教職課程の授業を受講しました。 その数ある授業の中の1科目を担当していた教授が、ある日の授業中にこんなことを言いました。 「私の子どもが学校で知能テストを受ける前に、自宅で子どもに知能テストの練習をさせたら、後日学校ですごく高い数値の成績...
~○○町はいかんで、あいつら朝鮮だ~ 「弥生町(仮名)の子とは遊ぶな、弥生町の方へは行くな」「一緒に仕事をしたが、あいつら飯の時間になると真っ先に走っていく」「そんな辛いものばっかり食べてると朝鮮と同じだ」 差別意識が言葉になって現れてきていますね。残念ながら、僕の小学校時代はこのような言葉が、日常茶飯事のように飛び交っていました。 この差別的な環境の中で、僕は自然に 「そうなのかな」 と思ってしま...
~大学合格者氏名を新聞が発表~ 今では皆無になりました。大学合格者の氏名を全員新聞記事で発表していたのです。 僕が中学生、高校生だった昭和時代後期のことです。当時は当たり前のように、3月になると大学名、学部学科名、氏名が新聞記事を賑わしていました。 同じ氏名の人が何か所も出ていることも珍しくありませんでした。でも21世紀になった今は、そのようなことをやる新聞社は見当たりません。 この事実の背景には...
第2章 昭和後期 3 学歴差別(3) フリードリヒ・ヴィーク
~キセル乗車を学校名から許した~ 僕が通っていた中学校は、当時の自宅からバスを乗り継いで1時間。電車とバスを乗り継ぐルートだと1時間半もかかってしまいました。普段は前者で通学していましたが、後者の方は遠回りになるけれど名古屋の繁華街を通るため、たまに利用することがありました。同窓生の松田さん(仮名)は比較的自宅が僕と近い生徒の一人です。通学ルートが似ているため、よく一緒にバスや電車に乗りました。 ...
~聞きもしないのに 「おかげさまでS大に合格」~ 僕が高校2年生の時だったでしょうか。全校集会の話はほとんど忘れているのに、数少なく覚えている一言があります。 「おかげさまでS大に合格しましたけれども・・・」 S大学というのはいわゆる受験の難関校の一つです。当時の同級生や同学年の生徒の中で、ここに合格できる学力のありそうな人は極めて少数でした。 もちろん、僕も問題外でした。話をしていたのは田辺さ...
第2章 昭和後期 5 学歴差別(5) ヨハン・ベートーヴェン
~第1、第2希望校だった高校の教科書~ 当時は違いましたが、今は逆転しました。母校の高校に心から感謝します。 自分自身の性格や学力実態に最も合った適切な進路であり、現在も生活や仕事で生かされていることがいくつもあります。 15歳当時の僕はそうではありませんでした。進学した第一高校(仮称)は僕の第3希望だったからです。 結論を先に言えば、この15歳の僕は学歴差別の意識から解放されていなかったため...
~「追いつけ、追い越せ」 「私が勤めていた○○高校」~ 口ぐせのように何度も聞かされた言葉です。僕が高校1年生のときの教科担当の先生のお一人でした。 授業は上手とは言えませんが、結構楽しくて人気もありました。彼は前任校である○○高校から、僕たちが在学していた第一高校(仮称)に赴任してきたのです。 つまり、君たちの多くは第2、第3希望として入学してきたので第1希望の学校の生徒より学力が劣る。だから 「追...
~「お前らは〇〇に感謝するべきだ。でないと今頃は・・・」~ 感謝と恨みが相半ばする個性的な恩師がいました。僕が高校2年のときでした。 まず感謝です。「宗教」という教科の担当で山本先生(仮名)という方でした。彼の授業は言葉に癖がありましたがわかりやすく、世界のさまざまな宗教を幅広く公正に教えていただきました。 いろいろな宗教の良さ、特性を知ることができ、その中には今でも役に立っていることがたくさんあ...
~「A校に生きA校に死す」 「こんなところで死ねるか」~ 僕が高校1年の時、同校の知り合い2人が冗談交じりに交わした会話です。前者は山田さん(仮名)で後者は川上さん(仮名)です。 2人とも僕より1つ年上の高校2年生でした。山田さんは第一希望で入学してきた生徒です。川上さんは第二希望での入学でした。 だからこのような言葉が出てきたわけですね。山田さんは自分が通う学校に誇りをもっています。だから生き生...
~「女子の制服は差別の象徴!」~ ・・・・・? 僕が高校1年のとき、近くのB高校に通う杉田さん(仮名)という女子生徒の言葉です。 今から思うと結構な美少女だったと記憶しています。あるとき突然、彼女の口からこの言葉が出てきたのです。 僕は唖然としてしまいました。推測の域は出ませんが、おそらく杉田さんもB高校に自身の第一希望で入学してはいないのだと思います。 だとすれば、典型的な学歴差別であり自分差別...