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2022/08/15

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  • ちょっといっぷく39 あの日

    今ではどの家庭にも電気メーターがあるが、昭和前期にはよほど裕福な家庭にしかなかった。各家庭に電気はひかれていたが、当時の電気料金は「一戸一灯契約」という定額料金で、1世帯で1個の電球を使ってもいいですよという料金体系だったのだ。これに目をつけたのがパナソニック(松下電器)の松下幸之助。電球ソケットの横にもう一つソケットの付いた「二股ソケット」を開発して大ヒットする。このソケットのおかげで一家に一つだけソケット(コンセント)があることになる。これで充分。電化製品といえば扇風機と電気アイロン、ラジオしかなかった時代である。そんなある日の朝。ラジオの午前7時の時報のあと臨時ニュースが1分間放送された。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、...ちょっといっぷく39あの日

  • 畑――冬眠

    そら豆を植えた。中国特産の絹が西方に運ばれた道=シルクロードを通って、ヨーロッパから中国にそら豆が伝来した。絹を作るカイコ(蚕)の繭(まゆ)に実が似ていることから中国名は蚕豆。この蚕豆が日本に伝わり、実が上向き、空に向かって付くことから空豆。ちょっとした料亭では、「空」を空っぽ・空しいと読むのを嫌って天豆と呼んでいる。どうせ食べるなら天豆を食べたい。そこで我が家では空豆とは言わず天豆と言っている。天豆の横のワラは防寒・霜除け。春先にワラの上にぱらっと肥料を蒔いて土寄せ。ワラも土で埋めて畑の肥料にする。それまでは、畑仕事は休職。冬眠に入る。畑――冬眠

  • 歴史28 幕末――テンチュウ③

    天誅組が代官所を襲撃したのは午後4時ごろ。五條代官所の座敷には、代官の鈴木源内と妻のやえ、取次役の木村裕二郎。そして、病み上がりの源内に按摩をしていた嘉吉という男がいた。「ああ、嘉吉、もうよい。ずいぶんと楽になったわい。そなたは名人じゃ」「めっそうもございません。そこらの田舎按摩でございます」その時、遠くでドドンドンドンと太鼓の音。「木村、なんじゃ、あの太鼓は?」「秋祭りが近いゆえ、村人が俄の稽古をしているのでございましょう」しばらくして、表門の方で鉄砲の音が一発、二発・・・。刀を抜いた役人が「代官様。天誅組と申す者たちが攻めてまいりました。ご用意を!」源内は奥座敷へと逃げる。嘉吉は羽織を頭からかぶって震えている。木村は刀の柄に手をかけて庭に出た。役人が四、五人座敷に逃げて来た。その後ろから天誅組の池内源...歴史28幕末――テンチュウ③

  • 歴史28 幕末――テンチュウ②

    「みんながちゃんと集まってるのに、なんで来えへんかったんや」そう言うやいなや、コガキが私の頬っぺたを思い切りたたいた。涙もでなかった。クラスのみんなは「・・・!」。ただ幸いだったのは、その時もその後も誰も私を非難しなかったこと。たぶんその日は誰とも話さなかったように思う。話す気力もなかった。一人で下校して、庭の片隅に積んである風呂柴の上に座ってぼんやりしていた。前栽の樹々で庭は暗いのに、夕陽をうけた東の空はやけに明るかった。そこへ秋日の中をふらふらと春やんが歩いてきた。私を見つけて、「どないしたんや?えらい寂しそうやなあ」「・・・」「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し・・というやつか」春やんがわけのわからないことを言ったので、少しおかしかった。それで、その日あったことを春やんに話し...歴史28幕末――テンチュウ②

  • 歴史28 幕末――テンチュウ①

    昭和41年(1966)は台風の発生が多い年だった。6月の下旬から8号が大きな被害をもたらした。9月には今でも最高風速(85.3m/s)の記録を残す18号が宮古島に大被害をもたらし、下旬には24号、26号が続けて上陸して日本列島を襲った。その都度、学校は臨時休校になるので、小学生の私にとっては少しばかりうれしかった。ところが、それが私に大被害をもたらす。9月最後の学級会(ホームルーム)の時だった。20歳代後半くらいの担任のコガキが教室に入ってくるや、10月にある学級発表会について話し出した。普段なら、みんなで話し合って出し物を決めるのだが、休校続きで時間がなかったのだろう。勝手に話を進めて、最後には15分ほどの寸劇を参観に来た保護者に見せようと言う。普段なら「どんな劇にする?」とみんなで話し合うのだが、焦っ...歴史28幕末――テンチュウ①

  • ちょっといっぷく38 もへじ

    朝夕は寒いが、秋の日中は過ごしやすい\(^o^)/畑仕事もつい長くなる、といっても5時間だが(´。•ㅅ•。`)畑の話をするのではなく、顔文字の話である(^_-)-☆「顔文字とは,ネット上の非言語表現の一種で,文字と特殊記号のみからつくられた表現」と定義されている。その顔文字が考え出されたのは、「1986年6月20日に若林泰志が当時のパソコン通信『アスキーネット』の電子掲示板で使用したのが最初」と、作者の若林さん自らがホームページで書かれているので確かだ。その時の顔文字が(^_^)顔文字が日本で考え出されるのは「へへののもへじ」の伝統が生きているのだろう。「へへののもへじ」は江戸時代に生まれた。それより古いのに鎌倉時代の「ヘマムショ入道」というのがある。もっと古いのは平安時代の「葦手絵」という装飾文字。日本...ちょっといっぷく38もへじ

  • 畑――捨て苗

    お隣の畑に水菜が植えてある。その片隅に水菜が捨て苗されている。二宮尊徳にならって、「みな根を張ってるようやから、捨て苗をもろてかまへんか?」「ああ、持ってって!全部持ってって!」「そないようさんいらんわ。十本ほどでええねん」と言って一つかみ取ると30本ほどあった。水菜は多少枯れていようが、水をやるとすぐに根が付く。それもそのはず、肥料なしで、水だけで育つので「水菜」という名がついているのだ。京都の九条あたりで栽培されていたので「京菜」という別名もある。葉が細いので虫もつきにくい。とにかく手のかからない野菜である。日本で栽培されている野菜の種は150種ほど。その多くが外来種。日本原産の野菜で、確実なのはフキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリ・・・。そして、このミズナも数少ない日本原産の野菜。英語名も「M...畑――捨て苗

  • 畑――もったいない

    4・5月同様に、10月・11月は忙しい。夏野菜を撤去して、耕うん・畝立て、冬野菜を植える。秋野菜を収穫・撤去して、春野菜を植える。春夏秋冬がこの二ケ月に重なる。イチゴ、タマネギはすでに定植し終えて、今日はエンドウ、スナップ、絹さやを定植。スイカと並んで最も連作障害が起こりやすく、四、五年は同じ場所で栽培できないやっかいな野菜。毎年、植え場所に苦労する。そこで今年はめったに植えたことがない北の端っこの畝に。南にへこんだカーブになっているので北風で倒れる可能性が高い印象。まあその時はその時と、杭を立ててネットを張る。ネットを張るのはもっと後でもよいのだが、寒くてチメたい時にやるのは苦痛。どうせ張るのだから暖かいうちに。まいど毎度のグータラ農法。それに、「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる」でカラス除けにもなる。ネッ...畑――もったいない

  • 畑――自然回帰

    10月の下旬に玉ネギを定植。それから三週間ほど経っているので、薄い人糞尿を施す。ニ月の中旬頃にもう一度下肥(しもごえ)をやる。これは明治40年に書かれた『家事農芸談』にある施肥方法。今はもちろん、化成肥料をパラパラと蒔く。ところが、この化成肥料が倍近く値上がりしてたまげている。思わず下肥にしようか・・・と思うが、水洗なのでそうはいかない。たまったものではないので、昔よくやっていた稲ワラ堆肥を作ることにした。バインダーで稲を刈った田んぼからワラを集めてきて、鶏糞と糠とボカシ堆肥をサンドイッチして積み重ねる。雨にあたるとシナッとなるので踏み固めて、ワラを追加して1メートルほどの高さにする予定。二、三ケ月して湯気が上がっていれば発酵している証拠。肥料の値上がりはとんだとばっちりだが、堆肥作りは思わぬ自然回帰。畑――自然回帰

  • 畑――そくる

    稲刈りを終えた隣の畑から「藁(わら=稲わら)いらへんか?」「ああ、ちょっとだけもろとくは」「慌てんでええから、ゆっくりそくって」「おおきに。雨降るまでそくるわ!」「そくる」という言葉がある。標準語だと思っていたら辞書には無かった。インターネットで調べていくと、愛媛弁の「そくる」=「失敗する」=損くる俗語の「そくる」=「その場・その時にすぐHする」=即る弓道の用語の「そくる」=「的に当たる」=束るではない!これ以上調べても損くるかと思っていたら、五巡目にして、ようやく束った。出雲弁の「そくる」=「束(たば)ねる」=束るなのである!!大国主命を主神とする美具久留御魂神社の氏子だけに、やはり出雲人の血が流れていたのだと確信。ゆっくりと天日で干してから束ろうと思っていたら、どうやら明日は雨模様。そこで慌てて藁を即...畑――そくる

  • 畑――じゃまくさい

    夏野菜を片づけた今の畑が最も秋らしい畑。ニンニクの奥は九月に植えた菜っ葉たち。必殺七種混合栽培。菊名・小松菜・しろ菜・野沢菜・青梗菜・葱・レタス。特に意図はない。あちこち耕すのがじゃまくさかっただけ。キャベツ・玉レタス・白菜・リーフレタスが大きくなってきた。キク科のレタスのおかげか、虫がついていない。人雨降ればもう一まわり大きくなって玉になってくれるはず。今が農薬散布のチャンスだが、じゃまくさい。落花生105袋はめでたく完売!早々に耕してイチゴとタマネギを植える準備。イチゴを早く植えたいが、水やりがじゃまくさいので雨待ち。サツマイモがあったのだが、ヌートリアがきれいに食べてくれた。当初は頭にきたが、今となっては掘る手間がはぶけた。残りは八つ頭。正月のおせちの縁起物。八は末広がり。頭は頭(トッブ)に立つ。そ...畑――じゃまくさい

  • ちょっといっぷく37 ぶりぶり

    三年ぶりの秋祭り。同じ村に住んでいても、しばらく会ってなかった人がかなりの人数。「ひさびさやなあ。どないや?」「まあ、ぼちぼちですわ」「そうか。そらよかった。気いつけや」と年配者から言われる祭り。校区の同級生とも久しぶりの再開。「おっ、久々やないかい。元気か?」「あかん。ぼろぼろや・・・では、祭りに来てないやろ!」「そやなあ。ほなら、また!」それで互いに通じるのが祭り。都市型の大きな祭りではなく、鎮守の森の昔ながらの祭り。それだけに、祭り=地域のコミニティー=結び=連帯を感じた久々の祭り。三年ぶりではなしに、やっぱり、年に一度の秋祭り。というわけで、久しぶりの記事投稿。そして、四日ぶりに、心身ともに癒えて、五日ぶりの畑仕事。里芋、赤芽大吉、小遣い稼ぎ。ちょっといっぷく37ぶりぶり

    地域タグ:富田林市

  • その27 幕末「松陰独行」③

    安政元年(1854)10月24日、吉田松陰は萩の野山獄の囚人となり一年余りを過ごすことになる。安政二年(1855)12月15日、藩主毛利敬親の温情により、病気保養の名目で野山獄を出され、実家の杉家に閉門蟄居する。家には人を入れられないので、松下村塾の納屋を改造、増築し多くの門下生を育て、明治維新へとつながっていく。二年間あまりのしばしの安穏の時だった。29年間の生涯の中で松陰が成し遂げた業績は、松下村塾で後進を育てた以外、形として残っているものは何もない。それどころか為すことすべてに失敗している。それは、どうしようもない現状を打破するために、真っ先に自ら艱難辛苦に飛び込んで行ったからだった。真個(しんこ=まことの)関西志士の魁(さきがけ)、英風(=立派な姿は)我が邦(くに)を鼓舞し来たれり高弟高杉晋作の彼...その27幕末「松陰独行」③

    地域タグ:大阪府

  • その27 幕末「松陰独行」②

    富田林を旅立って、わずか二か月後に、24歳の吉田松陰が目の当たりにした「黒船来航」は、その後の松陰の人生を大きく変える。29才で刑に処せられるまでの五年間の半分を、獄舎の中で過ごすことになる。ベリーは開国を促す親書を幕府に手渡し、「1年後に再来航する」と告げて6月10日に浦賀を去った。黒船来航を目の当たりにした松陰はどう感じていたのか?松陰曰く、「天下の大義を述べて、逆夷(=外敵)の罪を征討(=討伐)すべし」。水戸藩と並んで長州も攘夷(じょうい=外敵を追い払う)思想の強い藩だった。それも単なる「攘夷」ではなく、「敵愾(てきがい=外敵と戦う)」という過激なもので、1863年の高杉晋作らによる四国艦隊下関砲撃事件(下関戦争)は、長州藩としては当然の行動だった。その一方では密航を試みる。佐久間象山の「男子たるも...その27幕末「松陰独行」②

  • その27 幕末「松陰独行」①

    若き吉田松陰の探求心、行動力には感心する。何が松陰をそこまで突き動かしているのか。今しばし松陰の話。4月1日に富田林を立った後の吉田松陰の行動である。松陰はまず大阪へ行き、再び大和の五條に赴いてしばらく逗留している。その後、八木、奈良、伊勢へ向かって、江戸に着いたのは6月1日だった。6月1日晴鎌倉を出発して、来た道を通って江戸に入る。長原武の家の前を通り鳥山家に宿る。すでに夜になっていた。6月3日晴佐久間修理(しゅり=佐久間象山)先生を訪ねる。近澤啓蔵が来る。6月4日晴渡辺春汀を訪ねるが不在。麻布藩邸に行き工藤・新山に逢う。桜田藩邸に帰り、道家竜助と逢って辺警(外敵が国内に侵入)があったことを聞く。すぐに佐久間塾に行くが、塾生は皆、今朝方に浦賀に行って誰もいなかった。藩邸に帰り、支度をして急いで浦賀に出発...その27幕末「松陰独行」①

  • その26 幕末「松陰一人旅」④

    2月23日に岸和田に着いてから3月3日までの十日間、二人は岸和田に逗留している。その間、佐渡屋と中家の仲を取り持つこともさることながら、岸和田の多くの学者と議論を交わしている。岸和田を立った後も堺、貝塚の学者を訪ね、3月18日の午後にようやく富田林に帰ってくる。それから4月1日に旅立つ11日間、富田林に逗留する。よほど居心地がよかったのだろう。3月27日晴弥生も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月はありあけにて光おさまる。千早の峰々かすかに見えて、庭の中の桜花の梢(こずえ)はまだまだ心ぼそい。旅の疲れもようやく癒える。もうニ、三日もすれば江戸に向かうことを告げると、佐渡屋の六つばかりの子がよちよちと寄ってきて、膝の上に乗のって「いやや」と言う。散歩がてらに石川の堤にあがる。江戸までの前途三千里...その26幕末「松陰一人旅」④

    地域タグ:大阪府

  • その26 幕末「松陰一人旅」③

    2月15日晴なおしばし佐渡屋に逗留する。董其昌(とうきしょう)や趙礼叟(ちょうれいそう)などの中国の画家および空海の書や雪舟の龍虎図などを観る。どれもこれもめったには見ることの出来ないもので、節斎先生も大いにお褒めになっていた。また、伊勢神戸藩が河内の国に7000石を領しているが、近頃は財政困難に陥り、新しく領民たちに法令を掲げていうことには、「百両出せば名字帯刀を一代だけ許し、百五十両出せば苗字は世襲として帯刀は一代だけ許す。二百両出せば苗字太刀を世襲、二百五十両出せば名字帯刀持槍を世襲、三百両出せば名字帯刀槍騎馬を世襲とする」これによって7000石の地ながら三千両を得て、借金をことごとく返却したという。河内大和は公領(幕府直轄)で、管轄する組頭である伍長(五人組頭)や年寄(庄屋の補佐)や庄屋(村の長)...その26幕末「松陰一人旅」③

    地域タグ:大阪府

  • その26 幕末「松陰一人旅」②

    吉田松陰が富田林に向かうことになる理由を先に述べておく。嘉永五年(1852)富田林の造り酒屋佐渡屋と泉州熊取の大庄屋だった中家との間で縁談の約束が取りかわされた。ところが、両家との間になんらかのトラブルが生じてもめ事になった。そこで、佐渡屋は、中家当主の中左近が尊攘派学者として大和五條の森田節斎と知り合いであることを知り、節斎に両家の仲裁を頼んだ。佐渡屋徳兵衛の叔父増田久兵衛が五條に住んでいた関係から、森田節斎とも親交があったようで、節斎もこころよく引き受け、2月14日に富田林へ行くと約束をしていたのだった。さて、話を日記にもどす。2月13日雨午前1時頃に晴れる。竹内の宿場を立ち、今市(葛城市)を経て御所に着く。御所は公領なり。高取藩の植村出羽守に託されている。竹内から今北(御所市)に着く。土地はがらんと...その26幕末「松陰一人旅」②

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  • その26 幕末「松陰一人旅」①

    受験まであと二か月に迫った頃だった。離れの自室で勉強をしていた。11月の半ばだったが、ぽかぽかと暖かかったので窓を開け放していた。するとそこへ春やんが骸骨のような顔をにゅうっと出した。少しどきりとした。親に用事があって来たのだろう。用事が終わってそのまま裏から回って来たのだ。「勉強か?しっかりやりや!」そう言って、めずらしく帰ろうとしたのだが、振り返って、「ええ言葉教えたろ。ちょっと紙と鉛筆かして」手渡すと春やんが紙に「至誠而不動者未之有也」と書いた。「至誠にして動かざる者、未だ之(これ)有らざるなりと読むんや。誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。一所懸命にやれば物事は叶うという意味や。頑張りや」そう言って帰ろうとしたのだが、また振り返って、「誰の言葉か知ってるか?」知らなかったので首をかしげると、「松下...その26幕末「松陰一人旅」①

    地域タグ:大阪府

  • 畑――ネギ

    スーパーで買ってきた青ネギ(葉葱)の根を切り取ってプランターに植えておくと、みるみる葉っぱが伸びてくる。そのイメージがあるのか、ネギの種を植えてニ、三か月ほどで大きくなると思われがちだ。ところがどっこい半年かかる。白ネギ(根深葱)にいたっては一年。葉を食べる野菜としては栽培期間が長いので、露地植えの白ネギの農薬散布の平均は8~12回にもなる。ドエッと驚くが、ご安心を。関西でよく食べられる青ネギは、ビニールハウスの中で防虫ネットをかぶせた水耕栽培なので農薬は0~1回。家庭菜園では植える量が少ないし、良いところを選んで食べるので心配ない。9月中旬に蒔いたネギはまだ8センチほど。あと一か月ほど育苗して10月下旬頃に畑に定植する。食べることが出来るのは3月以降になる。ネギの根の付け根の少し膨らんだ部分が茎(鱗茎)...畑――ネギ

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  • ちょっといっぷく36

    『万葉集』にある山上憶良の秋の七草を詠んだ和歌。「萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花姫部志(をみなえし)また藤袴朝顔の花」さて、この中で食べることが出来るのはどれか?葛湯・葛餅・葛切りでおなじみの葛。食べているのは葛の根っこ。細かく砕いて水に晒し、沈殿したデンプンが葛粉。どこにでもある雑草だが、ツルは「葛布」という布になる。花は「葛花(かっか)」という二日酔いの漢方薬になる。根は食用だけでなく「葛根湯」の材料になる。詩集『道程』の中の高村光太郎の「葛根湯」という詩。かれこれ今日も午(ひる)といふのに何処とない家(うち)の中(うち)の暗さは眼さめず格子戸の鈴(りん)は濡れそぼち衣紋竹はきのふのままにて窓の外には雨が降る、あちら向いて雨がふるすげない心持に絶間もなく---町ぢゃちらほら出水のうはさ狸ばやしのや...ちょっといっぷく36

  • ちょっといっぷく35

    朝夕の温度差で風邪をひいたのか少し熱っぽい。こんな時、明治時代の大阪人は、医者や薬屋ではなくうどん屋へ行った。「毎度。いらっしゃい。なにしまひょ」「ちょっと風邪ひいたみたいや。いつもの頼むは」「へい、少々お待ちを」出てきたのはきつねうどん。その横に紙に包まれた薬が一つ割り箸にはさまれている。3世紀の中国の『傷寒論(しょうかんろん)』という書物に、「風邪のひきはじめには消化の良い熱い汁物と薬を飲めば薬力が上がる」と書かれているのを見た大阪のうどん屋が始めたという。これが評判になって、あちこちのうどん屋で薬を売るようになった。その薬を作っていた明治9年創業の「うどんや風一夜薬本舗」という薬屋が今でも東住吉に現存している。HPには「『うどんや』にある『風(かぜ)』が『一夜』で治るお『薬』」が名前の由来とある。い...ちょっといっぷく35

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  • 畑――命の落花生

    ピーナッツが好きで、酒のアテには欠かせない。だから、個人的には「命のピーナッツ」とよんでいる。それほど好きならば自分で作ろうと、栽培しだして15年ほどになる。一度に全てを収穫するのではなく、何度かに分けて収穫する。落花生の塩ゆでを食べるためである。塩ゆで落花生は収穫二日以内の新鮮なものでないと極端に味が落ちる。だから、スーパーに並べられることはない。そこで、その日採った一部はアテの塩ゆでにして、残りは乾燥させて後日にピーナッツにしている。これも農家の特権である。今年は近くの畑仲間にもらった「おおまさり」という塩ゆで専用の落花生と、今までの「ジャンボ落花生」を半分ずつ栽培。葉が少し黄色くなってきたので「おおまさり」から収穫開始。いくらピーナッツ好きでも、そんなに多くは食べられないので、昨日から近くの道の駅に...畑――命の落花生

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  • 畑――意外な白菜

    一つ前に書いた天満菜(大阪しろ菜)を絶滅危惧種に追いやった白菜だが、意外なことに、日本にやってきたのはキャベツ(=明治元年渡来)よりも後である。明治8年(1875)名古屋で開かれた国際博覧会に中国の「山東白菜」が出品された。これを愛知県がもらい受けて栽培されるようになる。白菜といえば鍋物に欠かせないのだが、意外なことに鍋物として食べられていない。例によって御浸し、和え物、漬物が主だった。この山東白菜は今でいう「山東菜」で、完全に結球しない半結球白菜だった。鍋にするには柔らかすぎるし、ボリュームもなかった。この山東白菜の球をより大きくしようと、愛知県が改良を始めるがうまくいかない。白菜と同種のアブラナ科の植物が日本には多くある。まれに大きく結球しても、咲いた花が他のアブラナ科の植物と交配してしまうために、ま...畑――意外な白菜

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  • 畑――しろ菜

    彼岸の中日の23日に植えた「大阪しろ菜」がいち早く芽を出した。右の菜の花はまだ発芽していない野菜の中で「大阪」の冠名がつくのはこの「大阪しろ菜」だけである。江戸時代から大阪北区の天満界隈で盛んに作られていたので「天満菜」ともいう。アクやクセがなく柔らかいので誰でも食べることができる。暑さにも強いので、野菜の少ない夏場には「しろ菜とアゲのたいたん」が毎日出されたという。ところが、徐々に市場に並ばなくなる。「しろ菜」を漢字で書くと「白菜」で、球にならない非結球白菜の一種だ。昭和の初期に結球した「白菜」が市場に出回りだすと、「しろ菜」の人気が一度に下がった。さらに戦後は、小松菜に押されて、とうとう市場から姿を消してしまう。再び姿を現すのは、2005年に「大阪市なにわの伝統野菜」に認定されてからである。大阪の冠名...畑――しろ菜

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  • 畑――楽

    ペットは買っていない。旅行やグルメにも縁がない。だから、ブログを書くネタに苦労する。楽ではない。まあ、趣味・道楽といえば百姓仕事か。百姓にとって彼岸がくると楽しくなる。彼岸花が一斉に咲き、地温が20度前後に落ち着いてきたことを教えてくれる。たいがいの種を蒔いても芽が出る。真東にある二上山の真ん中から陽が昇り、真上を通って極楽があるという西方浄土に沈む。それを体感したかったのだが、あいにくの雨。そこで、MP3の聞けるラジオで演歌の音楽をかけながら、家のガレージで種まき。墓花用の撫子と桔梗。野菜は法蓮草と大阪しろ菜に野沢菜。畑に直接まいても良いが、水やりや間引きがじゃまくさい。セルに植えて、本葉が出そろった頃に畑に定植する。この方が楽である。ここで、ふと考えた。「楽」という漢字に〈身体的負担が少ない〉いう意味...畑――楽

  • 滑稽勧進帳②

    【舞台転換】上手(右)より吉原大門、真ん中に関所の建物。弁慶が関所を通ろうとすると勘太が上手より出て止める。勘太「節季に借金、お払いそうらえ」弁慶「あいや我々は吉原へ女郎買いに参る者にて候。わけなくここをお通し下され」勘太「近頃、養子の常公殿と鎌倉屋殿との間の勘定払いにつき、時貸(とがし)の催促〈富樫左衛門の洒落〉殿より一人も通すなとのご命令」弁慶「それは鎌倉屋に借りのある者のこと」勘太「たとえ借り無き者にもせよ、借りある者が姿を変えて通行するがため。今も今とて一人の男の衣類三枚はぎ取って候」弁慶「そりゃ借りある者は苦しからねど、借り無き者の衣類はぎ取るはいかがなものか」勘太「やあ?」弁慶「返答いかに!」勘太「さあ?」弁慶「さあ!返答いかに、いかーに[見得を切る]」奥から関守の富樫左衛門〈=富蔵〉の声。富...滑稽勧進帳②

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  • 畑――はぼたん

    「はぼたん」だが「葉牡丹」ではない。漢字では「甘藍」と書く。「葉牡丹」は江戸時代にオランダから長崎に持ち込まれた。花の少ない冬に牡丹の花のように葉を広げるので葉牡丹と名づけられた。今や正月には欠かせない園芸植物になっている。一方、「甘藍」は明治元年にアメリカから日本に持ち込まれた。野菜の少ない冬でも藍(あい=青=緑)を保って甘味があるので甘藍と名づけられた。今や一年を通して最もよく食べられている野菜である。この甘藍が葉牡丹と同じ品種であることを知った学者は、「甘藍」を「はぼたん」と訓読みした。すると、園芸植物と食用野菜の二つの「はぼたん」が存在することになる。そこで、二つの違いを明確にするために、野菜の甘藍を「玉菜(たまな)」「牡丹菜」と呼ぶようになる。『ちしゃのぬた』にも書いたが、戦前の日本人は野菜を生...畑――はぼたん

  • 滑稽勧進帳①

    曾我廼家五郎・十郎が人気を博すきっかけとなった喜劇『滑稽勧進帳問答」の台本を紹介する。歌舞伎の『勧進帳』のあらすじ①~⑥をそのまま利用している。【あらすじ】①兄の源頼朝から謀反の疑いを掛けられて追われる身となった源義経一行は、山伏姿に変装して、東北へ落ち延びようとしていた。②石川県の安宅の関の関守・富樫左衛門は、関を通ろうとしていた義経一行を疑い、山伏なら持っているはずの勧進帳(東大寺再建の寄付を募った巻物)を読むように命じる。③弁慶はとっさに何も書いてない巻物を取り出し、勧進帳の内容が書かれているかのように朗々と読み上げた。④なおも疑う富樫は、山伏の心得や装束、いわれ、秘呪などを次々と問いただすが、弁慶はよどみなく答えて見せる。⑤富樫は怪しみながらも通行を許可し、お詫びにと酒を献じる。ほっとした一行は関...滑稽勧進帳①

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  • 俄――またしても転換期

    〇着物の両腕に大きな風呂敷を掛けて素袍を着ている体。頭に鉢巻きをして前に扇子を挟み、忠臣蔵の三段目、殿中の刃傷の場の趣向。師直の物真似で、「判官殿、貴殿のような侍は」と言いながら、袖の中からお椀の蓋(ふた)を一枚、また一枚また一枚と三枚出して、「蓋だ、蓋だ、蓋三枚だ」※「鮒だ鮒だ、鮒侍だ」杜陵や淀川の批判をよそに、俄興行は人気を博し、大阪名物として全国に鳴り響いていく。江戸時代末の俄を記した書がいくつかあるのだが、活字に直されたもの(翻刻)がない。なんとか解読してやろうと思ったが、翻刻されている『古今俄選』でさえ、オチの意味がわからないものが2/3あるのでやめた。しかたなく、話は明治へと飛ぶ。明治に入り、大阪船場の御霊神社や座摩神社を中心に、大和屋宝楽、信濃家尾半、初春亭新玉、初春亭二玉(後の鶴家団九郎)...俄――またしても転換期

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  • 俄――転換期

    〈座敷俄〉は座敷でするので、「人に見せる」ことより、「自分たちで楽しむ」ことが中心で、夏祭り期間の素人の遊びには違いなかった。ところが、大勢でする芝居がかった〈座敷俄〉が大転換をもたらす。やがて、俄好き(数奇者たち)が「谷」と呼ばれる集団をつくり、神社や寺の境内に小屋を設けて興業をするようになったのだ。数日にわたる興業なので、決まった演目、しかもそれなりの長さを持ったものでなければならない。そこで歌舞伎、浄瑠璃の演目を縫い合わせて笑いにする〈縫い俄=俄芝居〉となる。俄は俄師によって興業化され、より華美になっていき、大阪俄が全国に広まるきっかけともなった。しかし、俄の本質が衰退していくことを嘆く者もあった。江戸時代末期の嘉永(1848~)に書かれた『古今二和歌集』で、作者の倉腕家淀川は次のように述べている。...俄――転換期

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  • 俄の味

    日本全国に残っている俄からいくつかを紹介する。【博多にわか】〇あの相撲取りゃぁ、朝から晩まで酒飲みづめじゃが、稽古も強かが、土俵に上がっても酔うとる。※良く取る〇今日は十五夜で幸い友達がみな寄っとるけん、月見で飲もうじゃなかや。酒ん肴は何んが好いとるや?「俺らあ下戸じゃけん望月」※餅好き【美濃流しにわか】〇トランプ大統領の乱暴な言動は嘆かわしかねえ。「でも本心は優しからしやて」。そらまたどうじゃら?「トランプにもハートがあるわな」〇東京五輪は、あげいに巨額のお金をかけてええんかいのう?「へともなかね」。これまたどうしてじゃな?「必ずせいかは上がるわな」【佐喜浜にわか】高知県〇行政を批判した有識者に市長が「なんぞ確かな証拠かあるか?」と尋ねた。有識者は腰掛けを取り出し、腰掛けの足をたとえにして、「一つ一つは...俄の味

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  • 畑――無農薬

    自分で作って食べる野菜くらいは化学肥料を使わないで無農薬のものを食べたい。そう思って家庭菜園を始める人は多い。かくいう私もその一人だった。就職して間もない二十代前半の頃に、親戚の300㌃ほどの土地を借りて菜園を造った。1970年代から奈良県桜井市で無農薬、無肥料、不耕の「自然農=自然栽培」を起こした川口由一という人のニュースを見たのがきっかけだった。さすがに不耕というのは無理があったので、家のトラクターを使ったが、農薬と肥料は買ったことがなかった。それでもなんとか野菜が育ったのは、始めて畑にした土地には永年蓄えられた地力があるからだ。借りた土地の1/3には広葉樹が植えられていたので、落ち葉で堆肥を作ることができた。農薬を使わずにすんだのは、企業団地の真ん中にある、工場に囲まれた「ぽつんと一軒家」的な畑で虫...畑――無農薬

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  • 俄の本質

    司馬遼太郎の小説に『俄浪華遊侠伝』というのがある。俄師の話ではなく、維新前後の浪花を舞台に生き抜いた大親分の波瀾万丈の物語である。その主人公万吉が、晩年に己の人生を振り返って述懐する。「わが一生は一場の俄のようなものだった」と。たった一度の短い人生、アハハと笑うてオチをつけてお終いや、そんな思いなのだろう。「ほな往てくるで」と陽気にこの世を去っていく。司馬遼太郎が小説の題名に『俄』と付けたのは、人生は俄のようなものだと言いたかったのだろう。死ねば全てが終わる〈一回性〉、何が起こるかわからない〈意外性〉、そのときどきを生きる〈即興性〉、笑いで吹き飛ばす〈滑稽性〉、良くも悪くも良しとする〈遊戯性〉、最後にすべてを納得させる〈饗宴性〉、より良かれを神仏に祈る〈神事性〉が人生と俄の本質だと。若いころ、32年ぶりに...俄の本質

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  • 俄のオチ

    河内俄のオチは単なる駄洒落ではない。なぞかけ(三段なぞ)」の発想に近い。前回、紹介した俄を例にすると、〇「亭主の浮気」とかけて、「女房が牛の刻詣りをしたが効きめがなかった」と解く。その心は「浮気の相手が糠屋の娘」〇「百姓息子の改心」とかけて「大根」と解くその心は「いつか孝行になる」A「こないだ、嫁はんに浮気がバレてしもうた」B「えらいこっちゃ、どないしたんや?」A「うちの嫁はん一升飲み干すほどの酒好きやから、仲直りしよう思うて、五合徳利に酒を買うて、持って帰ったがな」B「ホー、嫁はん、喜んだやろ!」A「それがや。えらい怒られたがな」B「ハテ、なんて怒られたんや?」A「一生(一升)つまらん、言われた」〇「酒飲みの女房への浮気のお詫び」とかけて「五合徳利の酒」と解くその心は「一生つまらんと怒られた」大阪人が社...俄のオチ

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  • もじり俄

    お茶屋で演じられた〈座敷俄〉は、お囃子を入れることができる。そこで、しだいに芝居じみたものになり、次の明和(1764~)になると歌舞伎を真似た〈もじり俄〉が登場する。その例を一つ。意味不明部分は省き、歌舞伎調なので七五調に近づけて現代語にした。声を出して読んでもらうと自然とリズムが出てくる。〇牛の刻詣り三味線の出囃子がはいる。女「あらうらめしの女子(おなご)やなあ」女が登場女「枕はほか(他の女)とは交わさじと、言いし亭主も今はあだ浪、浪は越すとも松山の、女子(おなご)につもるこの恨み。とり殺さいでおこうか」【浄瑠璃】右に持ちたる灸箸で、左のモグサひとつかみ、女子に灸をすえてやると、神社に伸べ伏す松の木を、憎い女と狙い寄り、幹のくぼみに目をつけて、女「ここぞ女子の咽ぶえなり」【浄瑠璃】モグサをいくつも並びか...もじり俄

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  • 俄――遊びをせんとや

    不動明王の真言(お経)に「のうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん」というのがある。それをふまえたうえで〈座敷俄〉の一例。山伏「わしは葛城より熊野へ駆け抜けの山伏。来たるほどに人跡絶えて家もなきが、ぽつんと一つの家。もしもし、あるじ(主人)に申し上げます。葛城より熊野へ通る山伏なれど、今日のひもじさ。先へも後へも参りがたし。空腹な時にもむない物なし。冷めたお粥を一杯だけでも、お頼み申します」主人「お安いことながら、我さえ食べる物がなく、飢えて死ぬのもいつの日やら。ほかをお頼みなされませ」山伏「そんならそなたも空腹か」主人「なにとぞご推量くださりませ」と泣く。「今しばし、思い出したることがある。この向こうの畑に誰かが芋を作ってございます。その芋盗んで食わしゃりませ」山伏「実に...俄――遊びをせんとや

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  • 座敷俄

    浪花の夏の風物詩となった俄は、町の辻々で演じる〈流し俄〉だった。〇黒装束の忍者姿の男忍者「源氏の財宝、この白旗。手に入れたからには大願成就。ああ、嬉しや」と白布を押しいただいて行く。すると後から寝まき姿の男が出てきて、男「曲者(くせもの)待て!わしのふんどしをどこへ持っていく」このような〈流し俄〉が、嶋内や道頓堀、曾根崎や堀江界隈の花街に広がっていった。それを商家の旦那衆が座敷へ上げて俄をさせる。「ほんなら、わしも俄とやらをやつてみよ」と、俄はやがて旦那衆の趣味・遊びとなり、太鼓持ちや仲居を巻きこんだ〈座敷俄〉となる。〇揚屋(遊女屋)の掛け取り(借金取り)が出て来る。反対側から数人の家来を連れた侍が出て来る。掛取「コリャ、よい所で出会うた。ここで会うたが百年目、サア、五十両の揚代を返せ」侍「イヤ、ここは途...座敷俄

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  • 畑――花も実もある

    難儀な台風11号のために雨続き。ようやく昨日は降雨なし。今日は午後から雨模様なので、朝の6時に畑へ。土は多少湿っていたが、今日やるしかないと意を決して、耕うんと畝立て。久々の鍬使い。土が重い。一筋立てては休憩しながら2時間ほどで完了。黒のビニールでマルチングをして完成。これで来週にはニンニクを植えることが出来る。幸いに曇り空で汗をかくほどではない。よっしゃ、やったろ!畑の中央に設けた通路の草抜き。売り物用の落花生。畝間(うねま)どころか通路にもはびこっていて、ここは草抜き不可能。カラス除けの糸の張り直しをとて、草抜き再開。ナスの畝までたどり着く。8月の上旬に剪定して秋ナス用にしたのだが、まだ大きな実がついている。まだまだ夏か・・・と思いつつ草抜き。ようやく終点のニラの畝に到着。いつの間にやら花が満開。近寄...畑――花も実もある

  • 俄――大阪 vs 東京

    ウィキペディアで「俄」を調べると、次のような説明がある(以下抜粋)。「俄とは、またの名を茶番(ちゃばん)。俄狂言(にわかきょうげん)の略。遊廓などで、多くは職業的芸人でない素人によって演じられた」全国に広まった俄だが、「茶番・俄狂言」などと呼んでいるところはない。みな「にわか」だ。それに、俄は神に奉るという〈神事性〉が根本にあるので遊郭のものではない。あきらかに東京びいきの人によって書かれた茶番(下手な芝居・行ない)である。この説明の大元となっているのは、江戸後期に書かれた『新吉原略説』という書物で、俄の発祥は享保19年(1735)の江戸の吉原であるとしている。そして、この説をもとにまとめられた『演劇百科大事典全6巻』(1961年早稲田大学演劇博物館)によって権威づけられ、俄の定義は一人歩きしていく。天下...俄――大阪vs東京

  • 俄のチカラ

    建武3年(1336)の湊川の戦いにおいて、南朝の名将楠正成を敗死させたという伝説が残る大森彦七という侍がいる。功績により讃岐国を与えられる。この彦七が、伊予の国のある寺へ向かう途中、矢取川で楠正成の怨霊の「鬼女」に出くわしたという伝説がある(太平記)。それをあつかった俄である。〇男が、大きな布を頭にかぶった女を背負って出てくる。男「さてもさても、えらい重たい。重たいぞ」女「そっちは深い、こっちは浅いぞえ」男「ほに、そなたは賢い。えらいなあ。えらいついでに思い出したが、大森彦七が鬼女を背負ったという話がある。どうもこのふわふわとした尻が怪しい。どれ、一度、顔を見てやろう!」そう言って女を下ろし、かぶっていた布を取るとタコの頭。男「さては、大タコに教えられて・・・浅瀬じゃなあ!」※諺「負うた子に教えられて浅瀬...俄のチカラ

  • 俄――祭

    再び大阪俄に話をもどそう。享保末(1730年頃)に起こった大阪俄は大阪市中に広まり大流行となる。とはいえ、一年中やっていたわけではなく、六月、七月の夏祭の期間中だけである。夏祭は天災や疫病を引き起こす神をなだめることを目的としている。したがって、俄には笑いで神を慰め、心安らかにしてもらうという大義名分があった。「俄じゃ、俄じゃ」とことわるだけで、多少はめをはずしても誰も文句はなく、お上も大目に見てくれた。現代でも、全国各地の俄が祭りの中の一つの出し物であるのはそのためだ。この〈神事性〉が俄の本質の一つである。〇ある年、どうしたことか、六月の祭りがはなはだ寂しく、遊里では軒に吊るすはずの提灯もなく、行き交う客もまばらなことがあった。俄をする者もなかった中で、痩せ細った背の低い男が、金襴の直垂(ひたたれ)に金...俄――祭

  • 俄――もんさくす

    俄の発祥の一つとして、〔京都島原発祥説〕がある。江戸時代、井原西鶴『好色一代男』(1682年刊)の中にある太鼓持ちたちの思いつきの遊びを記した部分を俄の最初とするものだ。――道を隔てた数件の揚屋〔あげや=遊女と遊ぶ店〕の二階へ、太鼓持ちたちがそれぞれ上がり、おのおのが窓から姿を現して趣向を競う。揚屋丸屋の二階から恵比須大黒の人形が差し出されると、柏屋からは二匹の塩焼きの小鯛が差し出され、これを見て庄左衛門が瀬戸物の焙烙(ほうらく)に釣髭を付けて出す。今度は弥七が烏帽子をかぶって顔を出せば向かいの家から十二文の包み銭が投げられるという具合だ――。物で見立てた発想をつなげていく遊びで、答は次のようになろうか。恵比須様の人形(福の神)……塩焼きの小鯛(供え物)……焙烙に釣ひげ(大黒様の顔)……烏帽子(神官)……...俄――もんさくす

    地域タグ:富田林市

  • 水が運んだ俄

    現在、大阪府内で俄という芸能が残っているのは南河内の一部の地域だけだ。南河内という限定された土地に、なぜ俄が残ったのか。そのヒントとなるのが物流だ。図は大阪南部の江戸時代にあった主たる街道である。河内長野市にはほとんど俄が残っていない。河内長野市は南北に通る四つの街道の合流地点で、陸路で大阪とつながっていた。対して、河内俄が残っている地域は、大和川の支流石川の水運によって大阪とつながっていた。江戸時代、喜志村には剣先舟の船着き場(喜志の浜)があった。喜志より上流は水流が強いため、喜志の浜から富田林、河南町、千早赤阪村へと物資が運搬されていた。喜志の浜から米・木綿・酒・油・材木・綿花などを積み出し、石川、大和川を経て大阪へと運び、帰りは大阪からの塩・肥料(干鰯)・荒物・大豆などを積み喜志の浜に下ろしていたの...水が運んだ俄

    地域タグ:富田林市

  • 畑――レタス

    今、あたりまえのようにレタスを植えて食べている。ところが、ちしゃ=レタスの記事を書いていて、ふと思った。わしが、レタス、いや、生野菜=サラダを初めて食べたのは、いつあったんかいなあ?そう考えると、意外と新しいのではないかと思った。江戸時代までは「掻きちしゃ=チマサンチュ」を「ぬた=酢味噌あえ」あるいは「おひたし」にして食べていた。明治以降から太平洋戦争が終わるまで、様々な西洋レタスが入ってくるが、高級洋食店でしか食べられていない。一般家庭では野菜を生で食べることはなかった。食べるとすればキャベツの千切りくらいだった。肥料に人の糞尿(人肥)を使っていたからである。大正・昭和の小説家である長与善郎が、戦後十年ちかく経ったときに、当時の農民の不満として「天秤棒でカツグ二桶の人肥は一と握りの金肥に及ばざるが如し」...畑――レタス

    地域タグ:富田林市

  • 畑――ちしゃのぬた

    こんな上方落語がある。病気になった父親のために息子が医者を呼びに行く。医者を連れ家に帰る途中、医者が疲れたというので道端に腰をおろし一休みしていると、急に辺りが暗くなった。医者「このあたりでウワバミ(大蛇)が出ると言う噂を聞いたことがある」息子「ではここはその腹の中ですか?このままでは腹の中で溶けてしまいますがな」医者「うろたえるでない、下剤を調合しよう」腹の中で下剤をバラまく。ウワバミは苦しみ、やがて二人を尻の穴から外へドバ~。臭いを気にしつつ家に着き、苦しむ父親を医者が診察すると、父親は萵苣(チシャ)を生で食べたと言う。医者「これは食中毒じゃ。チシャに当たったようやなあ。夏のチシャは身体に悪い」薬を調合しようと思ったところで、薬箱をうわばみの腹の中に忘れてきたことに気がついた。返してもらうよりしょうが...畑――ちしゃのぬた

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  • ちょっといっぷく34――ミエナイチカラ

    幼いころ家が貧しかった。ろくに食べる物がなく、毎日腹をすかしていた。ひもじかった。そんなある夜、夢を見た。亡くなった祖父母が出てきて「ついておいで」と言う。言われるがままに後についていくと大きな料亭だった。中に入ると、すでに亡くなっている叔父や叔母、親戚の人々が集まって賑やかに食事をしている。祖父が「さあ、おまえも遠慮せんと、たんと食べ」。祖母が「これおいしいで」と言いながら次々と料理を勧めてくれる。空腹だったのでみんな食べた。久々の満腹感だった。朝になり目が覚める。「なんや、夢あったんか」しかし、なぜか満腹感は残っていた。それからは、食べるものがなくとも、ひもじいとは思わなくなったという。友人の話である。「蓮(はす)と鶏(にわとり)」(『金子みすゞ童謡全集』より)泥のなかから蓮が咲く。それをするのは蓮じ...ちょっといっぷく34――ミエナイチカラ

  • ちょっといっぷく33――せやさかい

    とある駅のプラットホームで、けっこうかわいい女子高生が友達と話している。「うちかてな、そんな女やと思われたないやん。せやさかい、ぱしーっと別れたってん」話している内容もさることながら、実にきれいな大阪弁だと感心した。特に「せやさかい」が良い。「せや、思い出した」「せや」は〈そうだ・そう〉。「雨降るさかい、傘持って行き」「~さかい」は〈~だからと強く念を押す〉。「せやから・そやから」は単なる〈だから〉で弱い。彼氏ときっぱりと縁を切るには「せやさかい」でなければならない。意外なところで純粋の大阪弁に出会って、コウノトリを発見した気分。動物だけではなく、言葉にも絶滅危惧種がある。※大阪市立図書館デジタルアーカイブよりちょっといっぷく33――せやさかい

  • 畑――みしる

    「見知る」ではない。「キュウリをみしる」である。れっきとした正真正銘の関西弁である。辞書には〈みしる=むしる(毟る)がなまったもの。=引っ張ってちぎること〉とあった。関西圏の周りの三重県や香川県では〈みしる=むしる=魚の身をほぐすこと〉とある。違う!草はむしる。「草むしり」で正しい。しかし、野菜はみしる(収穫する)。それが正しい。「金銭をむしる」のように「むしる」には良くない意味がある。だから、野菜に関しては「みしる」でなければならない。ちなみに、焼き魚の身は「せせる」である。ひたすら草をむしり、野菜をみしった八月も、もうすぐ終わる。二上山に昇る朝日を見ながら思ったことである。畑――みしる

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  • 畑――人人

    夜中に家に帰ると、外で誰やらかが呼ぶ声がかすかにする。なにかあったのかと恐る恐る外に出たが誰もいない。耳をすましてみるとかすかな声で「おーい、おーい」という声。声はどうやら庭の方からしている。行ってみると誰もいない。しかし、確かに声はする。鬼門にあたる所が草むらになっていて、声はそこからする。しかし、人影はない。地面・・・土の中から「おーい、おーい」。怖いもの見たさで10センチほど掘ってみると・・・。人・・・。人の形をした人参だった。中国の昔話である。中国、韓国で作られる薬用人参の根は人形をしている。『李時珍』には「人参其の根の人の形の如きは神の有るなり」とある。そこから人参は万病に霊験あらたかなものとして栽培された。『兼葭堂雑録』という本に、延享四年(1748)六月にシャム人(タイ人)が日本に持ってきた...畑――人人

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  • ょっといっぷく32――大日本

    明治時代末頃の商品ラベル。昔の大阪土産の定番の一つ「をぐら屋の昆布」。戎橋筋が本店なので、これはのれん分けされた店のもの。当時の日本の国名は「大日本帝国」「大日本」「大日本国」が使われていた。1905年(明治38年)9月4日の日露戦争終結後から大日本国も列強国の仲間入りをし、イケイケの時代だった。世界に負けてはいられなかった。どこの国にマッタケ売るねん!日本一には違いない。岡山(吉備)でしか作ってないやろ!世界一には違いない。日本以外でどこの国が作ってるねん!※東京大学付属図書館アーカイブより(明治時代の博物学者である田中芳男(1838-1916)が収集・所蔵したもの)ょっといっぷく32――大日本

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  • 畑の盆踊り

    高くそぴゆる通天閣やネオンまたたく道頓堀 こ掛けた願いも御堂筋仲のよいよい中之島西に安治川天保山遥か東にそびゆるは生駒信貴山二上山その連峰の吹きおろし河内平野の遠近に紅提灯の灯がゆれりゃ河内音頭の三味太鼓おじいちゃんやらおばあちゃん男前やら別姉さん差す手引く手も色模様浪花名物盆踊り河内音頭で踊りましょうヨイトコササノヨイヤサッサ雀百まで踊ろじゃないか三十四十は巣立ちの雛よ花の盛りは五六十くよくよしゃんすなお身に毒気から病が出るわいな河内音頭で浮き浮きしゃんせまめで達者で皆さんよこころ楽しく踊りましょうヨイトコササノヨイヤサッサ※音頭は初音家賢次師匠畑の盆踊り

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  • 俄――ハテ? ハーテ? ハテ!

    「ハテ、ハテ、ハテ」とつなげてオチにするのが河内俄だが、三つの「ハテ」は同じ調子ではない。「ハテ?」〈小さな疑問〉「ハーテ?」〈大きな疑問〉「ハテ!わかったわい。オチ」〈感嘆〉「ハテ」とツッコミを入れてオチをつける型が初期の大阪俄にあることから、河内俄が大阪俄に伝わったと結論したが、確証があるわけではない。一歩ゆずって、「ハテ」でオチをつけた大阪俄が南河内に伝わったとも考えられる。どちらにせよ、江戸時代の元文・寛宝の頃(1740年頃)には河内俄は存在していたことになる。「ハテ」でオチを付ける〈大名俄・狂言俄〉の後に〈そりゃなんじゃ俄〉が登場する。〇白い障子紙を貼った行燈(あんどん)をすっぽりとかぶった男が三人ほど、仰向けに寝ている。一人が出てきて、「そりゃなんじゃ」とたずねると、中から「フカのかまぼこ」〈...俄――ハテ?ハーテ?ハテ!

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  • 俄――ハテ! わかったわい!

    大阪俄が生まれる前から、南河内には素人による狂言を真似た芝居〈物真似狂言〉が行われていた。もちろん、南河内に限らず全国各地に存在していただろう。出雲の阿国は三十郎という狂言師を夫に持ち、それに傳介(でんすけ)という狂言師くずれの男が加わり、三人で狂言仕立ての芝居を踊りの合間に入れていたという。しかし、オチはなく、最後は座員全員の総踊りでしめくくっていた。念仏踊りや風流踊りに〈物真似狂言〉が加えられたものが〈歌舞伎〉になる。〈物真似狂言〉にオチがつくと〈にわか〉になる、河内俄の一例を紹介する。銭形平次(平)・子分の八五郎(八)・男右手から男が出てくる。真ん中で突然苦しみだす。見ると胸に包丁が刺さり血がたらたらと流れている。男は中央で一分ほど苦しみ、バタと欄干に顔を乗せて、死んだように倒れる。そこへ、平治の子...俄――ハテ!わかったわい!

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  • 俄――観阿弥と楠正成

    歴史カデゴリーの『その16室町――【番外編】』で、能楽師の世阿弥と一休和尚の話を書いた。今一度そのときの「春やんの楠家系図」を示す。伊賀上野の上嶋家本『観世系図』に、能楽の観阿弥の母は〈河内国玉櫛庄橘入道正遠の女〉とある。この〈橘入道正遠〉という人物は、『尊卑分脈』の楠家系図によれば楠正成の父の正遠である。とすれば、正遠の女(娘)は正成の妹ということになり、観阿弥は楠正成の甥にあたることになる。だとすれば、すでにその当時から、南河内では能・狂言を見る機会があったのかもしれない。南朝と縁の深い大塔村に惣谷狂言が残っているのもなんらかの因縁が感じられる。当時の狂言は、一字一句もセリフを間違えてはいけない現代の狂言とは大きく違っていた。まだ台本が存在せず、おおまかな筋立てをもとに、大部分をアドリブで演じていたよ...俄――観阿弥と楠正成

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  • 俄――南河内の芸能文化

    悪性の風邪がはやったとき、村人が総出で囃し立て、疫病をもたらす風邪の神を村から追い払うという風習があった(風の神送り)。それを題材にした〈狂言俄〉を紹介する(『古今俄選』より)。能狂言の言葉で。男「まかり出でたるそれがしは、この辺りの者でござる。殊の外悪い風邪がはやって、人々を悩ましておる。人のために、賑やかに囃し立て、風の神を送ろうと存ずる」ドラと太鼓の鳴り物ドンデンドン・・・男「風の神送ろ」ドンデンドン男「風の神送ろ」ドンデンドン風の神がよろつきながら出てくる。風の神「こりゃかなわんワイ。逃げるが先じゃ」風の神が向こうへ逃げようとすると、後ろから大勢の医者が出てきて、医者「行ってはならん。行ってはならん。行くまいぞ。やるまいぞ」『諸艶大鑑』巻七(井原西鶴)の中の風の神送りの挿絵民俗学者の西角井正大氏が...俄――南河内の芸能文化

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  • 俄――惣谷狂言

    奈良県大塔村(現五條市大塔町)の天神社に「惣谷(そうたに)狂言」という郷土芸能のがある。文化庁『篠原踊・調査報告書』には、復活の当初からこの狂言を三度にわたり調査した民俗学者の本田安次氏の言葉を引用している。――惣谷狂言はもと、能の間々ではなく、風流踊りの間に行われてきた狂言である。後に歌舞伎狂言に展開していくその直前のかたちを伝えたものである――。※「風流踊(ふりゅうおどり)」とは、中世芸能のひとつで、鉦・太鼓・笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りである(ウィキペディアより引用)。広い意味での〈にわか〉の一種。歌舞伎がどのように変化したかを簡単にまとめると、①江戸時代の初め頃(17世紀初め)出雲の阿国という女性が演じる〈かぶき踊り=女歌舞伎〉が京で人気を集める……...俄――惣谷狂言

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  • 俄と狂言

    大阪俄の元となった「住吉祭りの男」の俄〈流し俄〉から数年後の元文(1736~)になると、風呂敷や暖簾(のれん)などの身のまわりにあるもので能楽の狂言の扮装をした、八幡大名と太郎冠者による〈大名俄・狂言俄〉と呼ぶものが登場してくる。狂言の声色で主人「太郎冠者はあるか」太郎「ハァー、お前にございます」主人「主人にいとまもこわずに、なんじはいづ方へ行きたるぞ?」太郎「住吉へ参りました」主人「言語道断。憎いやつながら、許してくれるぞ。して、住吉になんぞおもしろいことはなかりしか?」太郎「ハア、何ぞかを土産にと思い、反り橋を求めてまいりました」主人「なに、反り橋とや。それは一段と珍しい、どれどれ」太郎「これでございます」主人「ナニ、これは雪駄(せった=ぞうり)ではないか。ハテ?」〈ツッコミ〉太郎「ハテ、裏が川(革)...俄と狂言

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  • 畑――少年

    終戦記念日の夜に、ヌートリアに根元から掘られたサツマイモ。少しくらいは地中に根が残っていて、再生してくれるのではと期待していたのだが、儚い夢に終わった。そこへきて、今度はイチジクの枝をポッキりと折られた。カラスが実を地面に落とそうと枝に乗ったのだ。泣きっ面にカラスである。遠くで鳴るパトカーのサイレンの音さえいまいましく聞こえる。77年前、人々は日々鳴り響く空襲警報のサイレンに恐れおののいていた。『国立国会図書館月報』(654号2015年10月)の中の記事。終戦の年(1945)の少年雑誌『週刊少国民』が紹介されている。上は7月29日号で、山の上などで敵機の来襲を監視する少年監視哨員の写真である。下は9月2日号で、「食糧増産に流す汗」と題して、野菜を抱えた笑顔の少年の写真。わずか一か月でこんなにも変わるものか...畑――少年

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  • ちょっといっぷく31――三名山

    日本の南画(文人画)家のスーパースターといえば、江戸時代後期に活躍した谷文晁(たにぶんちょう)。『開運なんでも探偵団』に再三登場するが、本物はまず出てこないことで有名だ。その代表作が、文化9年(1812年)に著した『日本名山図会』。日本の代表的山岳89座が描かれている。その89座の中に、なんと、南河内の三つの山が選ばれている。まずは最高峰の金剛山(1125m)羽曳野丘陵の麓を通る巡礼街道から見た景色だろう。右手の町は富田林寺内町。お次は葛城山(959m)そして二上山(517m・474m)高い方の雄岳が左にあるので大阪側から見たもの。手前が太子町の山田、竹ノ内峠。「三上山」とあるのは文晁の大ボケ。文晁の鑑定品に贋作(がんさく=にせ物)が多いのは、作品に押す落款(らっかん=ハンコ)を弟子たちに自由に使えるよう...ちょっといっぷく31――三名山

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  • 畑の花②

    写真で構成できるブログは余計な説明をしなくてすむので便利だし、お盆の暇つぶしにはちょうどいい・・・と思いながら撮ったのがコレ。オクラの花。ワタの花とよく似ている。それもそのはず、どちらもアオイ科に属している。アオイといえば、「ひかえ、ひかえ!これが目にはいらぬか」の徳川家の三つ葉葵の家紋。オクラやワタの葉とはかなり違う。フタバアオイという草の葉をデザインしたものだ。畑の中でフタバアオイとよく似た葉はコレ。サツマイモ・・・。そう思って近くに寄って見ると・・・。根元が掘り起こされているではないか!二株・・・三株・・・四株!やりやがったー。ヌートリアの仕業。せっしょーな!お盆に殺生するなよ!畑の花②

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  • 畑の花①

    今、畑で一番多く咲いているのは無花果。「それってイチジクの実やないかい!」と叱られそうだが、この実がイチジクの花のつぼみ。もうニ、三日おいておくと、パカッと割れて、中から花が出てくる。我々が食べている実の中心の白い部分が花。見慣れない花だが、綿(ワタ)。綿花である。これが丸い実(コットンボール)になって、秋になると、パカッと割れて、白いワタが出てくる。綿の中に黒い種がいっぱいついている。その種を取ると布団のワタになる。あるいは糸にして機(はた)で織ると木綿(もめん)の生地になる。「河内木綿」の名が残るように、河内地方は綿の産地だった。綿を植えて育てる人〈農民〉、綿を加工する人〈職人〉、綿を売る人〈商人〉、綿を買う人。これだけで経済がなりたっていた。経済とは、お金が回るだけではなく、人も回らなければならない...畑の花①

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  • ちょっといっぷく30――ゆらぐ③

    囲炉裏、釜戸、風呂、ストーブ、焚き火、ランプ。昔は燃やさなければ生活出来なかった。今は、日常の生活の中で燃やすことがなくなった。ちろちろと燃える炎とは無縁の生活だ。だからか、焚き火することを目的にキャンプに出かける人もいるという。キャンプの焚き火、闇の中の炎には〈1/fゆらぎ〉の癒し効果以外にも、〈色彩効果〉や〈集中効果〉、そして、みんなで一つの炎を囲んでいるのだという〈一体感効果〉がある。枕もとに置く小さな行燈(あんどん)に青い紙を張ったものを百個作る。新月の闇の夜に、一つの部屋に数人が集まり、作った百個の行燈に蠟燭(ろうそく)を灯す。一人一人が怖い話をして、そのたびに蠟燭を一本消していく。百の話が終わると、蠟燭は消さずに、闇の中で皆が一本の蠟燭に集中する。その蠟燭が消えると怪異が起こる。「百物語」とい...ちょっといっぷく30――ゆらぐ③

  • ちょっといっぷく29――ゆらぐ②

    夏の真昼の炎天下、人も車も通らない。樹々はそよともゆらがない。「ゆらぎ」の無いものにヒトは不愉快を感じる。だから、クソ暑い。そんな中で、そよと吹いた風のゆらぎを言葉にすると詩になる。なぞなぞなァに、たくさんあって、とれないものなァに。青い海の青い水、それはすくえば青かない。なぞなぞなアに、なんにもなくって、とれるものなァに。夏の昼の小さい風、それは、団扇ですくえるよ。(『金子みすゝ゛全集』より「なぞ」)団扇(うちわ)の風やそよ風には微妙なゆらぎがある。だから気持ちいい。風鈴ちりちり鳴りました赤ちゃんすやすや睡(ね)ましたよ風鈴ちりちり鳴りました赤ちゃんにっこと笑います夢のなかでも風吹いて風鈴ちりちり鳴ったでしょう(童謡作詞:川路柳虹)そよ風が吹く森の中の木漏れ日の下で、小川のせせらぎを聞いているとさぞかし...ちょっといっぷく29――ゆらぐ②

  • ちょっといっぷく28――ゆらぐ①

    極めて危険な日が続いている。立秋になり暦の上では秋なのだが途轍もなくクソ暑い。そんなとき、窓辺につるした風鈴が揺れ、チリリーンと音をたてる。なんとなく涼しくなる。「チコちゃんに叱られる」によると、「風鈴の音→風が吹いた→涼しい」という条件反射だそうな・・・。しかし、もう一つ理由がある。人の心拍の間隔、ろうそくの炎の揺れ、電車の揺れ、砂浜に打ち寄せる波の音、小川のせせらぐ音、小鳥の鳴き声、木漏れ日、蛍の光り方。などを聞いたり視たりしたとき、ヒトはどのような気持ち、気分になるか?なんとなく心地よくなり、心が癒される。ヒトの身体は規則正しく動いているのではなく、微妙に揺らいでいるという。だから、川のせせらぎや風鈴のような、規則正しい音や動きの中に微妙に不規則なものが調和したものに共鳴し、いい気分になる。科学的に...ちょっといっぷく28――ゆらぐ①

  • 俄の原型

    江戸時代になり、世の中が落ち着きを取り戻す。すると都市に人口が集中してきて、庶民が娯楽をもとめるようになった。歌舞伎=慶長八年〈1603〉出雲阿国――江戸に中村座〈1624〉落語=元禄期〈1700頃〉京に露の五郎兵衛、大阪に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門が登場俄=享保末〈1730頃〉住吉祭りの男が登場――大阪俄へ。「俄とは落語が立って歩くなり」という古川柳がある。扮装するか、小道具を持って街に出て、一言で落語のようなオチを付ける。歌舞伎のように踊りや歌の素養はいらない。落語のように知識や話芸は必要ない。一般庶民にとってはうってつけの芸である。俄はあっという間に大阪市中に広まっていった。★「俄じゃ、俄じゃ!思い出した(思いついた)!」と囃して通りを歩く。誰かが「所望、所望(やってくれ)」と声をかけると、一言で...俄の原型

    地域タグ:大阪府

  • 畑――波静か

    畑では、方向を表す左と右は使わない。「おい、鍬はどこにある?」「南のあぜ道に置いてあるよ!」自分から見て右側は、相手にすれば左側になる。そこで、互いに共通の「東西南北」を使う。東西南北は「絶対方位」。左右は自分を中心にした「自己中心方位」だといえる。その癖がついているので、人に道を聞かれて「そこの角を東へ・・・」とつい言ってしまう。道をたずねている人は東西南北も分からっていないので、道案内は自己中心方位の左・右を使うのがよい。カーナビは自働的に自己中心方位にしてくれる。自分の進む方向=前を上にしてくれる。だから、次の角を左右のどちらに曲がればよいのか分かりやすくなる。物事を左右前後だけでとらえていると、自分の進む方向しか考えない自己中心的な人間になってしまう。どこかの国の大統領がよい例だ。逆に、万国、誰に...畑――波静か

    地域タグ:大阪府

  • 畑で一番美しい花

    戦国時代にカンボジヤで採れたある野菜がポルトガル船によって日本にもたらされた。その時、中国の南京を経由して来たことから南瓜という名もついた。というわけで、カボチャを収穫して来た。もう少し付け根の茎がコルクのようになった方が良いのだが、この暑さで葉茎が枯れ始めてきた。そこで致し方なく収穫。といっても、すぐには食べない。一か月ほど家の中で寝かせて追熟させる。採ったばかりのカボチャは澱粉(デンプン)のままで甘くない。追熟させることで水分がとぶとともに、デンプンが糖分(=甘さ)に変わって美味しくなる。スーパーで売っているカボチャは心配ないが、道の駅や産直市場で売っているものには、切り口がみずみずしいものがある。「新鮮だ」と思うが、追熟されていないので美味しくない。茎がカリカリに乾燥してへその緒のようになっているの...畑で一番美しい花

    地域タグ:大阪府

  • 入魂式口上

    前に使っていたパソコンのデーターを整理していると、懐かしいのが出てきた。我が町の地車新調の入魂式で上げた「口上」の原稿である。普通に上げれば5分もかからないのだが、例によって(昔は30分ほどやったことがある)、改行部分ごとに余計なアドリブが入るので、15分ほどやっただろうか。猛暑の暑気払い、疫病退散に、思い出・記録として残しておく。東西、東西と鳴り物をばうち鎮めおき、一段高こうはございまするが、不肖私ええ歳こいて、不弁舌なる口上をもって申し上げます。富田林は広いとこ東にいただく金剛山。西に長きは羽曳丘陵。平尾の峠で東を望めば、朝日が昇る二上山。南の方(かた)には喜志の宮。北の方には平・尺度。峠下れば、外環状。並んで走る近鉄電車。新家、喜志駅打ち過ぎて、商店街をちゃらちゃらと、高野街道横切れば、左に木戸山、...入魂式口上

    地域タグ:富田林市

  • 俄と風流

    「突然で一時的な、仮装、物真似などの、笑いを目的とした、戯れ、遊びを〈にわか〉と言うようになった」と定義した。しかし、全国の祭礼で行われる「にわか」を調べると様々である。。①山車・屋台をにわかと呼ぶもの②仮装・即興・滑稽な踊りをにわかと呼ぶもの③神楽舞の中の演目をにわかと呼ぶもの④囃子・囃子唄をにわかと呼ぶもの⑤祭り全体をにわかと呼ぶもの⑥作り物・短歌・川柳をにわかと呼ぶもの⑦地歌舞伎をにわかと呼ぶもの⑧滑稽な寸劇をにわかと呼ぶもの「祭礼の中で行われる人々の工夫」が「にわか」ということになる。実は「にわか」という言葉が使われる前、この「祭礼の中で行われる人々の工夫」を「風流(ふりゅう)」と呼んでいた。古文で習った「ふうりゅう」とは少し違う。・風流(ふうりゅう)=しみじみとした情緒(貴族のもの)・風流(ふり...俄と風流

    地域タグ:大阪府

  • 畑――おひたし

    ここ四、五日は午後になると夕立しそうな雲行きになるのだが、結局降らない。「こぼれ種コーナー」の青シソは根の張りが浅いのかしなびてきた。水の好きな里芋は下葉が裏返って「水をくれ!」と悲鳴をあげている。そこで今年初の「おひたし」を決行。隣にある田んぼとの畔をぶち抜いて畑に水を入れ、水浸しにするのである。これを勝手に「おひたし」と呼んでいる。炎天下に上から水をやると日中の炎天で蒸れて、せっかく出来た小芋を腐らせることがある。根から水を吸わせるおひたしが良い。水を入れている間はひたすら草抜き。除草剤は出来るだけ使わないようにしているので、春夏は作業の三分の二が草抜き。ただし、「おひたし」をやってしまうと、田んぼの水に混じった雑草の種を蒔いているようなものなので草抜きは追いつかなくなる。六時から始めて一時間半ほどす...畑――おひたし

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