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#317 信玄を怒らせるな!を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で第16話~第18話までの武田信玄の西上作戦について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』…
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の本能寺の変-英雄の最期- について、どのように描かれていたのか革命児だからこそ安定させるこ…
城熱満載「お城EXPO2023」家康も信長も!写真も模型も貴重な図屏風も!
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史好き・お城好きにはたまらないイベント、「お城EXPO2023」へ…。城熱満載「お城EXPO2023」家康も信長も!写真も模型も貴
信長公の気前ーTシャツと賞状じゃない、参加者驚きのプレゼント!ー
かつて安土城が築かれた頃は、人々が行き交い、にぎわっていたことでしょう。しかし、今や安土駅は人の気配もまばらで、静かな田舎の片隅に静かに佇んでいます。アクセスもあまりよくなく、寂れた様子が町全体を包んでいます。ホームを見渡しても、かつての活気や賑わいの面影はどこにもなく、その静寂が心にしみるばかりです。ホームから伝わるのは、過ぎ去った栄光と静けさだけ。風に吹かれながらもどっしりとたたずむあのホーム...
#539 レビュー 主家、武田家滅亡!信州をいかに泳ぐか『真田幸村(上)』
『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』で戦闘あっさりの大坂の陣で、激しく戦い華々しく散る真田信繁(幸村)を味わいたくて読みました。 武田家滅亡寸前から始ま…
#324 武田家の滅亡を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさりと滅亡した武田家について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと思い…
#325 第27回「安土城の決闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下取りと「信長を殺す」ことを決め、その策実行のために信長の本拠安土城に乗り込み、信長と対峙して、本能寺の変直前までの2023年7月16日の大河ドラマ『どうす…
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
淀殿の真意は、不明であるが、豊臣家を滅ぼすまで、降伏しなかったのは、自分自身が、「天下人」の「母」としての地位に執着したのかもしれない。 また、大阪城に集結…
楽市・楽座は信長の発案ではなく、その初見は天文18年(1549年)の近江・観音寺城城下に於ける楽市令とされる。 始めたのは当時の近江守護職・六角定頼。 定頼の嫡男承禎は、後に安土で楽市楽座を行う信長と幾度となく戦い、名門六角は終焉する。
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
羽柴秀吉は、中国大返しによって、明智光秀に勝利し、主君の織田信長の仇を討った。 織田信長には、嫡男の信忠の他に、次男の信雄及び、三男の信孝を始め、信秀、長次…
【京都市上京区福長町】織田信長が上杉謙信に贈った洛中洛外図屏風に描かれていた『福長神社』
9月の終わりのまだ残暑が残る日に、京都の今出川から出町柳までぶらぶら歩きました。清明神社と下鴨神社には絶対訪れようと思っていたんですが、それ以外はノープランで気ままに散歩しました。地下鉄今出川駅から徒歩1~2分の住宅街の中に小さな神社があり、気になったのでお
大河『どうする家康』で、築山殿の壮大な夢に乗り、甲州征伐で徳川に下る穴山梅雪(信君)について『にっぽん!歴史鑑定』での感想です。梅雪の裏切りが徳川家康の天下…
#330 長篠から7年、対武田戦争 後編 『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で武田の敗北の後も7年続く徳川vs武田の抗争の後編の家康の反撃を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (…
#526 レビュー 秀吉、信長の下でなりあがり『新史 太閤記 前編』 司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の小説『新史 太閤記(上)(新潮文庫)』を読みました。『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』と比べてどうかレビューしたい…
#331 武田家滅亡 甲州征伐前夜~『松平家忠日記を読む』から見る
遠江国の武田家の重要拠点高天神城の落城でバランスが大きく崩れ、内部崩壊を始める武田家と甲州征伐を進めようとする織田・徳川両軍についてを『家康家臣の戦と日常 松…
#332 第28回「本能寺の変」感想~大河ドラマ『どうする家康』
唯一の友、家康に討たれたかったかのような信長と討てなかった家康の別れが描かれた2023年7月23日の大河ドラマ『どうする家康』の『本能寺の変』について唯一の友…
#333 武田家滅亡 甲州征伐~『松平家忠日記を読む』から見る
1582(天正10)年、準備万端の織田・徳川軍による甲州征伐を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』で見ていきます。一気に崩壊した武…
#334 本能寺の変と神君伊賀越えを『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
7月23日の大河ドラマ『どうする家康』でついに最期を迎えた織田信長、その本能寺の変とその後の家康の伊賀越え”神君伊賀越え”を大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
木下藤吉郎として、織田信長に仕え、羽柴秀吉として、大名になり、豊臣秀吉として、天下統一を果たした、豊臣家は、秀吉の死の十七年後に、遂に滅亡したのである。 既…
武田信玄と織田信長は、お互いを良く知っていた。 何故なら、美濃遠山氏が武田と織田に両属していて、情報の受け渡し役をしていたから。 信玄から信長へ、今川義元の動きは全て知らされていた。桶狭間の戦いは、信玄抜きでは語れないものである。
三好長慶は、畿内6ヶ国、四国3ヶ国の計9ヶ国。更に、播磨、伊予、土佐の一部を支配下に収めた大大名。 そして、信長よりも先に将軍家を傀儡にして天下を掌握した。 長慶の最重臣・松永久秀は、家柄もなく実力だけでのし上がり、次の天下人を狙える位置にいた。
大河ドラマ『どうする家康』第26回「ぶらり富士遊覧」での徳川家臣の対応について『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』で見ていきます。…
#337 本能寺の変がどう伝わったか~『松平家忠日記を読む』から見る
7月23日の大河ドラマ『どうする家康』第28回「本能寺の変」について家康領国の家臣にいつどのように伝わったのかを『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角…
#過去の振り返り 2023大河ドラマ『どうする家康』に備えて、年末年始に読む本
みんなの回答を見る2023年の『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』を楽しむにあたって読んだのが、司馬遼太郎の歴史小説などの種本といわれる徳富蘇峰による『…
#339 第29回「伊賀を越えろ!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
後年、天下人になっても語ろうとしなかった思い出といわれる伊賀越えを7月30日大河ドラマ『どうする家康』の第29回「伊賀を越えろ!」について真面目にやらかす天然…
#340 TVメモ『関口宏の一番新しい中世史”桶狭間の戦い”』について
大河『どうする家康』で、いきなりのどうする!になった「桶狭間の戦い」について2023年7月22日放送の『関口宏の一番新しい中世史』ではどのように描かれている…
#350 本能寺の変後の荒れる甲斐国 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 …
#354 信玄の”三年の鬱積” 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その3
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、まずは武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号での特集で…
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻子を殺した?岡崎ゆかりの史跡へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻
『岐阜城初登山の友人たち5人と一緒に登る』『関東・静岡・関西地区から友人たちが岐阜訪問&観光』『いつも昔話は尽きない』*「記事書き」はJapan
今日は2023年12月2日(土) *「記事書き」はJapan 天気;晴れ&曇り 今日のバンフ気温予報<最高+12℃ 最低+4℃>浜松地区 関東地区 関西地区 から岐阜市に5人集合僕自身を入れて 6人その6人で岐阜城まで登山 5人は初岐阜城登山登山道はいろいろとあるその中の「瞑想の道」コース登り始めたはいいが やはりしんどい 以前のぼったよりしんどい(年齢のせいが大いにある)目指すは ここ「岐阜城」登山途中からの景...
戦国の影に忍び寄る謎と驚き!安土城考古博物館への不思議な冒険
古代の謎から戦時の動物たちまでー安土城考古博物館への冒険ーの続きである。戦国時代のお城や屋敷を模した展示物。そこには忍者が様々な場所に身を隠し、即座に攻撃できるように身構えているように見えた。じっくりと見ると、えっ?こんなところにもいたの?と思わぬ場所に忍者が潜んでいるのに驚いた。これは信長公が使っていたとされる長鑓を模したものである。信長公は約7メートルの長鑓を使っていて、それを駆使して長鑓部隊...
#387 再度、徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その7
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、長篠の戦いで勝利を収めた徳川家康の再反撃のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』…
アメーバブログ『yutake☆イヴのモノローグ』の 映画記事です。登録・関連TBご自由にど~ぞ♪警告出てブログ訪問できない方ごめんなさい。
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康は、息子・秀忠に征夷大将軍の位を譲り、「駿府の大御所」として大御所政治へ。家康が少年期と晩年を過ごした駿府にお出かけしてみてはいかがでしょうか。大河ドラマ館は、2024年1月28日(日)まで。
歴史物語では、信長と家康は幼馴染で旧知の仲だったとか、「桶狭間」の後、すぐに同盟関係が構築されたとか、 二人は近しい間柄のように描かれていますけど、それほど近しい間柄では無かったのでは? 寧ろ、余所余所しい関係だったのでは?という雑文です。
にほんブログ村にほんブログ村 私は間違ったことはしていない…石田三成が関ヶ原の戦いまでに多くの武将に見捨てられた根本原因 能吏としては完璧だが、人心を読み解く…
「泣かぬなら~○○○○ほととぎす~」。詠んだ人の性格を表すと言われている有名な句です。詠んだのはもちろん、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして柴犬ですね。
桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市)1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽
天下統一を目指す信長・秀吉・家康がどこでどんな戦いをし世の中が変わっていったのか、分かりやすくまとめています。忘れがちな戦いの“場所”をチェックできる地図を見ながらしっかり覚えよう!
桶狭間の戦い1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立し、おけはざま山に本陣を置く。そこで、織田信長の奇襲を受ける。今川方の旗本約300が義元を守り応戦するも、おけはざま山の西の深田際まで追い詰められ、服部小平太と毛利新介
#421 本レビュー『幸若舞3 敦盛・夜討曾我他』~とにかく読了 日本の古典~
信長が愛し歌った幸若舞の『敦盛』について疑問があったので『幸若舞 3』を読みました。敦盛は、16歳で討ち死にしていますが、、、なぜ、人間五十年・・・幸若舞 3…
前田利家公像前田利家公初陣之像とまつ像 前田利家(1539?‐1599)加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野の戦い
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
パレイドリアンの視る織田信長(写真:春風なおこ様)(Series854)
860回記念再公開です。 初公開:2023/10/22 7:00 織田信長(1534~1582) ⇩ 高橋幸治版が特に似ている! 高橋幸治氏(1935~)は1965年「太閤記」1978年「黄金の日日」で2回織田信長を演じています。 この人の丹下佐善もなんか良いんで...
長篠の合戦の翌年1576年から築城が開始され、3年後1579年に織田信長が移り住んだといわれている安土城。その3年後に本能寺の変が起きたそうで・・・・3という数字になにかあるのだろうか・・「おぼろげながら浮かんでくるな。3という数字が」(笑) さて、当時はここ↓に、東西110メートルにわたり石垣が積み上げられ、4か所の出入り口が設けられていたそうな。安土山入山にはお金がかかるが、広い駐車場とこのエリ...