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休日は 小野市立図書館へ 最近は 経営学等の本でなく、趣味の関係の本を読むようになりました。 ツタヤさんに「タイガー裏切りのスパイ」のDVDが入…
三好長慶は、畿内6ヶ国、四国3ヶ国の計9ヶ国。更に、播磨、伊予、土佐の一部を支配下に収めた大大名。 そして、信長よりも先に将軍家を傀儡にして天下を掌握した。 長慶の最重臣・松永久秀は、家柄もなく実力だけでのし上がり、次の天下人を狙える位置にいた。
【原文】三好之長書状写(『戦国遺文 三好氏編』4号、『大日本古文書石清水文書』所収辻村豊徳外四人所蔵文書) 池田遠江守殿御宿所八幡宮領摂州木代庄内朝川寺事、従先師仙室東堂譲被渡候処、彼霊文書記依申掠、
【コメント】戦国時代のわりと初期、永正三年(1506)の史料です。「三好之長の命令だから」と言って、泥堂彦左衛門尉という武士が、石清水八幡宮の領知を押領しました。どうやら石清水八幡宮の側から室町幕府に訴えが
文明四年(1472)、応仁の乱のころの文書です。「犬神使い」は秩序を乱す者と見なされていたらしく、阿波守護の細川成之は奉行人・飯尾常連を通じて、「犬神使い」を捜索・処罰するように、阿波三郡の郡代・三好式部少
【コメント】 文明元年(1469)、阿波守護・細川成之の奉行人・飯尾常連によって出された文書です。細川成之によって阿波国(徳島県)に賦課された段銭のうち三貫文を、南陽院殿(=淡路守護・細川成春)の使者に渡すよう
【コメント】阿波国の段銭や年貢などに関して、おそらくは阿波国守護の細川氏から出された条々です。「故三好入道」は、一次史料で確認できる、最古の三好一族です。本文書の終わりから二条目に、「片穂常陸入道、逸
【1】細川成之奉行人飯尾真覚奉書写(『戦国遺文 三好氏編』1号)
【1】細川成之奉行人飯尾真覚奉書写(『阿波国徴古雑抄』) 【コメント】『戦国遺文 三好氏編』の1号文書です。寛正六(1465)の文書で、応仁の乱以前のものです。宛所の三好式部少輔は、戦国時代の三好山城守康長(笑
南宗寺は、大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で、弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山しました。本尊は釈迦三尊。茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした寺院です。(画像提供:めりい)三好長慶の像(画像提供:めりい)天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、当時の住職であった沢庵宗彭よって現在の場所に移転して再興さ...
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楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 21.東海地方・近畿地方の戦国時代
戦国時代の東海地方、近畿地方の変遷東海地方では織田信長が今川家を滅亡してどんどん躍進した。近畿地方では細川政元
戦国時代最初の天下人が徳島県生まれなのを知っていますか?織田信長よりも先に天下人になった「三好長慶」について優しく説明します。三好長慶が天下を取られたのも四国や水軍の強い協力があったからだとか…
飯盛城(続日本100名城)で天下人三好長慶を使った信長の野望全国版を思い出すラン
大阪遠征連続山城は飯盛山の飯盛城にしました。 このお城、三好長慶がいたところで、実は織田信長よりも前に天下人になってたといわれる武将ですね。 30年以上前、小学生の時に買ってもらったパソコンで最初にや