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損をしたくないという思考が大きな魚を逃がす、と気づいた話。(仕事編)
マンションコンシェルジュをしていた頃、自分の浅はかさに気付いて、顔が真っ赤になるほど恥ずかしいと思ったことがあります。 必需品をケチった結果 私は当時、管理コンシェルジュとして勤務しており、居室内の不具合などで入室の必要があったり、館内巡回や空室チェックで歩き回ったりする必要がありました。 制服は貸与していただいており、靴は黒のパンプスと決まっていました。 一足目を履き潰した時、私は少々ケチって、二足目には安めの靴を買いました。 するとその靴は、履き心地が悪いうえ、サイズがしっかり合っていなかったため、急ぎ足で歩くと半分抜けてカッポカッポと音がします。 私は、しまった、履
入室修理でのトラブル。クレーマー認定されてしまった私の真意とは。
マンションコンシェルジュをしていた頃の話ですが、仕事とプライベートの境界線って、曖昧なんだなぁ、と感じた出来事について書いてみようと思います。 マンションコンシェルジュという仕事からの学び~入室するということ~ それは、今住んでいるマンションへ引越準備を進めている時でした。 ネット回線を引くべく、メジャーな回線事業者に申し込んだところ、代理店から電話がかかってきました。 プランについてや月額料金、違約金などの説明があり、了承して契約することにしました。 すると今度は別部署から電話がかかってきて、この建物は、手元の情報によると室内の回線工事は要らないはずだが、どうも工事が必要
「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」の意味について、感じたこと。
この間、小さな娘さんのいる知り合いの男性と交わした短い会話が、とても実り多く感じたので、そのことについて書いてみたいと思います。 父親との関係について いつも仲睦まじい様子を拝見していたんですが、娘さんとまた一緒にお出かけされると聞いて、「わぁ、いいですねぇ。私は関係が悪いまま父を亡くしたので、罰悪く感じています」と笑って話したところ。 一瞬だけ考えたような表情をされ、「何歳の時に亡くなったの?」と聞かれたので、「28歳の時です。時代もありますが、父は仕事ばかりしていて、いつも強いストレスを抱えていたようで。時々突然怒鳴り出すので、私はいつもビクビクしていまい。大人になっても人
ピンチはチャンス!という言葉の本当の意味が分かって震えた話。
ピンチはチャンス!という言葉、よく聞きますが。 私は長い間、どうも胡散臭く感じてきました、この言葉一つで丸め込まれるような気がして、少し嫌悪感もあったかもしれません。 繊細で傷つきやすく、深く考え過ぎることも災いして生きづらいタイプの私は、カウンセラーさんに助けていただいていたこともあるのですが、その経験を経て、この言葉の本当の意味が分かったような気がしています。 モンスターカスタマー対応で、カウンセリングを依頼 以前からそのカウンセラーさんにはお世話になっていたのですが、マンションコンシェルジュをしていた頃、モンスターカスタマー対応をすることになり、一時期集中的に通って支え
幸せとは、命とは。子供を産んでいない私が、目に見えない命というものを感じる方法と言えば、これかもしれないと思った出来事。
これまでの人生の転機となった経験の一つに、マンションコンシェルジュのお仕事があるのですが。 8年半勤務し退職して数年経ちますが、この時期になると思い出すドイツ人のご家族がいます。 ご入居から5年程お世話になったんですが、男の子2人の兄弟が可愛らしくて大好きでした。 上の男の子は繊細な印象で、芸術的なセンスに恵まれていそうだなぁと感じていました。慎重な性格でしたが、打ち解けてからは、フロントに座る私に向かって玄関から走りこんで来て、大きな声で覚えた日本語を話してくれて、よく和ませてくれました。 ある時私に向かってドイツ語で何か言ったので、何て言ったのかな?と思っていたら、お父様が
これまでいろいろな職種を経験してきましたが、仕事というものの面白さに気づきのめり込んだのは、マンションコンシェルジュのお仕事でした。 物件の規模やフロントの運営方法によって状況や業務内容は全然変わってきますが、私が勤めていたマンションは住戸数も適度で多過ぎず、またコンシェルジュの中でも、住戸も含め館内の修理の手配や点検作業のコントロールなども全てフロントが中心になって行う管理コンシェルジュだったため、入居者さんとの距離がより近い環境でした。 とても良くしてくださる入居者さんも多かったので、いつも楽しく働かせていただき、この飽きっぽい私が、9年近くも務めることができました。 皆さん
人を頼ることが苦手。その課題と改善方法を探る(2)危機は自分の物差しで測る。
うつ病で約2年闘病生活を経験したのですが、幸運なケースだった私でさえも、当時は生き地獄としか表現できないほど辛い毎日でした。 以降、再発だけは避けるべく試行錯誤を繰り返してきました。 病は、自分の生き方を変えるようにという体からのメッセージだという考え方に最初に出会った時、微かな不快感を覚えたのですが、自分自身についてより良く知るうちに、納得しかないなと思うようになりました。 人を頼ることが苦手(1)の記事で、人に助けを求められない理由の一つとして、 ①辛い状況を我慢し、限界ギリギリまで頑張った挙句、突然はちきれてうつ状態に陥ってしまう。 を挙げたのですが、以前の職場での衝撃