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自分は認知症だと思っていない。 足が悪いからリハビリしに来ているだけ そう思っているおばあさん。 まあ…老婆と言うほどでもない年齢。 しかし・・・ これがとてもしつこい人で辟易する毎日。 あれやって これやって どうしてこうしない! やって下さいよ! 月曜日なんだから シー...
認知症の人における介護と医療のアプローチ、その役割の違いを考えてみます。認知症には主症状があり、そもそも型によって症状は多少異なります。認知症を大別すると、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、血管性認知症、正常圧水頭症など様々な型があり、これらを総称して「認知症」とひとくくりにされています。 これらの病変の違いによって、認知症の中核症状は変わってくるものです。 認知症の主な型と主症状 ●アルツハイマー型認知症 記憶障害、見当識障害、判断力や計画力の低下。徐々に進行する忘れっぽさ。認知症の全般症状。 ●レビー小体型認知症 幻視、幻聴、認知機能の変動、パ
介護現場に潜む虐待リスクとリアル 「今日も事故が絶対に起きないように頑張ろう」出勤前に呟く。 施設の中ではスタッフが常に慌ただしく走り回り、緊張感と疲労感に包まれれている。私が出勤直後に申し送りを確認すると夜間帯の状況が見えてきた。"ベッドセンサー頻回になり、ほとんど立ち上がり5分毎。夜間帯総数30回以上。立位著しく不安定。口調も強くトイレの訴え"などと記入されていて、個人の記録にはびっしりと対応の記録が書かれていた。 「日中も大変だったけど、夜は大変だったみたいよ…」ほかの職員もこぼれるように囁いた。 そして夜間帯に引き継ぎ、最後の日勤職員が退勤する。この施設は慢性的な人手不
BPSDは特別じゃない『人として当たり前』を受けとめる介護姿勢
介護現場の「BPSDの特別視」への違和感 私が介護をしていて感じるのは、BPSD(行動・心理症状)というものを特別視しすぎているのではないかという点です。介護者にとっては問題行動として捉えられることも多いものなのですが、その問題は介護者にとっての問題であり、要介護者にとっての困りごとにすぎないということです。しかもその反応は、人間であれば誰もが備えているし、むしろ人間として備えていなければならない精神的な当然の反応であると考えています。 帰宅願望など「危険行動」の捉え方 確かに認知症の人に帰宅願望などがあるとして、出て行ってしまったり、または足元がおぼつかない状態で歩こうとすると
トヨタ生産方式(TPS)は日本的経営にとって実に有意義な理論であることが伺えました。特にトヨタ生産方式が注目を浴びたのは、石油危機の時代であったと記されています。高度経済成長を遂げた日本が、少しずつ低成長の時代を迎えるとき、多品種少量生産の意義が見直されたということです。 これを裏返してみると、インフレと低成長が重なったあの時代は、まさに令和の現代における経済情勢とも重なるところがあります。円安による原油や原材料価格の上昇によって、コストプッシュインフレーションに陥っていると言われている現代だからこそ学びなおされる意義を感じるところです。 ところで、あの世界恐慌という大不況を乗り切
「利用者はカネの成る木」「この人は認知症だから大丈夫」介護業界の“負のスパイラル”が引き起こした過酷すぎる「現場のリアル」
「利用者はカネの成る木」「この人は認知症だから大丈夫」介護業界の“負のスパイラル”が引き起こした過酷すぎる「現場のリアル」 2025年の論点 文春オンライン
アメリカの医師であったロバート・バトラーは、老年学の分野において、個人の心理的な健康と社会的な公平性に関する革新的な視点をもたらした人物です。その功績の中でも特に「ライフレビュー」、「エイジズム」、「プロダクティブ・エイジング」、「長寿革命」といった概念を提唱しています。 まず、ライフレビューという考え方は、人生の最終章において過去を振り返ることの重要性を説いています。バトラーは高齢者が自己の経験を再評価し、その意味を見出すことが心理的な健康を維持する鍵であると考えました。このようなプロセスは、単なる懐古ではなく、人生を統合的に理解し、平穏と幸福感をもたらす手段として機能します。
日本において社会保障制度が持続可能性を持ち続けるために、必要とされる課題はいくつもあります。そして、これからも常に社会全体で考えていかなければならない問題でもあります。 イギリスの公共政策学者であるジュリアン・ルグランは、「公共政策と人間: 社会保障制度の準市場改革」の中で、特に福祉国家の改革や公共サービスの提供における効率性と公平性を両立させる方法論を提示しています。彼の研究は、政府主導の中央集権的な公共サービスと、自由市場経済のどちらにも偏らない「第三の道」を模索するものであり、その中心に「準市場」の概念があります。 準市場とは、市場の競争原理を導入しながらも、政府が規制や補助
この記事を読んで頂きありがとうございますはじめての方はこちらをご覧下さい。 『自己紹介をさせて下さい。』この記事を見て頂きありがとうございます。皆さまに読んで…
心理的安全性はあらゆる組織に共通して求められる要素であり、同時に組織にとって最も大切にされるべき要素なのです。Googleの生産性が高いチームの共通点を探す"プロジェクトアリストテレス"においても、生産性向上の柱で最も重要であるとされています。 日々、事故リスクを抱えている介護や医療の現場においては、特にこの"心理的安全性"がとても大きな意義を持ちます。アメリカの経営学者であるエイミー・C・エドモンドソンは、"みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしく居られる文化"のことをそのように定義づけしています。 これは組織論ですが、家族や施設における利用者も同様であると考えます。
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人間の判断に欠かせない価値判断の能力ですが、日常生活の中であらゆる判断を行っています。イギリスの神経科学者であるバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大3万5000回もの判断に迫られて生活しているということです。 そのような一つ一つの判断に対して、全て熟考するということは考えられず、少なからず直感を働かせています。そしてこのような決断方法は、行動経済学においても重要な意味を持っています。例えば買い物したいときの選択肢があったとして、価格と機能、機能と重量などといった二つを判断基準にする場合に、どのような判断が下されるでしょうか。 ここでは、アメリカにおける著名な行動経
介護に従事していると様々な場面において、相手の"話を聞く"ということの重要性を感じます。この仕事は肉体労働として一般的に認知されているように思われますし、社会的にもいわゆる3K労働者と捉えられているようにも感じています。そうした側面が大きいというのも事実ではあるのですが、一方でそれよりも円滑なコミュニケーションがとても重要なのです。 または、その人が自分の意思を相手に伝えられるかどうかに関係なく、いち早くその人のニーズを把握して、それに対応するための洞察力や観察力、そして判断力が求められる職業なのです。このことは、私自身が日夜実感しています。そうした事を考えると、人間の総合力を高めて
我々のような介護や社会福祉に携わる人が対人援助において、まずもって焦点を当てる部分が「ニーズ」の充足ではないでしょうか。このニーズの充足が、その人の日々の暮らしを支え、ひいては人生を支えることに繋がると考えられるからです。同時にこのようなミクロな視点だけでなく、社会制度や政策を構築するというマクロな視点においても求められるものが、ニーズというものです。 イギリスの社会学者であるリチャード・ティトマスは、人間のニーズを社会的視点で捉える重要性を示しました。彼は、これを単なる個人的な"欲求"や"希望"として捉えるだけでなく、社会的に認識されるべき「正当な要求」として定義しました。そしてこ
対人援助職ならば是非にでも学んでおいた方がいいであろう学問。それが行動経済学だと思っています。行動経済学は経済学に心理学を掛け合わせた学問で、人間の無意識の行動や選択についても解き明かすことができる実学だからです。そして即効力があります。自己の中で無意識に潜む他者に対する偏見などに、いち早く気付くことの出来るスキルなのです。 また自己選択することの重要性については、対人援助職についている人ならば誰でも理解しているところです。人の自己実現には必ずや日々の自己選択が潜んでいて、自己選択は直近における自己決定というニーズ充足の第一歩でもあると考えられるからです。 たとえば我々のような介護
日本の経済学者である宇沢弘文という人は、日本的な価値観を体現している人物のように思えます。鳥取県は米子という所の出身で、戦時中の疎開でお坊さんとの交流もあり、情緒的に育まれた農村の記憶がとても重要な意味を持っているようです。実際に私も米子市に訪れた事もありますが、風情ある素晴らしい郷土を持っているという事が彼の思想に表われているようにも感じられます。 ピタゴラスの定理のように"永遠の生命を持つ真理"の継承。これが数学から経済学へ転向した宇沢が持つ思想の一つでした。そしてのちに記す社会的共通資本の考え方は、そのエッセンスであると綴っています。数学の前に医学も志したことのある彼は、医学が
正義とは何か。 アメリカの哲学者であるマイケル・サンデルは、日本でもハーバード大学で最も人気のある講義を担当している教授として話題になりました。彼の語った正義の形は、ロールズの「正義論」に対するアンチテーゼでもあります。 彼は著書である『これからの「正義」の話をしよう』の中で、功利主義、自由主義、そして美徳。大きく分けて、この3つが正義に関する哲学の大きな潮流だとしています。同時にサンデルは共同体主義の立場から、この功利主義や自由主義の問題点について指摘しました。 ●功利主義とは 功利主義は、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルによって提唱された哲学的立場で、「最大
行動経済学は、経済学に心理学を掛け合わせた実証的な学問です。これにより経済学は、虚学とも捉えることのできる理論的な学問から実学へと導かれることになりました。つまり日常生活の課題解決への応用が可能になっているのです。 介護の世界において、いつも問題になるテーマがあります。それは自立支援を目的にしているはずにも関わらず、かえって本人が現在持っている既存の能力を奪ってしまう。そんなことが日常の介護現場で起こりかねないということです。人手や時間に限りがあり、安全意識が重要な課題でもある介護の世界にとって、"移動"というプロセスだけをとっても大きな課題があります。 車いすを介護者が押せば、安
支援はいつから受けられる?日常の「できない」を助けてくれるヘルパーの存在
介護の現場で出会った人から「幸せになる方法」を教わった、と語る介護福祉士でイラストレーターの高橋恵子さん。今度はあなたに、イラストと言葉でメッセージを届けます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/24495a06ee0aeb26ce4e3596a1043afd7045f93f?fbclid=IwY2xjawHM0wVleHRuA2FlbQIxMQABHfB8uWmIpmdsUnaJy1oYTP60aiJqN8e0indIQ5QbEQox_FPVgdSPLkF5rw_aem_zcxx8BPhcdapwIQjZ8rWZQ
「昔は父も兄が出征して亡くなったから、男手が無くなって馬車馬を私が引いて働いたのよ。だから、足腰が誰よりも強くなった。仕事をするのは好きだからね。」 この方の約1世紀を生きながらえた不屈の精神力には尊敬の念に堪えません。女性であっても男性と同じ仕事を苦にせず我武者羅に働いてこられたとのこと。田畑を耕し、作物を植え、出荷する。それだけでなく、時にキビを植えて家庭で箒を作っていたそうです。そしてその箒はとても評判で売れたそうです。 高齢者の知恵というのは非常に深いものがあり、我々が勝手知らぬ生活の知恵や多くの実業の方法を知っておられます。「何でも聞いてください。何でもしてきましたから。
認知症ケアでは、日本においても革命だと言われる考え方が広まりを見せています。その考え方はフランスを由来としたユマニチュードの考え方です。私は全ての事柄に共通して、理想の理念を掲げる事は大切な事だと思っています。現実と理想の狭間で常に葛藤されてきたのが社会であり、人間なのですから。 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 世界人権宣言・第一条 ユマニチュードの考え方は、世界人権宣言のような個人の自由と自律の尊重こそが民主主義を支えている。強者が全てを
私の介護職としての経験論、いや人間として重要なのは、やはり挨拶です。挨拶というのは最高の飛び道具です。なぜなら私の気持ちを相手に投げ、相手がそれを受け取って投げ返す。その会話が成立するかどうか、相手の体調はどうかを見極め得る最高の道具として常に存在してきたからです。 急にこちらのしたいことや終わらせたいことを提案するのではなく、「おはようございます」というボールが返ってこない場合には、そのままでは相手がこちらを認識していないか、聞き入れる態勢に無いという事を教えてくれるからです。まず一人一人に挨拶をしていると、今日の気分が分かりますし、一日のコミュニケーションが非常に円滑です。 挨
「体が資本」まさに健康というものは、誰もが最も必要とする掛け替えのないもの。健康寿命さえ高まれば、人生の幸福度や満足度を充足させ、よりよい人生を長く送ることが出来るはずです。私の願望として、たとえ命の灯が消える日時が定まっていたとしても、より長く日常生活を不安なく送れる程度に健康でありたいところです。 この考え方について、アメリカの経済学者であるマイケル・グロスマンは、健康がどのようにして人の幸福に寄与するか、またその健康を維持改善するために選択する行動についても経済学的な意思決定の観点から提示しています。 健康消費(Health Consumption):健康な身体そのものが
2か月勉強で介護福祉士/ケアマネジャー試験に一発で合格する方法
私は介護施設で働いていく中で、多くの同僚が介護福祉士やケアマネジャーの試験に泣かされているところを多く見て来ました。情熱をもって取り組み、そして仕事に励み、その結果として試験に落ちてしまう。その辛さは、私も痛感しています。あなたの知識欲と向上心は必ずや介護に必要とされる人材であることを表しています。 そしてまた、試験に必要とされる知識、そして勉強の経験は誰にとっても重要であるからこそ、このノウハウについて記しておきたいと考えています。 私は地方公立高校を卒業し、地方私立大学を卒業しましたが、決してそれまで学業が優秀な人間ではありませんでした。はっきり言って落ちこぼれです。しかし、公
歳を取れば誰しも、見た目だけでも老いを感じるものです。歳を重ねて10代の見た目であろうとするのは無理難題。そうすると必然とどのように年を重ねていくほうが良いのか、より健康で居たい、成熟した人間でありたいという願望が生まれてきます。 実は、老化というものに密接に関係しているのが糖化です。"老化とは糖化である"と言い換えても良いでしょう。なぜなら糖化は老化の促進因子だとされているからです。"体のコゲ"とも表現される糖化は、余分な糖質が体内でタンパク質と結びついて細胞を劣化させます。そうして、表面的には皮膚などに現れるシミやたるみの原因となっているのです。 老化はAGEsが蓄積されること
山本周五郎著「赤ひげ診療譚」は、小石川養生所の“赤ひげ"と呼ばれる医師と、見習い医師との魂のふれ合いを中心に、貧しさと病苦の中でも逞しい江戸庶民の姿を描いた連作短編時代小説集。実在した江戸の町医者、小川笙船をモデルにした活劇。黒澤明「赤ひげ」の原作。2012年から全国の都道府県医師会の推薦した「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師」を赤ひげ大賞として顕彰している。 医療というものにも必ず限界があります。そしてその限界を誰もが知り、認めるべきなのです。医療というと目の前の患者の傷病を治すという事だけが使命であるように捉えられがちです。確かにそれは一
私は介護職員として働く前からずっと所謂、一般的に言われるような社交的で積極的なコミュニケーション能力に秀でた人ではありませんでした。しかし、広く浅い関係性よりも、狭くとも深い関りを求めて来ました。その深い関りというのは、私の妻、家族や友人がしてくれたような関係です。 温かみがあり、たとえ一見厳しいようでいても、相手のことを真剣に考えているのだと感じさせる関係です。私はこのような関係性を互いに"尊敬"することだと感じていました。幼い頃から培った経験や元来の性格も組み合わさって、相互理解は、このような相手に対する尊敬の念の上に成り立つのではないかと考えてきたのです。 私のこのような理解
「これからをどう生きるか、何をしたいのか」この問いは介護に携わる者にとって、いつも重要なテーマとなり続けています。日々の言動に耳を傾け、目を凝らすこと。生活の些細な事柄からニーズであろうものを把握し、それを充足していくこと。これこそが利用者の効用を高める原動力であり、ひいてはその人らしく生きるという介護の在り方にとっての羅針盤となります。 たとえ認知症で少しずつ物事を忘れていくという段階にあっても、人の役に立ちたいという気持ちは誰もが持ち続けています。 他者の洗濯物を畳んであげたり、野菜の皮むきをしたり、苦戦する車いすを押してあげようとしたり、症状が進行していても優しく声を掛けて手
医療や福祉といった分野は、縁の下の力持ちとも言え、社会基板でもあるエッセンシャルワークです。同時にたとえ機械化や自動化が進んだとしても完全に置き換わることは難しく、労働者による人的資本が中心を担い続ける必要のある労働集約的産業でもあります。この労働集約的産業が抱えた問題を提唱し、公的支援の必要性を示したのがアメリカの経済学者、ウィリアム・ボーモルでした。 社会が目まぐるしく変化していく中で、自動車や精密機器など資本集約的な産業が技術革新によってどんどんと生産効率性を向上させてきました。しかし、同時にクラシックのオーケストラで弦楽四重奏を奏でるのに必要な演奏家の数、看護師が包帯を巻くの
後天的な精神疾患は多くの場合、健全なる人間的反応、免疫のようなものであるように思えてなりません。そうして"現実の苦悩"や"恐怖"に直面した人間が自己を保とうとする正常な働きだと捉えるならば、その原因をどうにか解消しない限り、根源的な改善と解決は見込めないのだとも思えます。 投薬などによる症状の緩和が行えたとしても、それは一時の対処療法に過ぎず、完全な治癒とは言えないところです。むしろ、正常な心的機能を投薬によって押さえつける事によって、その機能の退化、脳の退化、感情の廃用が起こるのではないだろうかという疑問さえも湧いてきます。私はこの常態化に危惧を抱いているのです。 過去にはE・モ
介護施設ごときが、人を選り好みしてる事自体が大変おこがましいのですが、中には本当に「全く使えない無能な派遣社員」もいる事も事実で、現場の正職員達は苦労している事でしょう。それゆえの定職に付けない派遣社員。という事は介護業界に限らずよくある話...
「はい、チーズ!」カメラを向けるとよそ行き顔。たった今、あんなに嬉々として素敵な笑顔だったのに…。 季節が巡るごとに、一緒に梅干しを作ったり、お花見に行ったり、その時々で本人や家族に手渡す手紙や写真。いつも大切にしまわれていて、暇があればそれを眺めている姿は、日頃から傍にいる人間の一人として、とても印象に残っています。そして家族にとっても、その写真はいつかお金には代える事が出来ない財産になったりします。たった今のその瞬間が、きっと掛け替えのない誰かの宝物になるに違いありません。 笑うという行為自体が感情と密接にリンクしていて、面白いから笑うと同時に笑うから面白いという事も出来ます。
現在の認知症介護では当然ともいえますが、拘束や抑制に関して、原則禁止。身体拘束ゼロが指針となっています。また高齢者のプライバシー等の人権尊重は当然守るべきものとして捉えられています。しかしながら、このような認知症介護の歴史は決して長いとは言えないものです。 日本においては、1950年に精神衛生法が施行されるまでの間、世間から隔絶され、自宅の離れに隔離するなどの事実上の"座敷牢"が存在していたのです。勿論、それまで社会に任せることも不安な状況であったことも要因であったようですが、それ以降にようやく治療に重きが置かれ始めました。 1972年になると有吉佐和子氏の「恍惚の人」が発表。この
日々私は、自分が世間の常識と乖離していないだろうかといつも心配になります。介護分野に携わるにあたって、専門職としての技術や知識を身につけなければならないのだと、多くの諸先輩方から指導されてきました。しかし、私は寧ろ介護という分野においては、技術よりも大切なものがあると思っている節があります。だからこそ不安になるのです。 特に介護において、やはり生活者として共に歩むという心持ちが重要になるのではないでしょうか。この場合、家族介護というものが、如何に素晴らしいものであろうかといつも考えます。というのも、実際に施設に預けるよりも家族が介護するのが一番良いという意味ではなく、家族が介護するよ
「認知症は大変。」そんなことを思ってしまった事に罪悪感を覚えることも介護者にはきっとあると思います。 日々介護に携わる中で、たとえ要介護者が認知症であっても、人と人との交流であることにまったく変わりがない事を実感します。だから自分と相手との関係では、鏡とか、池やガラスに反射する風景のように、相手には少なからず、私自身の態度も映し出されているとさえも思えるのです。 きっと誰しも相手から好感を持たれれば、人は好感で返し、人からぞんざいな扱いを受ければ、それ相応に対応するでしょう。勿論、人と人との関係では相互の感情や思いが交錯し、思いが伝わらないとか、すれ違う事も多くありますが、そうした
ケアマネジャーが作成するケアプランというものをご存じでしょうか。このプランは、その人の事だけを考えて、その人の為だけに作成されます。他の人と同じようなニーズであっても、同じサービスが提供されているわけではありません。 そしてこれは、介護保険を用いたサービスが提供される際に必要になる計画書の一つなのです。簡単に言うと、本人の思いを中心に組み立てられた目標。それに向かって、本人を支える関係者が一丸となって取り組む、一人一人の役割を認識する為にも重要になる書類です。 基本的には、居宅介護サービス計画書というものがケアプランに該当するもので、本人のニーズを基礎にして"援助の方針"や"長期目
最後まで残っている記憶というのは、とても美しく大切にしまわれた記憶だと認識します。たとえ日ごろの事は忘れてしまっていても、いつまでもハーモニカを奏でられる方がおられました。周囲の人も聞き入ってしまう程の腕前でしたが、父が奏で、そうして兄に手渡されたされたハーモニカ。 「兄は興味を失くしたから、私が勝手に覚えたの」 「あなたもやってごらんなさい。あなたならすぐにうまくなって、そしていつまでも励みになるのよ」 出征して若くして亡くなったお兄様や既に亡くなったお父様との繋がりだったのかもしれません。きっとご自身で奏でるハーモニカの音が人生の支えになり、生きてこられたのだと思います。そし
「お互いにとってより良い介護ってなんだろう?」 時にすれ違い、感情が交錯することで生まれる衝突。認知症介護にはつきものです。 認知症になると、同じ話を何度も繰り返すとか、何度もトイレに行こうとするとか、自宅にいるのに「帰る」と言い出すとか、ご飯を食べたことを忘れるとか、汚物が箪笥に入れられているとか、物を失くし突飛なところから出てくるとか、何度も見回りを繰り返すとか、急に泣いたり怒ったり、いわゆる徘徊する、好きだった風呂が嫌いになる、そうした事がきっと増えてくるに違いありません。 介護者の側からすると、要介護者のこのような変化には少なからず戸惑いが生じます。以前の姿を知っている身
なぜ介護というものに、専門性を持たせるのだろうと思う事があります。それは、介護職のする介護と家族のする介護の本質にはきっと大きな差は無く、寧ろそこから乖離しすぎてはならないのではないかと思えるからです。 介護はその人を全人的に把握するところから始まります。その人がどうしたいのか、どうしてほしいのかを考える手がかりは、あらまし家族や馴染の関係では当然に理解している事柄でもあります。しかしながら、それとは裏腹にかえって自分の家族であるからこそ、確執が生まれる事だってありがちです。 それは身近であればあるほど、その人のことを思えばこそ起こり得る摩擦なのです。全くの赤の他人であれば許せるこ
拘束?虐待?介護施設関連の興味本位の煽り記事に翻弄されないで
介護施設で働いているびょうです。にほんブログ村※ブログ村のランキングに参加しています。タップ・クリックいただけると嬉しいです。 ラジオでも、そろそろいい加減に衣替えをしないとね、と言っています。来週の為の冬支度をしたら、今日は日差しがあると汗をかく暑さ。
自分の言い分が叶うまで何十回でも言い続ける 認知症はしつこいです。 昨日 入所者さんに付き添って 1Fまで降りる用事がありました。 普通な感じの おばあさんですが 職員が1Fに行く時には マスクをしてもらいます そう言ったのをずっと気にして マスク!マスク! マスクしろって...
歩き回る・・・叫び続ける・・・ 床に座り込む・・・他人の部屋に入り込む すきを見て 逃げ出そうとする。 ザワザワ・・・ザワザワ・・・ 1日中 落ち着かない人たちが増えてきました。 これは・・・気圧の関係なのでしょうか??? もう・・・介護というより 精神を患った病院関係??...
毎日 大変な事の方が多くて気が滅入る。 サラ~~っと流して お仕事 お仕事 そう思えばいいけどね・・・難しいよ。 介護施設って。 自分の記事タイトルを見返してみると 気持の落ちるような物ばかり。 楽しい事がないな・・・ けっこう辛い職場だわ~。 まあ・・・そういう大変な人た...
鈴木早智子さん 3年間・介護の現場で勤務 「現場は どこも職員不足だったり 本当に大変な現状を知る事ができました」 想い明かす
1996年に活動を休止した、ポップスデュオ「Wink」の鈴木早智子さんが自身のインスタグラムを更新。 3年間、介護職として、現場で勤務していたことを明かしました。 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1285705?display=1
同じことを言われても否定しないんだって。 そうだった・・・認知症の人は悪気はない。 ただ自分で言ったことを 言ってるそばから 忘れてしまうので 同じ話を繰り返すだけ。 病気だから お気の毒ですが 言われる方は・・・かなりきついです。 介護職員さんに どう返事をしているか 聞...
朝から つかまってしまい あれがない これがないと訴える認知症のおばあさんは とっても しつこいです。 昨日も 何度も聞いた。 朝から・・・疲れるよ。 通りかかる人に何度も同じ事を言っているならさ そこに居ないで自分の席に戻って欲しいんだよね。 だって 物なんて それ。。。...
長い年月(コロナで)面会が思うように 出来なかったけど 入所している棟まで ご家族が入って来られるようになりました。 私たちも ちょっと緊張しますね。 ご挨拶をしないといけないし 大きな声で笑っているわけにもいかないし。 数日前の事です。 お母さんに会いに来た娘さん。 私は...
パジャマに着替える人は 以前はもっと居たはず。 だってベッドの上やタンスの上に パジャマが置いてあったもの。 そして週に一度は 綺麗なパジャマに 交換されていた。 そういえば最近・・・パジャマを見かけないな そう思って介護パートさんに聞いてみました。 パジャマに着替えないの...
ボケボケになってきたおばあさんというのは 言い得て妙・・・かな。 もの静かな人ですが 前に居た棟で 性格のきついおばあさんに いい様に使われて・・・ 意地悪されたんじゃないけど 誰が見ても おかしな状態になってきたので 入所の棟が変更されたそうです。 移動してきて早々に 物...