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認知症の人における介護と医療のアプローチ、その役割の違いを考えてみます。認知症には主症状があり、そもそも型によって症状は多少異なります。認知症を大別すると、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、血管性認知症、正常圧水頭症など様々な型があり、これらを総称して「認知症」とひとくくりにされています。 これらの病変の違いによって、認知症の中核症状は変わってくるものです。 認知症の主な型と主症状 ●アルツハイマー型認知症 記憶障害、見当識障害、判断力や計画力の低下。徐々に進行する忘れっぽさ。認知症の全般症状。 ●レビー小体型認知症 幻視、幻聴、認知機能の変動、パ
介護現場に潜む虐待リスクとリアル 「今日も事故が絶対に起きないように頑張ろう」出勤前に呟く。 施設の中ではスタッフが常に慌ただしく走り回り、緊張感と疲労感に包まれれている。私が出勤直後に申し送りを確認すると夜間帯の状況が見えてきた。"ベッドセンサー頻回になり、ほとんど立ち上がり5分毎。夜間帯総数30回以上。立位著しく不安定。口調も強くトイレの訴え"などと記入されていて、個人の記録にはびっしりと対応の記録が書かれていた。 「日中も大変だったけど、夜は大変だったみたいよ…」ほかの職員もこぼれるように囁いた。 そして夜間帯に引き継ぎ、最後の日勤職員が退勤する。この施設は慢性的な人手不
BPSDは特別じゃない『人として当たり前』を受けとめる介護姿勢
介護現場の「BPSDの特別視」への違和感 私が介護をしていて感じるのは、BPSD(行動・心理症状)というものを特別視しすぎているのではないかという点です。介護者にとっては問題行動として捉えられることも多いものなのですが、その問題は介護者にとっての問題であり、要介護者にとっての困りごとにすぎないということです。しかもその反応は、人間であれば誰もが備えているし、むしろ人間として備えていなければならない精神的な当然の反応であると考えています。 帰宅願望など「危険行動」の捉え方 確かに認知症の人に帰宅願望などがあるとして、出て行ってしまったり、または足元がおぼつかない状態で歩こうとすると
面白い経済学の説があります。それがウィリアム・スタンリー・ジェボンズの太陽黒点説です。これは太陽の黒点が増減すると人間の経済活動にも影響を及ぼすという目を疑うような経済循環説でもあります。太陽が衰えたり、盛んになる周期は約11年なのですが、この周期が経済にも見られるというのです。それもシンクロしたように。この説、現代の宇宙科学をもってすると正しい可能性が出てきています。 太陽というのは活動の周期が存在していて、太陽の磁場はものすごく強い磁力線であり、太陽の磁場によって宇宙からの影響がバリアされています。例えば、遠く大きな星が爆発すると宇宙線と呼ばれる強力な放射線が放出される訳です。放
トヨタ生産方式(TPS)は日本的経営にとって実に有意義な理論であることが伺えました。特にトヨタ生産方式が注目を浴びたのは、石油危機の時代であったと記されています。高度経済成長を遂げた日本が、少しずつ低成長の時代を迎えるとき、多品種少量生産の意義が見直されたということです。 これを裏返してみると、インフレと低成長が重なったあの時代は、まさに令和の現代における経済情勢とも重なるところがあります。円安による原油や原材料価格の上昇によって、コストプッシュインフレーションに陥っていると言われている現代だからこそ学びなおされる意義を感じるところです。 ところで、あの世界恐慌という大不況を乗り切
政府の失敗という言葉は、公共政策において重要な意義を持ちます。それと同時に大きな政府や小さな政府の議論においても必要不可欠な論点でもあります。これについてカルフォルニア大学の経済学者グレーザーとローゼンバーグは「成功する政府と失敗する政府」を著し、その違いについても述べています。 ●効率的な資源配分: 政府は公共財やインフラに投資し、限られた資源を有効活用することが求められる。特に教育や医療、インフラ整備、住宅供給の質が重要となる。適切な課税政策や支出管理によって、経済の安定と成長が実現される。公共「投資」をしっかりと捉える事が重要。 ●ガバナンスと透明性: 政府が透明性を持って
ある時は普段の生活を捉え、ある時は人生の節目を彩り、ある時は今は無き形を遺のこす。そうして大切に用いられてきたカメラには、人の心に寄り添い、共にしてきた歴史が詰まっています。良いものは、いつだって親世代から子世代へ、子世代から孫世代へと受け継がれます。 赤いライトの点滅が次第に早まる。 "パシャッ" まだまだ幼子たちは、集合写真に慣れていないようで、10秒のレリーズの間によそ見をしてしまいます。3枚続けざまに撮影しても、なかなかカメラの方を見るというのは難しいようでした。 私の家では毎年のお正月には、親戚が集まって恒例の宴が開かれていました。少ない親戚であっても、集まって食事を
アメリカの医師であったロバート・バトラーは、老年学の分野において、個人の心理的な健康と社会的な公平性に関する革新的な視点をもたらした人物です。その功績の中でも特に「ライフレビュー」、「エイジズム」、「プロダクティブ・エイジング」、「長寿革命」といった概念を提唱しています。 まず、ライフレビューという考え方は、人生の最終章において過去を振り返ることの重要性を説いています。バトラーは高齢者が自己の経験を再評価し、その意味を見出すことが心理的な健康を維持する鍵であると考えました。このようなプロセスは、単なる懐古ではなく、人生を統合的に理解し、平穏と幸福感をもたらす手段として機能します。
今年は胸や腰の痛みが襲い掛かり、夜も中々眠れない日々が続いていました。やはりこの仕事は身体が資本であり、商売道具です。身体は仕事だけでは無く、人生において最も大切なもの。どれだけ健康に暮らしていけるかがこれからのキーワードにもなっています。同時に経験と知識をどれだけ増やしていけるかも重要な年になりました。 今年Amazonで購入したものを自分で振り返る記事です。 Benazcap X Large 低反発ですメモリークッション 人間工学クッション 腰痛をやわらげ 姿勢を正します オフィスチェア 車椅子 座布団 お尻が痛くならない通気性 滑り止め カバー洗える amzn
日本において社会保障制度が持続可能性を持ち続けるために、必要とされる課題はいくつもあります。そして、これからも常に社会全体で考えていかなければならない問題でもあります。 イギリスの公共政策学者であるジュリアン・ルグランは、「公共政策と人間: 社会保障制度の準市場改革」の中で、特に福祉国家の改革や公共サービスの提供における効率性と公平性を両立させる方法論を提示しています。彼の研究は、政府主導の中央集権的な公共サービスと、自由市場経済のどちらにも偏らない「第三の道」を模索するものであり、その中心に「準市場」の概念があります。 準市場とは、市場の競争原理を導入しながらも、政府が規制や補助
突然の話ですが、私の心には内村鑑三の「デンマルク国の話」が刻み込まれています。この本を読んだ当時、青年であった私の心には感激が身震いするような、心がしびれるほどのもので、やけに感心したのを覚えています。この話は、荒廃した母国の土地に気を植える人々の話なのです。 私にとっては生まれてこのかた、砂漠のような心に、人生においてどれだけの木を植えられるのかという話に感じたものです。 苦心して植えられた木々は、少しずつ成長していき次第に原始林となり、調和を伴って繁茂していきます。このように自生的な秩序が育まれるためには、当初は人間の努力によって、少しずつ少しずつ試行錯誤を繰り返しながら、来る
心理的安全性はあらゆる組織に共通して求められる要素であり、同時に組織にとって最も大切にされるべき要素なのです。Googleの生産性が高いチームの共通点を探す"プロジェクトアリストテレス"においても、生産性向上の柱で最も重要であるとされています。 日々、事故リスクを抱えている介護や医療の現場においては、特にこの"心理的安全性"がとても大きな意義を持ちます。アメリカの経営学者であるエイミー・C・エドモンドソンは、"みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしく居られる文化"のことをそのように定義づけしています。 これは組織論ですが、家族や施設における利用者も同様であると考えます。
昨今、持続可能性のある社会が福祉国家の大きなテーマとして、のしかかっています。特に日本においては、少子高齢化が深刻化した結果。財政問題と絡めて社会福祉も語られています。そんな時に重要な示唆を与えてくれているのが、イギリスの経済学者であるニコラス・バーの理論です。 彼は著書である「福祉の経済学」において、現代の福祉国家が抱える課題と解決方法について述べています。その研究は、21世紀において世界が直面する年金、医療、失業、介護といった福祉分野の問題点を経済学的視点から分析し、経済効率性と公平性の両立を図ることに言及されたものでした。 彼は公的年金、健康保険、失業保険、介護保険は経済的効
介護に従事していると様々な場面において、相手の"話を聞く"ということの重要性を感じます。この仕事は肉体労働として一般的に認知されているように思われますし、社会的にもいわゆる3K労働者と捉えられているようにも感じています。そうした側面が大きいというのも事実ではあるのですが、一方でそれよりも円滑なコミュニケーションがとても重要なのです。 または、その人が自分の意思を相手に伝えられるかどうかに関係なく、いち早くその人のニーズを把握して、それに対応するための洞察力や観察力、そして判断力が求められる職業なのです。このことは、私自身が日夜実感しています。そうした事を考えると、人間の総合力を高めて
対人援助職ならば是非にでも学んでおいた方がいいであろう学問。それが行動経済学だと思っています。行動経済学は経済学に心理学を掛け合わせた学問で、人間の無意識の行動や選択についても解き明かすことができる実学だからです。そして即効力があります。自己の中で無意識に潜む他者に対する偏見などに、いち早く気付くことの出来るスキルなのです。 また自己選択することの重要性については、対人援助職についている人ならば誰でも理解しているところです。人の自己実現には必ずや日々の自己選択が潜んでいて、自己選択は直近における自己決定というニーズ充足の第一歩でもあると考えられるからです。 たとえば我々のような介護
日本の経済学者である宇沢弘文という人は、日本的な価値観を体現している人物のように思えます。鳥取県は米子という所の出身で、戦時中の疎開でお坊さんとの交流もあり、情緒的に育まれた農村の記憶がとても重要な意味を持っているようです。実際に私も米子市に訪れた事もありますが、風情ある素晴らしい郷土を持っているという事が彼の思想に表われているようにも感じられます。 ピタゴラスの定理のように"永遠の生命を持つ真理"の継承。これが数学から経済学へ転向した宇沢が持つ思想の一つでした。そしてのちに記す社会的共通資本の考え方は、そのエッセンスであると綴っています。数学の前に医学も志したことのある彼は、医学が
正義とは何か。 アメリカの哲学者であるマイケル・サンデルは、日本でもハーバード大学で最も人気のある講義を担当している教授として話題になりました。彼の語った正義の形は、ロールズの「正義論」に対するアンチテーゼでもあります。 彼は著書である『これからの「正義」の話をしよう』の中で、功利主義、自由主義、そして美徳。大きく分けて、この3つが正義に関する哲学の大きな潮流だとしています。同時にサンデルは共同体主義の立場から、この功利主義や自由主義の問題点について指摘しました。 ●功利主義とは 功利主義は、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルによって提唱された哲学的立場で、「最大
行動経済学は、経済学に心理学を掛け合わせた実証的な学問です。これにより経済学は、虚学とも捉えることのできる理論的な学問から実学へと導かれることになりました。つまり日常生活の課題解決への応用が可能になっているのです。 介護の世界において、いつも問題になるテーマがあります。それは自立支援を目的にしているはずにも関わらず、かえって本人が現在持っている既存の能力を奪ってしまう。そんなことが日常の介護現場で起こりかねないということです。人手や時間に限りがあり、安全意識が重要な課題でもある介護の世界にとって、"移動"というプロセスだけをとっても大きな課題があります。 車いすを介護者が押せば、安
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない。」 オーストリア大学でフロイトやアドラーに師事し、心理学を修めた精神科医でもある心理学者ヴィクトール・E・フランクル。彼は第二次世界大戦における強制収容所での体験を精神分析と共に「夜と霧」に著しました。 なんら罪もない善良な市民だったはずの人々が強制収容所送りにされる理不尽極まりない状況。その上で、健康で労働力として使える価値のある者だけが、事実上"残される"ことを許されます。残された人々も名前すらない、存在するのは自分の胸に記された番号のみ。過去何をしてきたか、そして何者であったかは一切不要とされる環境でした。 家畜よりも悪
日々5分間の努力を達成すること。これによりあらゆるスキルアップを狙えるのではないかと思っています。それにも関わらず、やりたいことが多すぎてしまうと、その5分の努力を放棄してしまっている自分がいたりするのです。最近はNoteにハマっていて、結構時間が溶けていっています。「なぜ5分の努力すら出来ないのだろう。」 このように何か一つのタスクに集中してしまえば、他のタスクやToDoが疎かになってしまうという現実について試案したいところ。 5分というのは本当に短いけれど、この5分の積み重ねが"塵も積もれば山となる"という諺からすれば、将来に大きな差になって現れる筈。やりたいことが山積していた
「昔は父も兄が出征して亡くなったから、男手が無くなって馬車馬を私が引いて働いたのよ。だから、足腰が誰よりも強くなった。仕事をするのは好きだからね。」 この方の約1世紀を生きながらえた不屈の精神力には尊敬の念に堪えません。女性であっても男性と同じ仕事を苦にせず我武者羅に働いてこられたとのこと。田畑を耕し、作物を植え、出荷する。それだけでなく、時にキビを植えて家庭で箒を作っていたそうです。そしてその箒はとても評判で売れたそうです。 高齢者の知恵というのは非常に深いものがあり、我々が勝手知らぬ生活の知恵や多くの実業の方法を知っておられます。「何でも聞いてください。何でもしてきましたから。
認知症ケアでは、日本においても革命だと言われる考え方が広まりを見せています。その考え方はフランスを由来としたユマニチュードの考え方です。私は全ての事柄に共通して、理想の理念を掲げる事は大切な事だと思っています。現実と理想の狭間で常に葛藤されてきたのが社会であり、人間なのですから。 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 世界人権宣言・第一条 ユマニチュードの考え方は、世界人権宣言のような個人の自由と自律の尊重こそが民主主義を支えている。強者が全てを
私の介護職としての経験論、いや人間として重要なのは、やはり挨拶です。挨拶というのは最高の飛び道具です。なぜなら私の気持ちを相手に投げ、相手がそれを受け取って投げ返す。その会話が成立するかどうか、相手の体調はどうかを見極め得る最高の道具として常に存在してきたからです。 急にこちらのしたいことや終わらせたいことを提案するのではなく、「おはようございます」というボールが返ってこない場合には、そのままでは相手がこちらを認識していないか、聞き入れる態勢に無いという事を教えてくれるからです。まず一人一人に挨拶をしていると、今日の気分が分かりますし、一日のコミュニケーションが非常に円滑です。 挨
真理を見通す力、真実への探求。これは人類が欲してやまない能力ではないでしょうか。一体全体どれが本当の事なのか分からなければ、常に疑心暗鬼になって不思議ではありません。 この場合に道標となるのは、球を捉える概念です。 ある方向からその物を捉えたとしても、球という形であるかどうかは判別できません。球体である事を理解するためには、あらゆる角度から物を捉えなくてはなりません。そうすると朧気ながら見えてきます。更に言えば、見るという行為だけでは形のみしか分かりません。そこで必要になるのは五感です。 我々人間には、視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(感じる)が備わ
「体が資本」まさに健康というものは、誰もが最も必要とする掛け替えのないもの。健康寿命さえ高まれば、人生の幸福度や満足度を充足させ、よりよい人生を長く送ることが出来るはずです。私の願望として、たとえ命の灯が消える日時が定まっていたとしても、より長く日常生活を不安なく送れる程度に健康でありたいところです。 この考え方について、アメリカの経済学者であるマイケル・グロスマンは、健康がどのようにして人の幸福に寄与するか、またその健康を維持改善するために選択する行動についても経済学的な意思決定の観点から提示しています。 健康消費(Health Consumption):健康な身体そのものが
2か月勉強で介護福祉士/ケアマネジャー試験に一発で合格する方法
私は介護施設で働いていく中で、多くの同僚が介護福祉士やケアマネジャーの試験に泣かされているところを多く見て来ました。情熱をもって取り組み、そして仕事に励み、その結果として試験に落ちてしまう。その辛さは、私も痛感しています。あなたの知識欲と向上心は必ずや介護に必要とされる人材であることを表しています。 そしてまた、試験に必要とされる知識、そして勉強の経験は誰にとっても重要であるからこそ、このノウハウについて記しておきたいと考えています。 私は地方公立高校を卒業し、地方私立大学を卒業しましたが、決してそれまで学業が優秀な人間ではありませんでした。はっきり言って落ちこぼれです。しかし、公
歳を取れば誰しも、見た目だけでも老いを感じるものです。歳を重ねて10代の見た目であろうとするのは無理難題。そうすると必然とどのように年を重ねていくほうが良いのか、より健康で居たい、成熟した人間でありたいという願望が生まれてきます。 実は、老化というものに密接に関係しているのが糖化です。"老化とは糖化である"と言い換えても良いでしょう。なぜなら糖化は老化の促進因子だとされているからです。"体のコゲ"とも表現される糖化は、余分な糖質が体内でタンパク質と結びついて細胞を劣化させます。そうして、表面的には皮膚などに現れるシミやたるみの原因となっているのです。 老化はAGEsが蓄積されること
山本周五郎著「赤ひげ診療譚」は、小石川養生所の“赤ひげ"と呼ばれる医師と、見習い医師との魂のふれ合いを中心に、貧しさと病苦の中でも逞しい江戸庶民の姿を描いた連作短編時代小説集。実在した江戸の町医者、小川笙船をモデルにした活劇。黒澤明「赤ひげ」の原作。2012年から全国の都道府県医師会の推薦した「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師」を赤ひげ大賞として顕彰している。 医療というものにも必ず限界があります。そしてその限界を誰もが知り、認めるべきなのです。医療というと目の前の患者の傷病を治すという事だけが使命であるように捉えられがちです。確かにそれは一
私は介護職員として働く前からずっと所謂、一般的に言われるような社交的で積極的なコミュニケーション能力に秀でた人ではありませんでした。しかし、広く浅い関係性よりも、狭くとも深い関りを求めて来ました。その深い関りというのは、私の妻、家族や友人がしてくれたような関係です。 温かみがあり、たとえ一見厳しいようでいても、相手のことを真剣に考えているのだと感じさせる関係です。私はこのような関係性を互いに"尊敬"することだと感じていました。幼い頃から培った経験や元来の性格も組み合わさって、相互理解は、このような相手に対する尊敬の念の上に成り立つのではないかと考えてきたのです。 私のこのような理解
「これからをどう生きるか、何をしたいのか」この問いは介護に携わる者にとって、いつも重要なテーマとなり続けています。日々の言動に耳を傾け、目を凝らすこと。生活の些細な事柄からニーズであろうものを把握し、それを充足していくこと。これこそが利用者の効用を高める原動力であり、ひいてはその人らしく生きるという介護の在り方にとっての羅針盤となります。 たとえ認知症で少しずつ物事を忘れていくという段階にあっても、人の役に立ちたいという気持ちは誰もが持ち続けています。 他者の洗濯物を畳んであげたり、野菜の皮むきをしたり、苦戦する車いすを押してあげようとしたり、症状が進行していても優しく声を掛けて手
医療や福祉といった分野は、縁の下の力持ちとも言え、社会基板でもあるエッセンシャルワークです。同時にたとえ機械化や自動化が進んだとしても完全に置き換わることは難しく、労働者による人的資本が中心を担い続ける必要のある労働集約的産業でもあります。この労働集約的産業が抱えた問題を提唱し、公的支援の必要性を示したのがアメリカの経済学者、ウィリアム・ボーモルでした。 社会が目まぐるしく変化していく中で、自動車や精密機器など資本集約的な産業が技術革新によってどんどんと生産効率性を向上させてきました。しかし、同時にクラシックのオーケストラで弦楽四重奏を奏でるのに必要な演奏家の数、看護師が包帯を巻くの
「はい、チーズ!」カメラを向けるとよそ行き顔。たった今、あんなに嬉々として素敵な笑顔だったのに…。 季節が巡るごとに、一緒に梅干しを作ったり、お花見に行ったり、その時々で本人や家族に手渡す手紙や写真。いつも大切にしまわれていて、暇があればそれを眺めている姿は、日頃から傍にいる人間の一人として、とても印象に残っています。そして家族にとっても、その写真はいつかお金には代える事が出来ない財産になったりします。たった今のその瞬間が、きっと掛け替えのない誰かの宝物になるに違いありません。 笑うという行為自体が感情と密接にリンクしていて、面白いから笑うと同時に笑うから面白いという事も出来ます。
現在の認知症介護では当然ともいえますが、拘束や抑制に関して、原則禁止。身体拘束ゼロが指針となっています。また高齢者のプライバシー等の人権尊重は当然守るべきものとして捉えられています。しかしながら、このような認知症介護の歴史は決して長いとは言えないものです。 日本においては、1950年に精神衛生法が施行されるまでの間、世間から隔絶され、自宅の離れに隔離するなどの事実上の"座敷牢"が存在していたのです。勿論、それまで社会に任せることも不安な状況であったことも要因であったようですが、それ以降にようやく治療に重きが置かれ始めました。 1972年になると有吉佐和子氏の「恍惚の人」が発表。この
日々私は、自分が世間の常識と乖離していないだろうかといつも心配になります。介護分野に携わるにあたって、専門職としての技術や知識を身につけなければならないのだと、多くの諸先輩方から指導されてきました。しかし、私は寧ろ介護という分野においては、技術よりも大切なものがあると思っている節があります。だからこそ不安になるのです。 特に介護において、やはり生活者として共に歩むという心持ちが重要になるのではないでしょうか。この場合、家族介護というものが、如何に素晴らしいものであろうかといつも考えます。というのも、実際に施設に預けるよりも家族が介護するのが一番良いという意味ではなく、家族が介護するよ
「認知症は大変。」そんなことを思ってしまった事に罪悪感を覚えることも介護者にはきっとあると思います。 日々介護に携わる中で、たとえ要介護者が認知症であっても、人と人との交流であることにまったく変わりがない事を実感します。だから自分と相手との関係では、鏡とか、池やガラスに反射する風景のように、相手には少なからず、私自身の態度も映し出されているとさえも思えるのです。 きっと誰しも相手から好感を持たれれば、人は好感で返し、人からぞんざいな扱いを受ければ、それ相応に対応するでしょう。勿論、人と人との関係では相互の感情や思いが交錯し、思いが伝わらないとか、すれ違う事も多くありますが、そうした
ケアマネジャーが作成するケアプランというものをご存じでしょうか。このプランは、その人の事だけを考えて、その人の為だけに作成されます。他の人と同じようなニーズであっても、同じサービスが提供されているわけではありません。 そしてこれは、介護保険を用いたサービスが提供される際に必要になる計画書の一つなのです。簡単に言うと、本人の思いを中心に組み立てられた目標。それに向かって、本人を支える関係者が一丸となって取り組む、一人一人の役割を認識する為にも重要になる書類です。 基本的には、居宅介護サービス計画書というものがケアプランに該当するもので、本人のニーズを基礎にして"援助の方針"や"長期目
最後まで残っている記憶というのは、とても美しく大切にしまわれた記憶だと認識します。たとえ日ごろの事は忘れてしまっていても、いつまでもハーモニカを奏でられる方がおられました。周囲の人も聞き入ってしまう程の腕前でしたが、父が奏で、そうして兄に手渡されたされたハーモニカ。 「兄は興味を失くしたから、私が勝手に覚えたの」 「あなたもやってごらんなさい。あなたならすぐにうまくなって、そしていつまでも励みになるのよ」 出征して若くして亡くなったお兄様や既に亡くなったお父様との繋がりだったのかもしれません。きっとご自身で奏でるハーモニカの音が人生の支えになり、生きてこられたのだと思います。そし
「お互いにとってより良い介護ってなんだろう?」 時にすれ違い、感情が交錯することで生まれる衝突。認知症介護にはつきものです。 認知症になると、同じ話を何度も繰り返すとか、何度もトイレに行こうとするとか、自宅にいるのに「帰る」と言い出すとか、ご飯を食べたことを忘れるとか、汚物が箪笥に入れられているとか、物を失くし突飛なところから出てくるとか、何度も見回りを繰り返すとか、急に泣いたり怒ったり、いわゆる徘徊する、好きだった風呂が嫌いになる、そうした事がきっと増えてくるに違いありません。 介護者の側からすると、要介護者のこのような変化には少なからず戸惑いが生じます。以前の姿を知っている身
なぜ介護というものに、専門性を持たせるのだろうと思う事があります。それは、介護職のする介護と家族のする介護の本質にはきっと大きな差は無く、寧ろそこから乖離しすぎてはならないのではないかと思えるからです。 介護はその人を全人的に把握するところから始まります。その人がどうしたいのか、どうしてほしいのかを考える手がかりは、あらまし家族や馴染の関係では当然に理解している事柄でもあります。しかしながら、それとは裏腹にかえって自分の家族であるからこそ、確執が生まれる事だってありがちです。 それは身近であればあるほど、その人のことを思えばこそ起こり得る摩擦なのです。全くの赤の他人であれば許せるこ
【第27回ケアマネ試験】解答速報と難易度、合格ラインなどを現役ケアマネが徹底解説!
今回【実録】介護の本質chからは、令和6年10月13日に行われた「第27回ケアマネ試験」についての解答速報並びに本試験において「気になる問題」を現役ケアマネの筆者が徹底解説!難易度や合格ライン、合格率などについての大胆な予測も併せてお伝えします。
「生き生きと伴走する介護者が増えれば…」慢性的な人手不足が続く介護業界で現役ケアマネージャー奮闘!【アスヨク!】<br />
会議室で、和気あいあいと話をしているのは…。 男性: 訪問介護員でサービス提供責任者を。 女性: 施設でケアマネージャーをしています。 【画像】「未来をつくるkaigoカフェ」を立ち上げた高瀬比左子さんはこちら 皆さん介護に関わる職業の方々。 ここは、介護の職種の垣根を超えて交流する“集いの場”。 その名も「未来をつくるkaigo(かいご)カフェ」。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b007202c953aa35c5e…