メインカテゴリーを選択しなおす
こんにちは、暖淡堂です。 今回は「義経記」の冒頭になります。 この部分で、数人の名将、豪傑たちがあげられています。 それらは、義経記の時代の人にとっては、伝説の人、歴史に登場する人物。 しかし義経記の作者は、義経の事をじかに見て知っているのだ、読んでいる人たちも、そうだろうと、確かめるように聞いています。 義朝都落(みやこおち)の事 そもそも、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、藤原利仁(ふじわらのとしひと)、平将門(たいらのまさかど)、藤原純友(ふじわらのすみとも)、藤原保昌(ふじわらのほうしょう)、源頼光(みなもとのらいこう)、漢の国の樊噲(はんかい)、陳平(ちんぺい)、張良(ちょうり…
大河ドラマ「光る君へ」で注目!源氏物語が小学生にもおすすめな理由
2024年1月からスタートした、NHK大河ドラマ「光る君へ」は、平安時代に源氏物語を書いた、紫式部が主人公の物語です。国語や古典の授業でも、登場しますよね。そう聞くと、親しみにくいかもしれません。でも実は、小学生にもおすすめの物語なんですよ。
こんにちは、暖淡堂です。 「左遷」で気になった「左」のこと。 結局「どうしてか?」は明らかにならなかったのですが、色々と調べてみて、知識は増えました。 で、まだ考えていて、思い出したことがあります。 忘れていたことに、自分でちょっと驚いたこと。 実は「論語」の中の管仲について述べた部分に、「左」が出てきます。 論語巻七憲問第十四に以下の文章があります。 子貢曰、管仲非仁者與、桓公殺公子糾、不能死、又相之、子曰、管仲相桓公霸諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髮左衽矣、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆而莫之知也、 論語巻七憲問第十四 アンダーラインをつけた部分の「左衽さじん」は、着物の…
こんにちは、暖淡堂です。 ジェームズ・ジローさんのブログ記事に「左遷」のことが書かれていました。 1月25日は菅原道真(菅公)が太宰府に左遷された日とのことです。 kuu-ki.hatenablog.com で、気になったのが左遷の「左」。 なんで「左(ひだり)」なんでしょうね。 goo辞書には以下のように書かれていますが、どうして右がよくて左がよくないのかがわかりません。 dictionary.goo.ne.jp 我が家の書棚にある白川静さんの「常用字解」によると「左」は神に仕える人(巫祝)が左手に呪具(工)を持つ姿で、神のいる所を尋ね、神の助けを求める、という意味だそうです。 で、一方の「…
こんにちは、暖淡堂です。 古典の「義経記」をゆっくりと紹介していきたいと思います。 暖淡堂による現代訳を少しずつ掲載します。 ほぼ一回一文くらいずつのペースです。 「義経記」とは、あの、源義経を主人公にした物語です。 「平家物語」を読み終えた後、なんとなく読みたくなって探していました。 現代語訳はいくつかあったのですが、原文が確認できるものを古書で入手できないかな、と思って。 底本は、数年前に神田の古書店街で行われた古本まつりで入手した、日本古典文学大系<三一>義経記です。梶原正昭さんの校注・訳です。 「岩波書店 日本古典文学大系」より芝居物中心10冊 義経記・御伽草子・狂言集・浄瑠璃集・曽我…
「思ひわび さても命は あるものを」 道因法師 生涯歌に執着した歌人
百人一首第82番目の歌の作者は道因法師どういんほうしです。 俗名は藤原敦頼ふじわらのあつより。 90歳になっても歌合に参加していたという人です。 今回は道因法師について紹介します。 道因法師とは 生年は1090年、没年は1182年。 藤原北家に連なる人ですが、官位は高くなく、晩年は出家しました。 出家した頃は80歳を越えていたようですが、歌道への執着は強く、もっといい歌が詠めるようにと、大坂の住吉大社まで毎月詣でていたようです。 百人一首に選ばれている歌も、恋の歌として読むことはできますが、道因法師自身の歌道への思いとも読み取ることもできますね。 時代背景 青空文庫に尾崎士郎による現代語訳があ…
#305 本レビュー『平家物語絵巻』~日本の古典『平家物語』を読むため
『平家物語』の副読本等で目にする絵巻の絵が、林原美術館所蔵の絵でそれが1冊にまとめられている知り、『平家物語絵巻 』楽しませていただきました。 これでビジュア…
「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば」 後徳大寺左大臣 初夏の朝に動く空気
百人一首第81番目の歌の作者は後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじんです。 後徳大寺左大臣とは藤原実定のこと。 後とつくのは、祖父の徳大寺(藤原)実能が徳大寺左大臣と呼ばれていたことから。 今回は後徳大寺左大臣について紹介します。 後徳大寺左大臣とは 生年は1139年、没年は1192年。 晩年は源平の騒乱の渦中に生きました。 官位は正二位、左大臣。 若くして公卿に列せられたが、平清盛が権勢の中心にいた時期は不遇であった。 平家衰亡のあとは、源義経を立て、源頼朝追討に賛同。 源義経は結局都落ちしますが、その後源頼朝により議奏公卿に推挙されます。 それからは朝廷と幕府の間での調整役として働きました…
百人一首の第71歌から第80歌までをまとめます。 政治の実権を天皇が取り戻しつつあった時代の歌人の歌が中心になっています。 藤原氏も十分に権勢を持っていましたが。 白河院(白河天皇)から保元の乱、平治の乱、さらには源平の抗争の時期の中心人物や周辺にいた人たちの歌が選ばれています。 今回紹介した中では、やはり崇徳院の歌が印象的です。 歌が作られた頃と、その後その歌人が辿った歴史を見ると、人には思いがけない出来事が訪れるものだと知ることができますね。 おそらく僕たち一人一人にも、思いがけないことが続けて起こっているのだと。 百人一首を順に読んでいくことで、様々なことを改めて学んでいます。 dant…
人気ブログランキング ヨハン·ヴォルフガング·フォン·ゲーテという名前は、本当に素敵だと思う。これは絶対的に、個人的なことだが、"語感が良いのだ"。 立派な作家だから、よく聞こえるのだ。最初からゲーテという名前が、良かったのでは、なかっただ
On est déjà en 2024, le temps passe impuissamment. Une amie cinéphile m'a annoncé qu'elle arrêtait son blog. Je pense que le blog n'est pas ...
「長からむ 心も知らず 黒髪の」 待賢門院堀河 黒髪の乱れが象徴するもの
百人一首第80番目の歌の作者は待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわです。 女房三十六歌仙、中古六歌仙の一人です。 今回は待賢門院堀河について紹介します。 待賢門院堀河とは 生年、没年、いずれも不詳。 その他も詳しくは伝わっていません。 父は神祇伯 源顕仲で、村上源氏に連なる家系。 白河院の皇女二条大宮令子内親王や鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に出仕します。 この待賢門院藤原璋子に仕えたときに堀河と呼ばれるようになります。 百人一首に選ばれた歌で、中心的な題材となっている黒髪。 この黒髪には女性の情念が象徴されています。 黒髪の寝乱れた様子からは、愛人と過ごした夜を思い出す心が想われます。 ま…
ゴテゴテと付け足すことは、物事を解決するための手段にならない 「菅子四篇ー心術上」から
こんにちは、暖淡堂です。 「菅子四篇」からまた一文を紹介します。「菅子四篇」の「心術上」から。 原文:人者、立於強、務於善、未於能、動於故者也。 書き…
自分の位置を見失うと、周囲の人は不安になる 「菅子四篇ー心術上」から
こんにちは、暖淡堂です。 「菅子四篇」から一文を紹介します。今回も「菅子四篇」の「心術上」から。 原文:人主者立於陰。陰者靜。故曰、動則失位。陰則能制陽矣…
2024年もどうぞよろしくお願いします。 暖淡堂の書籍一覧(20240103)
こんにちは、暖淡堂です。お正月、いかがお過ごしでしょうか。今年は、穏やかなお正月とは言えないような出来事が続いていますね。寒い中、避難生活をされている方々…
「淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に」 源兼昌 光源氏が侘び住まいした「須磨」の情景を詠う
百人一首第78番目の歌の作者は源兼昌みなもとのかねまさです。 宇多源氏に連なる人で、当時の歌壇で活躍しました。 今回は源兼昌について紹介します。 源兼昌とは 生没年は不詳です。 官位は従五位下まで。 あまり官位には恵まれませんでした。 後に出家したようです。 当時の歌壇で活躍し、勅撰和歌集に数首歌が選ばれている実力者ですが、出世にはつながらなかったようですね。 百人一首に選ばれている歌は「金葉和歌集」に収められているものです。 時代背景 歌に出てくる「須磨」とは、現在の神戸市須磨区。 対岸に淡路島が見えます。 千鳥は須磨と淡路島の間を往き来しては、物悲しく鳴きます。 平安時代の前期頃までは、摂…
#338 本レビュー『新版 平家物語(四)』訳 杉本圭三郎 ~とにかく読了 日本の古典~
2023年の読書活動テーマ ”とにかく読了 日本の古典『新版 平家物語(四) 全訳注 (講談社学術文庫)』を読み終えました。確かに平家一門は消えたが、源氏方も…
百人一首第77番目の歌の作者は崇徳院すとくいんです。 前回の藤原忠通とともに保元の乱の中心人物。 崇徳院は騒乱の敗者となります。 今回は崇徳院について紹介します。 崇徳院とは 生年1119年、没年は1164年。 第75代天皇です。 鳥羽天皇の第一皇子。 母は待賢門院(藤原)璋子たまこ。 ただ、本当の父は鳥羽天皇の父、崇徳天皇の祖父にあたる白河天皇であるとの疑惑があります。 そのためか鳥羽天皇は崇徳天皇を嫌います。 それが保元の乱の一因とも考えられています。 崇徳天皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に配流となります。 その地で亡くなりました。 髪を伸ばし放題にし、爪を切ることもなく、生きながら天狗になっ…
#348 『新版 平家物語』 を読み終えて~とにかく読了 日本の古典~
2023年の読書活動テーマ ”とにかく読了 日本の古典『平家物語』を読み終えましたので、その全体を通しての感想。史実をベースにした中世版の大河ドラマ!?な作品…
#351 吉川英治先生の『新・平家物語』 を読む~とにかく読了 日本の古典~
2023年の読書活動テーマ ”とにかく読了 日本の古典『平家物語』を読み終えましたので、現代作家ならどう描くのかと思い選んだシリーズ吉川英治版『平家物語』を読…
「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の」 法性寺入道前関白太政大臣 闘争の日々の中での心の解放
百人一首第76番目の歌の作者は法性寺入道前関白太政大臣ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん、藤原忠通です。 藤原忠通は保元の乱の中心人物。 弟の藤原頼長と闘い、藤原氏の頂点に立ちます。 動乱の時代の中心で生きた人です。 今回は法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)について紹介します。 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)とは 生年1097年、没年は1164年。 藤原北家の人で、父は関白藤原忠実です。 藤原忠通は25歳で鳥羽天皇の関白となります。 その後も崇徳天皇、鳥羽天皇、後白河天皇の3代にわたって摂政、関白を務めました。 保元の乱、平治の乱を通じて肉親との対立がありました。 …
こんにちは、暖淡堂です。 中国の古典「管子四篇」の「心術」を紹介しています。はるか昔の人が書いた文章を読みながら、時代を超えて語りかける声に耳を澄ましてみましょう。 心處其道、九竅循理。 この漢字八文字を少しずつ読んでみたいと思います。 心處其道 九竅循理 道と理 心處其道 處しょは処の旧字体で「いる、とどまる」、また其きは「それ、その」という意味です。 読み下し文は「心がその道におれば」。 「その道」は「それ本来の道」。 心が本来あるべき道にいれば、という読み方になります。 九竅循理 「九竅きょう」は九つの穴、身体にある感覚器官のことでした。 循じゅんは「守り行う、したがう」という意味です。…
【臨済録を読む】示衆(2)「今日多般用處、欠少什麼。」(今日さまざまな現象として目に見えることには、なにも欠けたものなどいないのだ) ないもの探しの無意味さについて 原文と現代語訳
こんにちは、暖淡堂です。 「臨済録」の示衆から。 臨済の下に集まって教えを乞う僧たちは、きまって、今自分が持っていないものを求めています。 自分が理解できていないもの、知らないもの、所有していないもの。 そんなものが、禅を修行することで得られると信じているようなのです。 そんな僧たちに対して、臨在は丁寧に説明します。 その中の一文。 原文:今日多般用處、欠少什麼 現代語訳:今日さまざまな現象として目に見えることには、なにも欠けたものなどいないのだ この世には、全てがあり、何かが欠けている訳ではない。 一人一人の人間にも、必要なものは全てあり、不足しているものはない。 それに気づかないだけだ。 …
「契りおきし させもが露を 命にて」 藤原基俊 子の出世を気にかけた親の心情
百人一首第75番目の歌の作者は藤原基俊ふじわらのもととしです。 百人一首の選者藤原定家の父、藤原俊成の和歌の師でもありました。 今回は藤原基俊について紹介します。 藤原基俊とは 生年が1060年、没年は1142年で、平安時代後期の人。 権勢の中心にいた藤原北家の一人です。 藤原道長の曾孫にあたりますが、生涯高い官位にはつきませんでした。 晩年は出家し覚舜と称しました。 歌人、書家として評価されました。 藤原基俊の子は律師光覚としい、奈良興福寺の僧でした。 この光覚を、興福寺で開催される維摩会の講師に選ばれるようにさせてあげたく、時の権力者藤原忠通に頼みました。 藤原忠通は、期待させるようなこと…
#377 本レビュー『新・平家物語(11)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平家の都落ちから西国放浪と木曽義仲入京による「武門の面目・誉れ」と暗転するその「武門の宿命・定め」『新・平家物語(十一) (新潮文庫)』を読了しました。 平家…
#380 本レビュー『新・平家物語(12)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平家を都から追い落として英雄になったはずの木曽義仲が”盛者必衰の理”で退場し、次の”盛者”の源義経が入京した『新・平家物語(十二) (新潮文庫)』について木曽…
#384 本レビュー『新・平家物語(13)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
一ノ谷・生田の戦いで、源範頼・義経率いる鎌倉殿の軍により散々に破れ、敦盛・忠度などの一門を多く失った平家が描かれている『新・平家物語(十三) (新潮文庫)』に…
「うかりける 人を初瀬の 山おろしよ」 源俊頼朝臣 神仏に祈った恋のゆくえ
百人一首第74番目の歌の作者は源俊頼朝臣みなもとのとしよりあそんです。 歌人、楽人として活躍し、白河院政期には勅撰集の選者となりました。 今回は源俊頼朝臣について紹介します。 源俊頼朝臣とは 生年が1055年、没年は1129年。 宇多源氏に連なる一人です。 歌人として、楽人として、その才能を評価された人でした。 また能書家の家系の人でもあり、その書がいくつか残されています。 歌人としては、白河上皇の院政期に、五番目の勅撰集「金葉和歌集」の撰集を行っています。 藤原定家は、百人一首に選んだ源俊頼の歌を高く評価していました。 この歌を踏まえて、「新古今和歌集」に収められている、次の歌を詠んでいます…
#394 本レビュー『新・平家物語(15)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
頼朝からようやく平家追討の指令が下って平家の屋島で戦う源義経を描いた『新・平家物語(十五) (新潮文庫)』について戦の天才!源義経の再出陣で四国の屋島へ新・平…
そろそろ熱燗、お湯割り、部屋を暖かくしてハイボール 暖淡堂の書籍一覧(20231118)
こんにちは、暖淡堂です。 秋から冬にかけて、日本酒にシフトします。時々は熱燗にしたりもしていますね。お正月ごろには濁酒も楽しんだり。芋焼酎のお湯割も捨てが…
今年の寒さ対策は膝掛けと電気ストーブ でも作業は進まず 暖淡堂の書籍一覧(20231112)
こんにちは、暖淡堂です。 そろそろ暖房の準備をしようと思っています。急に寒くなったので、ちょっと慌てています。 電気ストーブは以下を愛用しています。コンパ…
相変わらず作業は進んでいません ただ書くだけの日々で 暖淡堂の書籍一覧(20231104)
こんにちは、暖淡堂です。 急に涼しくなったかなと思っていたら、また暑くなってしまいました。今年の季節はなかなか曲ものですね。皆様、体調など崩されませんよう…
#397 本レビュー『新・平家物語(16)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
屋島の戦い後半の那須与一の海上の扇を弓で射る話から壇ノ浦の戦い寸前までを描いた『新・平家物語(十六) (新潮文庫)』について宗盛の失策で反撃勝利を逃した平家、…
「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり」 前中納言匡房 高砂の遠景、外山の近景
百人一首第73番目の歌の作者は前中納言匡房さきのちゅうなごんまさふさです。 後三条天皇、白河天皇ら諸天皇に使えました。 漢学者としては東大随一と言われました。 今回は前中納言匡房について紹介します。 前中納言(大江)匡房とは 生年が1041年、没年は1111年。 大江匡衡と赤染衛門(百人一首59番目の歌の作者)の曾孫です。 大江家は代々学者の家系。 国房もまた学者として高く評価されていました。 子供の頃には神童とも呼ばれていました。 後冷泉天皇、後三条天皇、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇らに支えました。 特に白河天皇期および退位後の院政期には、その意見が重用されていたようです。 晩年、大宰権帥を…
#407 本レビュー『新・平家物語(19)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
頼朝をはじめとする鎌倉武士らの前で義経への思いを歌い踊る静御前の白拍子の畢竟の悲曲の舞に心揺さぶられる『新・平家物語(十九) (新潮文庫)』について大業のため…
#413 まとめ『新・平家物語』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
『吉川英治 新平家物語 新潮文庫 全巻セット 20巻セット』の各巻のレビューまとめ吉川英治 新平家物語 新潮文庫 全巻セット 20巻セット 『#355 本レビ…
#416『新・平家物語』吉川英治を読んで ~とにかく読了 日本の古典~
吉川英治先生の戦後初の長編小説『吉川英治 新平家物語 新潮文庫 全巻セット 20巻セット』の全体を通しての感想庶民の幸せとは何かを、源平の兵火から戦の天才、源…
#418 本レビュー『平家物語』古川日出男訳 ~とにかく読了 日本の古典~
TVアニメ『平家物語』の底本といわれる『平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 全30巻)』を読み終えましたので、その本について古川日出男さん訳の演出で…
#425 本レビュー『宮尾本 平家物語(1)青龍之巻』宮尾登美子 ~とにかく読了 日本の古典~
大河ドラマ『義経』の底本の『宮尾本 平家物語〈1〉青龍之巻』を読み終えましたので、その本の感想について白河・鳥羽院のご乱倫が引き起こすこととなる戦乱宮尾本 平…
自慢じゃありませんが 小中高と ありとあらゆる理由を駆使して 学校をサボっていました。 何でか?何だったか今も分からない 大学に入って よほど古典が性に合ったのか 国文学系授業は皆勤で受けました←他は・・ 今回公開講座の一つとして 放送大学教授 髙津 孝先生の 「論語講読等...
【臨済録を読む】示衆(1)「師晚參示衆云」(師は晚參の時、衆に対して言った) 臨済の説法の根底にある態度について 原文と現代語訳
こんにちは、暖淡堂です。 今回から「臨済録」の示衆の部分を少しずつ紹介します。 示衆には晩参(夜に行われた説法)で、臨済と参加者との間で交わされた言葉が記録されています。 臨済の教えの全体像を把握するには、この部分の精読が欠かせません。 一方で、臨済自身は、先人の文字を大切なものとして読み込むことを「黒豆拾い」のような言い方で、切って捨てています。 さて、私たちはどうしたらいいのでしょう。 それもまた、私たちが取り組まなければいけない問いなのでしょうね。 一文を紹介します。 原文:師晚參示衆云 現代語訳:師は晚參の時、衆に対して言った この部分の大意は、ほぼ言葉通りに理解していいかと思います。…
「夕されば 門田の稲葉 おとづれて」 大納言経信 異形の鬼と出会った歌人 さわやかに秋の情景を歌う
百人一首第71番目の歌の作者は大納言経信だいなごんつねのぶです。 藤原頼通が政治の中心にいた頃から、後三条天皇、白河天皇の院政期に至るまで歌壇の中央で活躍していました。 今回は大納言経信について紹介します。 大納言経信とは 大納言経信(源経信)の生年は1016年、没年は1097年。 宇多源氏につらなる人です。 後一条天皇の時に従五位下となります(1030年)。 その後も歴代の天皇に仕え、1070年に正二位、1091年には大納言となります。 1094年に大宰権帥となり、1095年任地に下向。 そのままその地で亡くなりました。 詩歌や管弦などの芸に秀で、また有職故実にも通じていました。 歌人として…
百人一首の第61歌から第70歌までをまとめます。 藤原道長が権勢を極めた時代から、地方で平氏、源氏、それぞれが力をつけ始めた頃までになります。 また、世の中から少し距離を取り、僧侶となった人たちの作品もいくつか見られましたね。 dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dant…
言わずと知れたインデックス投資家のバイブル本『敗者のゲーム』(チャールズ・エリス)です。 「市場平均を超える」ことに、多くの投資家が挑みますが、「その投資家が市場そのもの」であるが故、売り手と買い手の損益は合計すればゼロであり、手数料等を考
戦国武将たちはなぜ「十八史略」を読んだのか 還暦と定年を機会に古典を学び直すために最適な入り口
こんにちは、暖淡堂です。 還暦や定年を機会に古典を学び直すのはとても有意義なことだと考えています。 人生経験も十分に積んでいるので、古典を読むときの理解が、若い頃よりもずっと深くなっていることに気づくはず。 改めて古典を読もうと思った場合、では何から読み始めるのがよいでしょうか。 書店で入門書や解説書などがたくさん売られている論語や老子、荘子などの東洋思想の書物をまず手に取るのがよいでしょうか。 それとも翻訳や小説化されている水滸伝や三国演義などから読むのがよいでしょうか。 そのどれから読み始められるのも、十分に楽しめるし、学ぶことも多いかと思います。 暖淡堂の一番のオススメは、歴史書です。 …
「さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば」 良暹法師 秋の夕暮れを多くの人が愛した
百人一首第70番目の歌の作者は良暹法師りょうぜんほうしです。 この人も僧侶で歌人です。 今回は良暹法師について紹介します。 良暹法師とは 生没年不詳。 生年1000年頃、没年1065年頃とする説があります。 天台宗の僧で、朱雀天皇、後冷泉天皇の頃に歌人として活躍しました。 祇園別当にもなったとされています。 一時期、大原に隠棲したと伝えられています。 百人一首に選ばれた歌は、その頃に住んだ庵で経験した情景を詠んだものかもしれません。 前回紹介した歌も、秋を詠んだもの。 この時代の人たちは、秋の情景を愛していたのでしょうね。 dantandho.hatenadiary.com 時代背景 「扶桑略…
「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は」 能因法師 秋の情景に思いを馳せて詠った
百人一首第68番目の歌の作者は能因法師のういんほうしです。 僧侶で歌人。中古三十六歌仙の一人です。 今回は能因法師について紹介します。 能因法師とは 生年988年、没年1050年(または1070年)。 俗名は橘永愷たちばなのながやす。 和歌に堪能で、諸国を旅し、その情景を詠った歌が残されています。 百人一首に選ばれた歌は後冷泉天皇の頃の内裏歌合で詠まれたもの。 この時は三室の山の情景を想像して作っていますが、山に吹き荒れる嵐、散るもみじ葉、錦のような落ち葉で覆われた竜田川など、色彩と動きが盛り込まれた作品になっています。 yamatoji.nara-kankou.or.jp 能因法師はまた数寄…
九竅之有職、官之分也。春秋時代から伝わる心術の歴史 黄老思想の源流:菅子四篇から
黄老思想の源流:老子 こんにちは、暖淡堂です。 古典からは様々なものが学べます。古典を読んでいると、今、書店で売られている本に書かれているような内容のものが、すでに2000年以上前にもあったりします。2000年以上にわたって書き続けられている内容って、人類の永遠のテーマなのかもしれませんね。 「心と身体」について書かれている書物を紹介しています。「管子四篇」の「心術」でです。前回の続きを紹介します。前回は漢字8文字。今回は漢字9文字に増えます。ちょっとだけ長くなります。が、読み方は前回と同じです。 少しずつ、読んでみましょう。 九竅之有職 官之分也 心身二元論、とは 九竅之有職 九竅きゅうきょ…
心之在體、君之位也。春秋時代から伝わる心術の歴史:菅子四篇の心術から
こんにちは、暖淡堂です。 皆さんは、心と身体の関係について考えたことはありませんか? この関係について、2500年以上も前に書かれた書物があるのをご存知でしょうか。 それが「管子」と呼ばれる書物の中の「心術」という篇です。 「心術」は、上下篇に分かれ、他の「白心」篇、「内業」篇と合わせて「管子四篇」と呼ばれています。 管子四篇 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 「管子四篇」は、現代を生きる私たちにとって、とっても示唆に富んだ書物なのですが、丁寧に解説している本はあまり目にしません。 それは非常に残念なことです。 そこで、この書物について、少しずつですが詳しく解説していきます。 漢文の…