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勘辨(14)「普便喝。師乃打。」(楽普はそこで一喝した。師はすぐに打った。)「臨済録」より
「ある者は棒を用い、またある者は喝したものだ。お前はいずれかを自らのものにしたか」 臨済の問いかけに、楽普はまだどちらも自らのものになっていないと答えます。 その次の瞬間、臨済と楽普は一棒と一喝を交わします。 この短い対話は、まるで剣術の立ち合いをみているようです。 一瞬の隙をうかがって
勘辨(13)「如何是露地白牛」(露地の白牛とはなんだ)「臨済録」より
露地白牛とは、仏教の故事に由来する言葉です。長者が子供たちを火から救うために、白い牛が引いた車を用意し、子供たちはその言葉に誘われるように外に出ます。露地は仏教者が集まって修行をする場所、白牛は仏であり、仏教者が求めているもの、と解釈されます。二人は、その露地白牛について、それぞれ「モー、モー
「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど」 大納言公任 漢詩、和歌、管弦に優れていた才人
百人一首第55番目の歌の作者は大納言公任だいなごんきんとう。 漢詩、和歌、管弦のいずれにも才能を示し、その上有職故実にも通じていたようです。 今回は大納言公任について紹介します。 大納言公任とは 生年が966年、没年は1041年です。 長寿の人だったようですね。 この人も藤原北家につらなる一人。 最終官位は正二位・権大納言。 権勢の中心にいた藤原道長に近づくことで得た高位だったのかもしれません。 この百人一首に選ばれている歌は、藤原道長とともに999年9月に大覚寺滝殿を散策した時に作られたもの。 紅葉狩りでしょうか。 大覚寺は嵯峨天皇の離宮のあった場所。 嵯峨天皇の名声は今も変わらずに流れ、聞…
勘辨(12)「金屑雖貴、落眼成翳」(金の屑は高貴だといっても、眼に入れば翳りとなります)「臨済録」より
仏や祖師というものは高貴なもの、僧たちが目指すべきものかもしれません。しかし、それを目の前に置いて、それに達するべくここで過ごしているのであれば、それは僧たちの目にはただの翳りを生じる邪魔ものになるのではないか。それは、普段の臨済の言葉とは矛盾があるように思われます。そこを王常侍は言っているように読
勘辨(11)「道得也三十棒、道不得也三十棒」(言い得たとしても三十棒、言い得なくても三十棒)「臨済録」より
德山は、言い得たとしても三十棒、言い得なくても三十棒と言いました。しかし、楽普とのやり取りでは、棒で打つことをやめ、方丈に戻りました。臨済は、德山を「なかなかやるものだ」と評価しました。一方で楽普は、自分自身の経験から何を学んだのか、速やかに言うことはできませんでした。それで臨済から一棒を受けました
時々豪雨 ハザードマップのポータルサイトのご紹介 暖淡堂の書籍一覧(20230614)
こんにちは、暖淡堂です。 梅雨入りしたと思ったら、雷と激しい雨。今年もこんな感じで梅雨の季節は過ぎていくのでしょうか。 最近気になるのが、豪雨や台風前後に…
もう梅雨の季節 台風の影響も心配ですね 暖淡堂書房の書籍一覧(20230601)
こんにちは、暖淡堂です。 今年もいろいろと早いです。もう6月になってしまいました。きっと出来ていることもいくつかあるのでしょうけど。 このところ、ずっと値…
こんにちは、暖淡堂です。 連休はいかが過ごされましたでしょうか。帰省や旅行など、楽しまれた方も多かったのでは。今年はコロナによる制約がほとんどなくなったの…
勘辨(10)「適來是汝喝老僧」(先ほど汝はこの老僧に一喝したのか)「臨済録」より
楽普の「座主、今いるところをどのような場所と思って、同じだと言い別だと言うのですか」は、どのような意味でしょうか。同じ、とか、違う、というのは、区別するときに使う言葉。そのような区別は不要である、と言っているようにも読めます。座主を送って来た臨済に、先ほどの一喝は誰に対したものか、と尋ねられます。
勘辨(9)「師以杖面前畫一畫云、還糶得這箇麼」(師は杖で面前に一線を書いて言った、さて、これも売ることができるか、と)「臨済録」より
臨済録の一節「院主は、臨済の「どこに行ってきたのだ」という問いに、「街中でもち米を売ってきました」と答えました。 それに対し、臨済はさらに、地面に杖で線を一本書き、「これは売ることができるか」と尋ねます。
将校と臨済のやり取りから、いくつかのことが読み取れます。 まず、将校が答えなかったことには、理由があるかもしれません。臨済の話をすでに聞いたことがあれば、「聖か凡か」という問いに簡単に答えるべきではないと考えたでしょう。あるいは、ただ戸惑っただけかもしれません。 次に、臨済は将校が答える前に、さ
勘辨(7)「官馬相踏」(立派な馬同士の蹴り合いだ)「臨済録」より
老和尚が臨済に尋ねます。そなたに礼拝したらよいのか、しないのがよいのか、と。これはどのような意味の質問でしょうか。臨済が礼拝に値する段階まで進んでいるのか、それともいまだ不十分な段階なのか。そういう、臨済を試すような質問だったのでしょうか。「賊」という言い方がここでも出てきます。これは普化に対しても
「忘れじの 行く末までは 難ければ」 儀同三司母 藤原道長台頭の影に没落する家族
百人一首第54番目の歌の作者は儀同三司母ぎどうさんしのはは。 女房三十六歌仙の一人に数えられています。 今回は儀同三司母について紹介します。 儀同三司母とは 生年が940年、没年は996年頃です。 やはり疫病が流行った頃に亡くなっています。 従二位式部卿高階成忠の娘で、名前は貴子きし。 高内侍とも呼ばれます。 儀同三司は藤原伊周のこと。 藤原伊周の他に、藤原隆家、一条天皇中宮の定子らを産んでいます。 夫は藤原道隆。 百人一首に選ばれている歌は、道隆が通い始めた頃に書かれたもの。 道隆は、心変わりはしないと誓いますが、いつまでもそれが続くとは思えない。 そう言ってくれている今日、このまま命が終わ…
勘辨(6)「明頭來、明頭打、暗頭來、暗頭打」(明で来たなら、明で打ち、暗で来たなら、暗で打ち)「臨済録」より
街中で話している普化のところに、臨済は従者を行かせます。 そして普化を掴まえて、問わせます。 それに対する普化の答えは、やはり何ものにも囚われないところからの言葉でした。 これを伝え聞いた臨済は、普化の存在が、自分自身の禅に欠かせないものであることを、改めて知ったのかもしれません。
勘辨(5)「普化云、汝且道、我是凡是聖」(普化が答えた、それは汝が言え、我は凡愚か聖者か)「臨済録」より
普化は臨済の一喝をものともせず、臨済の懐に入り込み、逆に臨済を投げ飛ばしています。臨済は普化のことを「賊」と言いますが、これは臨済が修行僧たちに繰り返し説いていた「経典の言葉、教義などに囚われないありのままの自分自身」で生きている人のことではないでしょうか。
勘辨(4)「瞎漢、佛法說什麼麤細」(どこを見ている、仏法は雑だの細かいだのと説いてなどいないぞ)「臨済録」より
普化は、臨済の問いに、食事の載った膳を蹴り倒して答えました。毛や芥子粒はとても小さいものなのに、巨海や須弥山が入ってしまうのはなぜかという臨済の問いに対する、普化なりの答えでした。普化は、言葉で説明できるようなものではなく、今、ここにそのままの姿でいることだということを言いたかったのかもしれません。
勘辨(3)「和尚前日打普化作什麼」(和尚は前日、普化を打ったのはどうしてですか)「臨済録」より
還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
「嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は」 右大将道綱母 夫、藤原兼家に宛てた歌
百人一首第53番目の歌の作者は右大将道綱母みちつなのはは。 「蜻蛉日記」の作者としても知られていますね。 また、清少納言らと共に女房三十六歌仙の一人ともされています。 今回は右大将道綱母について紹介します。 右大将道綱母とは 生年936年、没年は995年。 藤原兼家の妻の一人。兼家との間に道綱が生まれています。 「蜻蛉日記」は藤原兼家との結婚生活について綴ったもの。 百人一首に選ばれている歌は、藤原兼家に宛てて書かれたものでした。 藤原兼家が他の妻のもとを訪れたあと、道綱母の家を訪れますが、道綱母は門を閉ざしたまま兼家を家に入れませんでした。 その翌朝、道綱母は、褪せて色変わりした菊の花ととも…
勘辨(1)「大似勾賊破家」(まったく勾賊破家、捕まえた賊に家財をすっかり持ち去られたようなものです)「臨済録」より
還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。日記や昔の思い出など。
示衆(47)「爾但自家看。更有什麼」(君たち、ただ自分たちの目で見よ。それ以上の何があろうか)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の47回目です。 語り続けた臨済の言葉が、ここで一旦終了します。 さて、どのような言葉で終わるでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 ...
示衆(46)「龍象蹴踏、非驢所堪」(龍象の一蹴りは、驢馬の耐え得るところではない)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の46回目です。 臨済の言葉の真意をいまだ理解できない様子の修行僧たちに、それでも臨済は語り続けます。 自分も修行を始めた頃はなにもわかっていなかった、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声...
示衆(45)「飢來喫飯、睡來合眼」(腹がへったら飯を食い、眠気がきたら目をつぶる、それでいい)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の45回目です。 自分たちがこれまで一所懸命に学んできたことや、自分の身分などにすがり続ける僧たちに、臨済はさらに語り続けます。 そんなものは、私は認めない、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!...
示衆(44)「若人求道、是人失道」(もし人が道を求めれば、人は道を失う)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の44回目です。 臨済の下に集まった修行僧たちへの言葉が続きます。 いつまでも自分自身を認めることができない人たちに向かって語ります。 無駄なことはするな、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」...
示衆(43)「殺父害母、出佛身血、破和合僧、焚燒經像等、此是五無間業」(父を殺し母を害し、仏身から血を出させ、和合僧を破り、経象を焼き捨てる、これが五無間業である)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の43回目です。 ここでは臨済は修行僧の問いに答える形で「五無間業」を説明しています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 問、如何是...
示衆(42)「一心不生、萬法無咎」(一心が生じなければ、何があっても問題なしだ。)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の42回目です。 祖師達の言葉や経典の文字を学ぶことで、その先に何かが得られるという修行僧達の思い込みはなかなか解けません。 臨済は言葉を続けます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の...
示衆(41)「佛常在世間、而不染世間法」(仏は常に世の中にありながら、世の中の物事に染まることはない)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の41回目です。 修行僧たちは、相変わらず修行の先に自分たちの思い描く何かが得られると思っています。 そしてそれをなんとかして確かめようと問い続けます。 しかし、臨済は繰り返し、そんなものは無いのだと説きます。 臨済録の原文全文は...
示衆(40)「為爾向一切處馳求心不能歇」(君たちがなにかを求めてそこら中を駆け回るということをやめないからわからないのだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の40回目です。 修行僧たちと臨済との対話は続きます。 僧たちは繰り返し、修行で得られるものは何かを確かめようとします。 それに対して臨済はどのように答えるでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「...
「かくとだに えやはいぶきの さしも草」 藤原実方朝臣 赴任先の陸奥で事故死
百人一首第51番目の歌の作者は藤原実方さねかた朝臣あそんです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は藤原実方さねかた朝臣あそんについて紹介します。 藤原実方朝臣とは 生年不詳、没年は999年。 この歌は、女性に初めて贈った歌だったようです。 それが、とても技巧を凝らした歌になっています。 反語や掛詞が続いて使われています。 ちなみに「さしも草」とはもぐさのこと。 お灸につかうもぐさですね。 これが燃えているくらいに熱い思いを抱いている、ということ。 最期は陸奥の地で迎えます。 陸奥への赴任は左遷であったようです。 左遷のきっかけは、和歌に関する諍い。 一条天皇の見ているところで藤原行成と口…
示衆(39)「如何是真佛真法真道」(真の仏、真の法、真の道とはどのようなものでしょうか)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の39回目です。 ここでは、改めて「真の仏、真の法、真の道とはどのようなものでしょうか」と修行僧が問います。 それに、臨済はどのように説くでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱...
鎮宅とは、「宅(家屋)」の鬼神を鎮めることで、鎮宅霊符は鬼神を鎮めるための霊符である。 人間の住む家屋とその下の土地には鬼神がいると信じられていた。 目次 鎮宅鎮宅霊符神鎮宅霊符の逸話安倍晴明と鎮宅霊
示衆(38)「真佛無形、真道無體、真法無相」(真の仏は無形であり、真の道は無体であり、真の法は無相である)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の38回目です。 「心心不異處(心と心が異ならないところ)」とはどのようなものか。 その問いに答える臨済の説明の、終わりの部分になります。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に...
示衆(37)「大德、爾莫認衣」(諸君、衣に気を取られたりするな)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の37回目です。 師や先達のもとを訪れる修行僧たちは、誰もが彼らの様子であったり、言葉であったりするようなものに捕らわれてしまいます。 そんなものはどれも無意味だと臨済は言います。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください...
百人一首の第41歌から第50歌までをまとめます。 京から離れた関東での大乱「平将門の乱」や瀬戸内海から九州にかけて発生した「藤原純友の乱」などの後の時代が中心になります。藤原北家の権勢は次第に絶頂に向かいます。 中国大陸では契丹の遼への改称、五代十国時代から宋による再統一など、大きな動きのあった時代です。またヨーロッパでは神聖ローマ帝国が成立しています(960年)。 以下にまとめた十首は、その頃に詠まれた歌になります。 dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.…
示衆(36)「幻化空花、不勞把捉」(幻想の現れや空に浮く花を、つかみ取ろうと苦労などするな)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の36回目です。 臨済はここで、自らの修行で学んだ教えがどのように形作られてきたものかについて述べています。 それは臨済自身の修行の道筋でもありました。 どのように臨済の修行は遍歴していたでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリン...
示衆(35)「幻化空花、不勞把捉」(幻想の現れや空に浮く花を、つかみ取ろうと苦労などするな)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の35回目です。 臨済はこの部分で、生き生きとしている私たちの本体について説いています。 そして、無駄な苦労ばかりするな、と繰り返し話しかけています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱...
中国の古典「十八史略」に描かれる中国の太古 人間を治めていた王が教えたのはどんなことか
こんにちは、暖淡堂です。 十八史略の原文データ整理を進めています。 中国の歴史(伝説も)が簡略な文章で書かれていて、とても面白い書物です。 以下のサイトになります。 ぜひお立ち寄りください。 sanboku.blogspot.com で、今回は、十八史略の冒頭の部分の内容を紹介します。 中国の太古の様子です。 原文は以下の通り。 〔天皇氏〕以木徳王。歳起摂提。無爲而化。兄弟十二人、各一萬八千歳。〔地皇氏〕以火徳王。兄弟十二人、各一萬八千歳。〔人皇氏〕兄弟九人、分長九州。凡一百五十世、合四萬五千六百年。人皇以後、有曰有巣氏、食木實。至燧人氏、始鑽燧、教人火食。在書契以前、年代・國都不可攷。 十八…
示衆(34)「擬心即差、動念即乖」(心を働かせるとずれ、動こうとするとそれてしまう)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の34回目です。 ここでは根器(根は感覚器官。眼、耳、鼻、下、身、意の六根)の使い方について説かれています。 臨済は、これらをうまく使いこなすことができるとはどういうことだと説明しているでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンク...
示衆(33)「譬如潛泉魚、鼓波而自躍」(たとえるなら泉に潜む魚が、水面を波立たせて躍り上がるようなものだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の33回目です。 ここでは臨済は「動くもの、動かないもの」について説いています。 これらのどちらにも実体はないと言います。 そのことを用いて、臨済はどのようなことを教えようとするのでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご...
示衆(32)「道流、如禪宗見解、死活循然」(諸君、禅宗の見方とは、死活は循然、その場その場で決まるというものだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の32回目です。 ここでまた、臨済は師と呼ばれる者と修行僧との対話の場面を四通り語ります。 コミカルな場面のようにも読むことができますが、私たちが何かを学ぼうとしている時の姿にも見えてきます。 四通りのものとはどのようなものでしょう...
示衆(31)「爾一念心歇得處、喚作菩提樹」(君たちの一念心が静まり得たところ、それを涅槃と呼ぶ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の31回目です。 臨済は、三界にありながら、何ものにも囚われない在り方について説いています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 大德...
示衆(30)「癡人、爾要出三界、什麼處去」(痴れものめ、君たちが三界を逃れ出たところで、いったいどこに行けるというのだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の30回目です。 ここでは三界について語られます。 三界 とは欲界、色界、無色界のこと。 人はその三界で迷い、苦しみ、そこから逃れようとしています。 その三界はなぜあると言われるのか。 臨済はどのように説くでしょうか。 臨済録の原...
示衆(29)「已起者莫續、未起者不要放起、便勝爾十年行腳」(すでに起こった思いは続けない、まだ起こらぬ思いは捨てる必要もない、そうすることが君たちの十年の行脚よりもましなことなのだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の29回目です。 臨済は修行僧たちに、何ものにも依存せずにここに出てこい、と言います。 そして、長い年月をかけた行脚よりも勝るものを示します。 それはなんでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝...
示衆(27)「學人云、上智哉、是大善知識」(学人は言う、素晴らしいお知恵、これこそ大善知識、と)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の27回目です。 臨済は世にいる善知識と呼ばれる人たちについて語ります。 「よく見るがいい、彼らに眉毛が何本残っているか」と。 その意味はなんでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が...
示衆(28)「向裡向外、逢著便殺」(内に向かい外に向かい、そこで出会うものがあればすぐに殺せ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の28回目です。 臨済録の中の言葉で、よく引用されるものがあります。 「仏に会ったら仏を殺せ」などです。 これはどのような文脈で出てくるものでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦...
十八史略の原文データ整理中です 中国の太古から南宋の滅亡までの歴史書【十八史略:古典文学】
中国の歴史 こんにちは、暖淡堂です。 「十八史略」という書物をご存知でしょうか。 南宋末期から元の時代に生きた曾先之という人がまとめた歴史書です。 「史記」や「漢書」などの代表的な史書を基に、中国の太古から元によって南宋が滅ぼされるまでの長い期間をまとめた歴史書です。 日本では戦国時代の武将などに愛読者がいました。 現代でも多くの書籍が販売されていて、広く読まれている書物です。 一方で、中国ではなんとなくあまり読まれていません。 歴史書としては「史記」、「資治通鑑」などが好まれているようです。 「十八史略」は簡単な歴史の手引書、導入テキストくらいの位置付けのようですね。 それでも、これを通読す…
皆さん、こんにちは。 関西棋院棋士の星川愛生です。 皆さんはインターネットは活用していますか?今や、ネット上で出来ないことはないくらい便利ですよねかくい…