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こんにちは、暖淡堂です。 中国の古典「管子四篇」の「心術」を紹介しています。はるか昔の人が書いた文章を読みながら、時代を超えて語りかける声に耳を澄ましてみましょう。 心處其道、九竅循理。 この漢字八文字を少しずつ読んでみたいと思います。 心處其道 九竅循理 道と理 心處其道 處しょは処の旧字体で「いる、とどまる」、また其きは「それ、その」という意味です。 読み下し文は「心がその道におれば」。 「その道」は「それ本来の道」。 心が本来あるべき道にいれば、という読み方になります。 九竅循理 「九竅きょう」は九つの穴、身体にある感覚器官のことでした。 循じゅんは「守り行う、したがう」という意味です。…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九
紀元前403年、周の威烈王によって、趙氏・魏氏・韓氏は、正式に諸侯となった。 そして、紀元前349年に、晋公室の僅かな領土は、趙・韓の連合軍が、分割し、静公…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八
韓氏の当主、韓不信は、中行寅と不仲であった。 魏氏の当主、魏侈は、士吉射と不仲で、智躒は、韓不信、魏侈と共に定公を奉じて、中行寅と士吉射を攻めた。 中行寅と…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七
羊舌肸は、卿ではなかったが、平公の側近として、卿の相談役として、晋の政治に対して、絶大な影響を与えた。 羊舌氏は、姫姓であるため、晋の公族であるが、どの晋公…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百六
晋の悼公が、太子彪(後の平公)の元服後、台上に昇り、国都の絳城内・城下を見下ろし、「楽しいものだな」と言った。 側に控えていた、汝斉は、「下の眺めが、素晴ら…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百五
しかし、智罃は、魯の仲孫蔑の進言を受けると鄭に近い、晋の虎牢に城を築き、威圧した。 その結果、直接、戦闘することなく、鄭を晋の傘下に収めるのに成功し、智罃は…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百四
しかし、士鞅と激しく、対立していた、魏侈が、智躒及び、韓不信と共に趙鞅に協力する、姿勢を取り、晋の定公を抱き込んだため、士鞅は、孤立した。 そして、士鞅は、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百参
士鞅は、秦の景公の働きかけによって、程なく、晋に帰還するが、欒氏に対し、深い恨みを抱くようになる。 欒黶の妻は、士匄の娘であったが、紀元前552年、欒黶の没…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百弐
紀元前576年、鄭は、楚に領土を割譲して、和睦し、楚の盟下に置かれることになった。 晋の厲公は、元々、自分に従っていた、鄭の背信を正すために、衛・斉・魯など…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百壱
范氏は、士氏の分家で、士会が、晋の景公により、范及び、随の地に封じられたために、范氏と呼ばれるようになった。 士会は、晋の文公の祖父の武公、父の献公に仕えた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百
紀元前476年、周の敬王が、死去すると、息子の姫仁が、王位を継承した。元王である。 紀元前473年、越王勾践が、呉を滅ぼし、北方の瑯琊に遷都した。 勾践は、…
「菅子四篇」現代語訳の紹介 通読しやすいように作ってみました
こんにちは、暖淡堂です。暖淡堂書房から「菅子四篇」と「現代訳菅子四篇 ー黄老思想の源流ー」を出版しています。今回は「現代訳菅子四篇 ー黄老思想の源流ー」の…
こんにちは、暖淡堂です。 中国の古典には「眞(真)人」という言葉が出てきます。「眞人しんじん」ですね。大体の意味は「人としてのあるべき姿、生き方を体現して…
陝西省にある春秋時代(紀元前770~紀元前47年)前期の貴族の墓地から出土した小型銅製容器の残留物の中から、世界最古の人工合成鉛白化粧品の遺物が発見された。 春秋時代前期には人工合成鉛白化粧品の使用が一般的だったことを意味しているという。[人民日報]...
【古典文学】菅子四篇 心術上 (5) 靜乃自得。 自らのあるべき位置を保つ
菅子四篇 心術 こんにちは、暖淡堂です。 心術上の第五回目です。 心術上の冒頭部分の内容が、改めて説明されています。 ここではそれぞれの職分をきちんとわきまえている状況ができたうえで、君主が取るべき態度を述べています。 心術上第三十六(短語十) 原文 心之在體、君之位也。九竅之有職、官之分也。耳目者視聽之官也。心而無與於視聽之事、則官得守其分矣。夫心有欲者、物過、而目不見、聲至、而耳不聞也。故曰、上離其道、下失其事。故曰心術者、無爲而制竅者也。故曰、君、無代馬走、無代鳥飛。此言不奪能、能不與下誠也。毋先物動者、揺者不定、躁者不靜、言動之不可以觀也。位者謂其所立也。人主者立於陰。陰者靜。故曰、動…
【古典文学】菅子四篇 心術上 (3) 大道可安而不可説。 「大道」とは安んじるところである
菅子四篇 心術 こんにちは、暖淡堂です。 心術上の第三回目です。 前回は「道」について書かれた部分を紹介しました。 今回の文章は、「道」をより詳しく説明しています。 心術上第三十六(短語十) 原文 大道可安而不可説。眞人之言、不義不顧。不出於口、不見於色。四海之人、又孰知其則。天曰虚、地曰静、乃不伐。潔其宮、開其門、去私毋言、神明若存。紛乎其若亂、静之而自治。強不能徧立、智不能盡謀。物固有形。形固有名。名當、謂之聖人。故必知不言無爲之事、然後知道之紀。殊形異埶、不與萬物異理、故可以爲天下始。 書き下し文 大道は安んずべくして説くべからず。眞人の言は、義ならず顧ならず。口より出でず、色に見(あら…
【古典文学】菅子四篇 心術上 (2) 道不遠、而難極也。 「道」とはどこにどのようにしてあるのか
菅子四篇 心術 こんにちは、暖淡堂です。 再開後の第二回目です。 その管仲の名のもとに集められた文章をまとめたのが「管子」という書物。 「菅子四篇」はその「管子」の中の「心術上、心術下、白心、内業」の四つの篇のこと。 今回は心術の中で主要な位置を占める「道」という概念の説明の部分です。 心術上第三十六(短語十) 原文 道不遠、而難極也。與人竝處、而難得也。虚其欲、神將入舎。掃除不潔、神乃留處。人皆欲智、而莫索其所以智乎。智乎、智乎。投之海外、無自奪。求之者、不得處之者。夫正人無求之也。故能虚無。虚無無形、謂之道。化育万物、謂之德。君臣父子、人閒之事、謂之義。登降揖讓、貴賤有等、親疎之體、謂之禮…
【古典文学】菅子四篇 心術上 (1) 菅子四篇の紹介を再開します
菅子四篇 心術 こんにちは、暖淡堂です。 少し間があいてしまいましたが、「菅子四篇」の紹介を再開したいと思います。 管仲は、中国春秋時代、当時の中国北東部にあった斉という国の宰相を務めた人物。 彼は国の制度を改め、経済を発展させ、その結果としての強い国を実現しました。 その管仲の名のもとに集められた文章をまとめたのが「管子」という書物です。 管仲自身の文章を中心に、その後斉で活躍した思想家の文章も合わせて、膨大な文字数の書物になっています。 「菅子四篇」はその「管子」の中の「心術上、心術下、白心、内業」の四つの篇のこと。 これらの文章は、斉で管仲の思想や、その後の黄老思想と呼ばれるものを研究し…
君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず(中国の古典「管子」より)
君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず当ブログの検索キーワードのトップが上の言葉になります。これは、中国春秋時代の斉の国の宰相管仲の言葉を記録した「管子」という書…