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これまた先週、指宿への日帰り旅行に参加してきましたパワースポットの釜蓋神社釜の蓋を頭にのせてお昼はいせえび荘でいせえびのお味噌汁伊能忠敬が絶景と絶賛した開聞岳(花子のマンションベランダからお天気の日は開聞岳山頂が見えます)マンゴーの杜でマンゴーを食べ最後の観光が真言宗の青隆寺ここが凄かった金閣寺?ピカピカ柱に龍が彫られている本堂の観音様や壁画などが写真NGでお見せできないのが残念御朱印もいただきう...
【和歌山県伊都郡高野町】高野山に行ってきました⑤ 高野山真言宗の総本山『金剛峯寺』
高野山編は今回で最終回になります。日帰りで高野山に行ってきましたが時間が経つのが早く、あっという間に夕方になりました。最後に訪れた『金剛峯寺』は、全国に末寺が3,600社ある高野山真言宗の総本山として知られている大きなお寺です。金剛峯寺では・豊臣秀次自刃の間・
しっかりとした先行研究もある分野なので、この記事はあくまでも当方の学び、という感じである。そこで、近年は偽撰という扱いになっているようだが、弘法大師空海が弘仁四年仲夏之月晦日(813年5月晦日)に示されたという『同大師重誡』という文献がある。その中には、戒学に関する説示が見られるので、見ておきたい。諸の弟子等に語るに、凡そ出家修道の本は、仏果を期す。更に輪王・梵家を要せざれ。況や人間の少少の果報をや。心を遠渉に発すことは、足るに非ざれば能わず。仏道に趣向することは、戒に非しては、寧ろ到らんや。必ず顕密二教を須いて、堅固に清浄の戒を受持して、犯すこと莫るべし。いわゆる、顕の戒とは、三帰・五戒及び声聞・菩薩等の戒なり。四衆に各おの本戒あり。密の戒とは、いわゆる三昧耶戒なり。亦、仏戒と名づけ、亦は発菩提心戒と名...弘法大師の遺誡に見る戒学について
こんにちは京都の朗読家 馬場精子です 2月23日は五大力さん 朝からお参りいたしました お札を授かりました七日間祈願された五大力尊御影 "人を守り家…
日本仏教には、それぞれ格というものがあるのを、ご存知だろうか。 もっとも格が高いのが、天台宗、その次が、真言宗というようになっていて、天台宗は、ご存じの通り、大師第一号の伝教大師が日本の祖師で、真言宗は、弘法大師である。 これは家柄というものが、関係していて、昔は、仏教も他...
補陀洛山 安養院 西方寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は鎌倉時代初期の1190(建久5)年に、東大寺別当の勝賢僧正が現在の霊鷲山 感応院 極楽寺(→神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目)の場所に開山した真言宗単立寺院です。1219(承久元)年に北条重時(→北条義時の3男)が極楽寺を中興開基すると西方寺堂宇は極楽寺境内に移されたようです。極楽寺・西方寺は1333(元弘3)年5月の鎌倉幕府(北条氏)滅亡後も鎌倉公方足利氏及び関東管領上杉氏に保護さ...
慈雲尊者飲光(1718~1805)は江戸時代後期の真言宗侶だが、「正法律」と呼ばれる戒律復興を行ったことでも知られる。色々とあって、その教えを学ぶ機会があるのだが、意外と明治時代以降に刊行された教えが多い。慈雲尊者はもちろん、同時代にも大きな影響があったが、明治時代以降にこそ、慈雲尊者の教えは貴重だとされた。そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。戒律沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、皆後人の杜撰なり、支那諸伝記にもなし、又、某...慈雲尊者の説く諸宗の戒律
澤水山 清龍院 真照寺(→神奈川県横浜市都筑区折本町)は戦国時代中期に中興開基された浄土真宗大谷派寺院です。創建時は真言宗寺院だったようですが、中興の際に浄土真宗に改宗したようです。江戸時代前期の1649(慶安2)年には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領を拝領されています。真照寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡折本村の条に次のように記されています。********************...
綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)は、鎌倉時代前期に清和源氏の多田行綱の子の智空が長福寺として開基した真言宗寺院として始まり、鎌倉時代後期には都筑郡王禅村などを領有していた金沢流(かねさわ)北条貞顕(さだあき→15代執権)の帰依を受けました。室町時代に衰退したものの智空から7代目の空誓が江戸時代前期に浄土宗本願寺派として寺を中興し、その後、江戸時代中期の1716(享保元)年に8代将軍徳川吉宗の嫡子...
永池山 長念寺(えいちざん ちょうねんじ→神奈川県川崎市多摩区登戸)は室町時代後期・戦国時代中期の1534(天文3)年に彫られたと伝わる阿弥陀如来像を本尊とする浄土真宗西本願寺派寺院です。1522(大永2)年に僧の法専坊によって創建され、一時期衰えたものの江戸時代前期に秀月禅尼(しゅうげつぜんに)によって中興されました。創建当初は真言宗寺院で、徳川氏が本願寺を東西に分立させた際には東本願寺派に帰属しましたが、江戸時代...
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【四国遍路】ルーツを辿れば弘法大師を知れる!人生をかけて歩いた謎
なぜ四国はお遍路さんが巡礼するのか考えたことはありますか?弘法大師(空海さん)と同じ四国出身の私が「四国遍路のルーツ」「四国遍路は誰がはじめた?」「四国以外の巡礼地」など謎についてご紹介します。
東寺は、四国八十八ヶ所巡礼のはじまりの地だと知ってました?(私は知りませんでしたよ!すごいね〜東寺!) 東寺の御影堂でまず出発のご挨拶をして、四国巡礼の最後には高野山奥の院でお礼のご挨拶をすると伝えられてきたのだとか。 最近、やたらとご縁のある真言密教や弘法大師(空海)のこと。福岡博多で東長寺の大仏(大日如来)に感動し✨ますます気になりはじめた私。 真言宗総本山の東寺は京都だから、日帰りでも行けるんだよなぁ、、、ってことで、行ってきました🚙〜✨ 東寺に到着して、ふと五重の塔のほうをみると、なんと!!彩雲(虹色の雲)が〜!!! ここ数年で、彩雲を見ることがめちゃめちゃ増えた。 しかもこのタイミン…
西の高野山 大宝寺は弘法大師(空海)ゆかりの地、大宝浦(大宝の浜)が目の前に広がっていた
西高野山と呼ばれる大寶寺は唐から帰国した弘法大師(空海)が三論宗を真言宗に改宗して、真言宗最初の道場とした古刹です。 西高野山/西の高野山 大寶寺/大宝寺(だいほうじ) 大宝寺 奥の院 令和3年(2021年) 4月23日 村内伸弘撮影 大寶寺前の大宝浦(大宝の浜)が見えまし...