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先日の読書会で、ある方がこんな話をしてくださいました。 「もう一歩すすんだ断捨離をしよう」と、お孫さんがいらっしゃるその方は、「おくるみ」を手放すことにした…
片づけをしていたら、ある著名人の本が目に入りました。以下はそこからぼんやりと思い出したことです。 高校時代、その著名人が亡くなりました。すると学校でクラスの誰かが休み時間に靴の中に線香を立て、教室の前方の真ん中にある教卓の上に置いたのです。 線香
このブログでは・断捨離を学んで実践したい・断捨離したいけどやり方がわからない・断捨離しているけどなかなか進まないそんな思いを持つ方に毎日楽しく取り組める断捨…
戦国時代(室町時代末期)は、文字通り全国各地で活発に“戦さ”が展開された時代だ。しかし“戦さ”である限りは、少なからずそこで命を落とす者が出ることは避けられない。時代劇などでは、華々しい合戦場面やその直後の戦死した兵士・馬の姿を映すことはあっても、そのさ
病院は提携している葬儀社はないというつまり霊安室はないそこで葬儀社を決めなくてはならない実家はいつも地元の葬儀屋さん使っていたけど諸事情ありそこには頼めない病…
BBC NEWS JAPANで見たけど映画みたい。 伝統のある格式高い国を見せられた。 日本の安倍元総理の国葬のゴタゴタとかが本当に嫌。 恥ずかしい。 日本は落ちぶれている。残念すぎる。 ジョージア大使が安倍氏
神謡《真の弔いとは死後ではなく生きているうちにするもの ~誰もが前世死んだ死者である 故に今生、命あるうちに自らを弔うのが最たる人の旅路である:無名》
地人たるは己れの魂の弔ひのなきままに 次世じせいの道 急ぐゆへ 名残りし哀悲あいひ 苦渋くじゅうの己おのが荷 背負いて 魂たま無き亡霊と成りて 幾転も堂々巡りの旅 繰りかえすのざ人の生しょうたるはとどのつまり己れの魂弔たまとむらいの生しょうで
八又神戦《神を創ったのが人類最大の過ちだった「死は循環であり再生であった」縄文死生観から「死はケガレである」という弥生死生観への転換と影に潜むユダヤ教の宗教観:その6》
◇ 縄文死生観から弥生死生観への転換 縄文時代は〔死〕を自然の循環であり、〔生〕から〔死〕へ、そしてまた〔生〕に転換する状態移行と捉えていました。 ゆえに集落の中心に墓地を創り、死者を弔い、死してなお友として愛いつくしんで参りました。富士見町にある藤内
『ごんぎつね』について話をして、ペン子の葬儀観が皆無であるということを知った青色ペンギン。(そのときのお話はこちら)良い機会なので人が亡くなる時の話をした。まずは、大切な人が亡くなった時、その亡骸を茹でる、ということはしないよね。考えてみよう、お母さんが死んだら、その亡骸を煮よう、って思うかな?いくら何でもご遺体を煮込んじゃうってのは可哀相、だよね。亡骸は大切にご供養するよ。ごんぎつねの時代は土葬...
安倍晋三氏の葬儀も終わらぬうちに「故人の弔いだ、改憲を急げ」深い霧の中でその薄っぺらい魂胆だけが際立って分かりやすい。Twitter記事より
Twitter記事よりこの方のTwitter記事には、とても共感できるのでシェアさせて頂きました。元総理が殺害された世界が注目する大事件だというのに、特別捜査本部も設けず共犯の有無も現場にいた人達も調べない。謎と矛盾だらけで皆の頭は??なのに早々に単独犯で完結。あげく葬儀も終わらぬうちに「故人の弔いだ、改憲を急げ」。深い靄の中でその薄っぺらい魂胆だけが際立って分かりやすい。コメント欄もぜひ読んで下さいね!元総理...