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私は2男1女の母〜 私の年代は25歳までに結婚して30歳までに子供を産みあげる〜 これが一般的でした 女性の適齢期をクリスマスに例えたり〜 ドラマもありましたね なんだか懐かしい〜😁 令和は… 王子パパが平成元年生まれ〜 学習指導要領が改定されて【ゆとり世代】と言われています 学校が土曜日休みになったのもこの辺りでしょうか〜 私は昭和の高度成長期が幼少期 30代前後がバブル期でしょうか〜 1番世間を象徴しているのが… 「勇気のしるし〜リゲイン〜」 「黄色と黒は勇気のしるし 24時間戦えますか〜🎵」 なんか勢いがありましたね 平成生まれの王子パパはいつも、生まれた時から不景気❗️ だから冒険がで…
高度成長期の投資事情から現在に通じる投資法を学ぶ(投資手法の研究)
〇日本の青春時代。 高度成長期は日本が一番輝いていた時代である。戦後の焼け野原から世界一の技術大国になるまでの奇跡的な成長を成し遂げた時代であり、年を追うにつれて人々の生活水準は向上していった。株価も驚くほどの上昇をし、ほぼ一貫して上昇基調を貫いた。日本がここまで飛躍できた...
おはようございます😃昨日行った岡本太郎展は、絵もオブジェも凄く魂を揺さぶられる展示でした。(それはまた後日レポします。写真okのものが多か...
1.高度成長期の逆説的なテーマ 植木等の役柄は、非常にいい加減で無責任な男なのだが、 映画では真面目な奴を差し置いて出世することに焦点が置かれて、 トントン拍子で出世し、しまいには、会社で一番の美女である女性とさえ結ばれてしまう。ある意味、サラリーマンのおとぎ話です。しかし...
昭和38年/1963年の卒アル!八王子一中の古い卒業アルバムを発掘
高度成長期のど真ん中!!古い校舎もバッチリ載ってます!東京都八王子市立第一中学校の卒業アルバム発見~ん♪♪ 昭和38年(1963年)の八王子一中の卒業アルバム 3年B組 卒業アルバムに追加で貼り付けられていた修学旅行の集合写真(京都・嵐山) 僕のおばさんのものです。倉庫の...
「叔父さん」て存在何かハイカラで垢抜けていて・・・カッコいいんだ!オモチャを買ってきてくれる!ウルトラマンか?鉄人か?叔父さんか?って位なヒーローです高度成長時代に大都会に出て暮らす叔父さんが帰省するのが待ち遠しかった子供の頃(笑)そんな叔父さんが新車のカブを買ったのは2年位前だったかと予約して納車されるまでずいぶん待ったそうですそんな叔父さんのカブそんな叔父さんのカブ叔父さんを訪ねたついでに「ち...
投資家視点の戦後経済(15) 中国の躍進と郵政選挙(2004-2006)
1.中国の大躍進 改革開放以降、中国政府は沿海地域に特区を設け、繊維業を中心に海外企業を誘致したことで、中国で製造された製品が徐々に国際市場に流通していった。1990年代からは、安価で豊富な労働力を求めて先進国の企業が中国に生産拠点を置くようになる。中国企業には先進国の製造ノウ...
加山雄三と言えば若大将シリーズ。 1960 年代後半の若者を興奮させた青春映画で、映画でははち切れんばかりの若さが凝縮されています。加山雄三演じる田沼雄一が誰もが理想とするようなカレッジライフを見せつけてくれます。まるで米国アイビーリーグ学生の日本版と言うようなハイソ感で。こ...
アルバイトの帰り道考えた事、再び「死語の戯れ」(1985年5月25日)
1985.5.25(Sat) 雨(台風) 大学に行く。S島さん関係のプログラムのつながりがはっきりしない。白色化フィルタのプログラムは、どこにいったのでしょうか? アルバイトの帰り道、考えた事。 松本健一「死語の戯れ」についてもう一度考えた。「死語の戯れ」とは、言ってみればテレビでタケシ(ビートたけしの事)やタモリ…
戦後相場史の検証(8) 海外進出と貿易問題(1981-1985)
1.米国の深刻なインフレとボルカーショック 第一次石油ショックが一段落した後も、米国経済はベトナム戦争の戦費調達による財政赤字拡大で、インフレが高止まりしていた。このため西欧各国は、金融を引締めすることでインフレを抑制しようとしたが、第二次オイルショックの襲来でインフレはさら...
戦後相場史の検証(7) 二度に渡る石油ショック(1976-1981)
1.国際収支の不均衡と円相場の急騰 日本経済は第一次オイルショックで 1974年には戦後初のマイナス成長に陥った。その後も内需産業の回復力は弱いままで国内景気は停滞気味であったが、輸出企業の技術的競争力の向上が貿易収支を大幅黒字にさせ、経済成長率は1975年3%弱、1976年...
今日は7月7日で七夕だが、私にとってはブログを開設して丁度1ヶ月の記念日である。本稿が29本目なので、ほぼ1日1本になる。4年後の古希にこれを編集して本を製作し、知り合いにお配りすることを目標にしている。当初の方針にないテーマも何本か組み込んだが、記念の本稿では原点に返って小学校低学年の頃の思い出を披露したい。私は昭和31年に生まれ、日本の高度成長期に育ったので、当時の雰囲気を感じてもらえると嬉しい。 小学1年生の頃だろうか。うちの近くには公園はなかったが、なぜか私は同年代の女の子とブランコで遊んだことをたまに思い出す。彼女はスラッとした背丈で身長が私より高く、地味なワンピースにピンク色のサンダルを履いていた。大変おマセな子で、「大人になったら二人は結婚するんだよ」と言うので、地味な雰囲気があまり好きではなかったけれど、「いいよ」と返事をした記憶がある。一緒に遊ぶといっても、かけっこや砂遊びなどではなく、ただブランコを漕ぎながら隣同士でいろんな話をするだけ。8割くらいを彼女が話し、私は聞き役であった。彼女の話は、大人になったら何になるとか、両親は見合い結婚だとか、空飛ぶ絨毯で遠い国へ行
戦後相場史の検証(6) ニクソンショック、列島改造論、石油ショック(1971~1975)
1.高度成長期の終焉 いざなぎ景気は1969年後半にピークを迎えた後、景気後退局面に突入し翌年8月に終焉を迎えた。日本経済は、1956年から続いた高度成長期が一息つき、これ以降経済成長率は徐々に低下していくことになる。一方、世界を見渡すと日本同様、第二次世界大戦の荒廃からの復興...
戦後相場史の検証(5) いざなぎ景気 (1965~1971)
1.高度成長期の最終章 日本経済は、証券不況の後、高度成長期の最終コーナーに相当するいざなぎ景気を迎えることになる。これまでの景気は、敗戦の焼け野原から先進国の階段を上る過程での設備投資主導型の好景気であるのに対し、いざなぎ景気の特徴は、これら設備投資による技術革新が実...