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■『鉄鋼館』今なお残る万博の遺構『EXPO’70 パビリオン』(大阪府吹田市)
目次 1 大阪万博の遺構『EXPO’70 パビリオン』 2 梅まつりの万博記念公園へ 3 『EXPO’70 パビリオン』は開催時の貴重な資料の宝庫 4 開催当時の会場の様子を映像や写真で紹介 5 岡本太郎の遺作群と万博食堂 1 大阪万博の遺構『EXPO’70 パビリオン』
おはようございます😃昨日行った岡本太郎展は、絵もオブジェも凄く魂を揺さぶられる展示でした。(それはまた後日レポします。写真okのものが多か...
それは万博から始まった? 私見・大阪空間色彩論 <トラキチ旅のエッセイ>第6話
大阪は色彩豊かである。キタもミナミも変わらない。 狭い街路にさまざまな色彩が幕の内弁当のように押し込まれ、密度感にあふれる景色をつくり出している。 色は派手な原色が愛される。赤、青、黄色――。 あからさまな原色をまとった看板やディスプレイが、子どものおもちゃ箱をひっくり返したような雑然さで街を彩っている。 ところで、いつから大阪はこのように派手に色付いた街になったのか。 たとえば、江戸期の錦絵を見て確かめてみる。が、そこには特に派手な街の印象はない。 むしろ、いまに残る船場の「適塾」のたたずまいから想像されるような、水垢に寂びたモノトーンの… そう、東アジアの水郷都市といった印象こそが、おそら…
Grazie🌻 自然の叡智というテーマに惹かれ、愛知万博に参加するため帰国した2005年。大阪万博キャラクター名ミャクミャク君決定のニュースを読んで、当時のことを思い出した。地元ではない愛知において、万博を目いっぱい楽しむには、そこで働くことが最も手っ取り早い。そう思って応募したお仕事に、たまたま採用され、夏から最終日まで、短期で出稼ぎすることになった。パビリオン巡りも楽しかったけれど、一番思い出に...
1970年の万博は、両親に連れて行ってもらえなかったので、2025年大阪万博まではあと3年なので是非とも生きながらえて見学したい。当時万博の「ソビエト連邦館の鋭く突き出した塔状屋根」「アメリカ館の月の石」など実物は見れなかった。今だに残念な