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取引先の旅行イベントに行って来た。最近担当していたイベントは、オンラインイベントばかりで、画面の向こうのお客さんに一方的に話しかけるもの、いわゆる配信型だったが、今回は完全な対面型だった。高級ブランドのそれで、一通りの案内が終わった後、一組ごと(夫婦な
コロナの記録と記憶2022 126 ぱしふぃっくびいなす号よ。さようなら
2022年12月11日。横浜の大さん橋に行って来た。お目当ては、この日に出港するぱしふぃっくびいなす号だ。大さん橋に碇泊するぱしふぃっくびいなす号。その姿を目にできるのも、今月いっぱいに出発する最後のクルーズがまでだ。船の外側に「24年間ありがとう」という感謝の
コロナの記録と記憶2022 125 最高に美しい冬の銀座と丸の内
2022年12月10日。東京のコロナ新規陽性者数は14,558人。前週比+1,237人。こんな数字を気にしている人など、ほとんどいないということは分かってはいたが、この日、丸の内から日比谷、銀座を散歩して心から実感した。その賑わいは、10月下旬から行ったイタリアツアーそのも
昨日は、コロナ禍が始まった頃、最後の添乗に出た旅行会社の打ち合わせだった。下のURLに登場する旅行会社で、僕にとって最も重要な取引先のひとつだ。http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/6207809.html大きなグループの中の、一会社だったそこは、コロナ禍にお
コロナの記録と記憶2022 122 葬儀後の新しい時代と生活
両親がいなくなって、一番問題になりそうだったのが、誰も住まなくなる家のことだった。僕は、セカンドハウスとして残していきたいと思っていたが、その維持費は馬鹿にならない。しかし、弟が営むスリランカ紅茶の販売会社が、その一角に入った為、少なくとも平日の昼は誰
少しの間、母の亡骸のそばに座っていると弟夫婦が来た。「お、兄貴来たか。」「悪かったな。こっちにずっといられれば、あんな忙しく連絡してもらうこともなかったのに。」「いやいや、いいよ。それよりも撤収するよ。母さんを家に連れていく。あとは本人だけだから。
コールセンターのスタッフたちは、「断るまでもない」と送り出してくれた。一度、自宅に帰ってから故郷に向かい、母が入院する病院に着いたのは午後四時過ぎだった。ようやく会えた母は、人工呼吸器をつけて言葉を話せる状態ではなく、おまけに苦しそうにしていた。だが、僕
十月三十日にイタリアから帰国して、三十一日に無事に報告を済ませた僕は、十一月一日からワクチンのコールセンターに復帰した。この頃、既にワクチンは従来型からオミクロン対応二価ワクチンにシフトしていたが、その接種対象となっていたのが、この時点で六十歳以下の人
コロナの記録と記憶2022 118 コロナ禍後の初添乗㉒ 最終回
羽田空港に到着した。航空機から降り立った瞬間に、自分を包む空気が少し湿った日本のものになる。ついさっきまでは、ヨーロッパの乾いた空気に触れているような気がするので、一瞬違和感がある。久しぶりに味わう感覚だった。大きく息をついて到着フロアを歩き出す。帰
「ワクチン接種証明書をお見せください。」「え?MySOSの画面は青になっているけど・・・」「それは分かりました。ワクチン接種証明書をお見せください。」「・・・証明書があるから青になっているんですよ。MySOSだけではだめなんですか?」「両方見せていただいています。
いろいろ懸念事項がある中で、どの旅行会社の海外ツアー部門も動いている。今度のオンライン旅行イベントに合わせて、あるツアーのある出発日が、出発確定日として案内されており、そこに僕が割り当てられ「安心安全な添乗員として紹介されることになった。他の出発日にも他
女性客がお清め会場に来たのは、MySOS画面が青になったことを報告に来ただけではない。彼女はきれいで、欧米の男性からモテそうなタイプだった。思った通り、ツアー中にドライバーから飲みに誘われていたということだ。三回誘われたし、ドライバーさんにはツアー客としてお
今週中には師走になる。今年もあっという間の一年だった。ここ二年と違うのは、久しぶりに海外添乗に出たということだ。二年半もツアーがないと、自分が果たして現役の海外添乗員と名乗っていいかさえあやしくなってきていたが、たった一度出ただけで、随分と気持ちが変わる
最後のディナー中、PCR検査の結果が届いた。結果は陰性。彼女は外を歩くときは、時々マスクを外してはいたが、屋内観光時や混雑場所などではきちんとマスクをしていたし、体調を崩している様子もなかったので、心配はしていなかった。検査場で見せてもらった検査結果のお知ら
間近で眺めたミラノのドゥオーモ。人との対比で、その大きさが分かる。かつては入場無料だったが、今では有料となってしまった。それも1000円近くする。洗練されたドゥオーモ周辺の街並み。西日に照らされてより映える。ミラノのもうひとつのシンボル。ヴィットーリオ・エマ
ミラノのドゥーモ。街の中心を歩いていると、突然目の前に姿を現す。大きさと美を兼ね備えた建築は、まさに街のシンボル。お客さんのPCR検査代は、ツアー代金に含まれていた。検査会場までの交通手段は、ツアーで利用している大型バス。そのために現地でいただく費用は一切な
トロンケットから貸し切りボートでベニス本島に近づくときに見えるサンマルコ広場。イタリアで、もっとも旅情を誘う風景のひとつだと思う。小島を多くの橋で繋げているベニス。中には美しいものもある。上が溜息橋。下がリアルト橋。いずれもかなり有名。サン・モイゼ教会。
運河、昼と夕方のサンマルコ広場。ああ、美しきベニス。このツアーをいただいてパンフレットを確認した時、一瞬、僕は目を疑った。参加条件にスマートフォンの所有者が挙げられていたのだ。さらに「旅行に必要なアプリをダウンロードできるものに限る」とあった。「これが
いいワインなどと言われても、専門家であるわけではないし、本格的に勉強しているわけでもない。単純に酒が好きなだけだ。長く添乗員を続けている人は、なにかしら得意技を持ち合わせているもので、やたらワインに詳しい人もいるにはいる。だが、僕にとっての得意技はワイ
話は前日に遡る。その日は、午前中にフィレンツェでウフィッツィ美術館を含む市内観光を行い、午後はピサを訪れて斜塔を登った。どちらもたっぷり歩いたので、予定を終えてホテルに戻る時は、ほぼ全員がバスの中でぐっすりお休みになっていた。「明日は観光後、よかった
「日本人観光客に早く帰って来て欲しい」という声をあちこちで聞く一方で、「急に来てもらっても準備ができていない」ところもある。フィレンツェからベニスに向かう時に立ち寄ったお土産屋さんが、そのいい例だった。そこは旅行会社から、絶対に立ち寄るように言われてい
フィレンツェで朝一番に訪れたミケランジェロ広場。残念ながら少しもやがかかっていたが、十月下旬の朝一番としては、実は悪くない。現地ガイド曰く「見えたうちに入る」。霧で視界がないこともあるとか。なかなかすべてがうまくいくことってない。フィレンツェでは二泊して
マテラの街並み。サッシという洞窟住居群で有名なところ。1993年に世界遺産になった。中世から近世にかけては、洞窟を利用した住居群は主に小作農民が利用する快適な住居だった。しかし、時代が進み人口増加とともに、その不衛生さが指摘されるようになり、新市街をつくると
元々このツアーでは、ナポリ旧市街の観光が入っていなかったが、「ローマ&バチカンショック」を少しでも和らげるため、中心部のわずかな散策を担当者に提案したところ、「ありがたい」と言ってくれたので、実行することにした。ナポリ旧市街の中にあるウンベルト一世のガレ
観光を終えてグランドマリーナに帰ってきた時の風景海は本当にきれいで、濃紺かエメラルド色をいつもたたえている。グランドマリーナに帰る途中、隣に座っていた女性客が聞いてきた。「九月のグループは見られたの?」「え?」「私、最初は九月のツアーに申し込んでい
その日のうちにローマに飛んで、バスでナポリに入った僕らは、翌日、カプリ島で青の洞窟観光に挑み、成功した。訳ありツアーの第二関門を突破した瞬間だった。青の洞窟は、カプリ島の港グランドマリーナからモーターボートで移動した後、洞窟前で手漕ぎの小さなボートに乗
ミュンヘンの案内には心を砕いた。ある意味、ツアー中に一番緊張していたのがこの時だった。なんと言ってもローマとバチカンのかわりなのだ。と言っても、観光地としての格で敵うわけがない。代替として楽しんでいただくというよりも「ミュンヘンでの滞在は、それはそれで
眺めていて面白かった。フライトナビは、最短のルートを表示するらしい。その通りに飛ぶとなると、航空機はシベリアンルートを通ることになる。ロシア上空だ。(この時はウクライナ紛争の真っ最中。欧州系の航空機は、シベリアンルートを飛べなかった・・・と数年後に読ん
とは言え、参加者全員が納得されていたわけではない。「知らせてくれるタイミングが遅かったんだもの。あと少し早い時間に分かっていたら、キャンセルしていたと思います。」出発当日、受付カウンターにいらしたとあるご夫婦の奥様は、少し苛立っているかのように、でも
出発二日前の深夜。正確には0時を過ぎて前日になっていた。取引先から渡されていた仕事用のスマートフォンが鳴った。目を覚まして画面を覗き込むと、航空会社から通知が来ていた。 「利用予定のフランクフルト-ローマ便が欠航となりました。」 真夜中、しかも寝起
イタリアツアーの催行を、変に心配していたのは、依頼されたタイミングに影響されていたからだろう。六月下旬から七月にかけては、第七波の入り口で感染者が増えつつあった。ワクチンコールセンターの現場で働いていた自分は、おそらくそれを人よりも余計に意識していた
2022年10月30日。コロナ禍後の初添乗から帰国。31日。無事に報告を済ませた。その前の添乗からの帰国が2020年3月2日だから、あまりに長いブランクだった。しかも、依頼されてから出発するまでの期間があまりに長かった。今回のツアーを割り当てられたのが6月下旬。一般
久しぶりの添乗のわりには、うまくいってる…と思う!旅は天気が命。天気が良ければ景色もお客さんも笑顔。このまま終わればいいなあ。にほんブログ村↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。上位に行くと励みになるので、よかったら上のバナーをクリックしてくだ
コロナの記録と記憶2022 94 書き留めておきたい感情と自己カウンセリング
いよいよ明日。2022年10月21日。二年半ぶりのツアーに出発。この時が来たら、どんな気持ちになるのだろうと、コロナ禍の間ずっと考えてきた。ワクワク感でいっぱいか。それとも涙が出るくらい感激するか。或いは、わりと淡々とした気持ちで臨むのか。でも、少なくとも今はど
久しぶりの海外ツアー打ち合わせは、超慎重に行なった。細かいミーティングを終えた上で、ツアー担当者からは、「既に同じツアーが先に一本出て、うまくいっているから心配していない。お客さんを楽しませてあげて」と言われ、オペレーター(現地手配会社)からは、「観光は以
コロナの記録と記憶2022 92 久しぶりの海外添乗打ち合わせ
2020年3月2日。現時点で最後の添乗からの帰国。南アからだった。2020年3月3日。帰国後の報告。現時点で最後の海外添乗業務。それから2年半の時を経て、本日2022年10月18日。今日はイタリア添乗の打ち合わせ。長い。長かった。まさかこれほどまでコロナ禍が続くとは・・
「そんなことも知らないのですか?しっかりしてください。」二年とちょうど半年ぶりの海外添乗。しかもコロナ禍という世の中が劇的に変わった後での初仕事。きちんと準備をしたつもりだが、抜けていたところはあったし、コロコロ変わる現地でのルールを旅行会社が把握し