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徳川家康が、岡崎から浜松に拠点を移したので、改めて浜松城を紹介していきたいと思います。浜松市役所側から浜松城公園に入ると、公園の南側の「本丸南広場」に、解説看板が設置されています。今回は、その解説看板と共に、浜松城を案内していきます。本丸南の空堀左図:17世紀前半 浜松城の図(浜松博物館蔵)右図:安政年(1850年代)浜松城絵図(浜松北高校蔵)この堀は、天守曲輪を含む本丸一帯の防御機能を高めるために設け...
浜松市中区元魚町に鎮座する松尾神社和銅年間(708〜715年)の創建で、当初は浜松神社と呼ばれていたそうです。1577(天正5)年、徳川家康が引間城を拡張、浜松城構築に合わせ、引間城下の塩市口にあった浜松神社を松尾社と合祀し、現在地に移ったといわれています。以後、浜松城主の祈願所として歴代の城主が帰依するようになりました。祭神は徳川家康をはじめ、白鬚神、大山咋神、厳島姫神で、特に白鬚神は浜松の土産神として人...
永禄12年(1569)、徳川家康は、遠江国の国府・国分寺が置かれた政治文化の中心都市であった見付(磐田市)に築城を開始しました。遠江国分寺跡しかし、東方の武田信玄に対し、背後に天竜川を控えており、川が増水したら、織田信長からの援軍が間に合わない、水の便が悪い、信玄のとの関係が悪化したなど、いくつかの理由により築城を断念し、引間(浜松)に城を移すことにしたと言われています。見付の築城には、信長からの強い反対が...
昨日の大河ドラマ「どうする家康」で番組後半に登場した浜松城です。浜松の歴代藩主が出世したことから「出世城」の別名がある城です。全国的に城は桜の名所になっているところが多いですが、やはりここも桜がきれいでした。徳川家康が29~45歳の17年間を過ごした城です。門の前にも家康像がありました。浜松時代の家康の戦いの中で最大のピンチだったのは、武田信玄の巧妙な作戦の前に大惨敗を喫し、命からがら浜松城に逃げ帰った...
浜松城の前身は、引馬(曳馬)城といい、16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。この頃の曳馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたります。1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。元亀元年(1570)、家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移すことに。岡崎城を息子の...
お出かけはやっぱり城廻り 月曜日のお休みのメリットは、人が少ない時にお出かけできること。 さぁ、今日もお城に行くぞ! ということで、静岡県浜松市へ出発しました。 名古屋市内⇒浜松城 9時頃名古屋を車で出たのですが、浜松着は11時頃。 車での日帰り旅は、この辺が限界かなぁぐらいの時間でした。 私は毎週大河ドラマ「どうする家康」を楽しんでいるんですが、 昨晩は引間城の回。もう、浜松ドンピシャじゃん~✨と、ウキウキしながら向かいます。 浜松城公園では、桜祭りが始まっています。 満開にはまだ遠いですが、可愛い桜を楽しむことができました。 そしてお城へ。 ★浜松城とは★ 浜松城の前身は、15世紀頃に築城…
引間城本丸跡に建つ元城町東照宮(2)若き日の家康・秀吉二公像
元城町東照宮の境内には、徳川家康と若き日の豊臣秀吉(木下藤吉郎)の像があります。秀吉(木下藤吉郎)は織田信長に仕える前、16歳前後の3年間、曳馬城主の配下の松下加兵衛に仕え、浜松で暮らしたことあるので、家康像の隣りに秀吉像もあります。二人の像の間に立って、写真を撮れるように作られています。 若き日の家康・秀吉二公と引間城 元城町東照宮の建つこの地は、浜松城の前身・引間城の本丸跡です。戦国時代のこの城...
浜松城の前身は15世紀頃に築城された引間城(曳馬城)でした。築城者については諸説あり。室町時代中期には三河国の吉良氏が支配していたことが判明しています。遠江の斯波氏と駿河の今川氏の抗争中、吉良氏の家臣団の中で斯波氏方の大河内貞綱と今川氏に味方をする飯尾乗連(またはその父飯尾賢連)が争い、大河内貞綱が破れると、吉良氏も浜松の支配権を失い、今川氏親配下の飯尾氏がこの地に入部し、飯尾乗連(あるいは父の飯尾...
2023年2月1日(水)今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、新しい切口の脚本でなにやら面白そうな雰囲気。そこで、より楽しむために聖地巡礼へ出掛けてみることに。だいたい歴史エピソードなんて勝ち残った人が自分に都合よく書き換えたり、後世の人の創作だったりで、真実は(?)なので、このような徳川家康像もアリではないでしょうか。一部の人からの悪評など気にせず、がんばれ松本純!そんなことでまずやって来たのが久能山東照宮。徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、勧請せよと指示しているので、一周忌後に日光山へ改葬されています。とのことです...「どうする家康」聖地巡礼(①家康が眠る久能山)
浜松城に隣接した浜松城公園の日本庭園。徳川家康の時代に造られたものではありませんが、自然豊かな公園は、四季折々の表情を見せてくれます。 紅梅 桜新緑竹林の小径タイワンリスたちにも出会えますよ。木の実を美味しそうに食べていました。 ※2023年1月22日~2024年1月14日の土日祝は大河ドラマ館開館時期のため浜松城公園駐車場が使用できません(公園利用者含む)。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
葵広場の外周に沿って、浜松城に関する案内板や復元されたものが設置されています。瓦集積現在の浜松城で使用されている瓦葵の御紋が見えます。元城町東照宮浜松城、大河ドラマ館の帰りには、ぜひ元城町東照宮をご参拝ください。浜松城の概要大河ドラマ館の後ろにそびえる浜松城浜松城の構造二の丸御殿と御殿の庭園浜松城二の丸御殿の間取りを木材により平面状に復元。XR技術で、発掘現場や御殿が建てられていた当時の様子を再現。...
正月は気分のノンビリしていいのですが、食べてはゴロゴロしていたのでちょっと胃が重くなってきました。体重計に乗るのは怖かったけれど、測定してみると・・・ そんなに増えていません。よかった。正月はスイーツ解禁というので甘いものを結構食べていました。でも、もっぱら和菓子だったのが良かったのかな。そろそろ正月モードから離脱しないとリバウンドが酷くなるし、胃も休めてあげないとだめだろうな。ということで、ウォーキング再開です。神社に初詣に行くついでに、浜松城公園を歩いてきました。 当地方の正月は快晴で暖かい日が続いています。風も少し冷たいくらいで歩くには最適の温度です。青空とお城はよく似合います。 今年の…
新年あけましておめでとうございます。昨年も、たくさんの応援ありがとうございました。今年は、浜松がまた大河ドラマ「どうする家康」の舞台のひとつになります。浜松城の前身は、引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と...
忍冬酒 徳川家康が愛飲したお酒 ベルガモットと合うのをご存知ですか?
忍冬酒、私はワイン検定講師になって酒屋さんの方々と会話する中で、浜松幻の銘酒と呼ばれる忍冬酒を知...
むつぎく!行列のできる浜松餃子店でたらふく食べた話〜浜松城〜
どうも!NHKオンデマンドで東京裁判を見た小生です👨⚖️ ブレイクニー弁護士というアメリカ人が日本側の弁護をしてたんだって知らなかったです…原爆などには罪がないのかって…かっこよ過ぎました。。 さて、この日は久しぶりの旅に出かけました🚙 むつぎく 初めて来たぜ浜松駅🚉 駅から少し歩いたところにあります! 開店前からめっちゃ並んでました😂 オラ、メニューは並んでいる間にけんげぇたぞ! 餃子 特大 ホルモンの味噌焼き オンザライス🍚 私の好きな言葉です。 浜松餃子はキャベツたっぷりで、かなりあっさりしており、最初は物足りないかなと思ったけど、食べていくと美味しくて、ぱくぱく食べてしまいました🤤 …
今回は【遠江国】の家康で有名な 浜松城 の紹介です。 このお城は、かの徳川家康公が三河国の岡崎城から今川氏の旧領である遠江国その先の駿河国の支配までを見据えて拠点を移したのものでした。 その後