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家康を辿る城旅「曳馬城」!家康、遠江へ侵攻!立ちはだかる女城主とゆかりの椿姫観音
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「曳馬城」!家康、遠江へ侵攻
浜松城の前身は、引馬(曳馬)城といい、16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。この頃の曳馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたります。1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。元亀元年(1570)、家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移すことに。岡崎城を息子の...
浜松市浜北区沼の沼八幡宮浜北駅から徒歩数分のところにあります。沼八幡宮は、徳川家康の家臣で戦功のあった太田沼之助が、隠居して家康に与えられたlの土地を開墾し、1586(天正14)年、京都の岩清水八幡宮から御霊分けをしてこの場所に鎮座した神社です。「沼」と名がつく神社は初めて聞いたのですが、この沼八幡宮は、沼之助自身の名前から「沼新田村」とつけたのが由来だそうです。名前に「沼」がつくのも珍しいと思いますが(^_^;)そもそも沼之助は、浜松城下に住み、彼の屋敷に通ずる小路は「沼殿小路」と呼ばれていたそうです。その小路の名は、飯尾豊前守連龍が曳馬城主だった頃、家老の江馬安芸守泰顕の屋敷の脇道が、江馬殿小路、沼殿小路と呼ばれていたとか・・・境内には春の訪れが(*^。^*)神社の名前の由来からいろんなことを知りまし...沼八幡宮(浜松市)
遠州忩劇(えんしゅうそうげき)とは、永禄5年(1562年)から同9年(1566年)にかけての主に天竜川流域における国衆による今川氏への大規模な叛乱のことをいいます。桶狭間の戦いで、敗北した今川家の勢力が弱体化すると、今まで今川家に臣従してきた松平元康(徳川家康)が独立。織田家と同盟を結び、今川家との対決姿勢を見せ、今川家に反旗を翻す在地領主も出てきました。浜松市中区成子町の東漸寺東漸寺は、引間城主飯尾豊前守連...
浜松城の前身は15世紀頃に築城された引間城(曳馬城)でした。築城者については諸説あり。室町時代中期には三河国の吉良氏が支配していたことが判明しています。遠江の斯波氏と駿河の今川氏の抗争中、吉良氏の家臣団の中で斯波氏方の大河内貞綱と今川氏に味方をする飯尾乗連(またはその父飯尾賢連)が争い、大河内貞綱が破れると、吉良氏も浜松の支配権を失い、今川氏親配下の飯尾氏がこの地に入部し、飯尾乗連(あるいは父の飯尾...
浜松市中区元魚町に鎮座する松尾神社和銅年間(708〜715年)の創建で、当初は浜松神社と呼ばれていたそうです。徳川家康が引間城を拡張した折、城内にあった鎮守神の松尾神社を移転、合祀して社名も松尾神社と改め、以後、浜松城主の祈願所として歴代の城主が帰依するようになりました。祭神は徳川家康をはじめ、白鬚神、大山咋神、厳島姫神で、特に白鬚神は浜松の土産神として人々の崇敬を集め、八方除けの守護神として災難除けにご加護があるといわれています。御祭神:白鬚大神・大山咋神・厳島姫神例祭日:六月十五日前の土曜日由緒当社は和銅年間の創建で、浜松神社と言い、白鬚大神を主神として奉斎する浜松の総社であります。猿田彦神とも言われ、八方除け・寿命守護の神さまとして、遠く三河地方まで崇敬が及んでいます。その後天正五年浜松城内の守護神...松尾神社(浜松市)
<引間城・浜松城(前編)> 大河ドラマ「どうする家康」に向けた準備が着々と!
11/21(月)〜22(火)の二日間、東海地方にある「若かりし頃の家康」所縁のお城巡りをしてきました。 前回ブログでは、「鳥羽山城」を訪城して「遠州鉄道」に乗…