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辺津宮(へつみや)は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りしています。土御門天皇 建永元年(1206年)源実朝が創建。現在の建物は延宝3年(1675)に再建されたものです。昭和51年(1976)に改修により、権現造りの現在の社殿が新築されました。神社の祈祷は、主にこの宮で行われています。本殿前には「天女と五頭龍伝説」に由来した龍を祀った江の島弁才天の龍の銭洗、屋根には江島神社の社紋「向かい波三つ鱗」が見られます...
畠山重忠公首塚・畠山重忠公遺烈碑(神奈川県横浜市旭区)を訪問しました
畠山重忠公首塚(→神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰1丁目)は1205(元久2)年6月22日の畠山重忠の乱(二俣川合戦)で討死した鎌倉時代前期の御家人畠山重忠(はたけやましげただ)の首が葬られたと伝わる史跡です。以前は南を向いていたようですが、現在は極楽浄土の方角とされる西向きに建っています。畠山重忠公遺烈碑及び畠山地蔵尊(→神奈川県横浜市旭区万騎が原)は明治時代中期の1892(明治25)年に有志57人によって建立された畠山重忠の供養碑...
首洗い井戸・鎧の渡し・さかさ矢竹(神奈川県横浜市旭区)を訪問しました
首洗い井戸・鎧の渡し・さかさ矢竹(→神奈川県横浜市旭区)は」、鎌倉時代前期の1205(元久2)年6月22日の畠山重忠の乱(二俣川合戦)で討死した鎌倉幕府草創期の忠臣で「板東(ばんどう)武士の鑑(かがみ)」と評された畠山重忠にまつわる史跡です。畠山重忠の乱(NHK大河ドラマ「鎌倉殿と13人」/画像提供:NHK)「さかさ矢竹」は畠山重忠が地面に矢を2本刺したところ後日そこから竹が生えたという伝説が残る場所で、「首洗い井戸」は討ち...
毎週楽しみにしている『鎌倉殿の13人』面白すぎて、いつもあっという間に見終わってしまう。今後ますます加熱する家督争い。陰謀渦巻く鎌倉。義時と父時政の対立、〇〇暗殺は、三谷幸喜さんが誰黒幕説で脚本を書いたのかなどなど、目が離せない。朝ごはん最
【番外編】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」展でいただいたステキな高野山金剛三昧院【コラボ御朱印】
【番外編】 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 アリオ各店舗で順次開催されている 「鎌倉殿の13人」展。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の …
神奈川県民と「鎌倉殿の13人」と二俣川NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た。すると畠山重忠が戦で死んだ。ドラマが終わった後にやる、ゆかりの地を見て驚いた。…
日本維新の会の藤巻健太衆院議員が、ツイッターに、「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」と投稿したことが、しばらく前に話題になった。 ググれば、賛成意見や反対意見が、星の数ほど出てくる。 digital.asahi.com 高校までで、何を学ぶべきかというのは、人それぞれに意見があろうが、三角関数は、特に槍玉に挙げられることが多く、何年かに一度、忘れた頃に不要論が出てくるものらしい。 今から50年以上前の1968年に発売された、高石ともやの「受験生ブルース」という曲にも、「サイン コサイン 何になる」という歌詞があるほどなのだから。 但し、三角関数に限らず、高校まで苦労して身に着けながら…
藤沢から小田急江ノ島線で7分、片瀬江ノ島駅で下車。数年ぶりに江の島を観光しました。『吾妻鏡』には、干潮時、片瀬の浜から江の島まで歩いて渡ったという記載があり、江戸時代には、幕府の高官、歌舞伎役者、職人、火消し、楼主や魚河岸の人々など幅広い階層の参詣者が、干潮時に現れた陸路を歩き、江の島を訪れていたそうです。『養和2年(1182)4月5日に源頼朝が、北条時政、足立遠元ら御家人を引き連れて江の島に来島、この...
またまた悲劇の予兆。梶原・比企・頼家…今までと同じように悲劇が続いていく。それは、鎌倉のためと言いながら、実は北条のためではないか?畠山重忠(中川大志)の言ったことは、その通り。有力御家人を排除しても、北条の野望は終わらない。北条政範(中川翼)の死は、平
最期まで畠山重忠(中川大志)はかっこよかった。畠山に非は全くない。鎌倉に向かおうとしていたのは、反旗を翻してのことではない。その途中、謀略に遭って息子重保(杉田雷麟)が殺害される。これも、酷い。騙し討ち。北条の力には敵わない。でも、畠山の意地を通す。敗れ
北条義時(小栗旬)の妻となったのえ(菊地凛子)。第35回「苦い盃(さかずき)」で、のえの裏を一目で見破る三浦義村(山本耕史)。流石でした。三浦とのえが出会ってしまったwwさすが三浦義村 やっぱり気づいたかw#鎌倉殿の十三人— えにし (@M
第34回「理想の結婚」で勧められた結婚をすべきか悩む北条義時(小栗旬)は八田知家(市原隼人)に結婚相手に問題がないか見定めるようお願いする。#鎌倉殿の13人第34回 理想の結婚成長著しい実朝。タイトル通り久しぶりの鬱回脱却。様々な人の思惑が
山陰駅巡り22夏-京都兵庫鳥取編(19) 京福電気鉄道嵐山本線 四条大宮駅 ~嵐電の古参電車に乗車~
阪急京都線の大宮駅からすぐそばにある嵐電の四条大宮駅にやってきました。四条大宮駅は京都府京都市下京区四条大宮町にある京福電気鉄道の停留場。軌道路線である嵐山本線の起点となります。路線の愛称は「嵐電」。嵐山本線と支線の北野線を合わせた愛称だそうです。開業は1910(明治43)年3月と古く、当時は京都駅と呼ばれていたそうです。位置的には四条通と大宮通の交差点に線路が南東側から突き当たる形になっています。駅ビルは...
今日は仕事だった。風が強かったから自転車だと危ないなと思い、歩いて駅まで行くことに。歩くんなら違う電車で行ってみようと思って、目的の駅まで片方だけイヤホンして、宝塚の曲を聴きながらてくてく歩く。駅まで約15分。仕事前に歩くのは15分ぐらいが
今年1月の終わり頃に「静岡県東部では、マックスバリュなどのスーパーでも、北条義時まんじゅう他、関連の商品が売られていて、菓子パンまで売っている」という記事を投稿しました。そして今回見つけたのは、またマックスバリュの菓子新商品コーナーでの↑上記写真商品。(税込594円)「おなごはきのこ好き」の御言葉に違和感を覚えていた私。百歩譲って鎌倉時代はそうだったとしても、現代の江間は苺狩りで有名。家族連れやデートする人達が楽しむ場となってるのでした。なので、現代だったらきのこじゃなくて苺籠でもくれてたら、アレルギーが無い人なら、たいていは喜んでくれるんじゃないでしょうか?↑中にはトマトケチャップの包装似な小分け袋入の半球形に固めた苺味チョコがIN。↑この人、あまり武者姿の印象無いんだけど、昨日の放送では戦友さんと鎧兜...不思議な味のお菓子さん参捨六NHK大河便乗大国・静岡②
一ノ谷の戦い(2)河原太郎・次郎ゆかりの三宮神社~小野八幡神社
神戸の元町駅から南東5分、大丸神戸店の斜め向かいにある三宮神社。生田神社の八柱の裔神を祭った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たる湍津姫命(たきつひめのみこと)を祭った神社です。三宮神社の境内には、河原霊社があり、源平一ノ谷合戦の東城戸における戦いで、生田の森に陣取る平家方に攻め込み、戦死した河原太郎高直・次郎盛直の霊を祀っています。武蔵国の住人、河原太郎高直と次郎盛直兄弟は、...
一ノ谷の戦いは、摂津国福原および須磨で行われた戦いです。寿永3年2月、源範頼、源義経軍は、二手に分かれ、平家軍に攻撃を仕掛けました。福原に拠点をおいていた平家軍に対し、範頼軍は、生田口を襲い、一方義経軍は、平家の背後に回り、一の谷城裏手の断崖絶壁から、一気に駆け下る「逆落とし」を決行したといいます。鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」迂回進撃を続ける搦手軍の義経は鵯越(ひよどりごえ)で軍を二分...
須磨寺は源平合戦ゆかりの寺です。源平の庭一ノ谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 熊谷直実像直実は、武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方でしたが、義朝の死後は一時、平家に仕え、頼朝挙兵後は、再び源氏方につきました。一の谷...
神泉苑は、延暦13年(794)、元は桓武天皇により平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宮殿があり、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園で...
京都市下京区にある長講堂を紹介します。後白河法皇が六条殿内に持仏堂として建立し、法華経を長期にわたり講読したことから法華長講弥陀三昧堂を略して長講堂という寺名になったそうです。寺宝として、本尊阿弥陀如来及両脇侍像、後白河法皇木像があります。また法皇自ら死者の名を書き入れたという過去帳には、祇王、祇女やその母、仏御前、義経らしき人物の名も記されているとか。もと後白河法皇が仙洞御所に営まれた持仏堂で、...
神戸市長田区にある平忠度の腕塚堂(平忠度塚) 平忠度は、平清盛の末弟で、歌道にもすぐれた豪勇で知られた武将でした。源平一の谷合戦(1184年)のとき、平忠度は一の谷陣の大将でしたが、敗れて駒ヶ森指して落ちていく途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に後ろから右腕を切り落とされてしまいました。忠度はついに静かに念仏して討たれ、そのエビラ(矢を入れて背に負う道具)には...
平忠度の腕塚堂の近くにある胴塚薩摩守平忠度(1144年-1184年)は平清盛の末の弟で、文武に秀でた将に平家「一門の花」と云われていた。源平一の谷の合戦に於いて源氏の武将岡部六弥太忠澄(おかべ ろくやた ただすみ)に討たれ惜しくもこの地で戦死したが最後は駒ヶ林の辺だと伝えられている。歌道は藤原俊成に師事し、「千載集」にも詠人知らずとして採られているほど武芸にも歌道にも優れた良い武将であった。人は皆、敵も味方もこ...
9月18日放送の「武士の鑑」において、中川大志さん演じる畠山重忠殿が退場されましたので、改めて横浜市旭区の畠山重忠ゆかりの二俣川・鶴ヶ峰古戦場の史跡をまとめてみました。源頼朝の死後、幕府内部の権力闘争が続き、正治2年(1200年)の梶原景時の変、建仁3年(1203年)の比企能員の変によって有力者が滅ぼされ、幕府の実権は、14歳の3源実朝を擁する北条時政が掌握していました。畠山重忠は、治承4年(1180年)、石橋山の戦い...
畠山重忠古戦場跡(→神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰本町)は、鎌倉時代前期の1205(元久2)年6月22日の畠山重忠の乱(二俣川合戦)で討死した鎌倉幕府草創期の功臣・畠山重忠(はたけやましげただ)にまつわる史跡で、周辺には畠山重忠(二俣川合戦)にまつわる史跡が点在します。中には「さかさ矢竹」や「すずり石水跡」のような後世の創作と思われる史跡もありますが、「板東(ばんどう)武士の鑑(かがみ)」と評された畠山重忠を偲ぶ先人達の想い...
おはようございます (酒田市33度 ) もう暑くて暑くて、この連休、何なの過ごしにくい 昨日は、前日に、みょうがの漬物を大量に漬けていたので、…
【鎌倉殿の13人】第36話あらすじ感想~武士の鑑|畠山重忠の乱
なぜこんなことに―謀反人畠山次郎重忠。時政:畠山一族を滅ぼす義時:どうしてそういうことになる!りく:畠山は謀反人ですよ政子:本当に謀反をたくらんでいたのですか義盛:もうちょっと生きようぜ。楽しいこともあるぞ重忠:戦など誰がしたいと思うかー!
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜陰謀、ドロドロ、策略…鎌倉は真っ黒だよね…ってことで第35話の感想ぉ!畠山討伐を企む北条時政とりく。りく…
鎌倉市由比ガ浜2丁目の鶴岡八幡宮の一の鳥居の横に、畠山重忠の息子・畠山重保の墓塔とされる石造宝篋印塔が、畠山重保邸阯碑や庚申塚とともに建っています。鎌倉市指定有形文化財 石造宝篋印塔 明徳四年銘高さ3.4mを超える、市内でも大型の宝篋印塔で、鎌倉幕府御家人、畠山六郎重保墓塔と伝えられます。塔の基礎には『明徳第四 癸酉霜月三 日大願主 比丘道友』と刻銘があり、作風からも明徳四年(1393年)造立と見られます。同...
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、時政の野望…!初代
【常楽寺】鎌倉市大船5-8-29 こちらのお寺を訪れたのは、2013年以来、今回で2回目。住宅街にある静かなお寺のイメージは変わっていませんでした。御成敗式目の制定に尽力した、鎌倉幕府3代執権・北条泰時が眠る場所です。現在放送中の「鎌倉殿の13人」では、坂口健太郎さんが泰時役を好演しています。仏殿仏殿に祀られているご本尊様も天井絵も見学できます。お寺によっては、ご本尊を見学できない所もありますからね。こちらは...
【鎌倉殿の13人】みんな心配していた比企尼、一週間で闇堕していた…
第31回「諦めの悪い男」で遂に、北条と比企の争いが決着。北条により比企一族が滅ぼされた。比企尼(ひきのあま)とは?源頼朝(大泉洋)の乳母。頼朝が流罪となり伊豆へ流されると同じく都から坂東へ下り、以来、援助を続ける頼朝の大恩人。比企が勢力を拡
佐助稲荷神社は、平治の乱後に蛭ヶ小島に配流された源頼朝の夢に、稲荷の神霊が老翁の姿で現れ、平家討伐の挙兵を勧めたという神社。そのため、平家討伐後、「佐介ガ谷隠れ里」の霊地を選び、畠山重忠に命じて社殿を造らせたといいます。 参道沿いに100本以上の赤い鳥居が並んでいます。佐助という名は、頼朝の幼少の名前「佐殿」を「助けた」という意味で「佐助」と名付けたとも、上総介・千葉介・三浦介という3人の介の屋敷があ...
【大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)】三谷幸喜脚本で茶化されてしまった人物たちの真実。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』 三谷幸喜脚本で茶化されてしまった人物たちの真実 三谷幸喜脚本で茶化されてしまった人物たちの真実 『鎌倉殿の13人』とは 三谷幸喜脚本の妙味こそが勘違いのもと 三谷幸喜脚本の犠牲者 北条時房(演:瀬戸康史) 三谷脚本で一番の被害者? 北条泰時(演:坂口健太郎) 人格者・北条泰時 安達景盛(演:新名基浩) 実は猛将・安達景盛 北条政子(演:小池栄子) 北条政子と呼ばれたことはない? 劇中でも北条政子と呼ばれていない? 後世に語り継がれる政子の名演説 政子の演説は秀吉・家康も引用するほどの名文 頼朝との夫婦漫才からの脱却 比企能員(演:佐藤二郎) 演技のクセに惑わされる…
「鎌倉殿の13人をマンガで理解する」最近、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がゴチャゴチャになって来た。途中から見始めたのもあり、何が何やら。そこで日本史の教…
※「鎌倉殿の13人」のネタバレになるかもしれませんので閲覧注意です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、いよいよ『畠山重忠の乱』になりますね。重忠カッコいい〜この…
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に触発されて鎌倉に出かけてきました。夕方の限られた時間で鶴岡八幡宮を参拝、夏の終わりの心地よい緑を満喫しました。
江戸時代、水質に恵まれない鎌倉の地において、質の良い水が湧き出す井戸は貴重な水源でした。鎌倉十井(かまくらじっせい)とは、水質も良く美味で、伝説やいわれが残る鎌倉を代表する十の井戸のことで、江戸時代に『新編鎌倉志』で選定されました。鎌倉十井鉄ノ井(雪ノ下・小町通り)底脱ノ井(扇ヶ谷・海蔵寺)泉ノ井(扇ヶ谷)銚子ノ井(名越、別名「石ノ井」)星ノ井(坂ノ下・虚空蔵堂、別名「星月夜ノ井」)六角ノ井(材木...
中川大志の静かな圧が凄い 9/11に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の35回「苦い盃」。てっきり畠山滅亡回かと思い、前回ブログでは先走ってしまった。苦い盃=心ならずも畠山を討ち取った後の義時の苦い祝杯か?と予想してのことだった。 toyamona.hatenablog.com 考えてみれば、確かにパッパッと片付けるなんてもったいないことを制作側がするはずがない。たっぷり見せるよね。畠山重忠を好演する中川大志の退場があまりに勿体なくて、こちらも身構えすぎた。 次36回の「武士の鑑」はタイトルからそのものズバリでため息しかないが、前回の先走りを反省して予告についてはあまり触れない方が良…
【鎌倉殿の13人】源頼家、北条義時、阿野全成、古井戸に落ちた平知康を助けるため力を合わせる
【鎌倉殿の13人】第29回「ままならぬ玉」にて源頼家。頼家と将軍の座を争った頼朝の異母弟の阿野全成、そして北条義時が古井戸に落ちた平知康を助けるため力を合わせる
【鎌倉殿の13人】北条義時、女性は全員キノコが好きだと本気で思っていた模様
第29回「ままならぬ玉」にて、三浦義村の娘”初”が登場。 北条義時の息子・泰時の幼馴染。彼女を振り向かせるため父・泰時は息子に「女性は全員キノコが好きだ」と謎のアドバイスをするのだった。
【鎌倉殿の13人】赤ん坊を幼馴染の家に無理やり預けていく三浦義村
【鎌倉殿の13人】第16回「伝説の幕開け」にて、北条義時と八重さんの間に息子「金剛」(後の北条泰時)が産まれました。そこに現れた三浦義村。
第2回「佐殿の腹」から登場した相模の豪族・土肥実平。たくさん登場する坂東侍の一人ながら、キャラクターが立っており、気になった視聴者も多いのでは?土肥実平(どいさねひら)とは?土肥実平(阿南健治)は相模の豪族で温泉郷の領主。源頼朝(大泉洋)か
【鎌倉殿の13人】自ら離縁を切り出す比奈が辛すぎる(堀田真由)
第32回「災いの種」で遂に、比奈が義時と離縁してしまいました。比奈さんが素敵で思い入れもあって見てたので、この展開はやるせないよ!彼女は権力闘争の被害者なんだよね....比奈(ひな)とは?比奈(堀田真由)比企尼の孫。権力闘争を繰り広げる北.
【鎌倉殿の13人】数秒しか登場しなかった源 仲章(生田斗真)が感じ悪すぎて最高!
【鎌倉殿の13人】第31回「諦めの悪い男」で全成の息子を京都で成敗した源 仲章が登場