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大河ドラマ鎌倉殿の13人の予習におすすめの本13冊!原作本?も紹介
大河ドラマ鎌倉殿の13人の予習におすすめの本13冊!原作本?も紹介。歴史は好きだけど詳しくない管理人が実際に読んだ楽しくてわかりやすい『鎌倉殿の13人』おすすめベスト13冊をご紹介します。『鎌倉殿の13人』と『草燃える』を味わい尽くす必読書ラインナップです。
【鎌倉殿の13人】31話 ”諦めの悪い男” 鎌倉に戦のにおい ネタバレあらすじと感想
【鎌倉殿の13人】31話 ”諦めの悪い男” 鎌倉に戦のにおい ネタバレあらすじと感想。比企能員の最期。頼朝の元で英才教育を受けた義時の采配『ゴッドファーザー』のアル・パチーノような小栗旬さん。みんながダークサイドに転落していく中、純粋なままでいられる人はいるのか。
大河ドラマ鎌倉殿の13人2話佐殿の腹ネタバレあらすじと感想。運を味方につけて伊東から北条へ移った頼朝。笑いの中に政子とのなれそめや八重からのバトンタッチも。義時は頼朝の天運と人たらしを目の当たりにして、大きな歴史の渦に飲み込まれていきます。
大河ドラマ鎌倉殿の13人 かなり気楽にマネするヒントと世界観を味わう10選!
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が人気ですね。当時の暮らしぶりはサスティナブルそのもの。かなり気楽に「見立て」で鎌倉殿の13人をマネするヒントをご紹介します。ただし「よい子はマネをしてはいけません」と言ったことは、マネしません。
【鎌倉殿の13人】32話 ”災いの種” 比奈、仁田、善児、頼家 ネタバレあらすじと感想
32話では比奈、仁田、一幡、頼家が涙とともに鎌倉を離れます。比奈と別れダークサイド一直線の義時がアクセルなら、泰時(坂口健太郎)と初(福地桃子)がブレーキになるのか。善児が人間らしさを取り戻し、仁田が義に倒れ、頼家の無念をよそに、三代目・実朝が誕生します。
知らなかった。鎌倉・扇ガ谷。まさか「おうぎがやつ」と読むとは。また「けわいざか」と読ませる難読地名。ガイドブックによっては、「化粧坂」「仮粧坂」と別の書き方を…
仁田館は、仁田一族の菩提寺である慶音寺に隣接し、同家邸内には、四郎忠常・五郎忠正・六郎忠時の墓石があり、現在も子孫によって守られています。仁田四郎忠常兄弟の墓六郎忠時(右)、四郎忠常(中央)、五郎忠正(左)仁田忠常頼朝死後は跡を継いだ二代将軍・源頼家に仕えた。引き続き頼家に信頼され、建仁2年(1202年)には忠常の屋敷で小笠懸が催されている。『保暦間記』『北条九代記』は頼家の嫡男・一幡の乳母父となったとする[...
8月21日の回で、仁田忠常殿が退場してしまわれたので、三島の仁田忠常ゆかりの地を再アップします。伊豆箱根鉄道「伊豆仁田駅」から徒歩約5分のところに、函南町仁田館遺跡があります。ここは、源頼朝の旗揚げに尽力した仁田忠常の屋敷跡とされる遺跡です。来光川河川改修による発掘調査では、屋敷の周りの堀や、多くの土器や陶器、こけら経など貴重な遺構や遺物が発見されました。仁田四郎忠常 月岡芳年画「芳年武者无類」仁田忠...
【鎌倉殿の13人】第32話あらすじ感想~災いの種|三代将軍源実朝誕生
頼家は目を見張るほどの回復力を見せている。義時らは誰が頼家に話をするのか、今後どうすべきか話し合います。義時の答えは一つ。頼家が息を吹き返す前に戻すしかないのでした…。 前回のあらすじはこちら 【鎌倉殿の13人】第31話あらすじ感想~諦めの
「鎌倉殿の13人の悪質な終わり方(笑)」NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ています。すると最後に極めて悪質な終わり方をします。ドラマで散々盛り上げた後で、…
本日は、福島旅行のお話は一休みです!8月21日(日)<神奈川芸術劇場>で行われた、【鎌倉殿の13人】のトークショーに行ってきました。横浜市の広報誌にそのトークショーの予告が載っていたので、ダメもとで観覧希望の往復ハガキを出してみました。(7月下旬締切)なかなかその結果が届かなかったので、「抽選、ダメだったんだな。」と思っていました。2週間くらい経ち、忘れかけていた頃、水色の封筒を手にした私・・・やったぁ...
北条義時の二人目の妻、姫の前「権威無双の女房で、容姿がとても美しい」「離別はしないという起請文をもらい受け、結婚の儀に及んだという」などと記されています。源頼朝の大倉御所に勤める女官であった姫の前は、『吾妻鏡』に「比企の籐内朝宗が息女、当時権威無双の女房なり。殊に御意に相叶う。容顔太だ美麗なり」と記されており、頼朝のお気に入りでたいへん美しく、並ぶ者のない権勢の女房であった。義時は1年あまりの間姫...
竹林の小径から指月殿へ指月殿の横には、源頼家の墓があるのですが、その階段下に『お伺い石』という石があります。 この石には不思議な力があり、石の重さで、自分の願いが叶うか叶わないか占う事ができるといわれています。戦前にはこの占いは盛んに行われていましたが、次第に廃れていったため、再度占いができるよう修復し、現在の場所に移設されました。指月殿の中には、釈迦如来像が安置されており、その右手に持っている蕾...
梶原景時(中村獅童)が討たれ、三浦義澄(佐藤B作)と安達盛長(野添義弘)が死去。義澄の死は、時政(坂東彌十郎)が振り払ったのがとどめになったのか?鎌倉殿の13人が、もう10人に減ってしまった。その中で、ますます北条と比企の争いがエスカレート。そうなると比奈(
今回は阿野全成について。彼の所領、阿野荘は今の沼津市北西部辺りにあった。根方街道沿いの大泉寺は、全成の館跡に建てられたと言われ、その持仏堂が起源という。全成の首が、常陸から飛んできて松に引っかかったという伝承が残る。7月2日には、新納慎也さんと宮澤エマさ
頼家(金子大地)が生死を彷徨う病。危篤状態に陥ったとある。北条的には、比企と一幡(相澤壮太)排除には、絶好の機会ととらえたのかもしれない。逆に比企は、一幡を鎌倉殿にする絶好の機会が早く回ってきたと喜んでいたのかも。それだけ、頼家はどちらにとっても扱いにく
電車&バスでGo!その5~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 三浦編~
画像:横須賀・三浦半島にゆかりの深い三浦氏の三浦義村は山本耕史さん、和田義盛は横田栄司さんが演じます。@【11…
三浦一族のふるさと さて美術館に続き今度は商店街に行ってまいりました。三浦氏の武者行列を行っている事でも知られ…
鎌倉比企ヶ谷「妙本寺」!鎌倉殿をめぐる悲劇…比企一族ここに滅ぶ
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、鎌倉比企ヶ谷「妙本寺」!鎌倉殿をめぐる悲劇…比企一族ここに滅ぶ…です。
顔の大きい佐藤二朗 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第31回「諦めの悪い男」。今回もまたまたすごかった。8/14に放送され、ここぞという時の思い切りの悪さ&先見の明の無さが尾を引いて、比企能員が死んだ。おもしろおじさんのイメージの強かった佐藤二朗が、笑顔の怖ーい悪役・比企能員を演じて、最期まで小物らしくジタバタして素晴らしかった。 当主の戻らない比企家で、「兵を整え迎え撃て!」と息子に叫ぶ妻の道、不幸にもまだ健在だった比企尼(何か投げてましたね)、そして一幡をかばってトウに瞬殺されたせつ・・・切ない。この女優陣にも涙。拍手を送りたい。 佐藤二朗は顔が大きい。義時や頼家と見合っているシーンで…
修善寺の竹林の小径は、修善寺温泉街の中央を流れる桂川沿いの散策道。平成6年(1994年)から3年間を費やして整備されたそう。小径内の無料で見学できるギャラリー「しゅぜんじ回廊」では、修善寺の四季の様子を写真で紹介しています。この時は、ちょうど「源頼家」展をやっていました。大きなタケノコ見っけ!竹林の中央エリアには、大きな竹の円形ベンチがあり、休憩スポットとなっています。竹林の中から、八重さんが現れました...
電車&バスでGo!その8~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く~ 鎌倉・金沢編~
鶴岡八幡宮~大河ドラマ館も設置される武家の都鎌倉の象徴~ 画像:横須賀・三浦半島はおろか日本中に影響を与えた佐…
電車とバスで行ってみたその1:横須賀美術館特別展 運慶 鎌倉幕府と三浦一族
鋭い眼光がアイキャッチ さて美術館と言う柄でもないですが、当サイトで何度も取り上げている「鎌倉殿の13人」に関…
赤蛙公園は、修善寺温泉街の西の端、滝下橋のほとりにある小公園です。昭和19年に作家の島木健作が病気療養のため修善寺を訪れた際、桂川の中州から向こう岸に渡ろうとする1匹の赤蛙に目が留まり、短編 「赤蛙」の構想を得たところといわれています。島木健作小説家。明治36年9月7日、札幌生まれ。本名朝倉菊雄。2歳のとき父を失って一家は離散し、苦学しながら20歳で北海中学を卒業、東北帝国大学法文学部の選科に入ったが、東北...
修善寺の桂川にかかる5つの橋は、上流から滝下橋、楓橋、桂橋、虎渓橋、渡月橋といい、などそれぞれ別名が付いています。滝下橋(たきしたばし) 別名:安らぎ橋赤蛙公園の近くの橋が滝下橋で、橋が朱色ではありません。夫婦円満のご利益があるといわれています。北条義時ゆかりの地の幟が飾られていました。渡月橋(とげつばし) 別名:みそめ橋渡月橋は良縁祈願のご利益があるとされています。虎渓橋(こけいばし) 別名:あ...
”鎌倉殿の13人”比企能員館跡!東松山市「宗悟寺」「城ヶ谷」へ
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。今は「鎌倉殿の13人」に夢中…。今日の夢中は、”鎌倉殿の13人”比企能員館跡!東松山市「宗悟寺」「城ヶ谷」へ…。鎌倉初期に権勢を誇った比企一族の栄華の跡をめぐります。
独鈷の湯(とっこのゆ)は、修善寺温泉の修善寺川(桂川)の川中にあり、伊豆最古の温泉ともいわれています。大同2年(807)、修善寺を訪れた空海は桂川で病気の父の身体を洗う少年の孝行の心に打たれ、「川の水では冷たかろう」と持っていた独鈷杵で川の岩を打ち、霊泉を湧き出させました。その湯に浸かったところ、十数年来の父親の病気はたちまち完治させることができたといいます。これにより、温泉療法が広まり、修善寺温泉が...
妙本寺の境内に、源頼家の娘・源媄子(よしこ)の墓があります。寺伝によると、鎌倉幕府2代将軍 源頼家と比企能員の娘 讃岐局との間に生まれましたが、比企の乱で一族が滅ぼされました。生き残った媄子(よしこ)は、祖母 北条政子の死後、幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊敬を集め、彼らをまとめる役割を果たしました。幕府は政権維持のため、京都から藤原頼経を迎え、4代将軍とし、媄子は4代将軍の奥方となりま...
【2022/08/14(日)】鎌倉殿の13人…31回12.1%(7.2%)、平均13.25%(7.97%)日曜劇場「オールドルーキー」…7回10.3%(6.1%)、平均10.51%(6.36%)「新・信長公記~クラスメイトは戦国武将~」…4回3.8%(2.1%)、平均4.88%(2.80%)【2022/08/13(土)】初恋の悪魔…5回5.2%(2.9%)、平均4.94%(2.80%)土曜プレミアム・映画「ワンピースフィルムストロングワールド」…?%(?%)【2022/08/12(金)】金曜ドラマ「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」…5回7.4%(4.2%)、平均7.28%(4.06%)金曜ロードショー「天空の城ラピュタ」…12.6%(?%)【2022/08/11(木)】遺留捜査…5回?%(?%)、平...ドラマ視聴率(2022/08/08-2022/08/14)
妙本寺の方丈門のところに境内の案内図があります。ここから門に入らず脇の細い道を進んで行くと、階段があり、これを上って行くと、蛇苦止堂というお堂に辿り着きます。比企の乱で、井戸(一説に池)に飛び込んで自害したという若狭局は、後に北条政村の娘に霊となって憑き、日蓮によって供養され、蛇苦止堂(じゃくしどう)に祀られたといいます。比企の乱より50年ほど後、北条政村の娘が何かに取憑かれて座敷をのたうち回り苦し...
【鎌倉殿の13人】第31話あらすじ感想~諦めの悪い男|比企の乱
1203年7月、頼家の病は父・頼朝と同じような病状で回復は期待できそうもない。比企能員は娘のせつが産んだ一幡を次の鎌倉殿に就かせるため、朝廷との手続きを進めようとします。義時は異を唱え、文官たちは当面見守ることにしたが……。 まさかの医者が
1979年の大河ドラマ「草燃える」の原作となった永井路子の直木賞受賞作で、頼朝の異母弟・阿野全成を主人公にした「悪禅師」、頼朝の寵臣・梶原景時に焦点を当てた「黒雪賦」、北条政子の妹・保子の半生を描く「いもうと」、頼朝を補佐し、後に2代執権の座に就いた北条義時を主人公とした「覇樹」からなる連作短編集。同時代を、異なった4人の人物の視点から描き、どれも読み応えがあるが、とりわけ、頼朝の異母弟・全成の目を通して語られる「悪禅師」、いつもは憎まれ役の梶原景時を気骨のある人物として描いた「黒雪賦」が出色。「鎌倉殿の13人」の脚本の三谷幸喜自身が、「草燃える」の影響を口にしているのだから、当然原作となったこの小説も、大きな影響を与えていると思う。こちらもドラマに影響されて、また読んでみようかと思っている。「鎌倉殿の1...『炎環』(永井路子)
自分が他と違う個性を持っているというところで、それがアドバンテージになって~エバン・コールの言葉
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壇ノ浦の合戦から間もなく、安徳帝が沈んだ関門海峡のほとりに阿弥陀寺というお寺が建てられましたたが、明治になって赤間神宮となり、安徳天皇を祭神としています 。 海に沈んだ安徳帝を祀る本殿は、竜宮を表しています。「源平盛衰記」によると、後白河天皇から海に沈んだ三種の神器のひとつである宝剣を探すように命じられた義経は海人に潜らせて探させたが見つからず、次のように報告しました。海底には龍宮城があり、その奥に...
下関の赤間神宮境内に、安徳天皇を祀った安徳天皇阿弥陀寺陵があります。壇ノ浦の戦いの1年後、安徳天皇の怨霊を鎮めるため源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂が建てられた。御影堂(天皇殿)が安徳天皇社であり、京都方面を向いた東向きで造立された。『玉葉』によると、後鳥羽天皇の時代に長門国に安徳天皇の怨霊鎮慰のため、一堂が建立されている。阿弥陀寺は天皇怨霊鎮慰のため、まず木彫の等身大尊像が刻まれ、本殿の中心に厨子...
下関市伊崎町に赤間神宮小門御旅所があります。寿永4年(1185)3月24日、伊崎の中島組という漁業団が網を張って小門(おど)海峡で漁をしていた時、壇ノ浦で入水した安徳天皇のご遺体がいわし網にかかり、中島家がご遺体を陸上に引き揚げて安置した場所が「御旅所」であり、紅石山の麓に手厚く葬ったのが現在の安徳天皇阿弥陀寺陵であると伝えられています。 「先帝祭上臈参拝」の翌日(5月4日)、赤間神宮を出発してこの小門の御...
江ノ電の線路を渡り、民家の前の道を通り過ぎると、満福寺に続く階段が見えてきます。階段を上がると、すぐに本堂が見えます。満福寺は、天平16年(744年)に行基が開山したとされています。元暦2年(1185年)5月、源義経が、兄の源頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず、腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られています。本堂に向かって右手に弁慶の腰掛石、左手には義経公慰霊碑と弁慶の手...
滋賀県野洲町大篠原は、平家終焉の地であります。国道8号線から一歩細い道を入った奥に、ひっそりと墓標が立っています。壇ノ浦で、平家一門を倒した源義経は、平宗盛・清宗父子を捕らえ、頼朝に報告するため、鎌倉へ向かいますが、手前の腰越で留められてしまいます。鎌倉入りを許されず、京に戻る途中、源頼朝の命により、宗盛父子を斬首。鏡の宿を過ぎたここ篠原が平家終焉の地になりました。義経は、元服後も何度か「鏡の宿」...
草津市野路の民家の庭に、平清宗の胴塚と伝える石塔があり、保存供養されています。 平清宗 平安後期の公卿、平宗盛の長男、母は兵部権大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、三才で元服して寿永二年には正三位侍従右衛門督であった。源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年壇ノ浦の戦いで父宗盛と共に生虜となる。 「吾妻鏡」に「至野路口以堀弥太郎景光。梟前右金吾清宗」とあり、当家では代々胴塚と...
1180年12月、平清盛は五男の平重衡に南都攻略を命じました。そこには、南都が反平家勢力の拠点であったこと、奈良の僧兵が以仁王の謀反に手を貸していたという背景がありました。夜戦のため、民家に火を放ったところ、風に煽られて火が興福寺に燃え移り、さらに東大寺まで広がり、庶民が逃げこんだ大仏殿までもが炎に包まれてしまいました。興福寺東大寺大仏殿南都焼き討ち後、1181年、清盛は亡くなり、平家は都落ちをします。1184...