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④どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(お参り&海鮮ディナー)編。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 楽しくて、パワー…
③どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(お参り&カフェ)編。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 昨日からの続きで…
②どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(お参り&ランチ)編。
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①どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(タイ衣装で遺跡写真)編。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 ずーっとずーっと…
修復中でした、ここは初めて来ましたスコータイ様式のチェディワット・ロカヤ・スターラームここも前に1回来ました、懐かしい全長28mの涅槃仏ワット・プラ・シー・サ…
アユタヤに向かいました、また2時間くらいかかりました🚙途中トイレ休憩🚻タイにはセブンがいっぱいありました😆暑くて喉が渇く😆タイにしかない飲み物を頼んでみました…
ルークナムのブログの数少ない読者の皆さま、こんばんは。ルークナムです。いつも読んで頂いて有難うございます。ルークナムのブログは、マニアな皆さまのご支援で成り立…
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Kung Phuean Praew|アユタヤ名物エビセンターでエビを堪能
こんにちは、タイ赴任に帯同中のEmmaです。 先日義理家族がタイに旅行に来てくれた際、アユタヤ観光ではエビセンターでランチをいただいてきました。 アユタヤのエビセンターは美味しいエビがリーズナブルにお腹いっぱい食べられると評判でずっと行って
観光していたら帰れないリスク!Klookのツアーを使って効率よくタイ観光!
Klookのツアーを使って効率よくタイ観光! 今回紹介するのは、Klookのツアーを使って交通の便が悪いタイを…
今日からタイ北部を目指して本格的な旅が始まる。ので旅1日目ということでスタートです。移動と観光と酒飲みを繰り返す日々の幕開けだ。宿泊していたホテルをチェックアウトし列車でアユタヤへ行くために駅へと向かうのでとりあえず地下鉄に乗る。そして降り
アユタヤで予約しておいた宿にチェックインできる時間になったので向かった。部屋はこんな感じで殺風景で窓もなくシャワー・トイレは共同のゲストハウスだった。しかし廊下の窓からの景色は素晴らしく濁った川の流れを見ながらまったりとできる。まだまったり
The Summer House Ayutthaya|川沿いのアユタヤカフェ
こんにちは、タイ赴任に帯同中のEmmaです。今回ご紹介したいのはアユタヤにある【The Summer House Ayutthaya(サマーハウスアユタヤ)】というカフェ。アユタヤ観光の遺跡群からも程近く、チャオプラヤ川沿いに位置しており時
The Station|日本人好みのアユタヤおすすめのカフェレストラン
こんにちは、タイ赴任に帯同中のEmmaです。アユタヤ観光でおすすめのカフェレストランを見つけたのでご紹介します。ご紹介するお店は【The Station】という店名通り、鉄道のアユタヤ駅直結のカフェレストランです。日本から両親がタイに遊びに
こんにちは、タイ赴任に帯同中のEmmaです。突然ですが、タイといえば象を思い浮かべる方も多いと思います。うちの両親も例に漏れず、タイに遊びにきた時には象に乗りたいとリクエストがありましたので、アユタヤ観光でエレファントキャンプに寄って、象に
電車でアユタヤに行きました。 可愛い駅 旧バンスー駅から電車に乗りました。 駅広過ぎて、走りました💦 アユタヤへ行く電車は、1番ホームで、端っこでした。 扇風機車両で、20バーツ。 切符の切り込みが❤️で可愛い。 アユタヤから帰りの時刻表 帰りの電車の時間をチェックしてから遺跡に行きました。 見学したかったのは、1ヶ所だけだったので、トゥクトゥクのチャーターはしませんでした。チャーター代は、1時間1人300バーツですが、ディスカウントしてくれると言っていました。 この遺跡だけ見学して駅に戻りました。 遺跡からアユタヤ駅までは、grabで73バーツでした。
古都アユタヤにあるカフェ「バーンカーオノム」の店内では美味しいコーヒーやアイスクリームを楽しめるだけでなくたくさんの種類のタイのお菓子が売られています。 地図 営業時間:火曜日ー金曜日 朝8時ー夕方5時 土曜日ー日曜日 朝9時ー夜6時 定休日:月曜日 (時間変更があります) 店内 ユネスコ世界遺産に登録された街だけあって店内も古い建物の雰囲気でデザインされています。 またお店の裏にはテラス席があります。 店内ではたくさんのタイのお菓子が売られています。 ナームマトゥムというミカン系の果物を干したジュースがあります。 屋台やローカルのお店でも売っていますが味はかなり甘いです。 メニュー メニューはコーヒーや お茶や このお店独自のドリンクがあり ソーダや アイスフロートなどがあります。 またおいしそうなアイスクリームのメニューもあります。 といぅことで私はアイスモカ、妻はブルー抹茶を注文しました。 左にあるのがアイスモカで値段は70バーツ いい香りのアイスモカでした。 青いのがブルー抹茶で値段は95バーツです。 濃厚な味のブルー抹茶でした。 私はヤーイ―のアイスクリームを注文しました。
1590年に即位したアユタヤ王国ソンタム王は日本の戦国時代に主を失い海を越えて来た600人ほどの浪人を傭兵として雇ったことからこの地に日本人村が形成されました。 地図 営業時間:朝9時半から夕方5時まで (時間変更があります) 入場料:50バーツ 入口の左側にチケットカウンターがあります。 また浴衣のレンタルや園内ではカフェが併設しています。 園内には博物館があり当時の生活などを説明しています。 園内にはもう一か所博物館があります。 アユタヤ日本人村の歴史 アユタヤ王国の歴史は常にビルマとの戦争が続きアユタヤ王国ソンサム王(在位1590年ー1628年)は外国人傭兵でビルマとの戦争に対抗していました。 当初は鉄砲の扱いに慣れたポルトガル人傭兵を雇いましたが、ビルマもポルトガル人傭兵を使ったとこから双方が同士討ちを嫌ったために役に立ちません。 そこで戦国時代が終わり戦に慣れていた浪人を日本人傭兵として雇い、最盛期には南北570mで230mの日本人村には1500人ほどが住んでいました。 また鎖国以前の江戸幕府による貿易では傭兵以外に日本人貿易商や日本を追われたキリシタン、また現地のタイ人と結
14世紀から18世紀のアユタヤ王国は常にビルマ(現ミャンマー)との戦争の歴史でした。 そんな歴史の中で「ワット パナンチューン」はビルマ軍から破壊を免れた縁起のいいお寺として多くの参拝客で賑わっています。 地図 拝観時間:朝7時から夜6時まで (時間変更があります) 入場料:20バーツとの情報ですが、チケットの受付がなく無料でした。 ワット パナンチューンの歴史 「ワット パナンチューン」は1324年に建てられたとされ、これはアユタヤ王国初代ウートン王がアユタヤを都と定めた27年前のことでした。 本堂には中国の仏像が祀られています。 これは建設当初「ワット パナンチューン」の地域には中国の宗王朝時代に200人ほどの中国人が住んでいたとされています。 涙の流した大仏 本堂には1334年につくられた高さ19mの金色の大仏が祀られています。 1767年アユタヤ王国滅亡し都が破壊される直前に大仏から「聖なる目から聖なる臍へ涙が流れた」との伝説があります。 その後1854年、お寺の修復が終えた後にラーマ4世がこの仏像に「プラ プッタ トライ ラタナ ナーヨック」と名付けました。 大仏が祀られてい
世界遺産の街アユタヤは18世紀まで都であったために運河による交通や物流が盛んでした。 そんな船の中で手軽に食べられていたのがボートヌードル(タイ語でクイッティアオ ルア)です。 そのようなことからアユタヤにはボートヌードルのお店がたくさんありますが、人気店「メイチュア ボートヌードル」ではたくさんお客さんがボートヌードルをすすっています。 地図 アユタヤ駅から車で3分 営業時間:朝8時から夕方5時まで (時間変更があります) 店内 オープンスペースの店内はローカル感があります。 メニュー メニューにはボートヌードル以外にもご飯ものやチャーハンなどがあります。 ということで豚肉のボートヌードルを注文しました。 値段は25バーツです。 もともとボートヌードルと言うように船の中で小さい丼で食べられていましたので量は少ないです。 私は米麺を選びましたが妻は春雨をにしました。 このスープの材料は黒醤油や各種の香辛料とともに牛や豚の血を加えます。 そのためスープはレバーのような濃厚の味です。 キアオトムを注文しました。 値段は50バーツ エビと豚肉たっぷりのシュウマイのような味でおいしかったです。
アユタヤにある「ワット プラドゥーソンタム」アユタヤ王国時代に2つのお寺「ワット プラドゥー」と「ワット ロンタン」を合併したお寺です。 地図 アユタヤ駅から車で約6分 ソンサム王と日本人傭兵 アユタヤ王国24代ソンサム王(在位1590年ー1628年)の治世にオランダや日本などの貿易を始め鉄砲の扱いに慣れたポルトガル人傭兵を雇いました。 しかし、ビルマとの戦いにポルトガル人傭兵が役に立たないことから、日本では戦国期が終わり浪人した侍を傭兵として雇い、この時期に山田長政などが海を渡りアユタヤ王国で活躍しました。 日本人傭兵部隊の反乱 多くの日本人がアユタヤ王国に渡ってきたことから日本人町が形成され日本との貿易が盛んになりました、 しかし同じころ中国もアユタヤ王国との貿易を行っておりタイにいる華僑は増加する日本の貿易に脅威を感じていました。 そのような状況でアユタヤの役人による不公平を訴えた日本人貿易商はソンサム王を暗殺を計画をし、1610年に日本人傭兵500名が反乱を起こし王宮に乗り込みました。 反乱から逃れたソンサム王は「ワット プラドゥーソンタム」の僧侶に匿われました。 「ワット プ
アユタヤにある「ワット ピチャイソンクラーム」はタイの歴史の中で重要な転換点となった古いお寺です。 地図 ワット ピチャイソンクラームの歴史 「ワット ピチャイソンクラーム」は1357年頃に建てられ当初はワット ピチャイとよばれていました。 1765年、アユタヤ王国はビルマとの戦争が始まり、各地で敗北を続けたアユタヤ軍はついに都のアユタヤがビルマ軍により包囲されました。 その包囲の中、外壁にあるワット ピチャイにて武将タークシンがビルマ軍へ激しい抵抗を行っていました。 敵中突破せよ 1766年1月、ビルマ軍の包囲を破るためワット ピチャイから出撃した武将タークシンですがアユタヤ軍は大敗しました。 大敗を喫したアユタヤ軍ですが、武将タークシンはビルマ軍の分厚い包囲を突破に成功しタイ東部のチャンタブリーに落ち延びました。 アユタヤ王国滅亡 野戦では勝利したビルマ軍ですが、アユタヤの街は分厚く囲まれた城壁で防備が硬いために攻めあぐねていました。 そのためビルマ軍は城壁の下にトンネルを掘る作戦を行い、1767年4月にトンネルを使い城壁の破壊に成功し突入したビルマ軍により都アユタヤは破壊尽くされ