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タイ最北部チェンライ出身の国民的芸術家チャルーンチャイ・コーシピパット氏により建てられた白亜のお寺「ワット ロンクン」では連日多くの観光客で賑わっています。 地図 拝観時間:朝8時から夕方5時まで (時間変更があります) 拝観料:外国人100バーツ 1955年2月15日生まれのチャルーンチャイ・コーシピパット氏はイギリスのロンドンにあるブッダプラティープ寺院の礼拝堂にあるタイの絵画など数多くの作品を手掛けてきました。 そして1997年に「ワット ロンクン」の建設が始まりました。 2014年5月5日、タイ北部にてマグニチュード6,5の地震が起き本堂の壁の漆喰が欠けるなどの被害が出たため一時は建設中止が考えられました。 しかし、その後の調査で本堂の修復が可能と判断されたことにより建設は進められました。 知らずに夜間に見たら失神します。 地面から何か出てきています。 「ワット ロンクン」のコンセプトはタイ伝統的の寺院の様式だけにとどまらず神話や地獄などがモチーフとされています。 通路の両脇には地獄をモチーフにした作品があります。 本堂への通路には勇壮な彫刻や 優しいお顔の仏像があります。 こ
14世紀から18世紀のアユタヤ王国は常にビルマ(現ミャンマー)との戦争の歴史でした。 そんな歴史の中で「ワット パナンチューン」はビルマ軍から破壊を免れた縁起のいいお寺として多くの参拝客で賑わっています。 地図 拝観時間:朝7時から夜6時まで (時間変更があります) 入場料:20バーツとの情報ですが、チケットの受付がなく無料でした。 ワット パナンチューンの歴史 「ワット パナンチューン」は1324年に建てられたとされ、これはアユタヤ王国初代ウートン王がアユタヤを都と定めた27年前のことでした。 本堂には中国の仏像が祀られています。 これは建設当初「ワット パナンチューン」の地域には中国の宗王朝時代に200人ほどの中国人が住んでいたとされています。 涙の流した大仏 本堂には1334年につくられた高さ19mの金色の大仏が祀られています。 1767年アユタヤ王国滅亡し都が破壊される直前に大仏から「聖なる目から聖なる臍へ涙が流れた」との伝説があります。 その後1854年、お寺の修復が終えた後にラーマ4世がこの仏像に「プラ プッタ トライ ラタナ ナーヨック」と名付けました。 大仏が祀られてい
アユタヤにある「ワット プラドゥーソンタム」アユタヤ王国時代に2つのお寺「ワット プラドゥー」と「ワット ロンタン」を合併したお寺です。 地図 アユタヤ駅から車で約6分 ソンサム王と日本人傭兵 アユタヤ王国24代ソンサム王(在位1590年ー1628年)の治世にオランダや日本などの貿易を始め鉄砲の扱いに慣れたポルトガル人傭兵を雇いました。 しかし、ビルマとの戦いにポルトガル人傭兵が役に立たないことから、日本では戦国期が終わり浪人した侍を傭兵として雇い、この時期に山田長政などが海を渡りアユタヤ王国で活躍しました。 日本人傭兵部隊の反乱 多くの日本人がアユタヤ王国に渡ってきたことから日本人町が形成され日本との貿易が盛んになりました、 しかし同じころ中国もアユタヤ王国との貿易を行っておりタイにいる華僑は増加する日本の貿易に脅威を感じていました。 そのような状況でアユタヤの役人による不公平を訴えた日本人貿易商はソンサム王を暗殺を計画をし、1610年に日本人傭兵500名が反乱を起こし王宮に乗り込みました。 反乱から逃れたソンサム王は「ワット プラドゥーソンタム」の僧侶に匿われました。 「ワット プ
アユタヤにある「ワット ピチャイソンクラーム」はタイの歴史の中で重要な転換点となった古いお寺です。 地図 ワット ピチャイソンクラームの歴史 「ワット ピチャイソンクラーム」は1357年頃に建てられ当初はワット ピチャイとよばれていました。 1765年、アユタヤ王国はビルマとの戦争が始まり、各地で敗北を続けたアユタヤ軍はついに都のアユタヤがビルマ軍により包囲されました。 その包囲の中、外壁にあるワット ピチャイにて武将タークシンがビルマ軍へ激しい抵抗を行っていました。 敵中突破せよ 1766年1月、ビルマ軍の包囲を破るためワット ピチャイから出撃した武将タークシンですがアユタヤ軍は大敗しました。 大敗を喫したアユタヤ軍ですが、武将タークシンはビルマ軍の分厚い包囲を突破に成功しタイ東部のチャンタブリーに落ち延びました。 アユタヤ王国滅亡 野戦では勝利したビルマ軍ですが、アユタヤの街は分厚く囲まれた城壁で防備が硬いために攻めあぐねていました。 そのためビルマ軍は城壁の下にトンネルを掘る作戦を行い、1767年4月にトンネルを使い城壁の破壊に成功し突入したビルマ軍により都アユタヤは破壊尽くされ
チェンマイにある「ワット ムーンサーン」には銀色で装飾された美しいお堂があり、境内には第2次世界大戦の日本軍の英霊の慰霊碑があります。 地図 本堂には精巧が施されています。 お堂の中には今にも動きだしそうな高僧の像が祀られています。 室内にも精巧な彫刻が施されています。 日本では西遊記に出てくる孫悟空のモデルになったハマヌーンです。 ワット ムーンサーンの歴史 「ワット ムーンサーン」はラーンナー王国8代目サームファンケーン王(在位1401-1442年)の治世、1438年に建てられました。 その後ラーンナー王国11代目ケーオ(在位1495-1526年)の治世には「ワット ムーンサーン」で諸外国の大使を受け入れ親書の翻訳が行われました。 ワット ムーンサーンと日本軍 ワット ムーンサーンの境内には第2次世界大戦でこの地で亡くなった日本軍将兵の慰霊碑があります。 慰霊碑の後ろは博物館となっており、当時の日本軍の様子の写真などが納めれていますが、この日は閉まっていました。 1944年3月からタイの隣国のビルマ戦線(現在のミャンマー)において日本軍は英領インドのインパールを占領する作戦が開始さ
チェンマイの銀細工職人コミュニティの近くに500年以上の歴史を持つお寺「ワットシースパン」は職人達の匠の技術により本堂が銀色に輝いています。 地図 拝観時間:日曜日から金曜日まで朝6時から夕方6時、土曜日のみ朝6時から夜11時まで (時間変更があります) ワット シースパンの歴史 熱心な仏教徒であったラーンナー王国11代目ケーオ王(在位1495年ー1526年)はシリヤ サワディー王女とともに1500年にワット シースパンを建立しました。 境内 入口の入った正面にきれいに装飾されたお堂があります。 お堂の中には金色の壁の前に仏像が祀られています。 この日は開いていませんでしたが、ラーマ5世夫妻の像の後ろにある建物は博物館です。 こちらはインドの神様ガネーシャです。 ガネーシャの前にはカワイイ顔をした銀色のネズミがあります。 こちらのヤックのよばれる鬼も銀色です。 こちらが銀色のお堂になります。 古いお堂が損傷したことから2004年にアルミニウム、錫、純銀などを使い建てられました。 この地域では200年以上に渡り銀製品の伝統があり、伝統文化を促進することから銀色のお堂にはラーンナー伝統文化
チェンマイ市内から少し離れたところにラーンナー王国からの伝統楽器「ピンピア」に由来した小さなお寺「ワット プアックピア」があります。 地図 ワット プアックピアの歴史 ラーンナー王国時代に現在お寺がある地域には伝統楽器「ピンピア」の職人のコミュニティがあり、それらの職人達が1497年頃に建てたお寺のため建設当時はワット プア ピアと名付けられました。 しかし、1568年にラーンナー王国はビルマの属国とされたためお寺は荒廃してしまいました。 18世紀にカウィーラ王はビルマ軍を駆逐しチェンマイ王家によるラーンナー王国が復活しました。 その後、チェンマイ王家8代目のインタワローロット スリヤウォン公(1859年5月6日ー1910年1月5日)の支援により1903年にお寺は再建され「ワット プアック ピア」と名付けられました。 このピンピア(Pin pia)は1メートルほどの竪琴についた半分にカットされたココナッツの殻でエコーをかけるため独特の音色があります。 私もYouTubeなどでピンピアの演奏を聴いたことはありますが生演奏はまだです。 妻の実家がタイ北部ですので機会があれば聴いてみたいです
チェンマイ市内にあるタイ北部最大の仏塔で有名な「ワット チェディルアン」にはラーンナー王国の栄華を誇った長い歴史を持つ寺院です。 地図 拝観時間:朝5時から夜10時まで (時間変更があります) 拝観料:外国人50バーツ 境内入口の近くに独特な屋根の形をしたお堂があります。 さっそく妻とお参りと思いましたが、こちらのお堂は仏教上の習慣で女人禁制となっています。 妻の分までしっかりお参りをしました。 大きい本堂です。 残念ながら、この日は本堂は修復工事を行っていたのでご本尊へのお参りができませんでした。 「ワット チェディルアン」の境内は広く仏塔の周りには小さなお堂がいくつもあります。 これらのお堂には制約がありませんでしたので妻とお参りしてきました。 バンコクでは見ないタイ北部独特な様式のお堂です。 お堂の中には高僧が祀られています。 タイ北部のお寺は精巧な彫刻が施されていることが多いですが、シンプルなお堂もまたいいものです。 お堂の中には端正なお顔の仏像が祀られています。 お堂の横には涅槃像も祀られています。 ワット チェディルアンの歴史 「ワット チェディルアン」はラーンナー王国7代
500年以上の歴史をもつタイ王室管理3級の「ワット スワンドーク」には古い仏塔や18世紀からの復興ラーンナー王国のチェンマイ王家の王族が葬られています。 地図 拝観時間:朝9時から夜9時まで (時間変更があります) ワットスワンドークの歴史 14世紀、手厚い仏教保護を行っていたラーンナー王国6代目クーナー王は領内の仏教布教のために隣国スコータイ王国から高僧を招きました。 そして仏教布教のため1371年に「ワット スワンドーク」が建てられました。 建設当時、ここにはสวนดอกไม้(スワンドークマーイ)とタイ語で花園となっていたことから「ワット スワンドーク」と名付けられました。 お堂の中は広々としています。 こちらの本堂は1932年い修復されました。 真ん中になるご本尊は1373年に青銅により鋳造されました。仏像も高さもクーナー王の身長と同じ2メートルとされています。 ご本尊の台座にはタイ独特の彫刻が施されています。 ご本尊の裏側にも仏像は祀られています。 仏像が祀られている天井にはラーンナー様式の彫刻が施されています。 この日は仏塔が修復中でした。 14世紀にクーナー王が招いた高僧
「ワットプラシン」は古い歴史と王室管理第1級の格式を持つ14世紀のランナー王朝時代に建てられたお寺です。 地図 拝観時間:朝9時から夕方6時まで (時間変更があります) ワットプラシンの歴史 ランナー王国5代目パーユー王(1316年ー1355年)は1345年に「ワットプラシン」の建設を命じました。 こちらのお堂には大きな仏像が祀られています。 建設にあたりパーユー王は父であるカムフー王の遺骨を納めるため仏塔を建てました。 この仏塔の特徴としては台座から半身の象があります。 建設が始まり2年後には僧院が完成し、当初お寺は「ワット リーチェンプラ」と命名されました。 その後、ランナー王国7代目セーンムアンマー王(1362年ー1401年)の治世に3体の神聖な仏像を祀りお寺の名前を「ワットプラシン」と改めました。 こちらがその仏像を納めたお堂です。 入口には精巧な彫刻が施されています。 この3体のご本尊は毎年4月に行われるタイ正月のソンクラーン(水かけ祭り)には大勢の市民に参拝してもらえるように台に乗せられチェンマイ市内を練り歩きます。 またお堂の壁には昔のタイの様子が描かれています。 194
チェンマイの古刹「ワット ロークモーリー」はチーク材による美しいランナー様式のお堂が有名なお寺です。 地図 本堂にはチーク材がふんだん使われています。 タイはチーク材の輸出国で特に北部ではチークの植林が盛んに行われています。 チーク材は硬く耐久性、病害虫にも強く耐水性に優れていることから船の甲板などに使われ、生産地のタイ北部ではチーク材で建てられた家をよく見ます。 こちらがご本尊です。 ワット ロークモーリーの歴史 「ワット ロークモーリー」がいつ頃建てられたかの詳しい記述がありませんが、1367年にランナー王国6代目のクーナー王が領内での仏教布教のために隣国のスコータイ王国の高僧を招こうとしました。 しかし、招きを受けた高僧は高齢のため行くことができないために、代わりに10人の弟子をランナー王国へ派遣しました。 ランナー王国に到着した10人の弟子たちは「ワット ロークモーリー」に滞在しながら領内の布教活動を行いました。 1528年ランナー王国12代目のケートクラオ王は「ワット ロークモーリー」に大きな仏塔とお堂を建てました。 しかしながら、ランナー王国の内紛と諸国との戦争のため王国は
ランナー王の戴冠式を行ったお寺:ワット ラーチャモンティアン
かつてランナー王国の都チェンマイには歴史的に重要なお寺がたくさんあり15世紀に建てられた「ワット ラーチャモンティアン」もそんなお寺の一つです。 地図 本堂の入口には迫力ある竜が置かれています。 また本堂の入口には見事な装飾がされています。 本殿の中は金色と赤のランナー様式のデザインです。 本堂の中には各所に精密な彫刻が施されています これらの仏像もランナー様式のタイ北部文化です。 ワット ラーチャモンティアンの歴史 1431年に建てられた「ワット ラーチャモンティアン」ではランナー王国9代目ランナー王に即位したティローカラート王(1409年-1487年)の戴冠式が1441年に行われました。 ティローカラート王の治世はランナー王国の絶頂期でしたが、そんな王国も1558年ビルマ王朝の属国となり「ワット ラーチャモンティアン」は荒廃してしまいました。 チェンマイの隣ランパーン王国のカーウィラ王(1742年ー1816年)は1796年にビルマ王朝からチェンマイを奪還に成功しチェンマイ王としてランナー王国の復活を遂げました。 そして荒廃したチェンマイの復興を行い「ワット ラーチャモンティアン」の
チェンマイ市内から少し離れた森の中にある「ワット ウモーン」の洞窟には仏像が祀られて参拝客は神秘的な雰囲気の中で祈りを捧げています。 地図 拝観時間:朝5時から夜8時まで (時間変更があります) 「ワット ウモーン」の苔むした壁にはいくつもの洞窟が掘られています。 洞窟を覗いてみると奥には仏像が祀られています。 こちらが入口から見えた仏像です。 洞窟内は4つの回廊となりそれぞれの入口をつながっています。 そして洞窟内のいくつか場所に仏像が祀られています。 ワット ウモーンの歴史 1292年にランナー王国を建てた初代マンラーイ王は優れた外交手腕で隣国のパヤオ王国とタイ中央部のスコータイ王国と3国同盟を締結しました。 そしてマンラーイ王はランナー王国の繁栄のために仏教布教の政策を行い当時、仏教文化の進んでいたスコータイ王国から多くの僧侶を招き1296年頃に「ワット ウモーン」を建てました。 そんな仏教布教を行ったマンラーイ王の崩御後にランナー王国にて王位継承の争いが起き「ワット ウモーン」は荒れ果ててしまいました。 しかし1367年に即位したランナー王国6代目クーナー王の仏教保護により「ワ
チェンマイにあるお寺「ワット プラタート・ドーイステープ」は山頂に輝く金色の仏塔があり、多くの参拝客や外国人観光客が訪れています。 地図 チェンマイ市内から車で約40分 拝観時間:朝6時から夜8時まで 拝観料:外国人30バーツ お寺はドーイステープの山頂にあるため306段の階段を上ります。 お寺の別の入口には一人50バーツでケーブルカーが利用できます。 長い階段を上ると山門が見えます。 門の右側少し行ったところで入場券30バーツを払います。 こちらのお堂の裏手に仏塔があります。 門をくぐると高さ22メートルの黄金色の仏塔が眩い光を放っています。 お供えのための蓮の花があります。 この蓮を花を持ちお経を唱えながら仏塔の周りを歩きます。 ワット プラタート・ドーイステープの歴史 伝説によると今から640年前にタイ中部にあるスコタイ王国にスマナテーラーという僧侶が夢の中でパンチャという場所へ行くようにとのお告げがありました。 お告げに従った僧侶は光輝く仏陀の肩の遺骨を見つけ、スコータイ王に伝え仏舎利を迎えるための儀式を行いましたが、仏舎利は光を放つことはありませんでした。 そのころタイ北部の
尼となり病気平癒の祈願した娘のお寺:ワット ナーンチー チョーティカーラーム
アユタヤ時代中期に建てられたとされる王室管理3級寺院「ワット ナーンチー チョーティカーラーム」には様々なエピソードがあるお寺です。 地図 BTSウッタカット駅から徒歩6分 ワット ナーンチー チョーティカーラームの歴史 伝説ではアユタヤ王国時代の中期に貴族チャオプラヤ ピチチャモントリの娘のメイ イムが原因不明の病気で寝たきりとなってしましました。 そんなある日の夜、チャオプラヤ ピチチャモントリは夢の中で白カゲロウが娘を出家させれば病気が治るとのお告げがありました。 お告げに従いチャオプラヤ ピチチャモントリは娘の病気平癒の出家のため「ワット ナーンチー チョーティカーラーム」を建てました。 しかしながら、娘のために建てられた「ワット ナーンチー チョーティカーラーム」は1767年のアユタヤ王国滅亡により管理をする人もいなくなり荒れ寺となってしまいました。 1782年にラーマ1世の治世に荒れ寺となっていた地に中国人貿易商のプラヤチョドゥクラーチャティが住んでいました。 そして仏教への深い信仰心から「ワット ナーンチー チョーティカーラーム」を修復を行いました。 そのため「ワット ナ
立憲君主制を記念して建てられたお寺:ワット プラシーマハタート ウォラマハーウィハーン
1932年6月24日に起きた立憲革命によりタイは絶対君主制から立憲君主制へと移行し、1939年6月24日に当時のピプーン首相が国名を「シャム王国」から「タイ王国」へと変更しました。 そして、1942年6月24日にピブーン首相が立憲君主制の象徴とした「ワット プラシーマハタート ウォラマハーウィハーン」が完成しました。 地図 BTSワットプラシーマハタ―ト駅から徒歩3分 お寺にそびえ立つ仏塔の高さは38メートルあり、1941年4月25日に仏塔の最上段への金色の飾り物を上げる儀式が行われました。 この仏塔には仏舎利が納められています。 境内にはタイらしくピンクの象が祀られています。 クジャクの置物の上にのるネコ プレーク ビプーンソンクラームとは プレーク ビプーンソンクラーム(1897年7月14日ー1964年6月11日)はタイ陸軍軍人で2度タイの首相を務めました。 1938年12月20日に陸海軍の支持を得たプレーク ビプーンソンクラームは代3代目のタイの首相に就任しました。 1944年8月1日に首相の退き政界を引退したプレーク ビプーンソンクラームですが、その後軍部を使って政府に圧力をか
「ワットバーンプラー」はサムットサーコンのタチン河の畔に1800年代初期のラーマ2世の治世に建てられました。 地図 バンコクから車で約1時間 お寺の横をタチン河がゆったりと流れおり、手前は渡し船の船着き場となっています。 古いお堂は水が溜まっていて行くことができなかったのでこちらのお堂でお参りをしました。 こちらがご本尊です。 ワットバーンプラーとラーマ5世 こちらのお堂はラーマ5世が「ワットバーンプラー」に訪れたことを記念して建てられました。 当時、タイでは道路の整備が進んでおらず特に地方の交通機関は舟が主でした。 記述では1905年7月31日の朝、全国視察のためにタチン河を上っていたラーマ5世が朝食をとるために「ワットバーンプラー」を訪れました。 残念ながらこのとき何を召し上がったかの詳しい記述はありません。 忙しい公務をこなすため、ご飯の上におかずをのせるタイスタイルで朝ごはんからガッチリと? 幼少のときのイギリス人家庭教師の教育からの影響で朝はパンとコーヒー? それとも、朝は消化のよい中華粥? このときラーマ5世は何を召し上がったのでしょうか、想像は膨らむばかりです。
サムットサーコンにはピンクの特徴のあるお寺「ワット パーチャイランシー」があり、大きな池の畔に本堂を構えています。 地図 バンコクから車で1時間ほど 拝観時間:朝6時から夕方5時まで (時間変更があります) 入口を入るとすぐに独特のデザインのお堂があります。 この日は閉まっていましたが、こちらのお堂では仏法の講義などが行われます。 境内のあちこちに竜神「ナーガ」が祀られています。 境内には大きい池があります。 「ワット パーチャイランシー」は1983年に建てられ約32万平方メートルの敷地があります。 写真に写っている池の奥に本堂があります。 本堂の中は広く熱心にお参りをしている家族もいました。 本堂には仏舎利が祀られています。 こちらの仏舎利の奥に祀られているご本尊にお参りをしてきました。 池の畔にたくさんの若者がいましたが、よく聞くとタイ語ではありません。 サムットサーコンの水産加工所には多くのミャンマー人出稼ぎ労働者が働いており休日には「ワット パーチャイランシー」の池の畔でくつろいでいます。
反乱により焼失したお寺:ワット ピトゥラーティラート ランサリット
ラーマ3世(1788年3月31日ー1851年4月2日)の治世にチャチューンサオに「ワット ピトゥラーティラート ランサリット」が建てられました。 地図 拝観時間:朝6時から夜9時まで (時間変更があります) 中国人の秘密結社による反乱 当初、このお寺の場所はチャチューンサオの街の中心部に建てられお寺も「ワット ムアン」とされていました。 ラーマ3世の治世は当時、清とよばれた現在の中国からの貿易が盛んで、多くの中国人貿易商がタイに住みつきました。 しかしながら、それら一部の中国人グループがタイ国内にアンイーとよばれる秘密結社を組織しアヘンの密輸を行っていました。 1848年にチャチューンサオでアンイーの反乱が起きたため「ワット ムアン」は焼失しました。 その後、焼失したままの「ワット ムアン」は1884年頃にチャチューンサオの中心地から少し離れた現在の場所に「ワット ピトゥラーティラート ランサリット」として再建されました。 この日、本堂は閉まっていますので横にあるお堂にてお参りをしました。 現在のタイも中国貿易は重要で多くのコメなどの食料品が輸出しており、中国からの投資も増えています。
チャチュンーサオを車で走っていると高くそびえる仏塔が見えましたので早速行ってみました! 地図 拝観時間:朝6時から夕方5時まで (時間変更があります) 「ワットチョムポタヤラーム」は1980年にチョム氏から19200平方メートルの土地が提供されたことから建設が始まりました。 そして2001年に釈迦が悟りを開いた仏教の聖地インドにあるブッダガヤを模した仏塔が完成しました。 仏塔にはそれぞれ仏像が祀られています。 龍の噴水もあります。 仏塔の1階にご本尊がありましたのでお参りをしました。 国民の約90%以上が仏教徒のタイでは仏教の聖地への巡礼をする人が多く、ブッダガヤにあるガヤ空港にはタイからの国際線が運航されています。
チャチューンサオを流れるバンパコン河の畔に歴史を感じる建物「チャチューンサオ シティ ミュージアム」があります。 地図 バンコクから車で約1時間 拝観時間:朝9時から夕方4時まで (時間変更があります) 現在は博物館となっている建物は1868年代から1910年までのラーマ5世の治世にチャチューンサオの県庁として建てられました。 こちらが当時の知事の執務室です。 年代物の電話が歴史を感じます。 初代知事のクロム ムエン マルポシリパットのもとこれら県庁の建物の他、チャチューンサオの都市計画を行いました。 初代知事の県政は非常によく2度にわたりラーマ5世が県庁を訪れました。 そして2度目の訪問の1907年1月24日から29日までこの県庁にて過ごされました。 博物館の前にはバンパコン河がゆったりと流れています。 奥の別館ではチャチューンサオに関係した人物が紹介されています。 現国王ラーマ10世の妹であるシリントーン王女が数日にわたり滞在した際にはこちらの机にて執務を行いました。 チャチューンサオ出身の有名な作家パヤ―シースントーンウォーハンが紹介されています。 チャチューンサオ出身のボクシン
お供え物はゆで卵!!!:ワット ソートン ワラーラーム ウォラウィハーン
チャチューンサオにある「ワット ソートン ワラーラーム ウォラウィハーン」はゆで卵をお供えするお寺として多くの参拝客が訪れる有名なお寺です。 地図 バンコクから車で約1時間 拝観時間:平日は朝7時から夕方4時半まで、休日は朝7時から夕方5時まで (時間変更があります) お寺の近くのお店ではお供え用のゆで卵が売られています。 こちらのお堂でゆで卵をお供えします。 お参りする人の手にはゆで卵! 昔、このお寺に訪れた人が願い事が叶ったらゆで卵をお供えしますとお祈りをしたことから始まったとされています。 そしてお供えしたゆで卵が多いほど願い事が叶うとされています。 これらお供えされた大量のゆで卵はお寺の近くの学校や施設などに提供されます。 以前の古いお堂は参拝客が多いために取り壊され新しく建てられました。 タイの習慣で仏像に金箔を貼ります。 「ワット ソートン ワラーラーム ウォラウィハーン」はアユタヤ王国30代ナライ王(1633年2月16日ー1688年7月11日)の治世の後期に建てられた歴史のあるお寺です。 このお寺が建てられた当時は「ワット ホン」とよばれていました。 トラでしょうか?ヒョ
「ワット クラーンスアン」はサムットプラカーンにあるモン族のお寺です。 これは19世紀初期にラーマ2世が対岸のプラプラデーン地区に港を建設したため、そこに住んでいたモン族がこの地に移住したためです。 地図 BTSサムロン駅から車で20分 本堂が閉まっていたので横にあるお堂にお参りしてきました。 お堂の入口に可愛らしい猫の置物があります。 ワット クラーンスアンの歴史 19世紀初期ラーマ2世の治世はビルマ軍からの領土防衛、ベトナム軍からのカンボジア支配地域の防衛やタイ南部でのイギリス東インド会社との関係悪化など常に国際関係で緊張した情勢でした。 そのため、ラーマ2世はバンコク防衛のためサムットプラカーンにモン族の長、チャオプラヤ―マハヨタにプチャオサミンプライ砦の建設を命じました。 砦が完成後ラーマ2世はチャオプラヤ―マハヨタにモン族部隊の管理を命じ1817年に「ワット クラーンスアン」を建設しました。 建設当初、村人はモン族が建てたという意味でモン語で「ワット ペーモン」とよばれていました。 その後、村人たちはお寺の東側に果樹園をつくったことからお寺の名称も「ワットクランスワン」と改め
1797年に建てられた「ワット スアンプルー」は長い歴史があるとともに美しい外観のお寺です。 地図 BTSサパーンタクシン駅から徒歩10分 「ワット スアンプルー」の本堂の壁面には美しい装飾が施されています。 屋根の甍には天使の彫刻が施されています。 「ワット スアンプルー」の近くにはチャオプラヤー河が流れています。 現在、日系企業を含めた外資系企業がオフィスを構えているシーロム通りは、もともと運河の中で船が旋回できるほどの広さがあるシーロム運河でした。 そのため、中国の数多くの貿易船が停泊をしていたことからこの地域に中国人貿易グループのコミュニティーができ「ワット スアンプルー」が建てられました。 第2次世界大戦の奇跡 本堂の横にお堂があり涅槃像が祀られています。 第2次世界大戦中、タイは日本と軍事同盟を締結したことからバンコクはアメリカ、イギリス連合軍の攻撃目標とされ、チャオプラヤー河の河口の近くにある「ワット スアンプルー」があるこの地域にも爆撃が行われました。 ある日、激しい爆撃がこの地域に行われましたが、この涅槃像の近くに避難した人達には奇跡的に負傷者がいませんでした。 その
サムットプラカーンにあるお寺「ワット チャイモンコン」は約800年前に建てられた古刹です。 地図 BTSシーナカリン駅から徒歩で約10分 「ワット チャイモンコン」は広い面積があり境内には仏教学校があります。 また境内にはガチョウや牛が飼われています。 境内にはモン族のお寺でよく見る神様が祀られています。 ワット チャイモンコンの歴史 「ワット チャイモンコン」はスコタイ王朝の1350年頃にモン族によって建てられたとされています。 建立当初、このお寺は「ワット モン」とよばれていたとされています。 通常、タイのお寺は東向きに建てられますが、「ワット チャイモンコン」は北向きに建てられていました。これは紀元前300年ごろタイ中央部にあったとされるスワンナプーム王国の都を方角に向いているとされる説があります。 その後「ワット モン」は廃院とされ処刑場として使われていた時期がありました。 その後、お寺は改修され1934年に「ワット チャイモンコン」となりました。 第2次世界大戦とワット チャイモンコン 1941年12月8日、太平洋戦争の開戦時に当時英領マレー半島やミャンマーを攻略する日本軍は
バンコクで重要な交通手段のひとつセンセーブ運河沿いある「ワットテープリーター」には古い仏像が祀られています。 地図 エアポートリンク線ラームカムヘン駅から車で約10分です。 ワットテープリーターの歴史 19世紀の中ごろのラーマ3世の治世はカンボジアの領有権をめぐってベトナムとの軍事衝突がたびたび起きました。 そのためラーマ3世はカンボジア方面への兵員や物資輸送の必要性のためラオス反乱の鎮圧に功績のあるチャオプラヤーボディンデーチャ将軍に運河建設を命じました。 1837年から3年にわたり運河の掘削が行われました。 その工事中に沐浴をしていた兵士が古い仏像を見つけたことから、将軍はこの仏像を祀るために1838年から39年にこの地に「ワットテープリーター」を建てました。 現在でもこの仏像がいつの時代につくられたは不明です。 「ワットテープリーター」にはこのような水牛の置物があります。 ここにお金を入れると「モーモー」と鳴きます。 反対側には象の置物があります。 やはりお金を入れると「パオーン パオーン」の後に「รวย รวย(ルアイお金持ち)」と鳴きます!!! お寺で子供がグズったときにいい
「ワットチュラマニー」はアユタヤ時代からの長い歴史と厄除けで有名な仏像「タオ ウェスワン」が祀られている寺院で、休日となれば警察による交通整理が行われるほどのサムットソンクラームの名所です。 地図 バンコクからワットチュラマニーまでは車で2時間ほどかかります。 ワットチュラマニーの歴史 「ワットチュラマニー」は17世紀のアユタヤ王国24代プラーサートトーン王(1600年から1656年8月7日)の治世の後期に建てられたとされています。 アユタヤ時代後期の18世紀には寺院の裏手に現在のタイ王室初代ラーマ1世の王妃の住まいがあり火災による屋敷が焼失するまで住んでいました。 この日は休日ともあり多くの参拝客で賑わっていました。 参拝客はこの行列の先にある仏像に金箔を貼っていました。 こちらが本堂となりきれいな仏教画に囲まれたご本尊が祀られています。 こちらのお堂でも多くの人がお参りをしていました。 ワットチュラマニーにはたくさんの「タオ ウェスワン」像が祀られています。 「タオ ウェスワン」は邪悪な悪魔から身を守り繁栄をもたらすとされて、多くの人が祈りを捧げていました。 ホントに厄除けになるよ
ラーマ2世公園に隣接する「ワット アムパワン チェティヤーラーム」はラーマ1世がアマンドラ妃のために建てた寺院でラーマ2世の生誕地でもあります。 地図 アンパワー水上マーケットから徒歩3分 ラーマ1世により建てられたころ「ワット アムパワン チェティヤーラーム」はワットアンパワーとよばれており、ラーマ2世の治世に大規模な改修が行われました。 その後、歴代の王により改修され、1909年にこの地を訪れたラーマ5世により「ワット アムパワン チェティヤーラーム」とされました。 ラーマ2世とは (1767年2月24日ー1824年7月21日) ラーマ2世が生まれた1967年、アユタヤ王国はビルマ軍により滅亡しましたが、その後、父であるラーマ1世が1872年にバンコクにてチャックリー王朝を開きました。 1809年にラーマ1世の崩御しラーマ2世が王位に就きました。 しかしこれを好機ととらえたビルマ軍が同年11月にプーケットに侵攻開始しました。このビルマとの戦争は1812年まで続きましたが、ラーマ2世はタイの領土を守り抜きました。 また、優れた詩人であったラーマ2世はその治世にアユタヤ王国滅亡により失
サムットソンクラームのアンパワー地区はラーマ2世の生誕地であるためメークロン河の畔に広大な敷地をもつ「ラーマ2世王記念公園」があります。 地図 開館時間:朝8時半から夕方4時半まで 定休日:水曜日 入場料:子供20バーツ、タイ人40バーツ、外国人60バーツ (時間変更があります) 公園の広さは17,600平方mと広大な敷地のためレンタル自転車があります。 1時間40バーツ きれいな花が咲いています。 こちらの花壇にもきれいな花が咲いています。 蘭の花も咲いています。 水牛に乗って楽しそうです! ゾウでしょうか?金魚でしょうか? 大きさが1メートルくらいある蓮の葉です 勇敢だな~!!! こちらの建物は博物館となっています。 タイ古代様式の建物ですが鉄筋コンクリートで建てられています。 ラーマ2世王記念公園の敷地にはこのような建物が4つあり、それぞれ博物館となっています。 最初の建物の中ではラーマ2世の治世当時の生活様式が再現されています。 タイ風将棋でしょうか? 勉強を教えている最中です! アユタヤ時代の宮廷内ではマッサージ師は比較的高い地位であったことが記録されています。 赤ん坊のゆり
「チャオポータップ神社」はサムットプラカーンにあるサムロン運河の畔にある中華風神社です。 地図 チャオポータップ神社はBTSサムロン駅から徒歩10分です。 拝観時間:朝7時から夕方5時まで (時間変更があります) 13世紀に勃興したアユタヤ王国は中国との貿易の繋がりが強くコメは重要な輸出品でした。 そのため、多くの中国の商人が貿易のためにこの地に移り住みコミュニティーを形成しました。 現在、チャオポータップ神社の前には道路が建設され大型トレーラーが走るなど輸送の主力は陸上となりましたが、昔、チャオプラヤー河に繋がるサムロン運河は交通と物流の要衝な場所でした。 そんな運河の航行の安全を願ってチャオポータップ神社が建てられました。 悪態をついたら罰があたる? 昔このコメを満載した1艘の舟がサムロン運河を航行していました。 このとき船頭は酒に酔っておりチャオポータップ神社に向かって悪態をついたり、無礼な態度をとりました。 しばらくするといくら舟を漕いでも前に進みません。 不思議に思った船頭が舟の下を見るとたくさんのワニがサムロン運河をふさいで行く手を妨害していました。 驚いた船頭はチャオポー
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?ここ2~3年、海外旅行用のガイドブックは、ほぼ更新されず、本屋さんでの売り…
ジャンクルン通りにある1940年代に建てられたグランドポスタルビルの近くに「ワットムアンケー」があります。 地図 BTSサパーンタクシン駅からバイクタクシーで5分程 「ワット ムワンケー」はタクシン王によるトンブリ王朝の1768年に建てられました。 本堂には様々な仏像が祀られています。 こちらの仏像は警察関係や軍関係の方がお参りに来ているのでしょうか? サングラスをかけて軍人の帽子をかぶり、迷彩服が奉納されています。 また大通りからお寺への道筋には壁には色とりどりにタイルで飾られています。 迫力ある竜も飾られています。 何の料理だろう? ドライカレーです。 みんなで食べるカレーは美味しいです!!! ムスリムの美人が微笑んでいます。 でも、どうしてムスリムのストリートアートが、と思ったら、 この地域は中華系タイ人が多く住んでいますが、「ワット ムアンケー」の近くにはモスクがありました。
バンコクの重要な交通機関であるセーンセーブ運河はラーマ3世の治世にカンボジアの領土をめぐってベトナムとの戦争中に兵士と武器の輸送するために1837年に建設が始まり3年の期間をかけて完成しました。 その運河工事期間の1839年に運河の畔に「ワット プラクライシー」が建てられました。 地図 国鉄ラームカムヘン駅から車で10分 タイらしいモニュメントがあります。 チャクリー改革といわれるタイの近代化に成功したラーマ5世とラーマ6世が祀られて。 この日、本堂は閉まっていました。 お坊さんにお経をあげてもらう場合、このようなものを捧げます。 バケツの中にはお祈りに使うロウソクやお線香、またお坊さんのインスタントラーメンや水などの食料品の他に洗剤などの日用品が入っています。 本堂が閉まっていたので、横にあるお堂でお参りをしました。 たくさんの高僧が祀られています。 そんな高僧の像の前で子猫がじゃれていました! 茶色い猫は母猫でしょうか? タイのお寺には境内や室内に野良猫や野良犬が寝ていることが多いです。
〈チェンライ〉白い地獄!ワット・ロンクン【ホワイトテンプル】行ってみた感想♡場所・雰囲気・混雑具合
タイ・チェンライの白い寺「ワット・ロンクン」別名ホワイトテンプルへ行った感想と実際に見た雰囲気や混雑状況など。塀や植物など遮るものがないので、入場しなくても少し離れて寺院を見ることもできます。カフェやレストランも併設されていて、とても観光しやすい場所でした。
〈チェンライ〉神秘的な青い寺ワット・ロンスアテン【ブルーテンプル】感想&行ったらこれ食べて!
2022年7月にタイ北部のチェンライ(チエンラーイ)へ行きワットローンスアテン(ブルーテンプル)を訪れた感想と言ったら食べて欲しいおすすめグルメ、駐車場や混雑具合、見学所要時間などこれから訪れる方の参考になれば幸いです♡
パヤ ゴンとパヤ ファンの伝説:ワット プラトーン チェディー
ナコンパトムにある「ワット プラトーンチェディー」は1238年頃にドヴァラヴァティ時代に建てられたとされる高さ50メートルの仏塔がある古代寺院で1984年3月にタイ王室管理3級の寺院に登録されました。 地図 プラパトムチェーディーから車で約10分 パヤゴンとパヤファンの伝説 昔、カンチャナブリ領主のパヤゴンに仕えていた占星術師がもうじき生まれてくる息子が将来、父親であるパヤゴンを殺すと予言をしました。 予言を聞いたパヤゴンは息子のパヤファンを捨てました。 しかし宮廷につかえていたホンという女性が孤児となったパヤファンを引き取り故郷のラーチャブリーで育てお寺にて教育を受けさせました。 その後パヤファンは文武両道に優れる青年に成長しました。 そんなある日のこと、街中で暴れる象をパヤファンが取り押さえたのを見たラーチャブリーの領主が英雄的な行為を称え彼を養子にしました。 その後、ラーチャブリーとカンチャナブリとの戦が始まり、戦闘に長けていたパヤファンはパヤゴンに戦象による一騎打ちを申し込み勝利を得ました。 古代の習慣でパヤファンはパヤゴンの妻に自分の王妃になるように要求しました。 そしてパヤ
ナコンパトムにある120,45メートルで基部の円周が235,5メートルの世界一の高さを誇る仏塔「プラ パトム チェーディー」はタイ人だけでなく多くの外国人観光客が訪れています。 地図 拝観時間:朝7時から夜6時まで (時間変更があります) 階段を上ったところに仏像があるので、まずはお参りしました。 こちらのお堂にはご本尊が祀られていますが、撮影禁止となっています。 こちらのお堂があり、中には涅槃像が祀られています。 穏やかなお顔の涅槃像です。 こちらから仏塔の外周を回ることができます。 プラ パトム チェーディーの歴史 「プラ パトム チェーディー」について詳しいことははっきりしていませんが、4世紀にモン族により仏塔が建てられ6世紀から8世紀までこの地域はドヴァーラヴァティー王国の中心都市であったとされています。 11世紀に現在のカンボジアのクメール王国がこの地を統治したとき「プラ パトム チェーディー」は改修されました。 その後19世紀のラーマ4世の治世に再び改修され現在の仏塔の形になりました。 1966年、寺院の住職が仏塔の内部にいくつかの亀裂を発見したことからタイ内務省は9年の調
チャオプラヤー河を渡ったサムットプラカーンのプラプラデーンの運河沿の「バーンナムプン水上マーケット」にはいろいろのお店があります。 地図 営業時間:朝8時から夕方6時まで (時間変更があります) 営業日:土日のみ バーンナムプン水上マーケットまでの行き方 BTSバンナー駅で下車後、車で10分でバンナー埠頭で渡し船に乗ります。 渡し賃:5バーツ、オートバイの場合10バーツ 渡し船を降りたあとはバイクタクシーにて10分で到着です。 バイクタクシー代は15バーツ このお寺が水上マーケットの入口になります。 水上マーケットを入るとタイの民芸品や漢方薬品などが売られています。 子供が好きそうなアクセサリーが売られています。 お買い物バックにいかがでしょうか。 ヤ―モンとよばれる漢方薬品が売られています。 タイ民族衣装風の服が売られています。 1年中暑いタイでは半ズボンで快適に! こちらは腰巻です こちらではレストランと食料品が売られています。 白いお菓子はココナッツミルクと砂糖が入っています。 黄色いのは蒸しパンで白いお菓子はココナッツです。 ガピといわれるタイの味噌で野菜などにつけて食べます。
タイにはたくさんのお寺があり美しい彫刻で飾られていますが、「ワット パリワート」は仏教の古典彫刻とともにポップカルチャーな彫刻が施されています。 地図 BTSチョンノンシー駅で下車に高速バス(BRT)にてワット パリワート駅で下車 拝観時間:朝8時から夜6時まで (時間の変更があります) 「ワット パリワート」はアユタヤ時代後期からラッタナコーシン期初期に建てられたとされています。 当初、寺院はチャオプラヤー河の川べりに建てられたいたこともあり地盤沈下の問題があり、2008年に新しい礼拝堂が建てられました。 建設中に副修道院がタイの伝統様式と現代美術を組み合わせた礼拝堂を計画しました。 本堂入口も上にこのような彫刻があります。 本堂入口にもこのような彫刻があります。 本堂にはスコータイ様式のご本尊が祀られています。 本堂の内部にはたくさんの彫刻が施されています。 地獄に落ちた人々が、一本の蜘蛛の糸を奪い合う、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」を連想する彫刻です。 こちらは中国の儒者でしょうか? インドの聖人でしょうか? 如意棒を持ったら怖い人です。 西洋人? 相対性理論? 本堂の裏側にも美し
タイ王室3級寺院「ワット インターラーム」にはタイの救国の英雄タクシン王の遺骨が祀られています。 地図 ワット インターラームはBTSポー二ミット駅から徒歩10分です。 タクシン王とワットインターラーム 1767年11月、アユタヤをビルマ軍から奪回し、バンコクの対岸にトンブリ王朝を建てたタクシン王は内乱状態のタイ国内を平定し、カンボジア、ラオスなどのアユタヤ王国の旧領を取り戻し再びタイに平和が訪れました。 しかし、アユタヤ王朝の血族ではないことをコンプレックスにもつタクシン王は次第に心を病んでしまい、自身の礼拝を断った僧侶をむち打ちの刑にするなど民心が離れてしまい各地で反乱が起き再びタイで混乱が起きてしまいました。 その混乱を収めるため、タイ各地の反乱鎮圧やカンボジア、ラオス旧領回復などで活躍し民衆の支持があったチャックリー卿(のちのラーマ1世)はやむなくタクシン王の処刑を命じました。 そして1882年4月6日に処刑をされたタクシン王の亡骸は「ワットインターラーム」に葬られました。 ワットインターラームの歴史 「ワット インターラーム」はアユタヤ王朝の時代に建てられており、当時はワット
「ワット チャンターラーム ウォラウィハーン」はタイ王室管理3級寺院です。 地図 BTSプロ二ミット駅から徒歩10分 本堂の前を歩いていると、中から話し声が聞こえてきます。 本堂を覗いてみると、近くの小学校の遠足でしょうか、先生がお経をあげていました。 (手前の友達と話している2人、ちゃんと先生の話を聞きなさい、後で𠮟られるぞ!!!) そして、先生のお経とともにみんなでご本尊に3度の拝礼をします。 (若干数名、タイミングが合っていないのがいますが、、、) こちらが先ほど子供達が拝礼していたご本尊です。 本堂の入口を入ったところにも仏像が祀られています。 「ワット チャンターラーム ウォラウィハーン」はアユタヤ王国時代に建てられた100年以上の歴史のあるお寺です。 その後、19世紀にラーマ3世により修復されました。 本堂の壁には古くなりところどころ剥げちている中国風の絵画が描かれています。 中国貿易により莫大な富を得たラーマ3世の治世でしたので、「ワット チャンターラーム ウォラウィハーン」の修復には中華系豪商の協力があったのかもしれません。
ワット ホン ラタナーラーム ラーチャウォラウィハーン:古代黄金仏を祀る寺院
バンコクで黄金仏といえばチャイナタウンにある「ワット トライミット」が有名ですが、ここ「ワットホンラタナーラームラーチャウォラウィハーン」にも13世紀から15世紀に栄えたスコータイ王朝の仏像が祀られています。 また「ワットホンラタナーラームラーチャウォラウィハーン」は王室管理第2級の寺院に指定されていますので、多くの警察監部や軍人将校、実業家が参拝に訪れるお寺です。 地図 地下鉄イサラバッブ駅から徒歩10分 拝観時間:朝8時から夜6時まで (時間変更があります) 「ワットホンラタナーラームラーチャウォラウィハーン」のあるトンブリ地域はかつてトンブリ王朝があった場所ですので、タクシン王を祀る神社があります。 本殿の入口には金色のカエルが祀られています。 ワット ホンラタナーラームラーチャウォラウィハーンの歴史 「ワットホンラタナーラームラーチャウォラウィハーン」はアユタヤ時代後期の18世紀後半に中国人豪商のホン氏の多額の寄付により建てられました。 そのため建立当初はホン氏の名にちなんで「ワットホンラタナラム」とよばれていました。 また、タクシン王はトンブリ宮殿から近いためにこのお寺を王室
ワット トーン タンマチャート ウォラウィハーン:滅亡したアユタヤ王国を想う寺
ワット トーンタンマチャートウォラウィハーンはこじんまりとした小さなお寺ですが、王室管理3級の寺院で1977年にはタイ政府から古代寺院として登録されています。 地図 BTSゴールドライン線クロンサン駅から徒歩10分 ワット トーンタンマチャートウォラウィハーンの歴史 ラーマ1世の6番目の子供のルアン ナリントン ティウィ王女と結婚したアユタヤ王族のクロンムエン ナリントンフィティク卿は滅亡した王国を想いアユタヤ様式の寺院の再建を望みました。 しかし、1817年にクロンムエン ナリントンフィティク卿が逝去してしまい、寺院の再建は中止されてしまいました その後19隻の中頃ラーマ4世の治世に「ワット トーンタンマチャートウォラウィハーン」は完成しました。 本殿には鍵がかけられており入ることはできませんでした。 本殿の裏側の壁には美しい仏教画が描かれています。 本殿の裏側にお堂がありましたのでお参りをしてきました。 優しいお顔の仏像が祀られています。 クロンムエン ナリントンフィティク卿もこのような優しい仏像が納められた寺院の完成を望んでいたのでしょう。 仏像にたくさんの花が手向けられています
旅行写真:2017年のチェンマイ - Bangkok(タイ・チェンマイ)
どうも、ドミナゴ(@Dominago50)です。 コロナ禍になる前に撮影した海外旅行の写真を整理していますので、このブログで紹介していきたいと思います。 今回は、2017年のチェンマイについてご紹介できればと思います。 DMM英会話のお友達紹介コードは267989084です。入会時にこのコードを入力すると紹介した方、紹介された方双方にプラスレッスンチケット3枚が貰えます。(誰が利用したかこちらには分かりません) チェンマイに到着、前回と同じニマンヘミン地区へ宿泊 MAYAショッピングセンターで映画の主演女優を見かける ワット・チェディルアンなど定番の観光スポットへ チェンマイに到着、前回と同じ…
旅行写真:2017年のバンコク - Bangkok(タイ・バンコク)
どうも、ドミナゴ(@Dominago50)です。 コロナ禍になる前に撮影した海外旅行の写真を整理していますので、このブログで紹介していきたいと思います。 過去に紹介しましたが、私は2016年にタイでワーケーション(働きながら休暇をとる過ごし方)を行いました。 dominago50.com それがとても楽しかったので、その翌年の2017年にまたタイへと旅立つことにしました。 今回は妻も同行し、約3週間かけてタイ~ラオスを旅行しています。 まずは、最初の到着地バンコクでの様子をご紹介できればと思います。 DMM英会話のお友達紹介コードは267989084です。入会時にこのコードを入力すると紹介した…
2021年1月にBTSの新しい路線ゴールドラインが開通し大型ショッピングセンターの「アイコンサイアム」に行きやすくなりました。 そのアイコンサイアムの近くに100年以上も歴史を持つお寺、「ワット スワン」があります。 地図 BTSチャルンナコーン駅から徒歩5分 「ワット スワン」は精巧につくられた門構えが特徴のお寺です。 ワットスワンの歴史 「ワットスワン」が建てられる前、この場所には中国の神社が建てられていたとされています。 1782年に「ワットスワン」が建立され、当時はワットスワンウパシカラムとされていました。 その後ラーマ5世の弟で高僧ラティーナはお寺の名前が長すぎると思い、「ワット スワン」と改名されました。 ご本尊はスコータイ王朝時代の仏像とされています。 本堂の壁にはタイ文化の特徴である仏教画が描かれています。 仏陀が夢枕にでも立ったのでしょうか? 何かを授けている様子を描いています。 人々は何を話しているのでしょうか? 釈迦とその弟子たちを描いているのでしょうか? 境内にはルアンポーといわれる仏像が祀られています。 これは断食を行い、自ら苦しみをあたえる釈迦を表したもので
タイのお寺にはご本尊にたくさんの仏像を祀っているお寺は多いですが、「ワット クラトゥム スアプラー」には80体の仏像を祀っています。 地図 ワット クラトゥム スアプラーはBTSオンヌット駅から車で20分程です。 「ワット クラトゥム スアプラー」の駐車場の壁には精巧な竜が彫られています。 「ワット クラトゥム スアプラー」には昔のタイの生活を再現した博物館があります。 博物館の中では日本でいう昭和の雰囲気を再現しています。 この雰囲気に妻が子供の頃を思い出して「懐かしい」といっていました。 タイの昔の歯磨き粉の宣伝用の看板です。 タイのコーラーです。 今はペットボトルで売っていますが、10年前まで田舎やバンコクで小さいお店でコーラーを買うと、氷が入ったビニール袋にコーラを入れてストローで飲むのが一般的でした。 このカラフルは箱はタイの洗剤です。 横に大きな「味の素」の缶が見えますが、昔からタイでも「味の素」が使われています。 昔のアイロンは中に炭を入れて使っていました。 博物館の横にある本堂に2階には80体の仏像が祀られています。 「ワット クラトゥム スアプラー」のご本尊になります
バンコクには多くのインドから渡ってきた印僑(いんきょう)が多く住んでおり、それらの子孫が織物業や宝石店などを営んでいます。 バンコクのシーロムにある「ワット・マハー・ウマ・デヴィ」はラーマ5世の治世の1879年、シーロム地区に住んでいたタミル人により建設され多くのインド系タイ人がお参りに訪れるいます。 地図 BTSセントルイス駅から徒歩10分程 拝観時間:朝6時から夜8時まで 「ワット・マハー・ウマ・デヴィ」はインド系の人々には神聖な場所となっていますので、寺院内は撮影禁止となっています。 参拝の仕方 入口の奥にお供え物が売っていますので60バーツで購入しました。 そのお供え物を持って奥の神殿に進みます。 神殿の奥でひげを生やしたインド映画に出てくる上半身が裸で腰巻をしたインドの民族衣装を着た男性にお供えものを捧げます。 そのときに自分の名前を告げるとお経をあげてくれ、額にインド人がつけている赤の印を付けてくれます。 (脂ぽいオデコでスミマセン、、、) 妻にパールヴァティが降臨する? 「ワット・マハー・ウマ・デヴィ」でお参りしたときヒンドゥー教でシバの神の正妻 「パールヴァティ」のお守
「ワットサワンアロム」はマングローブの森にあるため、「ワットラン」や「ワットバンラン」と呼ばれることがよくあります。 地図 サムットプラカーンにある「ワットサワンアロム」はバンコクから車で1時間ほどかかります。 ワットサワンアロムの歴史 「ワットサワンアロム」は「ワット モンコン コーターワート」の住職であり高僧のルアンポーパンにより1909年に建設されました。 しかし、最初に建てられたお堂はその後の洪水により放棄され、お寺は荒れ果てていました。 その後「ワットサワンアロム」は1957年に修復され古いお堂から離れた場所に新しいお堂が建てられました。 こちらが新しいお堂に祀られているご本尊です。 本堂の前にちょっと形の変わった仏塔があります。 お寺の正面には怖そうな虎が祀られています。 これは「ワットサワンアロム」の改修中に高僧ルアンポーパンがつくられたと思われる虎の石像が見つかったことから、その虎の複製品を祀っています。 入口の右側にはタイ古式のお堂が並んでいます。 「ワットサワンアロム」が建てられたことはこんな光景だったのでしょう。 それぞれのお堂にはお坊さんが祀られています。 境内
「ワット トーンクン」には雪を被ったような白い白亜のお堂があります。 地図 ワット トーンクンはバンコクから車で約1時間です。 「ワット トーンクン」は地元の有力者による土地提供で1986年10月に完成した新しいお寺です。 そのため、現在でも境内にはお堂の建設工事が行われています。 完成したお堂の前には白亜の仏像が祀られています。 お堂の中にはサングラスをかけた仏像が、、、 そのサングラスをかけた仏像の後ろに、もう一つの仏像が、、、 妻の話では宝くじにご利益があるとか、、、 白亜のお堂にはきれいに装飾されたお堂があります。 入口には派手な色の竜が鎮座しています。 お堂の中にはミャンマーの神様が祀られています。 装飾された柱の前にタイ王室の紋章でもあるガルーダが祀られています。 きれいに装飾された大仏の足跡です。 お堂の奥には金色と銀色の仏像が祀られています。 こちらにも銀色の仏像が祀られています。 この仏像が祀られている下にはたくさんの仏像がありますが、それらすべてがお墓でしたので、慌てて写真を消去しました。 閻魔様でしょうか? 境内の奥にはたくさんの仏像が祀られています。 また境内に
「ワットモンコンコーターワート」はサムットプラカーンにある美しい歴史のあるお寺で、多くの参拝客が訪れています。 地図 拝観時間:朝8時から夕方4時まで ワットモンコンコーターワートの歴史 アユタヤ王国の歴史は常にビルマとの戦争の繰り返しでした。 その戦火を逃れるためにアユタヤの上流階級の人達が家族を連れてパンファ河の近くに定住し、1757年4月15日に「ワット パンフェノック」というお寺を建てました。 その後、1909年にラーマ5世は「ワット パンフェノック」に3泊し、住職のルアン プパンと会話をなさいました。 そして、ラーマ5世はルアンプパンに高僧の称号を与え、お寺を「ワットモンコンコーターワート」と名前を授けられました。 お寺の名称は「ワットモンコンコーターワート」と変わりましたが、今でもこの地域の人々は高僧ルアンプパンを尊敬をしていることから地元の人たちはお寺を「ワット プアン ポーパン」とよんでいます。 「ワットモンコンコーターワート」は広いお寺ですので、二つもお堂があります。 まずはお供え物の花を買って、一つ目のお堂の下にある仏像にお参りです。 たくさんの仏像があります。 こ
旅行写真:2016年のドイ・インタノン - Doi Inthanon(タイ・チェンマイ)
どうも、ドミナゴ(@Dominago50)です。 コロナ禍になる前に撮影した海外旅行の写真を整理していますので、このブログで紹介していきたいと思います。 今回は、チェンマイから車で2時間ほどの場所にあるドイ・インタノンとその周辺についてご紹介できればと思います。 DMM英会話のお友達紹介コードは267989084です。入会時にこのコードを入力すると紹介した方、紹介された方双方にプラスレッスンチケット3枚が貰えます。(誰が利用したかこちらには分かりません) ドイ・インタノン山 2つの仏塔 ワット・プラタートドイ・ステープ ドイ・インタノン山 チェンマイに滞在中、タイの友人が車で郊外の観光地へ連れ…
ワット パトゥムワナーラーム:大型ショッピングセンターに囲まれた寺院
「ワット パトゥムワナーラーム」はタイ王室管理3級のお寺で、セントラルワールドとサイアムパラゴンの間にあり、その他の大型ショッピングセンターがある商業地に囲まれた歴史のあるお寺です。 地図 「ワット パトゥムワナーラーム」はサイアム駅から徒歩4分です。 入口を入ると横に小さなお堂があります。 タイですので象も金色です。 お堂の中に仏像が祀られています。 このお寺の建設に関係してお坊さんでしょうか? 反対側にもお堂があります。 歴代の住職でしょうか? お堂の中にはたくさんの僧侶が祀られています。 ワット パトゥムワナーラームの歴史 1857年、ラーマ4世はマハチャクリ シリトーン王女のために寺院の建設を摂政のソムデッド チャオ プラヤに命じました。 「ワット パトゥムワナーラーム」は1861年に完成しました。 しかし、その年の9月9日にマハチャクリ シリトーン王女が28歳の若さで亡くなってしまったために、落成式は行われませんでした。 その後、1867年に落成式が行われました。 「ワット パトゥムワナーラーム」には2ヶ所の礼拝所があり、それぞれご本尊が祀られています。 こちらは入口の手前に
ワット プラピレン:赤の室内装飾の本堂に安置された金色の仏像
「ワット プラピレン」はバンコクの下町にあるこじんまりとした小さなお寺ですが、アユタヤ時代後期からの歴史があります。 下町にあるお寺らしく、入口には屋台が出ています。 地図 「ワット プラピレン」は地下鉄サムヨット駅から徒歩10分以内で着きます。 参拝時間:朝8時から夕方6時まで 境内には美しいタイ様式のお堂があります。 お堂の中にはお坊さんが祀られていました、このお寺に関係あるのでしょうか? 本堂の横に大きい金色の仏塔があります。 仏塔の周りは納骨されて方の写真が祀られているため、仏塔の上部だけ写真を撮りました。 「ワット プラピレン」だけでなく、タイにあるほとんどのお寺に火葬炉が設けられており、中華系タイ人を除き火葬後の遺灰は河や運河などに散骨します。 これは、死後の体は魂の抜け殻との仏教の教えからきたものです。 このとき全部の遺灰を散骨してしまう人もいますが、人によってはお寺の納骨所に遺灰の一部を祀る人もいます。 そのため、タイでは家代々のお墓というものがなく、お寺自体が納骨所となっており、お寺の外側の壁などに納骨されています。 一方、同じ仏教を信仰している中華系タイ人でも親の体
ワットマハーブット タイで一番有名な怪談「メーナーク」の舞台
タイで一番有名な怪談に プラカノーンのメーナーク というお話があります。 主人公は「ナーク」さんという女性です。 彼女の終焉がこのワットマハーブットであった ことから、ワッ
バンコク『ワットマハータートユワラートランサリット』結界石が無い!超珍しい!
バンコク都内にある王室一級仏教寺院のなかでは ひと際地味で、無名に近い寺院 『ワットマハータートユワラートランサリット』 をご紹介します 一級寺院としては一番下のウォーラマハーウィハー
タイの寺院は格式高くても、どこかユニークで 面白みのある所が多いです。 陽気なタイ人っぽくて良いと思います また、地元の人々が多く集まり、活気と笑いが あって和める場所でもあります。
タイ バンコクのワニ寺院 『ワットチャクラワートラーチャーワート』 をご紹介します。 寺院に猫や犬が住み着いていることは良くあります。 また、タンブン(徳を積む行為)をするために牛
バンコク『ワットチャナソンクラーム』僧侶に聖水をかけてもらいました
バンコクの第2級王室仏教寺院 『ワットチャナソンクラーム』 をご紹介します ラマ1世の時代、ビルマからの3度にわたる侵攻を 迎撃し、勝利を収めたことから寺院の名称を チャナソンクラ
バンコク最北の王室仏教寺院『ワットラックシー』珍しい銀色の破風
『ワットラックシー』 バンコク都では最北に位置する第3級王室仏教 寺院で、1878年に建てられたラマ5世ゆかりの 寺です。 縦の空間を上手く使った面白い建物や ワットプラケオばりの金仏
タイでひとつの王朝時代にひとつ建てられる『ワットラチャブラナ』日本人の納骨堂があります
バンコクに大変珍しい日本人の納骨堂を 持つ寺院があります。 第2級王室仏教寺院 『ワットラチャブラナ』 アユタヤ時代に中華系商人が建立した寺院ですが、 ラマ1世の時代に改装された
バンコク北部の寺院『ワットサミアンナーリー』MKがスポンサー!
バンコク都の北に位置する 『ワットサミアンナーリー』 をご紹介します。 格付け無しの地方寺院の中でも古刹で、 かつ規模が大きく、地元タイ人が大勢訪れる 活気のある寺院です 1857年に
バンコク『ワットカムペーンバンチャーク』森の中に隠された静寂の寺院
バンコク 『ワットカムペーンバンチャーク』 時が止まったまま森の中に隠されたような 静寂の寺院です。 場所ですが、MRTのBang Phai駅から徒歩10分 のところにあり、クローンバーン
バンコク『ワットインターラーム』タークシン王の眠る寺院、超レアな釈迦の愛弟子像が見られます
バンコクの現王朝のすぐそば、西部にある 第3級王室仏教寺院 『ワットインターラーム』 トンブリー王朝のタークシン王が眠る寺院です ビルマ侵攻により陥落し、廃墟と化したアユタヤ
バンコク 牛のいる寺院『ワットバンナーナイ』ペット葬儀もできます
バンコク都の南にある牛のいる 第3級王室仏教寺院 『ワットバンナーナイ』 をご紹介します。 BTSのBang Na駅から仏塔が見えます。 けっこう渋めの良い色をした仏塔です。 これは、行って
バンコク アユタヤ王朝後期に建てられた 魅力的な古刹の 『ワットマイテープニミット』 をご紹介します 少し寂しげな静けさと見事な壁画があります MRTが環状化されたことで、こう
バンコク 大量のナーガ(蛇神)がいる寺院『ワットナークプロック』珍しいです!
ナーガ(蛇神)は釈迦が悟りを開く時に守護した ことから神格化したヒンドゥー教の神様ですが、 タイの寺院にもかなり定着しているけっこう人気 の神様です また、そもそも寺院の破風部分
バンコク 庭園が美しい『ワットテープシリンタラーワート』結界石がプレート状!
バンコクの第2級王室仏教寺院のなかで 最も美しく格式高い寺院だと思います。 『ワットテープシリンタラーワート』 1878年に建立され、寺院の名称はラーマ5世の 母の名に由来してお
バンコク『ワットナーククラーン』9色カラフル仏像、踊る仏像、壮大な壁画!
バンコクの寺院には伝統的なものから独創的な ものまで自由な装飾が多く、ときに面白いもの が見られます こういうふざけた感じでもいいのかな・・・ などと考えてしまいます さすがに王室仏
「ワットラーチャブーラナ」は1424年、アユタヤ王国8代サームプラヤ―により、王位継承争いで亡くなった2人の兄を弔うために火葬を行った場所に建立されました。 地図 入場料:タイ人20バーツで外国人50バーツ 拝観時間:朝8時から夜6時まで ワット・ラーチャブーラナの歴史 アユタヤ王国7代ナカリンタラーティラート王(1359年ー1424年)が崩御したとき、スパンブリー領主のアイプラヤ―、プレークシーラーチャー領主のイープラヤ―、チャイナート領主のサームプラヤ―の3人の息子がいました。 やがて、兄弟で王位継承の争いが起き、3人の王子は象にまたがり決闘を行いました。 決闘の結果、長男アイプラヤ―と次男イープラヤ―は相打ちで亡くなってしまい、生き残った3男サームプラヤ―がアユタヤ王国8代の王位に就き、二人の兄を弔うために「ワット ラーチャブーラナ」を建てました。 サームプラヤ―王とは 王位継承争い後に即位したアユタヤ王国8代サームプラヤ―王(1386年ー1448年)は現在カンボジアのクメール王国、アンコール トム攻略に成功しました。 そのとき捕虜として捕らえた大勢のクメール人官吏がアユタヤに連
「ワット プララーム」はユネスコによりアユタヤ世界遺産の認定された古代寺院の一つで、アユタヤ時代初期の建物です。 地図 「ワット プララーム」は王宮エリアの東側にあります。 入場券:タイ人20バーツ、外国人50バーツ ワット プララームの歴史 1369年、アユタヤ王国初代ラーマーティボーディー1世が崩御し火葬が執り行われました。 葬儀の後、火葬が執り行われた場所にアユタヤ王国2代と5代のラーメースワン王が「ワット プララーム」を建立しました。 ラーメースワン王とは このラーメースワン王は歴代アユタヤ王国の中で2回も王位に就きました。 1369年、父であるラーマーティボーディー1世の崩御により皇太子であったラーメースワンが王位に就きました。 しかし、ラーメースワン王はカンボジア遠征では失敗し、スパンブリ領主パグワの援軍の力を借りることによりカンボジア軍に勝利を得ました。 カンボジア軍に対し勝利をおさめたラーメースワン王ですが、アユタヤ王室内ではスパンブリ領主パグワの権威が高まったことからラーメースワン王は退位させられました。 そして1370年にパグワが王位につきアユタヤ王国3代ボーロマラ
バンコク王宮エリアの穴場!降魔の女神『プラメートラニー像』への行き方
『プラメートラニー』 悟りを開くため菩提樹の下で瞑想している 仏陀を襲いに来た魔物(マーラ)に対し、 自らの濡髪を搾って洪水を起こし、 仏陀を守った(降魔)伝説の女神です
「ワット プラシーサンペット」はアユタヤにある3人の王を祀った巨大な仏塔があるお寺として有名です。 アユタヤにある多くのお寺が王朝滅亡のときにビルマ軍による徹底的な破壊をうけましたが、「ワット プラシーサンペット」は破壊が少なく、アユタヤ王国当時の仏塔が見ることができます。 地図 拝観時間:朝8時から夜6時まで 「ワット プラシーサンペット」はウィハーン プラモンコンボピットに隣接しています。 ここで入場券を買います。 入場料はタイ人20バーツで外国人50バーツです。 外国人にとって観光地ですが、タイ人にとって神聖な場所ですのでドレスコードがあります。参拝の際にはお気を付けください。 ワット プラシーサンペットの歴史 スコータイ王朝時代、スパンブリーの領主であったウートーン王(1314年ー1369年)は1351年にアユタヤ王朝を開き、当初「ワット プラシーサンペット」があった場所には王宮が築かれていました。 その後、アユタヤ王国11代ラーマーティボーディー2世(1472年ー1529年)は1492年に父のトライローカナート王、そして兄の1499年にボーロマラーチャーティラートを弔うために
バンコク『ワットチャイチャナソンクラーム』が火事に遭いました・・
バンコクで暮らしていますが、たまに中華街に 行きます。 食事であったり、ちょっとした小物が安く売って いて店の数も多いので、見て周ると暇つぶしに なります 結局、通販で買うことも多いのですが
ウィハーン プラモンコンボピット:高さ17mの大仏を祀るお寺
古都アユタヤには歴史的価値がある寺院がたくさんあり、ここ「ウィハーン プラモンコンボピット」には高さ17mの金箔に覆われた大仏が祀られています。 地図 入場料:無料 ウィハーン プラモンコンボピットの歴史 「ウィハーン プラモンコンボピット」にある大仏はアユタヤ王国9代ボーロマトライローカナート(1448年-1488年)の治世に現在の本堂の西側に建てられたとされています。 その後、アユタヤ王国24代ソンタム王(1590年ー1628年)の治世、1603年に大仏が現在のお堂のある場所移されたとアユタヤの訪れたオランダ人が描いた記録があります。 1706年、大仏の頭部が落雷により損傷し、アユタヤ王国32代スリエーンタラーンティボーディー王(1661年ー1709年)により修復されました。 そのようにせっかく修復された大仏ですが、1767年のアユタヤ王国滅亡時にビルマ軍によって「ウィハーン プラモンコンボピット」は大仏だけでなくお堂やそこに描かれていた絵画などが徹底的に破壊されました。 19世紀に入り、ラーマ5世とラーマ6世により「ウィハーン プラモンコンボピット」は修復されました。 そして、1
アユタヤにある数多くの古代遺跡は1991年にユネスコ世界遺産に登録され、「ワット マハタート」も古都アユタヤ遺跡の一つとして登録されています。 その「ワット マハタート」には樹齢100年以上の木の根に取り込まれた仏頭があるお寺として有名で世界中から多くの観光客が訪れています。 ワット マハタートの場所 アユタヤ駅からワット マハタートまで車で10分程です。 アユタヤ駅を降りるとこのような観光用のトゥクトゥクがあります。(値段は要交渉) またアユタヤでは観光用のレンタル自転車があり、お寺には専用の駐輪場があります。 入場料はタイ人20バーツ、外国人50バーツです。 ワット マハタートの歴史 「ワット マハタート」はアユタヤ王国3代目ボロムラチャティラート1世の治世、1374年に建設が始まりました。 しかし、「ワット マハタート」の完成を待たず、ボロムラチャティラート1世は1388年に亡くなってしまいました。 ボロムラチャティラート1世の崩御後に、退位させられていたアユタヤ王国2代目ラーメースワン王がクーデター起こし、1388年に再び権力を取り戻しアユタヤ王国5代目の国王に即位しました。
『ワットチャロー』巨大なホンがいるバンコクノンタブリー県の名古刹
バンコク都の北にノンタブリー県は位置しており、 いわゆる首都圏の範囲内です。 ここに名古刹があり、昨年開業したレッドラインという タイ国鉄の新線を利用するとギリギリ徒歩圏内で
パラゴンとセントラルワールドに挟まれた寺院『ワットパトゥムワナーラーム』
最近はローカルフード店の食レポばかりでしたが、 今回は王室仏教寺院のレポートです 最寄り駅がサイアム駅で隣はサイアムパラゴンと セントラルワールド・・・というバンコク都の ど
タオウェスワン(毘沙門天)が守る『ワットスッターラーム』地元に大人気の寺院です
バンコクの地元民から超愛されているローカル寺院を ご紹介します 自分が過去に見た中で最も多い量のタンブンが 施された仏像があったり、とにかく賑やかでした 『ワットスッターラ
バンコク泥棒市場そば『ワットプラピレン』異色の造形をした本堂に驚く
バンコクで泥棒市場などと呼ばれ、親しまれている クロントム界隈にはかなり異色の寺院があります。 『ワットプラピレン』 建造は古くアユタヤ朝の後期にあたる1757年頃ですが、 当
タイ国鉄線路沿いの素朴な道で行く『ワットアマリンタラーラーム』
バンコク ノーイ地区の下町を歩いてきました トンブリー王朝で栄えた土地ですが、今では様々な 大規模市場が形成され大変賑やかで活気のある 場所になっています 都心部のような発
バンコク『ワットプラッププラーチャイ』トゥクトゥクに囲まれた寺院
バンコクのちょっとマイナーな寺院を ご紹介します マイナーと言ってもヤワラート(中華街)の すぐそばなので、都会に建つ寺院です。 そして何故か大量のトゥクトゥクが寺院の脇に
タイでずいぶん多くの寺院を見てきました 荘厳なものから冗談みたいなものまで、 はたまたワニを飼っている寺院など面白い 寺院がたくさんあるので、興味は尽きません 最近は暑気真っ盛
バンコク『ワットテープティダーラーム』珍しい白い仏像と52体の修道女像
今回ご紹介するバンコクの寺院は王室仏教寺院の なかでも珍しいものが多いお寺です 『ワットテープティダーラーム』 第3級王室仏教寺院なので基本的には王族が建立した 寺院では無い
バンコク『ワットサーイマイ』タオウェスワンが大人気!遊園地みたいな地方寺院
バンコク都の北、パトムターニー県にある地方寺院 をご紹介します。 『ワットサーイマイ』 ラーマ5世が治世する1898年に建立された比較的 古い寺院です 建立後に寺院の敷地を拡げ
アイコンサイアム目の前ラーマ1世時代の古刹『ワットスワン』驚きの結界石!
アイコンサイアムを散歩しに行った帰り道にちょっと 寄れる距離に寺院があります。 チャオプラヤー川を渡っていくと気づかないのですが、 ゴールドライン側を見ますと左手に寺院があります
バンコク『ワットマクットカサットリヤーラーム』荘厳な堂内と超レア結界石
バンコクの寺院をご紹介します 第2級王室仏教寺院 『ワットマクットカサットリヤーラーム』 1868年にラーマ4世によって建立されました。 アユタヤのように運河に沿って寺院が優雅に 立ち
バンコク ドンムアン空港そば『ワットドンムアン』第3級王室仏教寺院なのです
バンコクではスワンナプーム空港が建設される 2006年までは長らくドンムアン空港が国際線発着を 担っていました。 今でも一部のローコストキャリアはドンムアンを 使っており、格安ツアーには欠かせない
バンコク最古の寺院『ワットチョンノンシー』アユタヤ様式の建物が凄い
バンコクには大量の寺院があり、ほとんどは 経年劣化に伴うメンテナンスがされています。 しかし、ごく稀にメンテナンスが行き届いていない ため、往時の様相を残している寺院に巡り合うことが あります
バンコク廃寺院『ワットプマリンラーチャパクシ』別寺院に統合されてます
先日に引き続き、バンコクには数少ない廃寺院を ご紹介します ※2年ほど前からちょこちょこ見に行っていました ので画像は複数年に渡っています。 『ワットプマリンラーチャパクシ』 ラーマ6世時
これまでもたまにレアな古寺をレポートしましたが、 今回はバンコク都内にあって激レアな古寺をレポート したいと思います アユタヤ遺跡を彷彿とさせる姿と、今なお崩壊が 進んでいる様相は凄まじいの一
全長32m!『ワットインタラウィハーン』バンコクで2番目に大きな仏像
バンコクの第3級王室仏教寺院 『ワットインタラウィハーン』をご紹介します。 昨年、ワットパクナムに全長69mもの大仏が作られた ことで、バンコクで一番大きな大仏の座を明け渡すこと になってしま
「ワット プラッププラーチャイ」は「ワット テープシリンタラーワート」の向かい側にある小さなお寺です。 地図 「ワット プラッププラーチャイ」は地下鉄ワット モンコン駅から徒歩10分程です。 拝観時間:朝8時から夜8時半まで ワット プラッププラーチャイの歴史 「ワット プラッププラーチャイ」がいつ頃に建てられた詳しい資料がありませんが、アユタヤ王国30代ナーラーイ王(1633年2月16日ー1688年7月11日)の治世に建てられたとされています。 当時、このお寺は「ワット コック」とよばれていました。 ワット プラッププラーチャイとラーマ6世 1911年11月11日に即位したラーマ6世(1811年1月1日ー1925年11月25日)は先代のラーマ5世のタイ近代化改革を引き継ぎ、義務教育の導入、タイ赤十字の創設など行いました。 そして、世界に3番目となるボーイスカウトの導入を行い、「ワット コック」にボーイスカウト本部が置かれお寺の名前も「ワット プラッププラーチャイ」とされました。 しかし、このボーイスカウトは「スアパー」とよばれるラーマ6世の自警団組織の側面がああり、そのためタイ軍部の
ピンクのガネーシャ様を訪ねてワットサマーンラッタナ―ラームへの旅
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?ここ1~2年のバンコクのガイドブックなら必ず載っている観光地のひとつ、ピン…
ワット テープシリンタラーワート:ラーマ5世が母を追慕したお寺
ワット テープシリンタラーワートは王室管理第2級の広大な美しい庭園を持つ寺院です。 地図 「ワット テープシリンタラーワート」は地下鉄ワット マンコン駅から徒歩10分です。 ワット テープシリンタラーワートの歴史 ラーマ5世の母、マハチャクリシリントーンが1961年9月9日、28歳の若さで亡くなりました。 1868年に即位したタイ国王ラーマ5世は1876年、若くして亡くなった母に捧げるための寺院の建設を命じました。 そして、2年の建設期間を経て1878年7月3日に落成式の儀式が執り行われ、寺院を母の名前に由来した「ワット テープシリンタラーワート」と名付けました。 そして、1896年にラーマ5世は「ワット テープシリンタラーワート」をタイ王室の墓所と定め、王室専用用の火葬所が設けられました。 タイのお寺の外観は精巧な彫刻が施されていますが、少年期にラーマ5世は英国人家庭教師から教育を受けたため、ヨーロッパ文化の影響でしょうか? 外観はとてもシンプルな造りになっています。 しかし、本堂の天井にはタイ様式の素晴らしい精巧な模様が施されています。 通常、タイのお寺ですと境内に大きな仏塔が建て
【バンコク近郊】【お寺】カラフルなリボンがいっぱい『リボン寺』は超インスタ映え!40Bでスカイウォーク!
ずっと気になっていたシラチャにある『リボンのお寺』、Wat Khao Tabeakの紹介です。山のてっぺんには、ここの名物、スカイウォークがあります。