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只今、近所のコーラック寺がお寺主催のお祭りで盛り上がっています。 境内の特設巨大スピーカーからは一日中DJが大音量で寄進を呼びかける声が毎晩遅くまで…
黄金色に輝く本堂で有名な「ワット シーパントン」は1857年に建てられカーオ王国13代パン王(在位1416年ー1425年)の名から由来したお寺です。地図ナーンナコーン空港から車で10分境内の様子こちらのご本尊にお参りをしました。お寺の装飾にはアヌラック ソムサックというナン族の職人によって彫刻され迫力のある7つの頭を持つ龍のナーガが祀られています。昔「ワット シーパントン」にはルアン プー クルチャンタという住職がいました。ルアン プー クルチャンタ住職は薬草の知識を持っており調合する漢方は膿による炎症に効果があることからお寺のお勤めをする傍ら毎日そのような患者の治療を行っていました。ナーンに旅行の際には黄金色に輝く本堂でお参りはいかがでしょうか。
①どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(タイ衣装で遺跡写真)編。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 ずーっとずーっと…
ナーンにあるお寺「ワット フアクアン」の建てられた時期についての詳細は分かりませんが1450年代から1650年代に建てられと推測されています。 その後ナーン王国12代アナンタヨット王(在位1853年ー1891年)により1882年に修復が行われた記録があります。 地図 ナーンナコーン空港から車で10分 ご本尊を左側に移動させた理由とは? 通常ご本尊は本堂の真ん中に祀らてれいますが「ワット フアクアン」のご本尊は真ん中から左側に寄って祀られています。 この理由についてナーン国立博物館を見学していたときに職員さんが面白いエピソードを聞けせてくれました。 今から500年ほど前、「ワット フアクアン」のある村人と「ワット プーミン」のある村人はどういう訳だか仲が悪くケンカが絶えませんでした。 この問題を解決するため互いの村長と住職が話し合いを始めました。 4人が解決方法を考えているとき「ワット フアクアン」のご本尊を見てあることに気が付きました、、、 「それぞれのお寺のご本尊の祀られている方向が同じで視線がぶつかっている!!!」 そのため互いの村人の仲が悪い原因と4人は考えました。 その問題を解
ナーンにある「ワット プーミン」には愛をささやく男女の壁画が描かれていることで有名で、Tシャツやポストカードなどグッズとして販売しておりナーンのシンボルとなっています。 地図 ナーンナコーン空港から車で11分 拝観時間:朝6時から夕方6時まで (時間変更があります) ワット プーミンの歴史 「ワット プーミン」はビルマ王国統治下に任命されたカーオ王国39代と41代ジェタブット バラモン王(在位1591年ー1597年、1600年ー1603年)の治世1596年に建てられました。 独特の美しさを持つそれぞれの方向に向いた仏像が祀れています。 本堂には様々な壁画が絵が画れており このような美人画が描かれいます。 こちらの美人画はシナイ夫人がモデルとされ別名「ナーンのモナリザ」ともよばれています。 また西洋人らしき男性が描かれています。 現在のタイのチャックリー王朝に任命されたナーン王国12代アナンタヨット王(在位1853年ー1891年)は治世中に多くの寺院修復を行いました そして「ワット プーミン」も1875年まで修復が行われた記録があります。 愛をささやく男女の壁画 「ワット プーミン」で有
象に支えられた仏塔があるお寺:ワット プラタート チャンカム
ナーン国立博物館での見学も終わり向かい側の通りを歩いていたところ、色とりどりの傘や提灯に飾られたお寺「ワット プラタート チャンカム」がありましたのでお参りに行きました。 地図 ナーンナコーン空港から車で10分 拝観時間:朝6時から夕方6時まで (時間変更があります) ワット プラタート チャンカムの歴史 「ワット プラタート チャンカム」の歴史は古く現在のナーンに13世紀にあったカーオ王国の11代プーケーン王(在位1406年ー1416年)の治世の1406年に建てられました。 境内には象に支えられたスコータイ様式の仏塔がそびえ立ちます。 小国であったカーオ王国はタイ中央部にあるスコータイ王国との友好関係を結んだことから仏舎利や仏像などをもらい受けていました。 時代は流れ18世紀にこの地にナーン王国が成立しました。 ナーン王国11代スリヤポンパリットデート王(在位1894年ー1918年)は1910年に「ワット プラタート チャンカム」の境内に新しいお堂を建てました。 スリヤポンパリットデート王はその治世に多くの寺院の修復を行いました。 ナーンはチエンマイを都とするラーンナー王国やビルマな
「ワット パヤーワット」はタイ北部ナーンにある約600年前に建てられ、チェンマイを都とするラーンナー王国の古文書にも登場する歴史あるお寺です。 地図 ナーンナコーン空港から車で14分 境内の様子 境内には古い仏塔があります。 この仏塔はラーンナー王国9代ティローカラート(在位1441年ー1487年)の治世に建てられたとされています。 またこちらの小さなお堂には 涅槃物が祀れていました。 本堂と雨の神の仏像 本堂の入口にはコムローイとよばれるタイ北部の提灯が飾られており 本堂の中はタイ北部文化の旗で飾らており お寺の造りもタイ北部文化のラーンナー様式で建てられています。 本堂の奥に光るものが祀られています。 こちらがご本尊で雨の神の仏像です。 昔、この地域の人々はナーン川で沐浴をする習慣がありました。 そのため雨の降らない季節にはご本尊の前で雨乞いの儀式が行われていました。 穏やかなお顔のご本尊ですので、人々の願いを聞いて恵の雨を降らしたのでしょう。
サムットプラカーンに僧侶が守るべきの13の教えを象徴した13の白亜の仏塔があるお寺「ワット アソカラーム」には多くの参拝客が訪れています。 地図 BTSケーハ駅から車で6分 拝観時間:朝8時30分から夕方4時30分まで (時間変更があります) ワット アソカラームとリー導師 1906年に生まれたリー導師は1925年に僧侶として叙勲され地方のお寺の住職を務めた後にカンボジアやミャンマー、インドなど仏教の聖地を巡る旅をしました。 その後サムットプラカーンに瞑想を学ぶ場所としてこの地に修道院を建てました 当初は僧侶が6人しかいない小さな修道院でしたがお寺を建てるために2名の地主から83,200平方メートルの土地を寄進されました。 仏塔の向かい側に大きな拝礼所があります。 こちらの仏像にお参りをしてきました。 この仏像があるお堂に1961年に亡くなったリー導師の棺が祀られています。 境内にはアショーカ王が祀られています。 このアショーカ王は紀元前268年頃にインドのマウリヤ朝の王で仏教を広めたことで知られています。 お寺の名前「アソカラーム」とは悲しみがないと意味する「アソ―ケ」と修道院を心地
バンコクのノスタルジーを感じるカフェ SANE PHUTHONG
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?バンコクの旧市街は、地下鉄のMRTが延伸して以降、どんどんお洒落で話題のお…
喧嘩せずに仲良くしている時が何日続いたのか思い出せないくらい、今日は久しぶりに険悪になりました。まだ夫婦になったわけではないので、厳密には夫婦喧嘩ではありませ…
ペッチャブリーで長い歴史を持つお寺「ワット ペップリー」はタイの歴史や宗教においても重要な役割を果たしてきたとして多くの観光客が参拝に訪れています。 地図 ワット ペップリーの歴史 「ワット ペップリー」は1240年から1438年に栄えたスコータイ王国時代に建てられた当時は宗教的にも重要な場所とされていたとの記録があります。 しかし、スコータイ王国が衰退すると「ワット ペップリー」も荒廃してしまいました。 その後の1351年に成立したアユタヤ王国はスコータイ王国を併合したこともあり「ワット ペップリー」が再建され考古学の調査によるとバラモン教の儀式で使うジャイアントスイングが建てられていた記録があります。 境内の様子 金の仏塔がある建物は博物館になっています。 お寺に行った時間が早すぎたために中に入ることができませんでした。 本堂もカギがかかっておりどこかでお参りをと探していると境内に祠がありました。 こちらの仏像にお参りをしてきました。 ジャイアントスイング タイはバラモン教の影響を受けていることからバンコクにもジャイアントスイングが建てられています。 そしてシバの神を迎えためにジャ
ラーマ5世が敬愛した住職のお寺:ワット ラートサッターラーム
ペッチャブリーにあるお寺「ワット ラートサッターラーム」はアユタヤ王国後期の1703年に建てられた300年以上の歴史のあるお寺です。 地図 ラーマ5世が敬愛した住職 ラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世、「ワット ラートサッターラーム」には仏教の戒律に厳しく隠遁生活を送っていることから人々に尊敬されたクリン住職がおりました。 ラーマ5世は仏教の戒律を厳しく守るクリン住職を敬愛しペッチャブリー滞在中に何度も「ワット ラートサッターラーム」を訪れました。 また1909年9月14日に2艘のボートにより「ワット ラートサッターラーム」を訪れ昼食を摂られた記録もあります。 ラーマ5世の治世は日本では明治維新の頃になりミャンマーやマレーシアはイギリスの植民地となりベトナムもフランスの植民地になるなど帝国主義の時代でした。 そのような状況にラーマ5世は「チャックリー改革」とよばれる政治や軍事、インフラや教育などの近代化に成功しタイの独立を守りました。 そのため現在でもタイ人はラーマ5世を尊敬し崩御した10月23日にはその偉業をたたえて国民の休日となっています。 そのような緊迫する国際情勢の
昨日と今日の2日連続で隣町にある「パー・プロム・パンヨー」というお寺に行ってお祈りしてきました。 いつもは「ナーモー・プーター・ヤー・・・」と言う旋律の付い…
ペッチャブリーにある1000年以上の歴史あると云われる「ワット タム ロン」にはお寺の向かい側の断崖に洞窟がありたくさんの仏像が祀られています。 地図 洞窟の入口 洞窟の入口は金網が貼られていますが、これは野良犬や野生の猿が入って来るのを防ぐたためですのでカギ替わりに入口にかかっている針金の外せば入れます。 ちなみに世間では仲が悪い関係を「犬猿の仲」といいます が、、、 ベッチャブリーでは野良犬と野生の猿が仲良く共存しています。 王様と心優しい少女の伝説 今から1300年前に王様がこの地域の領主を従えてこのお寺のある村にやって来ました。 そのため村人は王様のために飲み水の用意をしました。 そしてきれいな少女が王様の前に来て水の入った器を王様に差し出しました。 喉が乾いていた王様は水を飲もうとしましたが、器の中に1枚の葉が浮かんでいることに気が付きました。 それを見た王様はとても怒り水を差しだした少女を連れてくるように側近に命じました。 連れて来られた少女は「なぜ器の中に葉を入れたか?」と王様に問われました。 その問いに少女は 「私には王様が疲れているように見えました、そのようなときに急
願い事をスピーディーに叶えてくださる大仏様 ワットサーカラー
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?皆さまは、お願い事があるとき、神社仏閣にお詣りなさることはあるかしら?ホム…
ペッチャブリーには長さ32mで幅8mのジャンク船の形をした本堂を持つ「ワット ノーク パーク タレー」があります。 地図 ワット ノーク パーク タレーの歴史 昔「ワット ノーク パーク タレー」は海の近くにありましたが海岸浸食のために海水による浸水が起きてしまいました。 そこで1891年に住職と村人が協力をして現在の場所へ移動した記録があります。 現在、本堂はセメントで建てられていますが、建設当時の村人の多くが漁師でありお寺では漢方薬がつくられていた記録があります そのような理由からお寺はお祈りをするだけでなくコミュニティーの中では重要な場所とされていました。 そのような漁師の協力により建てられたお寺なだけに船のスクリューがあったり こちらにはタコがあり 風を切って進むジャンク船や 竜神ナークを乗せた船もあり 巻貝に乗って微笑む少年も祀られています。 ご本尊にお参りをしてきました。 本堂にはジャンク船の彫刻も施されていました。 昔も今も「ワット ノーク パーク タレー」では漁師たちによる大漁祈願が行われていることでしょう。
昨日はYと二人でチェンマイのお隣りのランプーン県にある有名な寺を訪ねました。寺の名前は「ワット・サンパーヤーン・ルアン」です。531年に最初に建立され、その後…
ペッチャブリーにある「ワット コッ」にはアユタヤ王国時代後期に描かれた息を飲むような美しい仏教画があり参拝者を魅了しています。 地図 拝観時間:朝8時から夕方5時まで (時間変更があります) 「ワット コッ」の入口は閉まっていますが裏側から自分でカギを開けて入ることができます。 というのも、 このお寺の境内には野良犬がたくさんおり、建物内へ侵入を防ぐためです。 壁に描かれた美しいアユタヤ時代の仏教画 「ワット コッ」の本堂には美しい仏教画が描かれています。 「ワット コッ」はアユタヤ王国34代ボーロマコート王(在位1733年ー1758年)の治世の1734年に建てられました。 当時のアユタヤ王国はヨーロッパ諸国との貿易の影響もあり仏教が衰退していました。 そこで熱心な仏教徒のボーロマコート王は上座仏教の本家スリランカに使節を派遣をしタイ仏教の回復に努めました。 瞑想中の仏陀を襲う鬼をプラメ―コローニーが自らの髪の毛から流し出した水で鬼を退治する様子が描かれています。 このような美しい壁画にご本尊は囲まれており神秘的な雰囲気を醸し出しています。 タイにはアユタヤ王国時代に描かれた壁画のお寺
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 さて、昨日のブロ…
王族が幽閉された洞窟と傾いた仏塔:ワット カオ バンダイ イット
ペッチャブリーにあるアユタヤ時代に建てられた「ワット カオ バンダイ イット」には王族が幽閉された洞窟や傾いた仏塔、山頂には大きな大仏が祀られたお寺です。 地図 拝観時間:朝8時30分から夕方5時まで (時間変更があります) 王族が幽閉された洞窟 こちらが洞窟の入口です。 ベッチャブリーのお寺には洞窟に仏像を祀っているお寺が多いいです。 1628年にソンタム王が崩御したことから若干15歳のチェーターティラート(在位1628年ー1629年)が王族のプラーサートトーンの協力を得てアユタヤ王国25代として即位しました。 このチェーターティラート王が即位したことに不満を持つ叔父であるプラパンシーシンが反乱を起こしましたが失敗したことによりこの洞窟へ幽閉しました。 しかし、チェーターティラート王の温情により死刑を免れたプラパンシーシンですが、再び反乱を企てたことによりアユタヤに連れ戻され処刑されました。 プラパンシーシンを処刑し王宮内は落ち着くを思われましたが、チェーターティラート王は即位の協力者であったプラーサートトーンが反乱を企ているとのことで兵を差し向ける準備を行いました。 しかし、兵を差
ペッチャブリーにあるアユタヤ時代に建てられたお寺「ワット ヤイ スワンナーラーム」の本堂には古い時代の職人が描いた仏教画があることで多く参拝客が訪れています。 地図 拝観時間:朝8時から夜6時まで (時間変更があります) アユタヤ時代の職人が描いた仏教画 こちらがご本尊になります。 ご本尊の左右にある仏像のどちらからが足の指が6本あるとのことですが金箔が貼り過ぎていたため確認できませんでした、、、 本堂の中には今にも消えてしまいそうですがアユタヤ時代にベッチャブリーの職人いより描かれた仏教画があります。 ラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世に改修されたときの調査によりこれらの壁画は約300年前に描かれたと推測されています。 本堂の横にはアユタヤ時代後期にチーク材により建てられた講堂があります。 美しい彫刻が施された戸ですがよく見ると穴が開いています。 ペッチャブリーはミャンマー国境と接しており昔からビルマ軍の侵攻が多く、この穴はこの地に侵攻したビルマ兵の斧によりつけられたとされています。 今では時代の風化と共に消えてしまいそうな仏教画ですが、描かれたばかりの本堂の中は神秘的な
今日は元妻のことを書くつもりだったのですが予定変更です。昨日の午後、スマホから電話の着信音が聞こえました。見るとYからでした。おかしい。休戦中ではなかったのか…
ペッチャブリーで最も古いクメール遺跡:ワット カムペーン レーン
現在は小国となってしまったカンボジアですが、9世紀から15世紀にアンコールワット遺跡に代表されるクメール王国の最盛期には北はラオスからミャンマーの一部まで広大は領土をもつ王国でした。 そしてカンボジアからタイランド湾の対岸にあるベッチャブリーの「ワット カムペーン レーン」には最盛期のクメール王国の面影を残しています。 地図 拝観時間:朝7時から夕方5時まで (時間変更があります) ワット カムペーン レーンの歴史 「ワット カムペーン レーン」はクメール王国ジャヤ―ヴァルマン7世(在位1181年ー1218/20年)の治世に建てられたとされています。 ジャヤ―ヴァルマン7世の政治能力は素晴らしく当時の東南アジアでの最大の領土を持ち隣国との戦争で荒廃した国内を復旧させました。 またジャヤ―ヴァルマン7世は仏教により国内を統治する考えから多くの寺院が建てられました。 しかしジャヤ―ヴァルマン7世の崩御後にクメール王国の勢力も陰りが見え始め1220年にはタイ中央部でタイ族のシーインタラーティットを王とするスコータイ王朝が成立しました。 その後時代は1351年にラーマティーボーディー1世による
ペッチャブリーで目を引く白い仏塔:ワット マハータート ウォラウィハーン
ペッチャブリー市街地で目を引くクメール様式の白い大きな仏塔をもつ王室第1級寺院「ワット マハータート ウォラウィハーン」は仏塔の美しさに多くの参拝客を魅了しています。 地図 拝観時間:朝9時から夕方5時まで (時間変更があります) ワット マハータート ウォラウィハーンの歴史 「ワット マハータート ウォラウィハーン」は発掘調査で出土したレンガから約800年から1000年前に建てられ建設当時は広い面積をもつ王室のお寺と推測されています。 こちらのお堂はアユタヤ王国34代ボーロマコート(在位1733年ー1758年)の治世に建てられました。 アユタヤ時代に描かれた仏教画に囲まれてたご本尊にお参りをしてきました。 ボーロマコート王の治世は王室内での権力闘争や中華系勢力の王宮襲撃事件や反乱が多発しており政治的な混乱が起きていまた。 そのような多発する反乱などでアユタヤ王国衰退の前兆が起きていましたが、仏教に深く帰依したボーロマコート王は上座部仏教の源流スリランカへ使節を派遣し現在へ続くタイ仏教の基礎を築きました。 こちらのお堂もアユタヤ時代に建てられました。 タイ北部で暮らしている首長族のよう
ペッチャブリーにある職人の匠な彫刻技術が使われたお寺「ワット コーイ」では本堂の美しさで参拝者を魅了しています。 地図 拝観時間:朝6時から夕方5時まで (時間変更があります) ワット コーイの歴史 「ワット コーイ」はアユタヤ王国時代後期に建てられた古いお寺と考えられています。 その後2005年に「ワット コーイ」の新しいお堂の計画が始まり総予算2,400万バーツの寄付金により建設が始まり2013年1月に両幅18mで高さ27mの匠な彫刻技術が使われたお堂が完成しました。 お堂には出世の富をもたらすと信じられているご本尊が祀られています。 お堂の周りには今にも動き出しそうな彫刻がたくさん置かれており たくさんの仏像が祀られています。 また境内にはタイの国旗の色に塗られた屋根のあるお堂があり、お寺の人から「開いているのでどうぞ」とのことでお参りをしました。 こちらのお堂にも精巧な彫刻が施されており 祀られている仏像も精巧なチーク材の彫刻に囲まれており 仏像が祀られている台座にもこのような繊細な彫刻が施されています。 お寺の方の話では「現在、新しく建てられたお寺にはこのような繊細な彫刻を施
ペッチャブリーには多くの山々に洞窟があり仏像が祀られていることが多いです。 特に「カオルアン洞窟」は岩の割れ目から光が差し込み照らし出された仏像に幻想的な雰囲気を醸し出しラーマ4世も瞑想に訪れた場所として多くの観光客が訪れています。 地図 開館時間:朝8時から夕方5時まで 入場料:10バーツ (入場料や時間変更があります) 幻想的な雰囲気の洞窟 洞窟まではこのような急な階段を降りて行きます。 割れた岩から光が差し込み このような神秘的な雰囲気を醸し出しています。 ラーマ4世が好んだ洞窟 地元の人達はヴィマンチャクリ洞窟とよばれていますが、ペッチャブリーの元領主のクンチャンチャイチャクがラーマ4世(在位1851年ー1868年)にこの洞窟に名前を求めたことから「カオルアン洞窟」という説もあります。 ラーマ4世は「カオルアン洞窟」の神秘的な雰囲気を気に入り夏の離宮に近いことから瞑想の地に選び10mのコンクリートの階段を取り付け、以前からここに祀られていた仏像の修復を命じました。 そして夏の離宮の滞在中に度々「カオルアン洞窟」にて瞑想を行っていました。 後にラーマ5世(在位1868年ー1910
ペッチャブリーで一般公開されているプラナコーンキリ国立歴史公園は元々1860年に完成しラーマ4世(在位1851年ー1868年)が夏の離宮として過ごしていました。 地図 拝観時間:朝8時30分から夕方4時30分まで 入場料:ケーブルカー込みで大人230バーツ。 プラナコーンキリ国立歴史公園内 プラナコーンキリ国立歴史公園は高さ92メートルの山頂に建てられたためにケーブルカーを使用します。 そしてケーブルカーはこんな急斜面も力強く上がって行きます。 こちらの西洋風の建物はプラナコンキリ宮殿で1859年にラーマ4世が礎石を据えた宮殿でタイ王族の他、外国の大使を迎えるレセプションホールとして使用されました。 現在は博物館として当時の調度品などが展示されています。 (室内は撮影禁止となっています) 王宮の横にはラーマ4世の好みにより建てられた仏塔があるウェチアン ウィチアン プラサートがあります。 仏塔からワット タート チョームペットの仏塔が見えましたので行ってみました。 見ると近くにあるようなのですが、、、このような道がダラダラと続きます。 8分程歩くとワット タート チョームペットに到着し
ペッチャブリーの有名な観光名所「カオヨーイ洞窟」は「ワット カオ ヨーイ」の近くにあり、その洞窟の中では多くの仏像が祀られています。 地図 拝観時間:朝8時30分から夕方5時まで (時間変更があります) 繊細なチーク材の彫刻が施されたお寺 「ワット カオ ヨーイ」はチーク材を使った繊細な彫刻が施されています。 そして内装にもチーク材の彫刻が施されおり 繊細な彫刻に囲まれたご本尊にお参りをしました。 大きな涅槃物を祀る洞窟 「ワット カオ ヨーイ」を少し歩いたところにある高さ50メートルの断崖に「カオヨーイ洞窟」があります。 洞窟を入ると大きな涅槃物が祀られており その他たくさんの仏像が祀られています。 「カオヨーイ洞窟」にはラーマ4世(在位1851年ー1868年)が訪れ数日間の瞑想を行いました。 アユタヤ王国初代ウートーン王(在位1350年ー1369年)が祀られており、像が手に持つ剣でベッチャブリーに住む人々をあらゆる災難から守ると信じられています。 また「カオヨーイ洞窟」に祀られている仏像には富をもたらすと信じられています。 ベッチャブリーにご旅行の際にはラーマ4世が瞑想を行った由緒
牛乳を買うために近所のコンビニまで自転車に乗っていたところ人だかりが 何事かと思い近くに行ってみると、、、 ニシキヘビが排水口にはまり身動き取れなくなっていました(・□・;) しかし、これはタイでは珍しいことではなく民家にヘビが出るため消防署には 「ヘビを捕まえて~」 との通報が火事より多いとのことです。 とのことで このニシキヘビも捕獲するべく捕獲員が引っ張ってみましたが ビクともせず、、、 そこに2人の捕獲員が応援が駆け付け 捕獲員B:「うわ~腹がパンパンだ、子猫でも飲み込んだか~?} 捕獲員C:「オーイ 石鹸水を持ってこーい!」 ということでニシキヘビの体に石鹸水を塗りつけ引っ張ったところ ズボ!!! との音とともに ニシキヘビのカワイイ顔が無事に排水口から抜けました(^^) 捕獲員の皆さん気軽に記念写真に応じてくれました。 ヘビは冷たいところを好む習性がありますので、屋外の公衆トイレなどにはお気をつけください!!!
コウモリが住み着くお寺:ワット ター スン タクシナーラーム
アユタヤにある「ワット ター スン タクシナーラーム」は境内にある木々に何百匹のコウモリが住み着くお寺として知られています。 地図 拝観時間:朝6時から夕方6時まで (時間変更があります) ワット ター スン タクシナーラームの歴史 タイ国立仏教庁の調査によるとワット ター スン タクシナーラームは1702年頃に建てられ当時は象が引いて河を上る丸太舟の乗り場であったと推測されています。 木々に住みつく何百匹のコウモリ 境内を歩いていると妻が「あ、コウモリ」と言いましたので私は「なんだこれか~」と思いました。 しかし妻が「違う違う、上、上、上」と言ったので見上げてみると木々に何かがぶら下がっています。 私:「何あれ、ブドウ?」 妻:「あ、面白くない!!!」 (いゃ~冗談で言ったわけじゃないんだけど、、、( ̄∇ ̄;) とよく見ると木々にたくさんのコウモリが逆さにぶら下がっていました。 一緒に行った妻の親戚の話ではこのお寺にいるコウモリは果物や昆虫を食べるので血を吸うチスイコウモリではないとのことです。 が、、、 コウモリを見た後で吸血鬼にされなくてよかったと思うのは私だけでしょうか、、、(
パトゥムターニーのチャオプラヤー河沿いには1700年代に建てられたワットチェディートーンなどモン族のお寺が多く「ワット ターイ コッ ヤイ」も1600年代にこの地に移住したモン族により建てられたお寺です。 地図 モン族の移住がビルマとの戦争へ アユタヤ王国30代ナーラーイ(在位1656年ー1688年)の治世にミャンマー南部のイェーとモッタマに住む多くのモン族がビルマのタウングー王国の圧政から逃れアユタヤ王国へ避難し帰化を求めました、 こうして避難してきたモン族へナーラーイ王はアユタヤ王国の帰化を認め定住を許されたモン族はこの地にモン語でワット ウィアンチャムというお寺を建てました。 しかし、1663年にビルマは移住したモン族の帰還を求めましたが、ナーラーイ王はこの要求を拒否をしたことからビルマ軍によるアユタヤ王国への侵攻が始まりました。 このビルマ軍の侵攻に対しナーラーイ王はタイ西部カンチャナブリにてビルマ軍の撃退に成功し帰化したモン族を守りました。 その後長らくお寺はワット ウィアンチャムとよばれていましたが、1939年にお寺の名前をタイ語の「ワット ターイ コッ ヤイ」に改めました
パトゥムターニーにある「ワット ボート」には大仏と大きな高僧が祀られておりたくさんの参拝客で賑わっています。 地図 境内の様子 1827年に建てられた「ワット ボート」は敷地面積4万8千㎡の広いお寺です。 こちらの仏像にお参りをしました。 こちらのお堂にもたくさんの仏像が祀られています。 タイの習慣により仏像に金箔を貼りつけています。 国民の90%以上が仏教徒のタイ人ですが、1964年に仏像の頭を切り落として盗まれる事件がありました。 充実した売店と屋台 広い面性がある「ワット ボート」には売店が充実しています。 ガラス細工が売られていたり お菓子や おかずをご飯にのせるタイスタイルのお店 カオマンガイのお店もあり チャオプラヤー河を眺めながらのお食事ができます。 また屋台もたくさんあり 日本語の提灯を下げた屋台もあり たこ焼きや 寿司やお菓子などが売られていました。 大きな高僧の像は誰? 「ワット ボート」には大きな大仏とならび2006年に建てられた高さ28メートルの高僧ソンデジトーが祀られています。 この高僧ソンデジトー(1788年ー1872年)はラーマ4世とラーマ5世の治世に熱心
パトゥムターニーにあるアユタヤ時代のレンガが残る「ワット マヒンサーラーム」は崩れかけたお寺ですがご利益のある仏像が祀られていつことから多くの参拝客が訪れています。 地図 ワット マヒンサーラームの歴史 「ワット マヒンサーラーム」は14世紀のアユタヤ王国の初期に建てられたお寺とされています。 タイの中央を流れるチャオプラヤー河は昔も今も重要な物流手段をして多くの船が航行していますが「ワット マヒンサーラーム」はチャオプラヤー河から離れており不便との理由から廃寺となってしまいました。 しかし近年になって近隣住民は「ワット マヒンサーラーム」のアユタヤ時代初期の歴史的重要性を認識したことから1998年に再びお寺と認められました。 そうして古いお堂にご本尊が祀れ地元の人達から大事にされています。 本堂はアユタヤ初期の建築の様子を残すために内部にはこのような補強がされています。 崩れかけたお堂ですが、新しく祀られたご本尊は優しい顔で参拝客の願い事を聞いています。
ビルマの圧政から逃れたモン族のお寺:ワット チェディートーン
パトゥムターニーにはビルマから多くのモン族が移り住んだことからタイとは違う仏塔があるお寺が多く「ワット チェディートーン」にはビルマの有名は寺院「アナンダ・パヤ」を模した仏塔があります。 地図 ビルマの圧政から逃れタイに移住したモン族 タイをビルマ軍からの祖国解放に成功し1767年にトンブリ王朝を開いたタークシン王(在位1767年ー1782年)に対しビルマのシンビュシン王(在位1763年ー1776年)は再びタイへの侵攻の準備を始めました。 このシンビュシン王は軍による恐怖政治を行いました。 そのためシンビュシン王はミャンマー南部のモッタマに住むモン族へ家族を人質にするなどの方法で徴兵を行いました。 その強引は徴兵に反感を持ったモン族達は1773年に反乱を起こしましたが失敗したことにより酋長のプラヤージェンを指導者としタイへ逃れました。 こうしてタイに逃れてきたモン族をタークシン王は移住を快く受け入れ指導者プラヤージェンはこの地に「ワット チェディートーン」を建てました。 本堂にはタイとはお顔が違う仏像が祀られています。 また境内にはタイとは違うカラフルな仏塔が建てられ 鎧をまとった兵隊
チャオプラヤー河沿いの古い市場:サームコーク インナーム市場
パトゥムターニーのチャオプラヤー河沿いに昔ながらの雰囲気がある「サームコーク インナーム市場」があります。 地図 営業日:土日のみ 営業時間:朝9時から夕方4時まで (時間変更があります) 市場の雰囲気 週末だけの市場なのでこのようなお店がたくさんあります。 このようなアクセサリーや カラフルなカバンが売られており ミュージシャンがこの雰囲気に合うメロディーを奏で おばあちゃんのお手伝いをしている子供もいます。 またこのような飲食店が 運河の両岸にあります。 運河に架かる橋を渡るとこのような雰囲気があり 香ばしい香りの揚げバナナのお店や プリン風のかぼちゃのお菓子が売られており 美味しそうなシュークリームがあったので早速購入しました。 しかし、以前に来たときはたくさんの人で賑わっていましたが今は多くの店が閉まっていました。 一緒に来た妻の親戚から「新型ウイルスの影響でお店を閉めてしまい、その後に市場に戻って来るお店が少ないのでこんな状態になってしまった」とのことです。 タイは新型ウイルス後の経済回復が遅いですが、早く以前のように人で溢れかえっていた活気ある市場に戻ってほしいです。
パトゥムターニーのオーンアーン窯遺跡の向かい側にアユタヤ王国30代ナーラーイ(在位1656年ー1688年)の治世にミャンマーから移り住んだモン族のお寺「ワット シン」があります。 地図 拝観時間:朝7時から夜6時まで (時間変更があります) ワット シンの歴史 ミャンマーからこの地に移り住んだモン族により1659年から1667年の間に「ワット シン」が建てられたとされています。 そのためお堂もアユタヤ時代の特徴的な土台が湾曲した建て方になっています。 また壁に沁みがありますが、2011年の大洪水のときにはこの高さまで浸水しました。 こちらのお堂に祀られている仏像にお参りをしてきました。 その後1767年にアユタヤ王国の滅亡したときに「ワットシン」に多くの僧侶が避難をしました。 境内には「コッサヤクライ」とよばれる円筒形の壺のような仏塔が祀られています。 この仏塔はラーマ2世(在位1809年ー1824年)の治世にモン族の子孫でこの住職を務めた遺灰が納められておりモン族の文化とタイ芸術が組み合わさっています。 「ワットシン」はオーンアーン窯の向かい側にあるお寺ですのでアユタヤ時代に陶工達が
パトゥムターニーのチャオプラヤー河の畔に境内に商売繁盛を願う中華神社やモン族のお寺があり大きな市場もあるお寺「ワット マカーム」には大勢の人が参拝や買い物に訪れています。 地図 境内の市場の営業時間:朝8時から夕方5時まで (時間変更があります) ワット マカームの歴史 「ワット マカーム」は1767年のアユタヤ王国滅亡後にこの地に避難してきたモン族により1787年頃に建てられたとされています。 そのため境内にはモン族のムカデ旗もあり、 室内は撮影禁止ですが、商売繫盛の神様を祀った中華神社もあります。 市場の様子 「ワット マカーム」は小さなお寺ですが大きな駐車場を完備した市場があり 大勢の買い物客で賑わっています。 市場では焼きバナナや こちらもバナナのお菓子があり 搾りたてオレンジジュースや さとうきびジュース 甘栗や 中華ちまきがあり カスタードクリームやチョコレートが入ったパンが売られています。 市場には広いフードコートもあり これだけ美味しい匂いがすれば当然のごとく 野良犬がいました(;´д`) ご利益があるご本尊への参拝後には市場で美味しそうなお菓子を買ったりお食事をするの
バンコクに隣接するパトゥムターニーはチャオプラヤー河が流れており古いお寺がたくさんあり独特の仏塔がある「ワット バーンカディー」もそんなお寺の一つです。 地図 ワット バーンカディーの歴史 「ワット バーンカディー」は1783年に有名な高僧により建てられました。 その後1992年に王室の助成金を受けることが認められ1995年に本堂などの改修が行われました。 天気が悪くて見ずらいのですがこちらのお堂の壁には繊細な模様が描かれています。 「ワット バーンカディー」にある仏塔は独特の形をしておりイスラム教のモスクにあるような形をしています。 また仏塔にも繊細な模様が描かれています。 仏塔に納められている仏像にお参りをしました。 ワット バーンカディーはこの地域では大きなお寺であることからタイ正月のソンクラーンなど仏教儀式があるときには大勢の参拝客が訪れます。
ビルマ軍の追手から逃れた将軍が建てたお寺:ワット ノーイノーク
ノンタブリーのチャオプラヤー河の畔に建つお寺「ワット ノーイノーク」はアユタヤ王国滅亡時にビルマ軍からの逃走に成功したクン スリモンコル将軍と彼に従った兵士によりタークシン王(在位1767年ー1782年)の治世に建てられました。 地図 地下鉄プラナコーンブリッジから徒歩8分 ワット ノーイノークの歴史 1767年アユタヤ王国がビルマ軍により滅亡しクン スリモンコル将軍と彼に従う兵士達は捕虜になることを拒みビルマ軍からの逃走をしました。 しかしながらビルマ軍の追手も速くこの地にたどり着いたクン スリモンコル将軍達にビルマ軍の兵を乗せた船がチャオプラヤー河を渡って来るのが見えました。 それを見たクン スリモンコル将軍と兵士達はアユタヤから逃走に疲れ切っていたためビルマ軍の追撃を振り切るのは不可能と思われました。 当時、この場所にはガジュマルの木に覆われておりました。 そこで将軍や兵士たちはガジュマルの木々に隠れ息を潜み瞑想を行いました。 そうして息をひそめ瞑想をするクン スリモンコル将軍は「私と従った兵士達が無事に追撃から生き延びることができたら仏教を継承するためこの地にお寺を建てます」と
ノンタブリーの領主により建てられてお寺:ワット チェーン シーサムパン
バンコクに隣接するノンタブリーの「ワット チェーン シーサムパン」はモントン制が施行される以前に各地の領主が内政を行っていたころの1817年にノンタブリーの領主により建てられました。 地図 地下鉄プラナコーンブリッジ駅から徒歩8分 モントン制とは 昔のタイの地方政治はそれぞれの地域に領主がおり内政を行っていました。 その後タイの近代化に目指すラーマ5世(在位1868年ー1910年)によるモントン制とよばれる日本でいう廃藩置県が行われ中央政府から地方に派遣された役人が管理する中央集権が行われました。 現在モントン制は廃止されていますが、バンコク以外では知事選挙が行われず中央政府が県知事を任命しています。 モントン制が施行されたタイですがラーマ6世(在位1910年ー1925年)の治世に枢密院顧問などの務めたノンタブリーの領主の子孫であるプラヤ―サムパンがお寺の改修を行い「ワット チェーン シーサムパン」と名を改めました。 本堂には地族絵図など仏教絵画や素晴らしい仏像が祀られているのですが本堂が閉まっていたのでこちらのきれいな青の背景の仏像にお参りをしました。 タイは仏教国ですので以前はどこ
日本人は多く住むプロンポンエリアから近くのエカマイ駅には日本料理店のテナントがあるショッピングモールのゲートウェイの向かい側にタイ王室管理一級寺院「ワットタートトーン」があります。 地図 BTSエカマイ駅から徒歩1分 拝観時間:朝5時から夜10時まで (時間変更があります) ワットタートトーンの歴史 アユタヤ時代にチャオプラヤー河沿いにワット・ナ・プラ・タートとワット・トン・ランと二つのお寺がありアユタヤ王国の貴族による大きな仏塔が祀られていました。 その後1937年に当時の政府はバンコク港の建設を行うために二つのお寺の土地が収用されが決まりそれぞれの住職が話し合いの結果一つのお寺となることが決まりました。 そうして1938年に現在の場所に新たなお寺が建てられ名前も「ワットタートトーン」と改められました。 ワットタートトーンの境内 こちらのご本尊にお参りをしてきました。 金色の仏塔のあるお堂の下にも仏像が祀られています。 この仏像の両側に歴代のタイ国王が祀られています。 こちらはラーマ1世からラーマ5世まで 反対側にはラーマ6世から9世まで 「ワットタートトーン」では灯篭流しのローイク
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、おはようございます。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 ルークナ…
「ワット ソーイ トーン」はバンコクを流れるチャオプラヤ河の畔、ラーマ6世橋の近くにある古いお寺で2002年にタイ王室管理第1級寺院に昇格しました。 地図 地下鉄バンポー駅から徒歩12分 そびえ立つ金色の仏塔 お堂の最上階に建てられた仏塔が金色の眩い光を放っています。 お堂の各階に仏像が祀られており仏塔の中にもこのような仏像が祀られています。 ワット ソーイ トーンの歴史 「ワット ソーイ トーン」詳しい年代がわかってはいませんが1851年頃にタイ王族により建てられたとされています。 その後1902年から1904年にお寺は大規模な改修が行われました。 第二次世界大戦の1941年12月10日にタイと日本は軍事同盟を締結しバンコクは日本軍によるビルマ方面の重要な補給地域とされたことから米英連合軍の空襲にさらされました。 そのため1945年1月10日にラーマ6世橋を目標とした空襲により「ワット ソーイ トーン」にも14発の爆弾で甚大な被害を受けました。 そんな壊滅的被害を受けた「ワット ソーイ トーン」ですが戦災を免れた仏像がこちらのお堂に祀られています。 この日は平日でしたが多くの人が戦災
タイの寺院へ行くときの注意事項 簡単に言えば、肌の露出を避けましょう。肩と膝を覆いましょう。 ・Tシャツに長ズボンで行く・サンダルでも可 靴やスニーカーを履いているタイ人がいるのか… ワットポーなど超有名なところでは「そんな格好じゃダメだ」とか言って店の服を貸しつけたり、売りつけたりする人がいたら無視しましょう。 こんな注意書きも。ワットノーンウェーンで。 参拝の方法 ・いきなり入口の門の前で手を合わせてもいいですよ。・中は大なり小なり仏像だらけなので見るもの手を合わせるもよし。・本堂の入り口の外で靴を脱ぎます。 履き物が脱ぎ散らかされていたら脱ぎましょう。 本堂の中で 1.正座して手を合わせ…
バンコクのオンヌット通りにあるお寺「ワット ヤーン」にはプラカノン運河から流れついた神聖な仏像が祀られ多くの参拝客が訪れています。 地図 BTSオンヌット駅から車で10分 境内の様子 本堂の裏に大きな瓶が祀られており 日本で「毘沙門天」になるタオウェースワンが本堂の横に祀られており 牛が飼われています。 ワット ヤーンの歴史 「ワット ヤーン」は1841年頃に建てられたという記録があります。 当時のラオスはタイ領土でしたのでこのお寺の周辺にはたくさんのラオス人が住んでいました。 そんなある日、お寺の裏を流れるプラカノン運河のお寺の船着き場に神聖な仏像が浮かんでいたことからお寺の周辺に住んでいたラオス人は本堂を建て流れ着いた仏像を祀りました。 そして本堂の中には運河を流れてきたといわれるご本尊が祀られています。 また優しいお顔の観音様も祀られており アイカイとは 「アイカイ」とよばれナコーンシータンマラートにあるお寺「ワットチェーディーターカイ」に住んでいた10歳の子供の精霊が祀られています。 この「アイカイ」は日本でいえば座敷わらしのような存在でご利益があるとされておりタイでは大事に祀
この地を任された王族が妻のために建てたお寺:ワット バーン ケー ヤイ
古い仏塔がそびえ立つサムットソンクラームで有名な古いお寺「ワット バーン ケー ヤイ」にはラーマ2世の治世にビルマ軍との戦いの壁画が残されています。 地図 拝観時間:朝7時30分から夕方4時 (時間変更があります) ワット バーン ケー ヤイの歴史 ラーマ2世(在位1809年ー1824年)はたびたび侵攻してくるビルマ軍に対抗するため王族のチャオプラヤースラサック センウォンサロジ(1768年―1822年)にこの地の防衛を任命しました。 そうして任命されたチャオプラヤースラサック センウォンサロジは1814年頃に妻のために任命されたこの地にお寺を建て「ワット バーンケーヤイ」と命名しました。 本堂にあるご本尊でお参りをしてきました。 本堂の裏に博物館がありラーマ2世の治世の頃のビルマ軍との戦いの古い壁画が残されています。 ラーマ2世の治世にはこの地域にビルマ軍が侵攻しています。 しかし、チャオプラヤースラサック センウォンサロジの活躍もありビルマ軍の侵攻を許さずタイは独立を保つことができました。
チーク材の彫刻が施された内装のお寺:ワット バーン ケー ノーイ
サムットソンクラームのメークロン川の畔にあるお寺「ワット バーン ケー ノーイ」の本堂には職人による素晴らしいチーク材の彫刻が施されています。 地図 ワット バーン ケー ノーイの歴史 「ワット バーン ケー ノーイ」は1868年に建てられました。 当初は菩提樹に結びつけられた筏の上にありましたが、2代目の住職により陸の上に1897年にお寺が建てられました。 その後7代目の住職により改修が行われ1997年に現在の本堂が完成しました。 チーク材の装飾に施された内装の本堂 ブッダが悟りを開くために菩提樹の前にて座禅をしている様子でしょうか ご本尊の後ろにはチーク材による見事な彫刻が施されています。 また天井や 壁には精巧な彫刻が施されており息をのむ美しさがあります。 「ワット バーン ケー ノーイ」は地元の人しか知らないお寺で参拝客も少ないために素晴らしいチーク材の彫刻をじっくりと眺めることができました。
サムットソンクラームに日本では菩提樹とよばれるガジュマルの木に飲み込まれた本堂があるお寺「ワット バーンクン」では多くの参拝客が訪れています。 地図 ワット バーンクンの歴史 1765年からアユタヤに侵攻してきたビルマ軍を防ぐためにスリヤ―トアマリン王はこの地に海軍編成しこの地を基地を築きました。 しかし、1767年にアユタヤ王国は滅亡しこの地にあった海軍基地もビルマ軍に抵抗できずに破壊されました。 アユタヤ王国は滅亡しましたが後にトンブリ王朝を開くタークシン王はビルマ軍との戦いのために1768年にこの地に要塞を築きお寺の本堂も建てられました。 そうして要塞は築かれましたが時代はトンブリ王朝から1782年にチャックリー王朝に代わり、この要塞も使われることのないまま人々に忘れ去られ本堂は現在のようにガジュマルの木に飲み込まれてしまいました。 境内の様子 ガジュマルの木に飲み込まれた本堂にはご本尊が祀られており大勢の参拝客が祈りを捧げています。 また本堂の中は撮影禁止となっています。 境内にはタイ国技のタイ式ボクシングことムエタイを様子の人形がジャッキーチェンの若き日の映画「少林寺木人拳」
バンコクのお寺「ワットサケット」の境内には丘の上に金色に輝く仏塔がありタイ語で黄金の丘を意味するプーカオトーンには多くのタイ人だけでなく外国人も参拝に訪れています。 地図 拝観時間:朝9時から夕方5時まで 拝観料:50バーツ (時間や拝観料に変更があります) 黄金の丘へ 入場料を払った後にこちらの階段から黄金の丘を目指します。 このような階段がダラダラと続きます。 やっと階段を上り切りホットしました が、、、 見上げると気のせいと思っても何か見えます。 と、 気のせいと思っても進まないのでこちらの階段を上って行きます。 ワットサケットの歴史 「ワットサケット」はアユタヤ時代に建てられ当時はワットサケ―とよばれていました。 その後バンコクを首都を定めたラーマ1世(在位1782年ー1809年)が「ワットサケット」の改修を行いました。 そしてラーマ1世がカンボジアでの反乱平定後にこのお寺にて入浴し髪を洗ったことからタイ語の王室用語で髪を洗うサケットからの意味から「ワットサケット」と伝えられています。 苦心の仏塔建設 仏教への手厚い布教の保護を行ったラーマ3世(在位1824年ー1851年)は「
タイの習慣では新しい街がつくられるとその繁栄を願い礎に柱を建てます。 バンコクに隣接するサムットプラカーンでは中華風の建物の中に市の柱が祀られ多くが参拝に訪れています。 地図 拝観時間:朝5時30分から夕方6時まで (時間変更があります) 中華風の建物に市の柱 サムットプラカーンの市の柱はラーマ2世(在位1809年ー1824年)の治世に新しい街としての儀式が行われ市の柱が建てられました。 元々、この市の柱のあった建物はタイ様式に建てられていましたが老朽化のために立て直す必要になりました。 この市の柱がある場所はチャオプラヤー河の河口にあるサムットプラカーンのパークナームという地域にあり昔から貿易のためにたくさんの中国人が住んでいました。 そのため市の柱の建物が老朽化した1986年9月18日に建物は中華風に立て替えられ市の柱と共に中国の神様も祀られました。 と、、、 よく見ると境内のあちこちに番号を書いたカードが貼ってあります。 これはお線香をあげる順番のカードです。 せっかくなのでお線香とロウソクを買ってお参りをしました。 中国の神様と市の柱にお線香をあげてきました。 中国の神様に市の