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タイ北部パヤオのチェンカム地区にあるタイルー族の博物館があるお寺「ワット セーンムアンマー」本堂には昔のタイルー族の様子が描かれています。地図タイルー族の様子が描かれている本堂「ワット セーンムアンマー」はラーマ1世(在位1782年ー1809年)の治世の1808年ごろ建てられたとされています。タイ北部ラーンナー様式の本堂の中にご本尊が祀られています。本堂の壁には「ワット セーンムアンマー」と共にタイルー族が描かれており黒の民族衣装を纏ったタイルー族がいろいろな表情を浮かべている様子が描かれています。境内にあるタイルー族の博物館パヤオのチェンカム地区には昔から多くのタイルー族が住んでいることからタイルー族の高床式住居を模した博物館がありこちらが博物館の入口になります。電気はどこ?と探したのですが見つからず、、、薄暗い博物館の館内では昔のタイルー族の生活様式が展示されています。このタイルー族は中国の雲南省の最南端のシップソーンパンナーのタイ族自治州を紀元とし1180年にシップソーンパンナー王国を樹立しました。この王国は仏教を深く信仰しており、歴代の中国王朝や周辺国に組み込まれながらも195
パヤオ市に市街やパヤオ湖が一望できるスカイウォークが新しい観光名所として完成しそのパノラマを見ようと多くの観光客が訪れています。地図美しいパノラマの光景こちらがスカイウォークの入口になります。タイでは日差しが強いことから入口には日傘が置いてあり、ご自由に使うことができます。入口を奥に鐘楼が見えます。タイらしく鐘楼にも龍神の精巧な彫刻が施されており眼下にはパヤオ湖のパノラマの光景が広がります。鐘を鳴らしてみると、、、鐘の横にこのような棒があったのでフルスイングで鐘を後ろ側から鳴らしてみると、、、「カーン」と鐘の音が鳴り響くとともに「キャ~( ;∀;)」と女性の悲鳴が、、、何事かと見ると、鐘の前では、、女性3人組が記念写真を撮っているところでした(驚かせゴメンね( ̄∇ ̄;))このパヤオにお寄りの際はスカイウォークから湖をが一望できる光景を堪能してみてはいかがでしょうか。
タイ北部パヤオにある人工湖「クワーンパヤオ」ことパヤオ湖の美しい景観に誘われて県外から多く観光客が訪れていることから、湖の周辺にはオシャレなカフェがたくさんあります。そんなオシャレなカフェが立ち並ぶなかで美味しいケーキとパヤオ湖の美しい景観を眺めることができる「バーンインクワーン」は他県からもたくさんの人が訪れています。地図営業時間:朝10時から夜8時まで(時間変更があります)モダンな外観とパヤオ湖を眺めるテラス席可愛らしいデザインのワーゲンのワゴンがあり一緒に来た姪に私:「おい~乗ってみろ!!!」姪:「え~、もう ムリ~」と ついこの間まで膝の上に乗っていた姪も高校生になったんだな~と実感させられましたドリンクメニューはこちらになりタイ式チャーハンのカーオパットなどタイ料理の他にパスタなどもありデザートメニューもあり美味しそうなケーキもあります。店内もモダンな造りとなっておりパヤオ湖が見渡せるテラス席があります。四人なのにケーキが三つ???この日は義弟が所用があり私と妻、義妹と姪の4人で来ました。ということで私はハチミツが入ったアメリカーノナームプンイェンを注文し値段は70バーツ妻は
タイ北部パヤオにある448万平方mの敷地をお寺「ワット アナーラヨー」は高僧が仏教の実践と瞑想を行うために建てられました。地図境内の様子お寺は小山の上に建てられたことからパヤオ湖が一望できます「ワット アナーラヨー」の歴史は浅いですが、威容ある山門が建てられています。タイ人の約95%が仏教徒であることから、一度は巡礼に廻りたいインドのブッダガヤにある大菩提寺を模した仏塔が建てられています。この「ワット アナーラヨー」は山頂全体がお寺をなっていることからたくさんの仏像が祀られており白い仏像やインドの神様も祀られています。広い敷地を持つお寺だけに境内にはいくつものお堂が建てられこちらのお堂に祀られている仏像にお参りしました。またこちらのお堂では柱の中に仏像が納められていました境内にあるこのような門がありさらに進むとこのようなお堂がありこちらの仏像にもお参りしてきました「ワット アナーラヨー」を建てた高僧の目的通り瞑想を行うにあたって厳かな雰囲気があります。そのような雰囲気の中で参拝客はそれぞれの仏像に深く頭を垂れています。
タイ北部チェンライのテングー区にある高さ300mの丘の上に金色の仏塔がそびえ立つお寺「ワット プラタート チョーム チョー」があります。地図蛇の精霊と仏陀の逸話昔、ここには仏教に深く帰依した蛇の精霊がいました。そんなある日、蛇の精霊は仏陀がこの地に訪れると聞いて仏陀の到来を心待ちにしていました。それから幾日が過ぎ、仏陀がこの地に訪れ、この丘の上にある木の下にて瞑想を始めました。それを聞いたさっそく蛇の精霊は仏陀に会いに出かけ、仏教の教義に関する様々な質問をしました。長旅で疲れていたにもかかわらず、仏陀は蛇の精霊の質問に一つ一つ丁寧に答えました。そのように丁寧に仏教の教義を説明してくれる仏陀に感激した蛇の精霊は3つ金の鉢と3つガラスの鉢を捧げました。捧げものを大事に受け取った仏陀は自分の頭を撫で髪の毛を取り出し大事に納めるように蛇の精霊に伝えました。こうして丘を降りた蛇の精霊は領主に仏陀からの伝言を伝えました。蛇の精霊の意を汲んだ領主は仏陀が瞑想を行った場所に高い仏塔を建て仏陀の髪の毛を大事に納めました。こうして仏塔ができたことからお寺が建てられました。こうしてお寺は「ワット プラタート
プレーで人気のカオソーイのお店:カオソーイ バンクラン ウィアン
タイのカレーラーメンことカオソーイを食べないとタイ北部に行った気がしない私はプレーで地元の人だけでなく他県の人からも人気の「カオソーイ バンクラン ウィアン」でカオソーイを堪能してきました。地図営業時間:朝10時から午後2時までお店の様子営業時間が短いにもかかわらず大勢のお客がカオソーイを召し上がっていました。人気店のためお店の奥に注文をしに行き、出来上がったら自分で取りに行きます。テーブルの横にサボテンが置かれているなど落ち着いた雰囲気もあります。メニューカオソーイは鶏肉と豚肉が選べますメニューの下書かれているSUPERとは大盛のことで4段階があります。と、まずはタイコーヒーとよばれているオーリアンを注文しました。このオーリアン、タイ式コーヒーを呼ばれていますが、コーヒーは使われておらずタンマリンドの種を越したっぷりと砂糖を入れた甘い飲み物で屋台などでも売られています。値段は20バーツタイ北部に行ったらカオソーイを食べないと気が済まない私なので大盛を注文しようかと思ったのですが、、、隣のテーブルで食べていた20代後半の男性2人が大皿に盛られた大きさに驚いて普通サイズを注文しました。コ
タイ北部プレーの主要産業のチーク材とともに昔から農家では藍染の文化があり、「パーギィアム」では昔ながらの製法で作られた藍染の製品が販売されています。地図営業時間:朝8時か夕方5時30分まで(時間変更があります)工房の様子「パーギィアム」のオーナはラーマ5世(1868年ー1910年)の治世にラオスからプレーにやってきたラオプアン族の3代目です。ラーマ5世の治世、ラオスはタイの領土であったことから多くラオプアン族がプレーに定住しました。定住したラオプアン族は藍染の知識をこの地に伝えたことから農家で藍染の文化が定着し現在ではプレーの伝統工芸品となりました。工房はこのようになっており昔ながらの製法で藍染が行われており伝統的な製法とともにこのように可愛いキャラクターの染め物も行われています。工房には藍染製品も販売されており独特の模様で染められた服やスカーフなどがあり妻は150バーツの帽子と1個35バーツの小物入れを購入しました。「パーギィアム」では染め物の体験もできますので、プレーに寄られた際には「パーギィアム」で伝統文化の藍染を体験してみてはいかがでしょうか。
タイ北部プレーにある巨大な亀と108の白い尖塔があるお寺「ワット ポンスナン」は神聖な仏像が祀られていることから多くの観光客が祈りを捧げに訪れています。地図ワット ポンスナンの歴史このお寺は1472年頃にワットポンサヌクとして建てられましたが、カンボジアのクメール帝国との争いに巻き込まれ焼失してしまいました。その後、この地を治めた王が1559年にこのお寺を修復しましたが、1650年に再びクメール帝国との戦いで焼失してしまいました。プレーはタイ中部のアユタヤ王国とタイ北部ラーンナー王国の戦略的な重要拠点であったことからお寺の再建は進まず長引く戦乱で街は荒廃してしまいました。しかし、1929年にプレーの行政長官のルアン・ポンピブーンと前プレー総督一族のウォンブリ家チャオスナンタによりお寺の再建が行われました。こうして再建されたお寺は再建に尽力したルアン・ポンピブーンとチャオスナンタの名前から「ワット ポンスナン」と命名され、現在でもお寺はウォンブリ家により管理されています。大きな亀が祀られている理由とは昔、この「ワット ポンスナン」の近くにビルマ人の夫人が住んでいました。ある日、その夫人が
タイ北部プレーにある古民家を改装したシックな雰囲気のカフェ「スロープ コーヒー」は地元の人以外にもグーグルマップで「お~ここだ!!!」と他県の旅行者にも人気のカフェです。地図営業時間:朝9時から夕方5時30まで(時間変更があります)お店の様子こちらがドリンクメニューになり美味しそうなケーキもたくさんありますお店の由来は古民家を改装したことにより屋根は斜めにスロープがあることから「スロープコーヒー」となりました。お店の奥には落ち着いた雰囲気があり上の階のルーフ席で朝の光を感じながらの朝食もいいかもしれませんこちらのテーブルの足掛けは足踏みミシンが使われています。こちらの小部屋には大きく赤文字でไอ้หมดแดง(アイモットデーン 赤アリ野郎)のポスターが貼られています。このような落ち着いた雰囲気の中で私はアメリカノレモンを注文し値段は55バーツ妻はココナッツミルクが入ったカフェーナームチョードマプラオを注文し値段は65バーツクリームたっぷりのストロベリーケーキと値段は70バーツココナッツケーキを注文しました。値段は70バーツタイ北部プレーにお越しの際は隠れ家的な中庭のある「スロープ コー
タイではペットボトル入り緑茶が人気がありコンビニの定番となっています。そのような人気からタイ北部のプレーにある和菓子カフェ「クマ茶」では桜餅など日本から輸入した和菓子が食べることができ地元や外国人観光客に人気のカフェです。地図営業時間朝10時から午後3時まで夜6時から夜8時まで(時間変更があります)お店の様子和室のような店内は待合室でお食事は外になります。人気店なので席が空くまで座敷でくつろいでいました。和菓子はQRコードから注文し「クマ茶」で使われている茶葉は日本の名古屋から輸入しています。席が空いたとのことで外にでると気になる文字が、、、なんと!!略して!!!ちなみにラーメンメニューはこのようになっておりお酒を飲んだ後のラーメンの誘惑に抗することもできず気が付くと塩ラーメンと、、、値段は88バーツ餃子が目の前にありました値段は48バーツ日本から輸入した茶葉を使っているとのことで私はアイスほうじ茶を注文し値段は80バーツ妻はアイスさくら抹茶を注文しました。値段は65バーツまた日本から輸入したということで妻は大福を注文し値段は65バーツ桜餅も注文しました値段は65バーツお店の方のお話で
タイ北部プレーにあるタイ料理店「クルアジンソッド」は地元の人だけでなく他県から来たタイ人からも安くて美味しいと評判のお店です。地図営業時間:朝9時30分から夜8時まで(時間変更があります)店内の様子人気のお店だけに広々のしたスペースがあります。私達が注文し終えたころにガヤガヤと仕事を終えた大人数のグループが入ってきました。壁にメニューが張られたラープいう粗挽き米と挽肉が入ったサラダメニューなどがあり各テーブルにもメニューの書いた紙があり、決まりしだい印をつけて店員さんに渡しますといことでまずは蒸した牛肉を甘辛ソースやナンキョウとよばれる生姜の一種の粉をつけて食べるヌンチンを注文し値段は70バーツ柔らかく焼かれたレバーのタプヤーンを注文し値段は70バーツ焦がしニンニクが入った豚肉の挽肉ラープのサラダのラープムースクを注文し値段は70バーツタイ北部らしくこれをもち米で食べます。値段は10バーツまた、タイ東北部イサーン地方やタイ北部でよく食べられている豚肉をとハーブなどの野菜で煮込まれたゲーンオムを注文しました。味は日本の煮込みに近くビールとの相性もバッチリです値段は70バーツなんだか、日本
タイ北部プレーにあるかつて総督の一族が暮らしていた淡いピンクの屋敷は「ウォンブリー博物館」として一般公開されており当時の面影を伺い知ることができます。現在「ウォンブリー博物館」は総督の子孫が管理しており1993年にタイ王室管理下のサイアム建築協会から優秀保全賞を受賞しました。地図開館時間:朝9時から夕方4時まで定休日:日曜日入場料:タイ人30バーツ 外国人60バーツ結婚のお祝いとして贈られた屋敷この屋敷はプレー総督チャオ・ピリヤテプウォンの息子の結婚の贈り物として1897年に中国の広東省の職人と地元の職人との協力で建設が始まりました。そして1900年にチーク材をふんだんに使ったヨーロッパ風の白と淡いピンクを基調とした屋敷「クム・ウォンブリ」が完成しました。19世紀の終わりから20世紀の初めプレーはチーク材の主要な生産地であったことから総督の一族はチーク材の貿易を通じて裕福な生活を送っていました。そのようなこともあり現在でもチーク材を使った家具がプレーの特産品となっています。ヨーロッパ風に建てられた屋敷ですが、タイの蒸暑い気候に対応するため多くの窓から風を入れ暑い季節でも涼しく過ごせるよ
タイ北部プレーに大蛇退治の伝説があるお寺「ワット プラルアン」にはいつの時代に建てられたか不明の古い仏塔がそびえ建っています。地図大蛇退治に後に見たものは大昔、ここには大蛇がいる深い森があり、大蛇は森にいる動物から村人の家畜まで手あたり次第に襲って食べていました。そのため、森の近くを通りかかった中国商人達の荷物を載せた馬も大蛇により襲われ食べられしまうことが度々ありました。このような被害が続くことに中国商人達は非常に怒りついには大蛇退治の決心し、落とし穴を掘り大蛇を捕まえるべく罠を作りました。翌朝、中国商人達が落とし穴を覗くと底には大蛇が罠にかかっており、彼等は大蛇を退治し死骸を切り刻み穴の近くに積み上げました。大蛇退治の後に中国商人達が街での商売を終えた帰り道、彼らは積み上げた大蛇の死骸が気になったことから様子を見に行きました。すると、そこには積み上た大蛇の死骸がおびただしい量の金や銀に代わって輝いていました。中国商人達は喜び、金銀を3等分に分けることを決め一部は中国商人達に、一部はこの地の領主に献上し、残った一部は落とし穴に埋め戻しました。その後の落とし穴は、、、大蛇を退治してから
タイ北部プレーにある「ワット スーンメン」には古代経典の集めた博物館があることで多くの参拝客が訪れています。地図境内の様子1840年に建てられ「ワット スーンメン」はタイ北部ラーンナー王国の王室に手厚く保護されたこともありラーンナー王国の王族がご本尊に参拝するために訪れていました。そのようなことがありラーンナー王国時代には「ワット スーンメン」仏教に関する教育が行われていました。古代経典を集めた博物館こちらの建物が古典経典を保存している博物館になり経典を持ったハリネズミがお出迎えしています。古典経典の収集はある高僧が古典仏教からの教えの重要性を感じ後世に残すために始めました。館内はこのようになっておりたくさんの経典が大事に保管されておりこちらには保蔵方法についての説明があり境内の片隅に経典を持った亀さんが佇んでいました。「ワット スーンメン」では毎年1月の乾季になると経典の湿気を取り除き虫干しをするために天日干しの儀式が行われ、その年に収穫したお米と共にご本尊や仏像に捧げられます。乾季のタイ北部の朝は南国とは思えないくらい冷え込みます。そのため儀式では仏像が寒くないようにとの意味で、離
タイ北部プレーに1919年開業した建設当時の面影を残す木造駅舎「メープアック停車場」があります。地図タイ国鉄とメープアック停車場タイの近代化を推し進めるラーマ5世のもと鉄道建設が計画され1897年にバンコクからアユタヤ間が開通しました。その後、北本線への延長工事は進みラーマ6世の治世の1922年にバンコクのフアランポーン駅からチェンマイ駅の751,42㎞が開通しました。こうして北本線の延長工事が進む中で仮駅舎を取り壊し1917年にメープアック駅舎の建設が始まりました。そして1919年に完成した木造建築の駅舎は現在も完成当時の姿を留めています。この駅舎、北側の2階は駅長の執務室や寝室、倉庫と使われていました。こうして開業したメープアック駅ですが利用客が少ないため現在は駅として使われていません。しかしメープアック駅は現在は朝10時と午後2時の停車場として利用されています。木造建築の駅舎の中駅構内には様々な写真が張られておりここに写っている人達は現在でもお元気なのでしょうか?切符売り場の周りにもたくさんの写真が飾られています。興味深いのは壁にたくさん貼られている写真に列車から乗り出すな!!!
雨のチェンライ、雲に浮かぶ山々(ドーイ・パータン/プーチーファー)
なぜ、雨季にチェンライの山なんかに行こうと思ったのか。 それは、エアアジアの乗り放題パスを使いたかったから。 タイ北部に連なる山々のベストシーズンは寒季(乾季)というのが一般的なのもあって、それほど期待していなかったのですが、雨季には雨季の趣きがありました。
パヤオ湖を素晴らしい景色を眺めることができるカフェ「ザ・レイク カフェ」では本格的なタイ料理やおいしいコーヒーやケーキなどを楽しむことができます。 地図 営業時間:朝8時から夜11時まで (時間変更があります) 店内 こちらのカウンターにて注文します。 カウンターケースにおいしそうなケーキがあります。 落ち着いた雰囲気の店内です。 眺めのいいテラス席は人気があります。 ブランコがのどかな雰囲気を醸し出しています。 ほとんどの人がテラス席を選んでいました。 お食事の場合にはカウンターに寄らず直接席に座りますとメニューを持って来てくれます。 パヤオ湖が一望できる席を選びました。 と、いうことで私はアメリカンコーヒーを注文しました。 値段は40バーツ え、これエスプレッソと思うような濃い味でキレのあるアメリカンコーヒーでした。 妻はアイス抹茶を注文しました。 値段は55バーツ 抹茶の本来の甘さがおいしいかったです。 ケーキはストロベリークレープケーキを注文しました。 値段は75バーツ 見た目もきれいですが、クレープの食感がおいしいケーキでした。 パヤオは日本人にはあまり知られていませんが、最
タイ北部パヤオのチェンカムにできた新しい観光名所「バーンシンタム」にはラーンナー様式の建物の下にある洞窟にキングコングやクマなどが置かれ観光客を楽しませています。 この「バーンシンタム」は塗料会社の経営者ラヨーン氏が5000万バーツの費用をかけて建てたものです。 地図 開園時間:朝8時半から夜6時まで (時間変更があります) 入口は洞窟と普通の入口がありますが、せっかくなので洞窟の入口から入ってみます。 暗いですからお足元にご注意ください! 出口が見えてきました。 出口を出ると金色に輝く恐竜トリケラトプスが鎮座していました。 園内には独特の屋根の形をしたラーンナー様式の建物があります。 柱には今にも動きだしそうな竜や象が彫刻されています。 階段には美しい彫刻が施されています。 天井には雰囲気のあるタイ風の照明器があり この建物はすべてチーク材で建てられています。 建物内のあちこちに精巧な彫刻が施されています。 今にも笑いだしそうな精巧な彫刻です。 本当に笛の音色まで聞こえてきそうです。 今にも壁から飛び出してくるような躍動感があります。 写真ではわかりずらいのですが長さは3メートルくら
【コロナ後初!タイ旅行】瞑想寺院 ワットパータムウア(Wat Pa Tam Wua)で4泊5日 タイムスケジュール、日々の暮らし
こんにちは!年末年始でコロナ後初めてのタイ旅行へ行ってきました。 今回の旅の目的の一つが、「瞑想修行をすること」。 タイ
【コロナ後初!タイ旅行】瞑想寺院 ワットパータムウア(Wat Pa Tam Wua)へ行ってきました!どんな場所?アクセス・注意点・毎日のスケジュール等をご紹介
こんにちは!年末年始でコロナ後初めてのタイ旅行へ行ってきました。 今回の旅の目的の一つが、「瞑想修行をすること」。 タイ
【コロナ後初!タイ旅行】パーイの街ってどうなってるの?ナイトマーケットやバー、雰囲気や思ったこと
こんにちは!12月末から1月中旬まで、コロナ禍になってから初めてタイを旅してきました。タイに行くのは4度目、北部を重点的
【コロナ後初!タイ旅行】パーイ モーターバイクで簡単に行けるおすすめスポット!サンセットやサンライズ、戦争の史跡等見どころたくさん!
こんにちは!12月末から1月中旬まで、コロナ禍になってから初めてタイを旅してきました。 チェンマイから車で3時間ほどの場
【コロナ後初!タイ旅行】パーイでレンタバイクはすべき?レンタル場所や料金、気をつけるべきこと
タイ北西部、山間の町パーイ。街の外に見どころが点在しており、目一杯楽しむにはレンタバイクがオススメです。この記事では、レ
ワット フゥアイプラーカン:チェンライの新しいランドマークなお寺
チェンライに住む妻(タイ人)の友人から「ワット フゥアイプラーカン」が全て完成したとの話があり、妻の実家があるパヤオに帰省した際にチェンライにある「ワット フゥアイプラーカン」に行ってきました。 地図 「ワット フゥアイプラーカン」はチェンライ市内から車で30分ほどかかります。 「ワット フゥアイプラーカン」はチェンライの新しいランドマーク的なお寺として休日には多くの参拝客で賑わいます。 数年前に来たときはこの塔しかありませんでした。 この塔は9階建てで各階には木彫りの仏像が祀られています。 一階には大きな観音像が祀られています。 きれいなお顔をした観音様です。 観音様の周りにはたくさんの仏像が祀られています。 上から見ると観音様の大きさがよくわかります。 精巧な彫刻の千手観音です。 タイでは有名な高僧も祀られています。 優しそうな表情をした仏像です。 この螺旋階段で最上階に上ります。 最上階からの眺めです。 中央には「ナーク」に守られてた仏陀が祀られています。 仏陀の周りには観音様と中国の神様が祀られています。 妻の友人が連絡をしてくれたのはこちらの観音像です。 塔から観音像まで丘を
チェンライのワットプラケオ:かつてエメラルド仏が祀られていたお寺
「ワット プラケオ」といいますと、バンコクにあるエメラルド仏が納められているタイ仏教の一番神聖なお寺、エメラルド寺院が有名で季節になると国王の手によって衣替えが行われます。 しかし、14世紀のランナー王朝時代にエメラルド仏はチェンマイにある「ワットプラケオ」に祀らていました。 地図 ワット プラケオ、チェンライの歴史 もともと、チェンライの「ワットプラケオ」は「ワットパイ」とよばれていました。 6代ランナー王朝クーナ―王(1355年ー1385年)の弟、マハープロムがカムペーンペットからからエメラルド仏を持ち帰り「ワット パイ」にて祀りました。 しかし、マハープロムとランナー王朝を引き継いだ7代セーンムアンマー王(1385年―1401年)のと争いが始まり、戦火からエメラルド仏を守るため漆喰に固め仏塔の中に隠されました。 その後1434年に落雷が原因で仏塔の中で漆喰に覆われた「エメラルド仏」が発見されました。 そして、「エメラルド仏」が見つかったことから「ワット パイ」は「ワット プラケオ」と改名されました。 エメラルド像を見つけた8代サームファケーン王(1389年ー1441年)は象を使っ
「ワット ドーイガムムアン」はチェンライにある14世紀に建国した初代ランナー王朝マンラーイを祀った小高い丘の上にある静かなお寺です。 地図 「ワット ドーイガムムアン」は旧時計台から徒歩10分です。 ワット ドーイガムムアンの歴史 1311年、チェンマイにてランナー王朝初代マンラーイ王が死去し、チェンライで政務を行っていた2代目ランナー王チャイソンクラームはマンラーイ王を弔うために1317年に ワット ドーイガムムアンを建立しました。 そのころ境内にはマンラーイ王を祀る仏塔しかありませんでした。 1487年にマンラーイ王の遺骨が祀るためにお寺は修復され「ワット ドーイガムムアン」とされました。 しかし、16世紀からランナー王朝はミャンマー王朝に統治されました。 18世紀ランナー王朝がこの地域からミャンマー軍を駆逐しましたが、「ワット ドーイガムムアン」は廃墟と化していましたが、1892年、「ワット ドーイガムムアン」は改修されました。 入口の門には精巧な彫刻が彫られています。 境内にはこのような柱が建てられています。 ミャンマー軍を駆逐する様子でしょうか、境内には武器を持った兵士や象に
ワット ワットクランウィアン チェンライ:ビルマ統治時代に建てられたお寺
「ワットクランウィアン」または「ワット チャンタロック」はチェンライ市内の中心にある長い歴史を持つお寺です。 地図 {ワットクランウィアン」は旧チェンライ時計台から徒歩3分も場所にあります。 ワットクランウィアンの歴史 当時、タイ北部のランナー王朝はビルマのサルーン王(1584年6月17日ー1648年8月29日)により統治されており、ミャンマー統治下の1637年に「ワットクランウィアン」が建てられました。 この寺が別名「ワット チャンタロック」とよばれる由来はお寺が建てられた頃に境内には大きなタイ ローズウッドの木があったことからです。 その後、18世紀にバンコクに新しくできたトンブリ王朝の加勢でタイ北部でランナー王朝によるビルマ追放戦争が行われました。 そして1774年、ランナー王朝は都のチェンマイを取り戻しチェンライも統治が始まりましたが、「ワットクランウィアン」は廃墟となっていました。 1825年、チェンライでは街の改修が始まり、「ワットクランウィアン」も改修が始まり1995年に改修工事が終わりました。 本堂の入口には優しそうなお顔の仏像が祀られています。 こちらがご本尊です。
普通の卵麺と揚げ麺を同時に食べられるカレーラーメン「カオソーイ」はタイ北部の代表的な料理の一つです。 ここタイ北部パヤオにも「カオソーイ」のお店がたくさんありますが、「セーンピアン」はパヤオでは有名店でお店の周りには地元パヤオだけでなく、観光で来たバンコクや他の地方から来た車がたくさん停まっています。 私の妻(タイ人)がパヤオ出身なので、ソンクラーンやお正月に帰省をしたとき、「セーンピアン」の近所に住んでいる叔父さんがテイクアウトをしてくれますので、叔父さんの家でカオソーイを食べます。 しかし、今回叔父さんが新型ウイルスに感染してしまい(無症状)、家に行くことができなかったので、初めて「セーンピアン」の店内でカオソーイを食べました。 地図 お店の近くにホテルがたくさんあります。 営業時間:朝8時半から夜7時まで。 店内 タイでどこにでもあるようなお店ですが、人気店ですのでアッという間に満席になってしまいました、旅行で行くなら、昼ごはんの時間をずらしたほうがいいです。 メニュー タイ語のみです。 ก๋วยเตียวは米麺のラーメンです 左側のเส็นは麺のことで、เล็กは細麺、ใหญ่
「ワット フゥアイ パーキアン」はパヤオ市街から離れた山中にあるお寺で崖には様々な仏像が刻まれています。 ワット フゥアイ パーキアンまでの行き方 「ワット フゥアイ パーキアン」はパヤオ市街から車で約30分以上かかります。 大通りを曲がってからこのような山道になります。 「ワット フゥアイ パーキアン」は1991年1月29日にお寺の建設許可が認められ、1995年1月4日に約150ライ(24万平方メートル)の面積をもつお寺として完成しました。 お寺からの眺めになります。 こちらから崖下に行きます。 かなり急な階段ですのでお足元にはご注意ください! 階段を降りると大きな涅槃像が彫られています。 仏教を布教する仏陀が彫られています。 ちょっとユーモラスな目がパッチリのした仏像です。 二つの仏像が向い合せにあります。 仏像の頭の上にある蛇は「ナーク」です。 悟りを開いている仏陀を悪魔達から守った「プラ メ― コローニー」が彫られています。 こんな崖の上にも仏像が彫られていました。 こちらにはたくさんの仏像が彫られています。 先ほど頭の方向が違う涅槃像が彫られていました。 苔むしていますが、象
ワット ルアン ラートサンターン:100年前のランナー建築のお寺
タイ北部パヤオには長い歴史を持つ寺院がたくさんありますが、「ワット ルアン ラートサンターン」はパヤオで唯一、タイ政府より古代寺院に登録されたお寺です。 地図 ワット ルアン ラートサンターンの歴史 「ワット ルアン ラートサンターン」がいつごろ建てられたのか不明ですが、ランナー王朝復興のビルマ軍追放戦争後、1844年に廃墟となっていたお寺をパヤオの知事が復元を行い、当時このお寺は「ワット ルアン」とよばれていました。 1935年、お寺はタイ政府より古代寺院へ登録されことにより「ワット ルアン ラートサンターン」と改めました。 本堂は1717年頃に建てられました。 しかし1984年に暴風雨により倒壊したため、その後、伝統的なランナー様式の本堂を復元しました。 本堂の後ろにランナー様式の仏塔があります。 仏塔の前にこんなものがありました。 これは何と妻(タイ人)に聞いたら、「仏塔に水をかけるじゃない?」と適当に答えられてしまいました。 バンコクでは見られない独特の形をした建物がありました。 この独特の形をした建物の1階が書庫になっています。 本堂が閉まっていましたので、横にあるお堂でお参
ワット シーウモーンカム:13世紀からの歴史を持つパヤオのお寺
12世紀タイ北部にはパヤオ王国があり、チェンマイを都とするランナー王国や現在のタイ王室にもつながるスコータイ王国と軍事同盟を結ぶなどの強国でした。 そのためこの地には多くの寺院が築かれ、「ワット シーウモーンカム」もパヤオで長い歴史を持つお寺の一つです。 地図 ワットシーウモーンカムの歴史 1237年、パヤオ王国時代に「ワットシーウモーンカム」が建てられ、当時は住民たちが池を掘り、丘を築いた上に建てられたお寺から「ワット ソン」とよばれていました。 その後1846年に「ワットシーウモーンカム 」と改めました。 タイ語ではトンネルをウモーン(อุโมงค์)、金をトーン(ทอง)といいますが、タイ北部弁ではトンネルをモーン、金をカムとよびます。 そのようなことから、昔、「ワットシーウモーンカム」の下に金箔のトンネルがあり、 そこに黄金の仏像が祀られていたとされています。 ご本尊です。 精巧に彫刻されている台座や仏像の前に置かれている飾り物がとても美しいです。 本堂の下に小さなお堂があります。 お堂には「プラチャオタンジャイ」 とよばれている砂岩仏像が祀られています。 お堂の壁にはタイ伝統
【チェンマイ】タイの冬はモンチェムでドーム型テントにChallenge!
サワッディーカップ。MITSU ASIA BLOGの「みつ」です。 今回の記事はチェンマイ空港から車で1時間のチェンマイ・ メーリムにあるモンノンホイ村の山の峰にあるドーム型テントの宿泊施設。チェンマイ空港から車で1時間。冬は15℃前後で、運がよければテントから雲海も見れる場所です。1度行けば、ハマること間違え無し!
東南アジアのコーヒーといえば、「ベトナムコーヒー」やインドネシアの「マンダリン」や「ジャワコーヒー」、ジャコウネコの糞から作られた高級コーヒー「コピ ルアク」などを思う浮かべる人が多いと思います。 あまり知られてはいませんが、実はタイ北部でもコーヒー栽培が行われています。 そのため、チェンマイやチェンライなどタイ北部に行きますと「ドーイ チャーンコーヒ」の看板をよく見かけます。 ドーイ チャーン コーヒーが作られるまで この「ドーイ チャーンコーヒー」の歴史はベトナムやインドネシアと比べると浅く、1987年に栽培が始まりました。 コーヒー栽培が始まるまでタイ北部、ミャンマー、ラオスは「黄金の三角地帯」とよばれ麻薬の原料となる「ケシ」栽培が行われていました. この地域での麻薬の生産量はすさまじく、一時は世界のヘロインの35%を生産量がありました。 また、この地域は国境が3ヶ国にまたがっており、警察の取り締まりが難しかったです。 そして、この地域では麻薬王の「クン サ」が支配しており、その強大な力のためにタイ、ミャンマー、ラオスの警察は手も足も出せませんでした。 この状況に対して1980年
ワット シーコームカム:タイ最古のランナー様式の大仏が安置されているパヤオの寺院
ワット シーコーカムはタイ北部パヤオの人造湖「クワン パヤオ」の畔に建つ大きな寺院です。 本殿にはタイで最古で最大のランナー様式の大仏「プラチャオトンルアン」が祀られており、地元の人だけでなくバンコクや他の地域からの参拝客で賑わっています。 一般的にはこの寺院「ワット シーコームカム」と呼ばれていますが、地元の人からはこのお寺で祀られている大仏の名前から「ワットプラチャオトンルアン」ともよばれています。 パヤオへの行き方 パヤオには空港がありません。 バンコクからパヤオのバスターミナルまで行く場合、チェンライ空港からバスで約2時間、チェンマイ空港から約3時間くらいかかります。 また、ワット シーコーカムへはパヤオのバスターミナルから歩いて15分ほどかかります。 この寺院がある地域はパヤオの県庁所在地があるところですので、近くにホテルなどの宿泊施設が充実していて日本料理のお店もあります。 また、タイ北部名物のタイ カレーラーメン「カオソーイ」のお店もたくさんあります。 ワット シーコームカムの歴史 ワット シーコームカムは12世紀、チェンマイを中心にタイ北部を治めていたランナー王朝の10
パヤオ湖の畔にはパヤオの英雄「ガムムアン王」の像がそびえ立ち、今でもパヤオの人たちから尊敬されています。 このガムムアン王像はパヤオで有名なお寺「ワット シーコームカム」から歩いて10分ぐらいの場所にあります。 パヤオ王国とは 元々、中国の雲南省に住んでいたタイ族が肥沃な土地で豊富な水量があるこの地にたどり着き1096年にチョームタム王によってパヤオ王国が建国されました。 一般的にタイ族による初めての王国は1240年頃に建国したスコータイ王朝とされますが、パヤオ王国は小規模な部族国家とはいえ、タイ族による建国はスコータイ王国建国の1世紀半前になります。 建国当時、王国の都はチェンライのチエンセーンにありましたが、1174年にシンハラート王がこの地に都を建設したとされています。 しかしパヤオ王国があったころ、タイ北部ではパヤオの東にナーンにカーオ王国、プレー王国などの多くの部族国家があり、この地域一帯は群雄割拠の時代でした。 ガムムアン王とは 1238年に生まれたガムムアンは1258年、9代目パヤオ王に即位しました。 当時、モンゴル帝国による中国の雲南への遠征があり、ガムムアン王は警戒を
ワット ティロックアラムはパヤオ湖の小さな島にある古いお寺です。 しかし、パヤオに訪れた多くの人がこのお寺に参拝します。 このお寺に行くために渡し船があります。 船着き場はガムムアン王像のある場所から歩いて5分ぐらいで着きます。 これが渡し船です。 船代は50バーツ(約150円)で、営業時間は朝8時半から夕方5時です。 人数が集まりましたので救命胴衣を着用して出発です。 乗る前に船着き場の人が麦わら帽子を貸してくれます。 が、、 しばらく乗っていましたがいつまでたってもエンジン音が聞こえません。 エンジン故障かと思い後ろを振り返ると、 なんと 手漕きの船でした!!! ちなみに船頭さんは64歳ですが、慣れた手つきで船を進めて行きます。 そうして、自転車が進むのと同じくらいの速度でゆっくりと船は目的地のお寺に進んでいきます。 エンジン音がしないので風の音とリズミカルな船を漕ぐ音が心地いいです。 ちなみにこの辺の水深は2mくらいです。 いよいよ目的地のワット ティロックアラムに到着です。 このお寺は本堂もない小さなお寺ですが、長い歴史を持っています。 2007年パヤオの商工会議所は調査チーム
ワット プラタート チョムトーン:金色の3重の仏塔があるパヤオの聖域
ワット プラタート チョムトンはワットシーコームカムの北にあるドイ チョムトーンの山頂にあるランナー様式の歴史ある寺院です。 旅行者にはあまり知られていませんが、ワット プラタート チョムトーンはパヤオの人たちにとって昔から神聖な場所です。 この寺院は車で行くことができますが、一緒に行ったタイ人妻の叔父さんから「階段で行ったほうがいいよ」とのことで階段で上がりました。 叔父さんが階段で行くことを勧めたのはこれです。 階段の途中からパヤオ湖の景色を見ることができます。 もし、車で行ったら林の中を抜けないといけないので、この景色は見れなかったです! きれいな景色だねと言うと、叔父さんも満足そうな顔をしていました! 階段を上り切ったところで鬼のお出迎えです。 ここがお寺の入り口になります。 寺院の入り口にある狛犬「シン」もバンコクにある寺院の白い「シン」とはことなりカラフルです。 このワット プラタート チョムトーンはいつ頃に建てられたのかはっきりしたことはわかっていませんが、おそらく500年から700年前に建てられたとされています。 この金色の仏塔の幅20メートルで高さは30メートルです。
ワット プラタート ドーイカムはパヤオのチェンカムの小さな山の山頂にある小さなお寺です。 しかし、このお寺には黄金伝説があり、今でも地元の人からの参拝が絶えません。 お寺まで階段がありますが、車で行くことができます。 パヤオ王国の9代目、ガムムアン王です。 13世紀、ガムムアン王の治世にパヤオ王国は版図を広げました。 今でも、パヤオの人たちの英雄です。 このお寺の黄金伝説 伝説によるとこの地域の支配者であったプラ カムデンはブッタの髪の毛をこの山の頂上に祀り、そこの仏塔を立てました。 その後、この町に貧しくも心優しい未亡人が住んでいました。 ある日、未亡人がこの山で金鉱脈を見つけました。それはこの山の神様が未亡人の日頃の善い行いを憐れんだためためです。 この未亡人は道徳的な心を持っている人でした。 そのため未亡人は家族の生活に必要な分だけの金を削りとり、町で売りました。 しかし、金を受け取った町の人達は驚きました。なぜなら未亡人はとても貧しかったからです。 そこで町の人達は未亡人にどうやって金を手に入れたか尋ねましたが、未亡人は答えませんでした。 そこで町の人達は密かに未亡人の後を追い
地図を見ていたらパヤオにワット プラケーオとありました。 どうして、パヤオにワット プラケーオが??? ということで、妻のお母さんに聞いてみました。 私:「あのー ワット プラケオに行きたいだけど、、、」 妻の母「??」 私「(発音が悪かったかなー)パヤオのワット プラケーオ」 妻の母「ああ、それワット ウィアン プラケーオのことよ!」 私「???」 と妻のお母さんの説明では、バンコクにあるエメラルド寺院のワット プラケーオ、本当はワット プラシーラッタナサーサダーラームと言い通称ワット プラケーオとよばれ、エメラルド仏が安置されているタイ王室管理の寺院です。 一方、パヤオにあるワットプラケーオは、ワット 地名 プラケーオとよばれ地元で管理されているお寺で、このようなワット プラケーオはどこにでもあるとのことです。 妻の母「で、どうしてそんなとこにいきたいの?」 私「いやー 好奇心、、、」 ということでさっそく行ってみました。 そして、妻の実家から車で5分、 なんといつも行く親戚の家の途中にありました! 確かにワット プラケーオั(วัดพระแก้ว)と書いてあります。 さっそく境内
パヤオのチェンカムにはタイでは珍しいビルマ様式のチーク材で建てられたお寺、ワット ナンターラムがあります。 このチェンカムはパヤオでも県庁所在地があるパヤオ区から車で1時間以上もかかり、ラオスの国境に近い街ですが、バンコクからマイクロバスを使って多くの人が参拝にお訪れる人気のスポットです。 ワット ナンターラムの歴史 このお寺が建てられた年代は不明ですが、もともとはこの地に住んでいたタイヤイ族とよばれるビルマ族がわらの一種を屋根に使ったお寺から「ワット チョンカ」とよばれていました。 しかしながら、長年の風雨にさらされたため、お寺の荒廃もひどくなりました。 チェンカムのパーオー族の資産家、ナンター ウォンアナン氏は仏教に強い信仰を持っていました。 そのため、この寺院の修復費用を寄付を行い、藁葺き屋根に代わる新しい寺院の建設が始まりました。 新しい寺院の建設にはタイ人、ビルマ人、タイヤイ人(タイのビルマ族)の職人を雇い、ビルマ形式の屋根を持つ寺院が建てられました。 その改修と大幅な建設には10年かかりました。 寺院が完成後、アナン家に敬意を表し、ナンター ウォンアナン氏の信仰の美徳を記
ワットプラナンディンはパヤオのチェンカムにあり、伝説の仏像が安置されていることで有名なお寺です。 そのため地元の人だけでなく、バンコクや他の地域に住む人たちから、大勢の参拝客で賑わっています。 装飾のきれいなお寺です。 この地域では一番大きいお寺です。 本堂の入り口に竜神の「ナーク」が魔物からお寺を守っています。 小銭を入れるとお経をあげてくれます。 これはルークミニット(ลูกนิมิต)とよばれる仏教の聖域を示す境界線です。 タイの東北部や北部のお寺でこのルークミニットが置かれています。 ご本尊の名前の由来 通常、仏像は台座の上に安置されていますが、このお寺のご本尊は直接、地面に安置されています。 伝説では、この村の村人が仏像を台座の上に安置しました。しかし、翌日の朝になると仏像は台座の下にあります。 そのため、村人は仏像を台座の上に戻しますが、翌日の朝には仏像は台座の下にあります。 もう一度、村人は仏像を台座の上に安置しましたが、同じように翌日の朝には仏像は台座に下にありました。そして、村人は仏像を台座の上に戻そうとしましたが、いくら持ち上げようとしても持ち上げられませんでした。