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ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン:大仏の足跡があるお寺
タイにはたくさんのお寺があり、金色に輝く仏像が祀られていることが多いですが、「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」には緑色の仏像が祀らており、また本堂には大仏の足跡が祀らているお寺です。 「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」までの行き方 地下鉄MRTイサラバップ駅で下車し2番出口を出ます。 ソイ23に入ってから3分程歩きます。 地図 「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」の歴史 アユタヤ時代、このお寺のあった場所には「ワット パ」とよばれるお寺が建っていました。 18世紀にラーマ1世が「ワット パ」の横に新しいお寺の建設を命じ、二つのお寺が統合されためお寺の名称が「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」となりました。 その後1824年にタイ国王に即位したラーマ3世の治世にこのお寺は大きく改修されました。 このお寺にはめずらしいピンク色の仏塔があります。 本堂の入口には武人像が置かれています。 こちらの武人像の足元にはドクロがあります。 本堂に入りますと、 ありました! 大仏の足跡です!! こちらが緑
バンコクのオンヌットにある「ワット・マハーブット」には「メ― ナーク」とよばれる母子の霊が祀られており、多くの参拝客が訪れるアユタヤ時代1672年から続くお寺です。 ワット・マハーブットまでの行き方 BTSオンヌット駅から車で約10分です。 「ワット・マハーブット」の境内は広く、いろいろな仏像が祀られています。 お寺の境内を奥に進むと母子霊「メ― ナーク」が祀られています。 この「メ― ナーク」、タイでは何度もドラマだけでなく映画としても公開され、日本の通販でも「ナン ナーク」として日本語字幕で販売されています。 メ― ナーク伝説 アユタヤ王朝後期、この地の村長の娘でナークという女性がいました。 その村長の家の庭師にマークという働き者の男性がおり、二人は互いに惹かれて親密な関係になりました。 しかし、村長は身分の違う二人が親密になるのを認めず、ナークには相談もなしに金持ちの中国人との縁談をすすめました。 それを知ったナークはマークとともに駆け落ちをしました。 そうして二人は暮らし始め、やがてナークのお腹には子供が宿りました。 そんな幸せの中、マークが徴兵され戦場に行かなくてはならず、ナ
チェンライのワットプラケオ:かつてエメラルド仏が祀られていたお寺
「ワット プラケオ」といいますと、バンコクにあるエメラルド仏が納められているタイ仏教の一番神聖なお寺、エメラルド寺院が有名で季節になると国王の手によって衣替えが行われます。 しかし、14世紀のランナー王朝時代にエメラルド仏はチェンマイにある「ワットプラケオ」に祀らていました。 地図 ワット プラケオ、チェンライの歴史 もともと、チェンライの「ワットプラケオ」は「ワットパイ」とよばれていました。 6代ランナー王朝クーナ―王(1355年ー1385年)の弟、マハープロムがカムペーンペットからからエメラルド仏を持ち帰り「ワット パイ」にて祀りました。 しかし、マハープロムとランナー王朝を引き継いだ7代セーンムアンマー王(1385年―1401年)のと争いが始まり、戦火からエメラルド仏を守るため漆喰に固め仏塔の中に隠されました。 その後1434年に落雷が原因で仏塔の中で漆喰に覆われた「エメラルド仏」が発見されました。 そして、「エメラルド仏」が見つかったことから「ワット パイ」は「ワット プラケオ」と改名されました。 エメラルド像を見つけた8代サームファケーン王(1389年ー1441年)は象を使っ
「ワット ドーイガムムアン」はチェンライにある14世紀に建国した初代ランナー王朝マンラーイを祀った小高い丘の上にある静かなお寺です。 地図 「ワット ドーイガムムアン」は旧時計台から徒歩10分です。 ワット ドーイガムムアンの歴史 1311年、チェンマイにてランナー王朝初代マンラーイ王が死去し、チェンライで政務を行っていた2代目ランナー王チャイソンクラームはマンラーイ王を弔うために1317年に ワット ドーイガムムアンを建立しました。 そのころ境内にはマンラーイ王を祀る仏塔しかありませんでした。 1487年にマンラーイ王の遺骨が祀るためにお寺は修復され「ワット ドーイガムムアン」とされました。 しかし、16世紀からランナー王朝はミャンマー王朝に統治されました。 18世紀ランナー王朝がこの地域からミャンマー軍を駆逐しましたが、「ワット ドーイガムムアン」は廃墟と化していましたが、1892年、「ワット ドーイガムムアン」は改修されました。 入口の門には精巧な彫刻が彫られています。 境内にはこのような柱が建てられています。 ミャンマー軍を駆逐する様子でしょうか、境内には武器を持った兵士や象に
ワット ワットクランウィアン チェンライ:ビルマ統治時代に建てられたお寺
「ワットクランウィアン」または「ワット チャンタロック」はチェンライ市内の中心にある長い歴史を持つお寺です。 地図 {ワットクランウィアン」は旧チェンライ時計台から徒歩3分も場所にあります。 ワットクランウィアンの歴史 当時、タイ北部のランナー王朝はビルマのサルーン王(1584年6月17日ー1648年8月29日)により統治されており、ミャンマー統治下の1637年に「ワットクランウィアン」が建てられました。 この寺が別名「ワット チャンタロック」とよばれる由来はお寺が建てられた頃に境内には大きなタイ ローズウッドの木があったことからです。 その後、18世紀にバンコクに新しくできたトンブリ王朝の加勢でタイ北部でランナー王朝によるビルマ追放戦争が行われました。 そして1774年、ランナー王朝は都のチェンマイを取り戻しチェンライも統治が始まりましたが、「ワットクランウィアン」は廃墟となっていました。 1825年、チェンライでは街の改修が始まり、「ワットクランウィアン」も改修が始まり1995年に改修工事が終わりました。 本堂の入口には優しそうなお顔の仏像が祀られています。 こちらがご本尊です。
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?ホム マリの中では、タイのお寺は‘キンピカ’というイメージがあるの。建物の…
「ワット フゥアイ パーキアン」はパヤオ市街から離れた山中にあるお寺で崖には様々な仏像が刻まれています。 ワット フゥアイ パーキアンまでの行き方 「ワット フゥアイ パーキアン」はパヤオ市街から車で約30分以上かかります。 大通りを曲がってからこのような山道になります。 「ワット フゥアイ パーキアン」は1991年1月29日にお寺の建設許可が認められ、1995年1月4日に約150ライ(24万平方メートル)の面積をもつお寺として完成しました。 お寺からの眺めになります。 こちらから崖下に行きます。 かなり急な階段ですのでお足元にはご注意ください! 階段を降りると大きな涅槃像が彫られています。 仏教を布教する仏陀が彫られています。 ちょっとユーモラスな目がパッチリのした仏像です。 二つの仏像が向い合せにあります。 仏像の頭の上にある蛇は「ナーク」です。 悟りを開いている仏陀を悪魔達から守った「プラ メ― コローニー」が彫られています。 こんな崖の上にも仏像が彫られていました。 こちらにはたくさんの仏像が彫られています。 先ほど頭の方向が違う涅槃像が彫られていました。 苔むしていますが、象
タイで最も美しい大仏様を訪ねて ワットスタットテープワララーム
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?今回の‘また行きたい!バンコク’は、早く元通り以上の世の中になりますように…
ワット ルアン ラートサンターン:100年前のランナー建築のお寺
タイ北部パヤオには長い歴史を持つ寺院がたくさんありますが、「ワット ルアン ラートサンターン」はパヤオで唯一、タイ政府より古代寺院に登録されたお寺です。 地図 ワット ルアン ラートサンターンの歴史 「ワット ルアン ラートサンターン」がいつごろ建てられたのか不明ですが、ランナー王朝復興のビルマ軍追放戦争後、1844年に廃墟となっていたお寺をパヤオの知事が復元を行い、当時このお寺は「ワット ルアン」とよばれていました。 1935年、お寺はタイ政府より古代寺院へ登録されことにより「ワット ルアン ラートサンターン」と改めました。 本堂は1717年頃に建てられました。 しかし1984年に暴風雨により倒壊したため、その後、伝統的なランナー様式の本堂を復元しました。 本堂の後ろにランナー様式の仏塔があります。 仏塔の前にこんなものがありました。 これは何と妻(タイ人)に聞いたら、「仏塔に水をかけるじゃない?」と適当に答えられてしまいました。 バンコクでは見られない独特の形をした建物がありました。 この独特の形をした建物の1階が書庫になっています。 本堂が閉まっていましたので、横にあるお堂でお参
ワット シーウモーンカム:13世紀からの歴史を持つパヤオのお寺
12世紀タイ北部にはパヤオ王国があり、チェンマイを都とするランナー王国や現在のタイ王室にもつながるスコータイ王国と軍事同盟を結ぶなどの強国でした。 そのためこの地には多くの寺院が築かれ、「ワット シーウモーンカム」もパヤオで長い歴史を持つお寺の一つです。 地図 ワットシーウモーンカムの歴史 1237年、パヤオ王国時代に「ワットシーウモーンカム」が建てられ、当時は住民たちが池を掘り、丘を築いた上に建てられたお寺から「ワット ソン」とよばれていました。 その後1846年に「ワットシーウモーンカム 」と改めました。 タイ語ではトンネルをウモーン(อุโมงค์)、金をトーン(ทอง)といいますが、タイ北部弁ではトンネルをモーン、金をカムとよびます。 そのようなことから、昔、「ワットシーウモーンカム」の下に金箔のトンネルがあり、 そこに黄金の仏像が祀られていたとされています。 ご本尊です。 精巧に彫刻されている台座や仏像の前に置かれている飾り物がとても美しいです。 本堂の下に小さなお堂があります。 お堂には「プラチャオタンジャイ」 とよばれている砂岩仏像が祀られています。 お堂の壁にはタイ伝統
サムットサーコンはエビ養殖や水産業が盛んなところのため、多くの水産加工の工場があります。 そこでは多くのミャンマー人が出稼ぎ労働者として働いており、「ワット ノーイ ナーンホン」はミャンマー人コミュニティの中心となっており、休日には多くのミャンマー人が参拝に訪れます。 ワット ノーイ ナーンホンの場所 バンコクから車で1時間ほどかかります。 「ワット ノーイ ナーンホン」は19世紀、ラーマ1世の治世に建てられたとされて、以前は「ワット タク ダエット」とよばれていました。 このお寺の建設に中華系タイ人の協力があったのでしょうか? 観音様が祀られています。 サムットサーコンにあるエビ養殖会社のオーナーのほとんどが中華系タイ人ですので、この地域では多くの中華神社を見ることがあります。 このお寺に関係したお坊さんたちでしょうか? たくさんのお坊さんが祀られています。 こちらにもたくさんの仏像が祀られています。 本堂の入口にミャンマーの神様があります。 神様もウイルス対策のためにマスクをしています! ミャンマーの女神様たちです。 横にいる怖いコブラが女神様たちを守っています。 今にも話しかけて
ワット ヤイ チョーム プラサート:400年以上の歴史を持つお寺
タイで古代寺院といいますと、アユタヤやスコータイを連想しますが、サムットサーコンにある「ワット ヤイ チョーム プラサート」は400年以上の歴史があるお寺で、アユタヤ王朝時代に建てられた本堂が残されています。 ワット ヤイ チョーム プラサートまでの行き方 バンコクから「ワット ヤイ チョーム プラサート」までは車で約1時間ほどのところにあります。 ワット ヤイ チョーム プラサートの歴史 「ワット ヤイ チョーム プラサート」はアユタヤ15代王、チャクラパット王(1509-1569)の治世に建てられてお寺です。 当時、このお寺は「ワット ヤイ」や「ワット チョーム プラサート」とよばれていました。 その後、20世紀ラーマ5世の治世にこのお寺は「ワット ヤイ サコーンブリ」とされ王室管理第2級の寺院となりました。 その後、お寺の名称が変更され「ワット ヤイ チョーム プラサート」となりました。 古い本堂のは中国のジャンク船のような湾曲した土台をしています。 こちらが入口になります。 古い本堂の天井は落ちてしまい、本堂の中は何もありませんがアユタヤ王朝のころには、この場所で僧侶や民衆が豊
ワット ラン サーン プラシット:巨大なプラサンカチャイが微笑むお寺
サムットサーコンにあるお寺「ワット ラン サーン プラシット」は大きなプラサンカチャイが祀られてる美しいお寺です。 ワット ラン サーン プラシットまでの行き方 「ワット ラン サーン プラシット」までバンコクから車で1時間ほどかかります。 お寺の門をくぐると凛々しいお顔をしたプラサンカチャイが祀られています。 プラサンカチャイとは? プラサンカチャイは仏陀の7人の弟子の一人で悟りを開いた後に仏教の布教に努めました。 この神様は中国人に信仰されています。 なぜなら、中国人にとって太っていることは豊かさを表す象徴だからです。 そのためプラサンカチャイの肥満したお腹は富と豊かさをもたらすとして崇拝されています。 大仏の前にも小さなプラサンカチャイが鎮座しています。 ワット ラン サーン プラシットの歴史 1780年のトンブリー王朝の終わりころ、「ワット ラン サーン プラシット」は建てられ、当時地元の人たちには「ワット ラン サーン」とだけよばれていました。 このお寺ではたくさんの「ナーク」が祀られています。 伝説では7日間降り続く冷たい雨の中で悟りを開くために瞑想している仏陀を「ナーク」
タイには多くの少数民族が暮らしており、サムットサーコンにあるワット バーンヤープレークはモン族の神様が祀られています。 ワット バーンヤープレークまでの行き方 バンコクからワット バーンヤープレークまでは車で1時間以上かかります。 ワット バーンヤープレークとモン族 ワット バーンヤープレークは1832年にモン族のシンボルとして建立され。修道院長のほとんどはモン族の出身者が務めました。 モン族とは紀元前1500年前から東南アジアに住む民族で6世紀から11世紀までドヴァーラヴィティー王国を建てました。 その後中国の雲南省から移住してきたタイ族(タイ人)やミャンマーのビルマ族と混血し、ミャンマーやタイに住んでいます。 本堂はモン族文化でタイでもあまり見かけない精巧な模様となっています。 モン族が建てたドヴァーラヴィティー王国では仏教が信仰されていました。 これはミャンマー風の仏像です。 一部のモン族はミャンマーに渡り、13世紀にペグー王国を建てました。 なんだか映画「千と千尋の神隠し」に出てきたキャラクターみたいです! ガネーシャでしょうか。 怖そうなライオンにのっています。 三つの頭を持
サムットサーコンにあるお寺、「ワット レーム スワンナーラーム」は池の水面に大仏が写ることで有名なお寺です。 ワット レーム スワンナーラームまでの行き方 「ワット レーム スワンナーラーム」までバンコクから車で約1時間かかります。 お寺の近くにバーンレーム駅があります。 ワット レーム スワンナーラームの歴史 「ワット レーム スワンナーラーム」は1826年に建てられました。 当時は木造建築であったため、その後モルタルで改修されました。 本堂の入口の門が締まっていますが、鍵はかかっておらず、参拝したい場合は自分で門を開けて入ることができます。 門を閉めているのは野良犬が入ってくるのを防ぐためです。 この階段を上がっていきます。 階段にはたくさんの中華風の絵画が彫られてきれいです。 近くで見る大仏です。 なかなかの迫力があります。 頭に独特の被り物し、福耳の特徴的な大仏です。 大仏を十二支が囲んでいます。 大仏の下の本堂にある大仏を小さくしたご本尊にお参りにします。 中国系タイ人の協力で建てられたお寺なんでしょう、中国の神様が祀られています。 徳のあるお顔の神様も祀られています。 それ
1782年に開いたチャックリー王朝の初期には貿易のために、広東省や福建省など中国南部に住む人達がバンコクに移り住みました。 それらの人々によってバンコクでチャイナタウンが形成され、そのコミュニティの中で多くの中国神社が建てられました。 サーンチャオ・クワーントゥン(広東寺)はそんな中国神社の一つです。 サーンチャオ・クワーントゥンまでの行き方 地下鉄ワット マンコン駅を下車を徒歩3分 サーンチャオ・クワーントゥンの歴史 1877年、清朝のクォンシュイ皇帝の治世の記録では、広東省人の貿易商グループがバンコクに神社を建設する土地を購入するために、17,000バーツ以上の寄付を集めました。 建設にあたり狛犬、柱、屋根の瓦などは中国から持ち込まれたとされています。 その後1881年に神社「サーンチャオ・クワーントゥン」は完成しました。またこの神社は広東省人のコミュニティの中心となり、学校、病院、墓地などが作られました。 こんな光景にここがバンコクということを忘れてしまいます。 入口に中国から持ち込まれたとされる狛犬があります。 ちょっと怖そうな顔をして、魔物から神社も守っています。 富と幸福を
MRTワットマンコン駅は中華街に隣接しており、駅周辺にはたくさんの中華神社があります。 ここリーティーニャー神社では境内で漢方薬を調合しているため健康祈願の神社として有名で中国の旧正月には無病息災で新年を願う多くの人がお参りに訪れます。 リーティーニャー神社までの行き方 拝観時間:朝8時から夕方6時まで リーティーニャー神社の歴史 リーティーニャー神社は清朝後期の1802年頃に建てられました。その後、神社は火災に焼失しましたが、タイに住む客家(はっか)語協会の支援により再建されました。 客家(はっか)語とは 客家(はっか)語とは中国語の一部の言語で広東省、福建省、江西省の一部で使われている言語です。 特に華僑の多くに客家(はっか)語を話す人が多く、これらの人々は子供のころから教育熱心で教育レベルの高さからビジネスに成功している人が多く、東南アジアではシンガポールの首相を務めたリー クワンユーや台湾総統の李登輝や蔡英文、タイでは元首相のタクシン チナワットがいます。 竜が飾られているリーティーニャー神社の門はマナ家とスワラックウィトゥーンティエン家の寄付により1992年に建てられました。
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?バンコクには、高層ビルが立ち並び、そこからの景色や、ルーフトップバーも数多…
ワット ケーウチェームファー:涅槃仏があるシープラヤー通りのお寺
バンコクで涅槃仏といいますと王室管理第1級寺院「ワット ポー」が有名ですが、シープラヤー通りにある「ワット ケーウチェームファー」にも「ワット ポー」より小ぶりな涅槃仏が祀られています。 「ワット ケーウチェームファー」まではMRT地下鉄サームヤーン駅から徒歩10分くらいかかります。 当初、駅からバイクタクシーに乗るつもりでしたが、駅前にバイクタクシーがおらず、この道をひたすら10分以上歩きました。 汗だくになりながら、ようやく「ワット ケーウチェームファー」に着きました。 「ワット ケーウチェームファー」が建てられた年代は詳しいことはわかってはいませんが、古い書物にこのお寺のことが書かれています。 ワット ケーウチェームファーの歴史 以前、「ワット ケーウチェームファー」はチャオプラヤー河の近くにあるクルンカセム運河の河口に建っていました。 ラーマ4世の治世にヨーロッパ人が運河の近くに交易所を設け、寺院の周辺に密集して住むようになりました。 多くのタイのお寺では敷地内に火葬所があります。 しかし、習慣の違いからヨーロッパ人には火葬の匂いが耐えられないと、バンコク管理局に不満を言いまし
ワット・フアラムポーンはバンコクでは有名な寺院で第3級の王室管理寺院とされ、モンティエン ホテルやタワナバンコクホテルなどがあるシーロム地域に建つ豪奢な寺院です。 この寺院はMRTサームヤーン駅からのアクセスがいいため、この日も大勢のタイ人や外国人観光客が参拝に来ていました。 ワット・フアラムポーンまでの行き方 MRTサームヤーン駅で下車後に1番出口を出ます。 地上までのエスカレーターを上りきると正面に迫力ある寺院が見えます。 地下鉄を出て裏手に寺院の入口があります。 本堂へはこちらの階段が使えませんが、裏の階段から本堂へ行けます。 ワット・フアラムポーンの歴史 ワット・フアラムポーンが建てられた詳しい年代がわかりませんが、古い礼拝堂の形と仏塔の形からラッタナコーシン王朝初期に建てられたとされています。 1767年、アユタヤ王朝滅亡とともにビルマ軍によって町が破壊されたとき、そこに住んでいた住人達が現在の寺院のある場所へ避難しました。 その後、避難していた人のコミュニティが広がると、村の名前を寺院にし「ワット ウア ランフォン」としました。 1904年、ラーマ5世はこの寺院に「ワット
チャイナタウンにある神社「サンチャオヘンチアー」には西遊記でおなじみ孫悟空が祀られています。 「サンチャオヘンチアー」へはMRT地下鉄フワランポーン駅から徒歩10分です。 拝観時間:朝6時から夕方4時半まで。 拝観料:無料 商店街の中にある小さな神社ですので見つけにくいかもしれません。 「お線香代はここだよ」、と入口の横にいた宝くじを売っているおばちゃんがお賽銭箱を指さしてお線香を買うように勧められました。 お線香と油で合計40バーツ。 お線香のあげ方がわからずウロウロしていろと、先ほどの宝くじのおばちゃんが「お線香は右側5本、左側3本だよ」とおしえてくれました。 ちなみに油はここに注ぎます。 入口を入ると孫悟空とご対面です。 なかなか凛々しい顔した孫悟空です。 と奥に何かいます。 孫悟空の代名詞、如意棒を持った孫悟空の参上です!!! 日本では何度も西遊記はドラマ化され、多くの名優が演じてきましたが、タイでも西遊記はドラマ化され人気があります。 またタイの古典劇「ラーマーヤナ」に登場する「ハヌマーン」も孫悟空がモデルになったとされています。 こちらの孫悟空は仏様になっています。 日本の
バンコクのチャイナタウンにある「ワットトライミット」には純金率60%の黄金仏が祀られていることで連日、多くのタイ人参拝客や外国人観光客が訪れています。 拝観時間:朝8時から夕方5時まで 拝観料:40バーツ ワットトライミットまでの行き方 MRT地下鉄フワランポーン駅を下車します。 1番出口を出てから5分程歩きます。 お寺までの道が少し入り組んでいますが、大きいお寺なので簡単に見つけられます。 ワットトライミットにはドレスコードがありますのでご注意ください! こちらが入場券の受付です。 入場券は本堂の手前で見せます。 はやる気持ちを抑えて、まずは本堂に行く前に横にあるお堂にお参りします。 おお、、、と思いつつもこちらは普通の仏像です。 かわいい顔した仏像です!!! それでは本殿に行きます。 本殿は3階建てとなっています。 エレベーターもありますので子供さん連れでも安心です! 階段を登りきるとたくさんの鐘があります。 これが高さ3メートル、重さ5,5トンで純金率60%のご本尊です。 ちなみにお顔の部分の純金率は80%だそうです。 黄金のまばゆさが目に沁みます。 (いったい時価総額でいくらに
ワット パクナム パーシーチャルーン:エメラルド色の仏塔と幻想的な天井画のお寺
エメラルド色に輝くガラスの仏塔と幻想的な天井画で有名なワット・パクナム パーシーチャルーンは日本人に人気のある観光スポットです。 開館時間は朝8時から夜6時まで。 拝観料は無料です。 ワット パクナム パーシーチャルーンまでの行き方 地下鉄MRTブルーラインのパンファイ駅で下車します。 駅のホームから大仏が見えます。 1番改札を出でます。 駅から15分ほどで歩いて行けますが、道が入り組んでいるのでソイ カセーム19でバイクタクシーに乗りました。 バイクタクシーで5分かからず着きます。料金は10バーツです。 バイクタクシーのお兄さんから「お寺はそこだよー」と言われ運河の橋を渡ります。 大仏が見えるので道に迷いません。 入口にお寺の案内図があります。 ワット パクナム パーシーチャルーンの歴史 ワットパクナムはアユタヤ王朝時代の1610年に建てられました。 その後1703年から1709年まで在位したアユタヤ王のサンペット8世によりこのお寺は「天国の庭園の宮殿の神殿」を意味する「ワット プラサート スワンサワン」とよばれていました。 このお寺は18世紀から20世紀の初頭にトンブリのタークシン
ワット クローンプララーム: アユタヤ時代に鐘の音が響きわたっていたお寺
サムットプラカーンにあるお寺、ワット クローンプララームはアユタヤ後期に建てられ、当時は鐘の音が響き渡ることで有名なお寺でした。 ワット クローンプララームまではバンコクから車で1時間ほどかかります。 お寺はサッパサミット運河に沿いにあります。 この運河はチャオプラヤー河につながっていることから、アユタヤ時代は物流の他、軍隊の移動にこの運河が使われました。 お寺の境内は広く、3万2千平方メートルあります。 残念ながらこの日、本殿は閉まっていました。 ワット クローンプララームの歴史 アユタヤ時代の後期に建てられた「ワット クローンプララーム」は建設当初「ワットカムカムロム」とよばれていました。これは村人が15夜に鐘の音が響くお寺から名付けられたそうです。 その後、ラーマ1世の治世にお寺は改修されました。 1939年に運河の改修後にお寺の名称が変更され「ワット クローンプララーム」となりました。 お寺を入ると左側に礼拝所があります。 参拝客の中に尼さんの姿も見えました。 境内にはタクシン王の武将、プラピチャイダープハク像は祀られています。 プラピチャイダープハクとは プラピチャイダープハ
サムットプラカーンにあるお寺、ワット クン サムット チンは砂に埋もれゆくお寺として有名です。 地図で見るとタイランド湾の突き出た岬のような場所に建てられたお寺のように見えます。 なんでこんなところにお寺があるのだろうと思い、さっそく行ってみました! ワット クン サムット チンまでの道のり バンコクから車で1時間、途中からこのように舗装されていない道を20分ぐらい運転します。 運がよかったのはこの日は前日に雨が降りましたので、砂埃がありませんでした。 この駐車場の横に有料トイレがあります。 この先、トイレがありませんので、ここで済まされたほうがいいです。 ここから先は車で行けません。 歩きたくない場合、有料トイレのところにバイクタクシーがありますのでお寺まで送ってくれます。 料金:10バーツ また、お寺も送迎を行っています。 ちなみに運転手はお坊さんです! 料金:10バーツ 地図で見ると海のように見えますが、地盤沈下したところに海水が入り込んでいました。 このような道をお寺まで1キロほど歩きます。 オートバイが走っていますので気をつけてください! 以前、この辺りも陸地だったのでしょう
サーン・ラック・ムアン バンコク : 黄金の柱が祀られている神社
タイの習慣では新しい街をつくるとき、インドのバラモン教の儀式から街を守護し、その繁栄を祈願するために柱を建てる習慣があります。 1782年、ラーマ1世はトンブリからバンコクへ遷都後に「サーン・ラック・ムアン バンコク」を建立しました。 そのため、王宮広場の向かい側の「サーン・ラック・ムアン バンコク」では金色に輝く2本の市の柱を祀っています。 拝観時間:朝6時から夜6時まで。 拝観料:無料 サーンラックムアンまでの行き方 地下鉄MRTサナームチャイ駅を下車後、2番出口を出ます。 出口を出てからまっすぐ5分程歩くとたくさんの大砲があります。 これはタイ国防省の建物です。 左手にエメラルド寺院が見えます。 入口はこちらになります。 駅から神社まで徒歩10分ぐらいで着きます。 入口を入った左側の窓口でお供えのお花を売っています。 サーンラックムアンはバンコクでは神聖な場所とされており、平日にもかかわらず大勢の参拝客が訪れていました。 お花代は60バーツです。 お花の他に油と布がありました。 こちらの仏像にお祈りをしてから、花を供えました。 たくさんの仏像がありますので、混んでいない仏像をお祈
マハ・デーワーラヤ・ヒンドゥー寺院:サイクリングで行くインドの神様の神社
チャオプラヤー河の対岸にある「バーン ガジャオ」はサイクリングコースとしてよく知られいます。 そのサイクリングコースの途中にマハ・デーワーラヤ・ヒンドゥー寺院があり、多くのインドの神様が祀られています。 タイのお寺では仏陀とともにヒンドゥー教の神様を祀っていることが多いです。 拝観料:無料 マハ・デーワーラヤ・ヒンドゥー寺院まで BTSバンナー駅で下車後にバンナー埠頭に行きます。 埠頭の横にはワット バンナー ノークがあります。 駅から埠頭までタクシーで5分ぐらいで着きます。 しばらく待っていると渡し船が来ました。 渡し賃は4バーツ、バイクの場合は7バーツになります。 次から次へとバイクが乗ってきます。 すぐにバイクでいっぱいとなってしまいました。 渡し船に揺られること約5分、対岸にあるお寺「ワット バーンナムプンノーク」が見えてきました。 桟橋を左に曲がると自転車をレンタルできます。 料金は1日50バーツ 自転車を借りると地図をくれます。 渡し船でわずか5分ですが、交通量の多いバンコクとはうって変わり、のどかな雰囲気になります。 路上では生きのいいカニも売っています。 自転車に乗るこ
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バンコクにはたくさんのお寺がありますが、ここワット ヤーンナーワはチャオプラヤー河沿いにある本堂がジャンク船の形を不思議なお寺です。 ワット ヤーンナーワはBTSサパーン タクシン駅から近くにあり、歩いていくことができます。 ワット ヤーンナーワへの行き方 BTSサパーンタクシン駅で下車します。 駅のホームからもワット ヤーンナーワが見えます。 4番改札を出てから右に曲がると5分ほどで着きます。 入口をくぐると船の形をした本堂が見えます。 この船の形は昔の中国の船「ジャンク船」がモチーフとなっています。 そして、船の上に二つの仏塔が建てられています。 ワット ヤーンナーワの歴史 ワット ヤーンナーワはアユタヤ王朝時代に建てられた古いお寺で、かつては「ワット コック クワイ」とよばれていました。 その後、タクシン王のトンブリ王朝時代に、お寺は王宮に改装され、お寺の名前も「ワット コック クラブェ」とされました。 その後、ラーマー1世からラーマ3世の治世の間にお寺は補修されました。 ラーマ3世とジャンク船 1824年7月21日に3代目シャム国王に即位したラーマ3世(1788年3月31日ー
ここワット ナークプロクではたくさんの「ナーク」が祀られていることで有名なお寺です。 ワットナークプロクへの行き方 BTSウターカート駅で下車します。 そして、1番改札を出ます。 駅からお寺まで歩いて10分程ですが、道が入り組んでいてわかりずらいのでバイクタクシーを使いました。 5分くらいでお寺に着きます。料金は15バーツです。 こちらがお寺の入口です。 ワットナークプロクの歴史 アユタヤ王朝32代、サンペット9世(1680年ー1758年)は仏教に深い信仰を持つ王であり、上座部仏教が盛んであったスリランカから仏教の教義を持ち込みました。 そしてサンペット9世は1748年にこの地にお寺を建て当時、このお寺はワット ポクとよばれていました。 しかし、アユタヤ王朝滅亡後、お寺の荒廃がひどくワット ポクは廃れたお寺となりました。 お寺の改修と中国文化 19世紀の中頃、この地域に仏教へ深い信仰をを持つ中華系タイ人貿易商のチャオスアプクが、このお寺の改修を行いました。 改修にあたって中
ワット ピチャイソンクラームはサムットプラカーンにあるお寺です。 一見するとタイでどこにでもあるお寺ですが、19世紀のラーマ2世の治世、このお寺には4つの砦が築かれました。 ワット ピチャイソンクラームの行き方 BTSパークナム駅で下車します。 3,4番改札を出てからお寺まで10分ほど歩きます。 お寺に着きましたが、裏口でしたので入れませんでした。 表の入口に行かないといけません。 裏口の周りにはタイ人が首から着けている小さな仏像のお守りのお店がたくさんあります。 ワット ピチャイソンクラームの歴史 ワット ピチャイソンクラームはアユタヤ王朝の1710年頃に建てられたお寺で、当時はワット ポーもしくはワットノックとよばれていました。 アユタヤ王国時代は16世紀からから中国やポルトガル、イギリス、フランス、オランダなどの国との貿易が盛んでした。 1809年に王位に即位したラーマ2世はチャオプラヤー河の奥にあるプラプラデーンの港の拡張工事を行いモン族をサムットプラカーンに移住させました。 しかし、貿易によるトラブルも頻発していました。 そこで、ラーマ2世はチャオプラヤー河の防衛のため、河口
ワット ポーはタイの有名な観光地の3大寺院の一つでバンコクで最大かつ最古の寺院で、その広さは8万平方mの面積があります。 大きな涅槃像が参拝者に優しく微笑みかけています。 ワット ポーは2008年3月にユネスコのアジア太平洋地域の世界遺産に登録されました。 またワット ポーはタイで最初の大学であり、伝統的なタイ式マッサージの中心地と見なされていて、近代医学が登場する前の19世紀半ばには医学教育センターとされていました。 現在でもこの寺院は伝統医学の中心地であり、境内にはタイマッサージを受けることができ、タイ古式マッサージ学校もあります。 ワット ポーへの行き方 ワット ポーへは地下鉄サナーム チャイ駅で下車します。 この地域は 王宮エリアだけあって駅の天井も雰囲気があります。 1番改札を出た後に約5分歩きます。 こちらがワットポーの入口になります。 係員:「タイ人ですか?」 私「いいえ、日本人です。」 係員「じゃ、こちらへ」 と、いうことで拝観料は200バーツ(約600円)を払いました。 ちなみにタイ人は拝観料が無料です。 拝観時間:朝8時から夜6時半まで。 そして、ペットボトルにワッ
ワット アルンは三島由紀夫の小説「暁の寺」で知られたタイの三大寺院の一つでタイ王室が管理するお寺でもあります。 ワット アルンの名前はヒンドゥー教の神アルナに由来します。 そして ワットアルンの表面に施された装飾が朝の光を真珠のような虹色に反射させます。 ワットアルンへの行き方 ワット アルンへは地下鉄サナーム チャン駅で下車し、5分ほど歩くとワット ポーを左折すると5分くらいで船着き場に着きます。 が、、、 船着き場が見当たりません、、、 そこで近くのコーヒーショップのお兄さんに 私:「ワット アルンはどこ?」 お兄さん:「そこだよ」 私:「どこ、どこ?} お兄さん:「そこ、そこ、そこ!!」 と奥にある古い建物を指を指さしました。 お兄さんに言われたとおりに行ってみると、 船着き場がありました!!! 船着き場から見るワット アルン、朝でなくともまばゆい光を放っています。 窓口のおばさんからに渡し賃4バーツ(約12円)を払い、手前にある船の出発を待ちます。 が、、、 こちらの船でした! そして、この船長の操船で自転車で走るくらいのスピードでチャオプラヤ河を5分ほどで渡ります。 だんだん
ワット ティロックアラムはパヤオ湖の小さな島にある古いお寺です。 しかし、パヤオに訪れた多くの人がこのお寺に参拝します。 このお寺に行くために渡し船があります。 船着き場はガムムアン王像のある場所から歩いて5分ぐらいで着きます。 これが渡し船です。 船代は50バーツ(約150円)で、営業時間は朝8時半から夕方5時です。 人数が集まりましたので救命胴衣を着用して出発です。 乗る前に船着き場の人が麦わら帽子を貸してくれます。 が、、 しばらく乗っていましたがいつまでたってもエンジン音が聞こえません。 エンジン故障かと思い後ろを振り返ると、 なんと 手漕きの船でした!!! ちなみに船頭さんは64歳ですが、慣れた手つきで船を進めて行きます。 そうして、自転車が進むのと同じくらいの速度でゆっくりと船は目的地のお寺に進んでいきます。 エンジン音がしないので風の音とリズミカルな船を漕ぐ音が心地いいです。 ちなみにこの辺の水深は2mくらいです。 いよいよ目的地のワット ティロックアラムに到着です。 このお寺は本堂もない小さなお寺ですが、長い歴史を持っています。 2007年パヤオの商工会議所は調査チーム
ワット プラタート チョムトーン:金色の3重の仏塔があるパヤオの聖域
ワット プラタート チョムトンはワットシーコームカムの北にあるドイ チョムトーンの山頂にあるランナー様式の歴史ある寺院です。 旅行者にはあまり知られていませんが、ワット プラタート チョムトーンはパヤオの人たちにとって昔から神聖な場所です。 この寺院は車で行くことができますが、一緒に行ったタイ人妻の叔父さんから「階段で行ったほうがいいよ」とのことで階段で上がりました。 叔父さんが階段で行くことを勧めたのはこれです。 階段の途中からパヤオ湖の景色を見ることができます。 もし、車で行ったら林の中を抜けないといけないので、この景色は見れなかったです! きれいな景色だねと言うと、叔父さんも満足そうな顔をしていました! 階段を上り切ったところで鬼のお出迎えです。 ここがお寺の入り口になります。 寺院の入り口にある狛犬「シン」もバンコクにある寺院の白い「シン」とはことなりカラフルです。 このワット プラタート チョムトーンはいつ頃に建てられたのかはっきりしたことはわかっていませんが、おそらく500年から700年前に建てられたとされています。 この金色の仏塔の幅20メートルで高さは30メートルです。
ワットプラナンディンはパヤオのチェンカムにあり、伝説の仏像が安置されていることで有名なお寺です。 そのため地元の人だけでなく、バンコクや他の地域に住む人たちから、大勢の参拝客で賑わっています。 装飾のきれいなお寺です。 この地域では一番大きいお寺です。 本堂の入り口に竜神の「ナーク」が魔物からお寺を守っています。 小銭を入れるとお経をあげてくれます。 これはルークミニット(ลูกนิมิต)とよばれる仏教の聖域を示す境界線です。 タイの東北部や北部のお寺でこのルークミニットが置かれています。 ご本尊の名前の由来 通常、仏像は台座の上に安置されていますが、このお寺のご本尊は直接、地面に安置されています。 伝説では、この村の村人が仏像を台座の上に安置しました。しかし、翌日の朝になると仏像は台座の下にあります。 そのため、村人は仏像を台座の上に戻しますが、翌日の朝には仏像は台座の下にあります。 もう一度、村人は仏像を台座の上に安置しましたが、同じように翌日の朝には仏像は台座に下にありました。そして、村人は仏像を台座の上に戻そうとしましたが、いくら持ち上げようとしても持ち上げられませんでした。
地図を見ていたらパヤオにワット プラケーオとありました。 どうして、パヤオにワット プラケーオが??? ということで、妻のお母さんに聞いてみました。 私:「あのー ワット プラケオに行きたいだけど、、、」 妻の母「??」 私「(発音が悪かったかなー)パヤオのワット プラケーオ」 妻の母「ああ、それワット ウィアン プラケーオのことよ!」 私「???」 と妻のお母さんの説明では、バンコクにあるエメラルド寺院のワット プラケーオ、本当はワット プラシーラッタナサーサダーラームと言い通称ワット プラケーオとよばれ、エメラルド仏が安置されているタイ王室管理の寺院です。 一方、パヤオにあるワットプラケーオは、ワット 地名 プラケーオとよばれ地元で管理されているお寺で、このようなワット プラケーオはどこにでもあるとのことです。 妻の母「で、どうしてそんなとこにいきたいの?」 私「いやー 好奇心、、、」 ということでさっそく行ってみました。 そして、妻の実家から車で5分、 なんといつも行く親戚の家の途中にありました! 確かにワット プラケーオั(วัดพระแก้ว)と書いてあります。 さっそく境内
パヤオのチェンカムにはタイでは珍しいビルマ様式のチーク材で建てられたお寺、ワット ナンターラムがあります。 このチェンカムはパヤオでも県庁所在地があるパヤオ区から車で1時間以上もかかり、ラオスの国境に近い街ですが、バンコクからマイクロバスを使って多くの人が参拝にお訪れる人気のスポットです。 ワット ナンターラムの歴史 このお寺が建てられた年代は不明ですが、もともとはこの地に住んでいたタイヤイ族とよばれるビルマ族がわらの一種を屋根に使ったお寺から「ワット チョンカ」とよばれていました。 しかしながら、長年の風雨にさらされたため、お寺の荒廃もひどくなりました。 チェンカムのパーオー族の資産家、ナンター ウォンアナン氏は仏教に強い信仰を持っていました。 そのため、この寺院の修復費用を寄付を行い、藁葺き屋根に代わる新しい寺院の建設が始まりました。 新しい寺院の建設にはタイ人、ビルマ人、タイヤイ人(タイのビルマ族)の職人を雇い、ビルマ形式の屋根を持つ寺院が建てられました。 その改修と大幅な建設には10年かかりました。 寺院が完成後、アナン家に敬意を表し、ナンター ウォンアナン氏の信仰の美徳を記
ワット プラタート ドーイカムはパヤオのチェンカムの小さな山の山頂にある小さなお寺です。 しかし、このお寺には黄金伝説があり、今でも地元の人からの参拝が絶えません。 お寺まで階段がありますが、車で行くことができます。 パヤオ王国の9代目、ガムムアン王です。 13世紀、ガムムアン王の治世にパヤオ王国は版図を広げました。 今でも、パヤオの人たちの英雄です。 このお寺の黄金伝説 伝説によるとこの地域の支配者であったプラ カムデンはブッタの髪の毛をこの山の頂上に祀り、そこの仏塔を立てました。 その後、この町に貧しくも心優しい未亡人が住んでいました。 ある日、未亡人がこの山で金鉱脈を見つけました。それはこの山の神様が未亡人の日頃の善い行いを憐れんだためためです。 この未亡人は道徳的な心を持っている人でした。 そのため未亡人は家族の生活に必要な分だけの金を削りとり、町で売りました。 しかし、金を受け取った町の人達は驚きました。なぜなら未亡人はとても貧しかったからです。 そこで町の人達は未亡人にどうやって金を手に入れたか尋ねましたが、未亡人は答えませんでした。 そこで町の人達は密かに未亡人の後を追い