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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 91.徳川家康・七十九
関ケ原の戦いで、西軍が、敗北すると、西軍の真田昌幸、真田信繫の父子は、本来は、死罪のはずであった。 しかし、真田信幸及び、その舅の本多忠勝の取り成しがあった…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原後、どうなったかなぁ…って第44話の感想ぉ〜!「関ヶ原の戦い」後、豊臣秀頼に挨拶をした家康。茶々さん…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 90.徳川家康・七十八
真田幸村は、上田合戦にて、徳川家康を苦しめた、真田昌幸の次男、真田信繫とされる。 真田「幸村」は、大阪冬の陣の際に、突然、登場した、人物であるが、大阪の陣当…
花山天皇の御代、安倍晴明は天皇の前世を見抜き、病気を治した。花山天皇が出家する際にはいち早く退位を察知して式神に参内させた。天皇の出家後は熊野参詣に同行し、花山院の修行の妨げとならないよう結界を張って
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 89.徳川家康・七十七
9月23日、片桐且元は、織田信雄より、薄田兼相等を討手とする、暗殺計画を知らされ、]屋敷の篭り守りを固めた。 片桐且元の殺害は、木村重成、渡辺糺、石川貞政、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 88.徳川家康・七十六
方広寺鐘銘事件は、バカバカしい程の徳川家康の言い掛かりであるため、本項において、簡略化して説明する。 方広寺は、京の大仏と呼ばれ、豊臣秀吉が、発願し、建設さ…
平安時代の年表―朱雀天皇時代(延長八年9月22日~天慶九年4月20日)
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、延長八年(930)9月22日から天慶(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。 文章が長いので折りたたんでいます。 朱雀天皇:延長八年(930)9月22日-
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 87.徳川家康・七十五
豊臣家は、江戸の武家政権に対して、特別の地位を保持していた。 実質的には、徳川家の支配下には、編入されておらず、関ヶ原の戦い後に、西国に配置した、東軍の大名…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 86.徳川家康・七十四
しかし、板倉勝重は、公家衆五人、女官五人、女嬬二人を、蝦夷及び、伊豆新島等へと各々、配流するに留めた。 後陽成天皇にとっては、板倉勝重の処分は。手ぬるいため…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 85.徳川家康・七十参
1598年(慶長三年)、松平忠輝は、伊達政宗の娘、五郎姫と縁組を行った。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の当時、秀吉の遺言に背いて、諸大名と縁組を行っていた。 石…
北海道開拓に関係があるホーレス・ケプロンを簡単まとめ!クラーク博士との違いは?
明治初期の北海道開拓では、開拓使が招いた御雇外国人の存在が大きなものでした。 その中でも特に、開拓使長官にもなっていた黒
エドウィン・ダンって北海道で何をしたの?エゾオオカミを退治したのは馬を愛していたから?
明治時代の北海道を舞台にした漫画・ゴールデンカムイにもエドウィン・ダンをモチーフにしたと思われる、ダンという外国人が登場
クラーク博士は北海道に1年も居なかった!?札幌農学校で何したの?北広島のカントリーサインの理由
クラーク博士と言えば、さっぽろ羊ヶ丘展望台で腕を伸ばして立っている銅像が凄く有名な人ですよね。 おかめ 羊ヶ丘展望台があ
御雇外国人が北海道に来た理由は?何をしたの?どの国の人が多かったの?簡単雑学まとめ
明治時代の北海道開拓に深い影響を与えた御雇外国人。 どうして北海道に外国の人がはるばるやってきたのか、北海道で何をしてい
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ関ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第43話の感想ぉ〜!城攻めではなく、石田三成の誘いに乗った徳川家康。決…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 84.徳川家康・七十弐
1609年(慶長十四年)、徳川家康は、オランダの使節団と会見した。 当時のオランダは、王国ではなく、オランダ総督を元首としていたが、使節は、国王を自称したと…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 83.徳川家康・七十壱
三年後の1605年(慶長十年)4月、徳川家康は、将軍職を辞すると共に、朝廷に対し、家康の三男で、嫡男の徳川秀忠への将軍宣下を行わせた。 実は、徳川家康の征夷…
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。「百合(ゆり)〜!」八郎(はちろう)は洛中を歩く百合とその父を見…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 82.徳川家康・七十
同年3月12日、徳川家康は、伏見城から、二条城に移り、3月21日、衣冠束帯を纏い、行列を整えて御所に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。 3月2…
評価:85点/公開:2021年/邦画/ジャンル:歴史/監督:原田眞人 2017年の『関ケ原』に続く、原作、司馬遼太郎、監督、原田眞人、主演、岡田純一の歴史…
前回まではこちら⬇️目次我を任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。八郎(はちろう)は4歳ながら、異母兄をも投げ飛ばすほどのわんぱく…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原にどんどん近づいてドキドキするねってことで第42話の感想ぉ〜!挙兵した石田三成。三成に「家康を討て」…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 81.徳川家康・六十九
常陸国の佐竹義宣は、石田三成と親交があったため、西軍への加担を決め、上杉景勝と密約を結び、上杉領内に入った、徳川家康の軍を挟撃する、方針を採っていた。 その…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 80.徳川家康・六十八
筆者の個人的見解では、石田三成の「独善」が存在しなければ、豊臣恩顧の諸大名達は、分裂することなく、結束して、豊臣政権を守ったと思われるため、徳川家康は、「天…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 79.徳川家康・六十七
豊臣秀吉は、織田信長と異なり、毛利家及び、上杉家と本領安堵を条件に、和睦して、臣下にすることに成功した。 更に、徳川家康が、臣下になったことで、他の諸大名達…
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。康治2年(1143年)、源為義(みなもとのためよし)と光(ひかり…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜家康さんが狸って言われているのは演技なんかなぁ?ってことで第41話の感想ぉ!石田三成を政(まつりごと)から…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 78.徳川家康・六十六
上杉景勝への処分は、8月16日に言い渡された。 上杉景勝は、陸奥会津百二十万石から、出羽米沢三十万石へと減封され、11月28日には、米沢へと移動した。 即ち…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 77.徳川家康・六十五
島津家は、二年間という、粘り強い外交によって、減封されることはなく、本領安堵を得ることができたのである。 薩摩は、大坂から、離れている、地理的な利点は大きか…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 76.徳川家康・六十四
島津義弘は、関ヶ原の戦いにおいて、敵中突破を敢行したことは、既に述べた。 義弘は、堺より、立花宗茂と共に海路逃走し、鹿児島へと辿り着いた。 島津義弘は、桜島…
(76)PC/タブレットで描く 音楽を奏で踊る 来迎菩薩(1)
1000年の時を超えて 音楽を奏で踊る 来迎菩薩(1)平等院・鳳凰堂 雲中供養菩薩のオマージュを描き、9体になったので一度まとめてみました。 たなびく雲に乗り、楽器を奏で、踊る様々な姿を自分なりに配置して気づいたことがあります。 一般的には 極楽浄土、極楽世界を表現しているとされていますが、実は死者の魂を極楽浄土へお連れするため、菩薩たちの来迎(お迎え)の様子らしい。 配置図にある「北25号」の菩薩の手に...
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。「オギャーオギャー」源為義(みなもとのためよし)は側室、光(ひか…
平安時代の人物の属星(本命星)を確認する一覧表(和暦・西暦対応)
属星ぞくしょうとは、自分の運命を司る星のことである。生まれた年の干支によって決まり、貪狼星・巨門星・禄存星・文曲星・廉貞星・武曲星・破軍星の七種類がある。平安時代では、毎年元日に自分の属星に対して身の
『池亭記』は天元五年(982)10月頃に、慶滋保胤が著した随筆である。(『扶桑略記』) 当時の平安京の様子や新居での生活についてくわしく記されている。 『池亭記』現代語訳 都の様子について語る 私は二
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜秀吉さん亡き後…合議制…うまくいくの?ってことで第40話の感想ぉ〜!秀吉が亡くなり、五大老五奉行による合議…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 75.徳川家康・六十参
9月27日、徳川家康は、大坂城に入城して、豊臣秀頼に拝謁し、西の丸を取り戻すと、嫡子の徳川秀忠を二の丸に入れた。 しかし、10月2日、徳川家康は、黒田長政を…
【原文】三好之長書状写(『戦国遺文 三好氏編』4号、『大日本古文書石清水文書』所収辻村豊徳外四人所蔵文書) 池田遠江守殿御宿所八幡宮領摂州木代庄内朝川寺事、従先師仙室東堂譲被渡候処、彼霊文書記依申掠、
【コメント】戦国時代のわりと初期、永正三年(1506)の史料です。「三好之長の命令だから」と言って、泥堂彦左衛門尉という武士が、石清水八幡宮の領知を押領しました。どうやら石清水八幡宮の側から室町幕府に訴えが
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 74.徳川家康・六十弐
徳川家康は、毛利輝元退去後の大坂城西の丸へ入り、井伊直政・本多忠勝・榊原康政・本多正信・大久保忠隣・徳永寿昌の六名に徳川家康に味方した、諸大名の論功行賞の調…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 73.徳川家康・六十壱
石田三成が、逮捕された場所は、三成の領内であり、同地の農民が、処罰を覚悟の上で、匿っていた。 しかし、石田三成は、発覚したことを知ると自身、田中吉政の兵に対…
文明四年(1472)、応仁の乱のころの文書です。「犬神使い」は秩序を乱す者と見なされていたらしく、阿波守護の細川成之は奉行人・飯尾常連を通じて、「犬神使い」を捜索・処罰するように、阿波三郡の郡代・三好式部少
【コメント】 文明元年(1469)、阿波守護・細川成之の奉行人・飯尾常連によって出された文書です。細川成之によって阿波国(徳島県)に賦課された段銭のうち三貫文を、南陽院殿(=淡路守護・細川成春)の使者に渡すよう
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。江口(えぐち)での貴族の酒宴の中、警備のため、末席にいた源為義(…
(74)PC/タブレットで描く 雲中供養菩薩 南20号 のオマージュです平安時代中期創建の京都「平等院」鳳凰堂の白壁に五十二体の雲に乗り舞う仏像3です ...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜ラストに向かって走ってるね〜ってことで第39話の感想ぉ!秀吉の子?茶々が懐妊で唐入りは中断、これは良いが……
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 72.徳川家康・六十
9月16日には、伊勢亀山城が開城し、城主の岡本良勝は自刃を命じられた。 良勝の嫡男の岡本重義は、近江水口で自刃した。 東軍に加担するつもりであったが、西軍の…
紀元弐千五百三拾四年 売上帳【状態】痛みが激しい、ヤケ、汚れ、スレ、シミ、16×38.5cm 紀元2534年=明治7年(1874)に作成された、ある商家の売上帳。「ルウテサク」「ルウテ」=ルーデサック(コンドーム)が取引さ
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 71.徳川家康・五十九
徳川家康は、関ヶ原の戦いが、東軍の大勝利で終わると、当日、首実検の後、大谷吉継の陣があった、山中村へ陣を移し、休養を取った。翌日の9月16日、 徳川家康は、…