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紅葉のベストシーズンに現存天守を巡る四国観光旅行に行ってきた(その16)
阿波池田駅 今日のこのあとの予定を少し書いておこう。今現在、観光列車の「藍よしのがわトロッコ」で阿波池田に到着したばかり。時間は13時。 このあと、14:24発の特急南風グリーン車で児島駅に向かう訳だが、それまでの間、およそ1時間余りの時間がある。 その1時間で阿波池田周辺観光をしようという訳だ。 はじめは、自分一人でぶらぶらと散策しようかなって思っていたのだが、いろいろとサイトをみていたら、藍よしのがわトロッコ運行にあわせたツアーとして『池田の歴史と大地のつながりを知るツアー』なるものがあることを知った。 開催日時は、トロッコ列車運行日の13:10~14:10となっており、駅前にある三好市観…
阿波池田、山間に沈む町。次にウダツを上げる日はいつか <トラキチ旅のエッセイ>第9話
阿波池田。夏。 揺れる陽炎の底に沈み込んだような静かな町を歩いた。 古い家並みの中、ふと1枚の表札が目に留まった。 「蔦 文也」とそこにあった。蔦監督である。 「山あいの町の子どもたちに海を見せてやりたい」 そう言って、県立池田高校野球部を甲子園へ14度導いた名監督の自宅が、そこに佇んでいた。 優勝3回、準優勝2回。 そうした成績よりも、甲子園球場を明るく沸かせたそのキャラクターがより印象深い人だった。 蔦監督は、すでに2001年に亡くなっている。 ご近所の人がたまたま植木いじりのため家から外に現れたのを呼び止め、「この家は蔦監督のお宅で間違いありませんか」と、尋ねると、 「そうです。蔦先生の…