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新聞に掲載された、あの名物寮の記事に目がとまった。 築100年を超え、現役の学生寮としては国内最古とされると書かれている。 この寮との出会いは半世紀以上前にさかのぼる。京大生の友人に案内され
志望する国立大学に入寮の申請:共テ不振で共テショックな我が子の国立大の入寮募集要項~書類の用意~入寮願などの送付と保護者の心境とは?
本日もブログを開いて下さり有難うございます。< この記事は約4分で読めます > さて娘の第一,二志望は 国立大学(理系)です。 しかし共テの英語リーディング, 化学,物理でコケたため、 リサーチの志望校判定は なかなかシビアな結果でした。 押さえと併願の私立大2校は、 どちらも共テを利用する 入試方式でも出願済です。 そのため共テ不振は、 国立大だけでなく私立大にまで 影響を及ぼしそうな予感大です。 念のため試験慣れ& 共テ不振だった場合に備え、 全学部統一,英検利用なども 追加して出願したのが 功を奏すかもしれません。 そんなワケで、 娘の机上のデスクスタンドの 使用済の共テ問題集が目に入る…
【日本経済大学事件】学生寮『ケンブリッジハウス』が特殊詐欺の拠点か 同大学の学生ら逮捕 福岡・太宰府
福岡県太宰府市にある日本経済大学の学生と無職の19歳の男が、80代女性からキャッシュカードをだまし取った疑いで逮捕。この事件には別の詐欺未遂事件ですでに逮捕されている日本経済大学の同級生の男ら2人も関与。警察は、学生らが大学の学生寮『ケンブリッジハウス』を拠点に県内で複数の特殊詐欺事件に関わっていたとみて捜査。
イスタンブル市内で発生した爆発事故・事件に関する雑感、エルドーアン大統領の発言と野党の反論とその雑感、野党6党共通大統領候補に関する雑感
今日(9日)は日曜日であったためか、昨日に引き続き特に新たな話題はなく、AA記事も特に重要なものはなかったと思います。それでもあえて紹介するとすれば、新社会住宅計画に付随する100万件の土地販売と1万件の事
イスタンブル市内で発生した爆発事故・事件に関する雑感、エルドーアン大統領の発言と野党の反論とその雑感、野党6党共通大統領候補に関する雑感
今日(9日)は日曜日であったためか、昨日に引き続き特に新たな話題はなく、AA記事も特に重要なものはなかったと思います。それでもあえて紹介するとすれば、新社会住宅計画に付随する100万件の土地販売と1万件の事務所・店舗販売の受付が始まるという記事、TUGVA(トルコ青年
ムーディーズ社によるトルコ信用格付に関する発表、エルドーアン大統領に関連する財団による不正送金に関する解説と雑感、野党大統領候補に関する解説者による解説に対する分析と雑感
今日(28日)は土曜日であったためか、昨日に引き続きあまり重要そうな記事は出ていませんでした。唯一の例外は、ムーディーズ社のトルコ信用格付に関する記事と言えると思います。今日はこちらを紹介します。なお、記事の数の観点からはエルドーアン大統領のアゼルバイジャ
イスタンブル商業会議所発表の3月のインフレ率、生活感覚が一般国民からかけ離れていることを示すエルドーアン大統領の発言(2種類)とその雑感、トルコにおける新型コロナウイルス患者発生754日目の状況
今日(3日)は日曜日でしたので、特に経済面では、重要と思われる記事は出ていませんでした。 今日も「(AAでは)記事にならない情報」は、物価高・生活苦をはじめ、ロシア・ウクライナ戦争に関する議論、選挙法改正
イスタンブル商業会議所発表の3月のインフレ率、生活感覚が一般国民からかけ離れていることを示すエルドーアン大統領の発言(2種類)とその雑感、患者発生754日目の状況
今日(3日)は日曜日でしたので、特に経済面では、重要と思われる記事は出ていませんでした。 今日も「(AAでは)記事にならない情報」は、物価高・生活苦をはじめ、ロシア・ウクライナ戦争に関する議論、選挙法改正と今後の見通しに関する議論などに関する部分は、昨日から
昭和30年代中頃の話である。M男は、北陸の山村の親元を離れて、地方都市の学生寮に入寮することになった。入寮条件は、親の収入が有る一定額以下で、学費支払いにも窮するような貧困家庭の学生ということだったと思うが、当時の日本、まだまだ貧しい暮らしの家庭が多く、学生寮入寮希望者も多かったはずで、おそらく定員オーバー状態で(詰め込みで)、受け入れていたのではないかと、後年になってから思われたものだ。M男は、寮費が下宿等と比べたら段違いに安いことも有り、どんな寮なのかは問題外、藁をもすがる思いで申し込んだと思うが、入寮許可通知が届いた時は、家族共々、大喜こびしたものだった。ただ、いざ入寮が迫ると、世の中を知らない井の中の蛙は、初めて外で集団生活する不安に襲われたような気がする。しかし、事前に下見する等のことも無しで、いきな...学生寮の記憶・その1
◯寮の様子昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。最初の1年間を過ごした学生寮は、第二次世界大戦の戦火を免れた、旧制高校時代からの古い木造平屋建(大正後期から昭和初期の建物)だった。記憶は曖昧になっているが、寮舎の入り口・玄関は、大きな引き戸で、入ると広い土間が有り、向かって右、中、左、並列に3棟が並んでいた。各棟は、「南寮」「中寮」「北寮」と呼ばれていたような気がするが、その3棟の奥には、さらに2棟が有って、「東寮」「西寮」と呼ばれていたと思う。いくつか有った「寮歌」の一つの歌詞の一節に、「三寮の窓、漏るる灯の・・・」が有り、おそらく、創立時には、「南寮」「中寮」「北寮」の3寮だったものが、後に、「東寮」「西寮」2寮が増設され...学生寮の記憶・その2