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「ひまわりさん」というタイトルの漫画を2つ見つけました。一つは1956年の手塚治虫さんの短篇で、もう一つは菅野マナミさんの2009年からの長編です。内容まったく違いますが、ひまわりさんというあだ名の女の子・女性が主人公です。
* 昭和30年代 巨人で強肩強打の捕手として鳴らした藤尾茂(ふじお・しげる)さんが亡くなった。87歳だった。(死去は10月8日で球団から訃報は9日に発表された) 野球ファンが藤尾茂の名を記憶に刻んだのは1955年(昭和30年)の日本シリーズだろう。1勝3敗と後がない巨人水原...
古いネガフィルムに閉じ込められていた昭和30年代の八王子の少年少女たち - 銀塩ネガフィルムのスキャンアプリで復活
昔の銀塩ネガが出てきました。その中には「昭和」が当時のまま、美しく温かく懐かしく残されていました。「昭和30年代のある日」がそのまんま閉じ込められていたんです。 昭和30年代のネガフィルム スマホアプリで「写真」になった昭和30年代のネガフィルム おじいちゃんが昭和30年代...
八王子十小の人文字 - 古い航空写真に残された昔の八王子の様子
昭和28年(1953年)4月創立の八王子市立第十小学校の昔の航空写真を見つけました! 八王子市立第十小学校の航空写真 古い写真が出てきました。 たぶん、昭和30年代だと思います。 まだ畑がたくさんあって、高い建物がなくって、昭和30年代だと思います。 十小は開校が昭和28年...
1963年・森岳温泉の戦い ~日雇い労働者ご一行様 vs. パチンコ店ご一行様~
右の頬を張られたら右ストレートを出す。それが昭和30年代のリアルだ。去勢されて沈みゆく我が国がまず取り戻すべきはその気迫である。
黄色い十字架が描かれた鉢巻きを締めた天草四郎 天草四郎(あまくさ しろう)の木製郷土人形 黄色い十字架が描かれた鉢巻きをした天草四郎 令和2年(2020年)12月18日 撮影 おじいちゃん?がコレクションしていた郷土人形を整理していたら、熱海とか伊東とかの温泉土産に紛れて、...
貝殻人形、くるみ人形、こけし人形などなど、昭和レトロなお土産人形たち。
伊豆大島、御嶽、下呂温泉など昭和20年代~昭和30年代頃のお土産コレクションを一気にご覧下さい。可愛らしい表情や姿を大接写! 相模湖土産・貝殻に乗った人形兄弟 相模湖のお土産 令和2年(2020年) 12月18日 村内伸弘撮影 昭和20年代~昭和30年代頃、おじいちゃん(ひ...
私が生まれ育った場所
1.埋立地の家 今から60年位前の話です。私は、港区南部のJR品川駅東側、東京港に面した沿岸の埋立地に生まれ育ちました。この地域は港区の南にあることから「港南」と呼ばれ、戦前から東京都の施設(東京都下水道局芝浦水再生センター・都建設局の倉庫・都再生油工場・都家畜飼育場・都芝浦屠場など)が立ち並び、品川駅に近い割には人家がほとんどなく、人通りの少ない寂しい場所でした。そこに父の勤める東京都水道局の工場と私たちの住む官舎がありました。埋立地なので自然と言えば他から種が飛んできて自生するたんぽぽやペンペン草くらいで、高木や灌木などの緑は極めて少なく、動物はありんこ、ナメクジ、ダンゴムシ程度で、カタツムリやカマキリ、クワガタ、カブトムシなどは私にとって絵本の中の想像上の昆虫でした。 2.運動場 小学校の運動場も雨の日にぬかるまないようにするためか、アスファルトで舗装されており、運動神経の悪い私は、よく転んで膝小僧をすりむいていました。このように無機質な風景ですが、「住めば都」で私は小5で千葉に引っ越すまでは、これが当たり前だと思っていました。 3.品川練炭 品川駅の東口から旧海岸通りに出ると、
今日はココ 新横浜ラーメン博物館 を紹介します。 ココを訪れたきっかけは車のオフ会にて横浜へ行った際に利用したビジネスホテルの近くにあって覗いたのが最初でした。 それから同様に横浜へ行く際に
昭和30年代中頃の話である。M男は、北陸の山村の親元を離れて、地方都市の学生寮に入寮することになった。入寮条件は、親の収入が有る一定額以下で、学費支払いにも窮するような貧困家庭の学生ということだったと思うが、当時の日本、まだまだ貧しい暮らしの家庭が多く、学生寮入寮希望者も多かったはずで、おそらく定員オーバー状態で(詰め込みで)、受け入れていたのではないかと、後年になってから思われたものだ。M男は、寮費が下宿等と比べたら段違いに安いことも有り、どんな寮なのかは問題外、藁をもすがる思いで申し込んだと思うが、入寮許可通知が届いた時は、家族共々、大喜こびしたものだった。ただ、いざ入寮が迫ると、世の中を知らない井の中の蛙は、初めて外で集団生活する不安に襲われたような気がする。しかし、事前に下見する等のことも無しで、いきな...学生寮の記憶・その1
◯寮の様子昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。最初の1年間を過ごした学生寮は、第二次世界大戦の戦火を免れた、旧制高校時代からの古い木造平屋建(大正後期から昭和初期の建物)だった。記憶は曖昧になっているが、寮舎の入り口・玄関は、大きな引き戸で、入ると広い土間が有り、向かって右、中、左、並列に3棟が並んでいた。各棟は、「南寮」「中寮」「北寮」と呼ばれていたような気がするが、その3棟の奥には、さらに2棟が有って、「東寮」「西寮」と呼ばれていたと思う。いくつか有った「寮歌」の一つの歌詞の一節に、「三寮の窓、漏るる灯の・・・」が有り、おそらく、創立時には、「南寮」「中寮」「北寮」の3寮だったものが、後に、「東寮」「西寮」2寮が増設され...学生寮の記憶・その2
今日は岐阜県美濃加茂市にある日本昭和村を紹介します。 ここは昭和30年代の里山をイメージしたものだそうで、園内には古い昭和の建物を移築したり畑や牧場なども整備され当時の雰囲気を楽しめる公園で