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私の実母も、ほとんどこんな感じで亡くなった。私が7歳、母は30歳になったばかりの時だった。「おかあさん、もうすぐ死ぬから…」聞かされる子どもの身にもなって欲しい。実際に亡くなった時には、置いていかないで、と思う気持ちでいっぱいだったが
親に対する憎しみ。毒親であった父は、自分の気分次第で子供の頃から私に暴力を振るった。あげくに実母を死に追いやり、2番目の継母(←毒親)の財産を取り上げ、最後まで自分に寄り添ってくれた3番目の継母の目を潰した。彼が死んだとき、私と姉は、彼を
ミジンコや昆虫は脳はないけど、感情らしきものはあるのだとか…?にしても、人間がもっと単純な生き物のままだったなら、文明は留まったままだったかもしれないけど、病むようなことはなかったのかも。だからどうした?いや、ちょっと言ってみただけです(
死にたい…ってなっても、猶予が欲しい時はあるよね。時間の経過と共に気持ちが変わる可能性もあるし、もう少しだけ冷静に自分を見つめ直してみたいしね。やはり、最悪の事態を回避する努力はしたい。できるならば。 ⬇️ポチっていただくと喜び
子供の頃は、明日って当たり前に来るものだと思ってた。いつからだろう、来ないこともある、って意識し始めたのは。旅行したり、友達と遊んだり。そんな時間は「また」用意されてるって思い込んでたけど…、そんなことはないんだね。いつでもその時その
人生は長いのか短いのか。それは死ぬ直前にやっとわかるのかもね。 ⬇️ポチっていただくと喜びます♪ にほんブログ村絵日記ランキング
にほんブログ村 にほんブログ村 寒いのか、暖かいのか よくわからないけどジメジメした感じ。 長袖のワンピ来て外出。 月に1度の勉強会に出掛けました 乗り換え2回の2時間の旅ですが
空気中で溺れる ー 不安障害と鬱病の違いに関する私的考察 ー
先週、新型コロナウイルスワクチンの3回目を接種した 1回目は腕の痛み、2回目は体中の痛みと倦怠感2日間程度+帯
Grazie 🙏 父とは昔から、人生·死生観などについて話し合う時間を楽しみ、乳がんのことも、まるで骨折のように、悲哀感情を横において話せる、ありがたい存在。三途の川を一度渡って、戻ってきた人なので、電話は、いつもお互い体の報告で始まる。歳いくと、病気の話ばっかりで嫌やね、と言う私。いずれ皆、向こうに逝くから、とつぶやく父。乳がんでは死なない。最初の半年間は、そんな気持ちを頑張る力にしてきた。それも次...
人間ってちっぽけな存在かもしれないけど、でも人間って大した存在だとも思う。足掻いてもがいて、時に笑い時に泣き、この世に生を受けて死ぬまで生きていく。もちろん、それは人間だけじゃないけどね。生まれてくる意味を考えることもあるけど、生命は尊
人に迷惑をかけない死に方なんてない。生前も死後も、かならず誰かの手を煩わせる。世の中が便利になるにつれ、自然死、自死にかかわらず、死に方も多様で難しくなってるような気がする。なんでだろうね…。 ⬇️ポチっていただくと喜びます