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あることを検索しようとパソコンのスイッチを入れた。グス、ブッと鈍い音がして画面が明るくなる。それから、またグス、ブッと鈍い音がして起動画面になる。さあ検索しようとするが、何を検索しようとしていたのか、忘れている。まあ、よくあることよと、しばし思い出そうとするが思い出せない。しかし、こんな時に限って、何の関係もない、ひょんなことを思い出す。30年ほど前からインターネットを始めた。最初のブラウザーは、比較的に契約料が安かったビッグローブ。そのうちに、当時の我がパソコンの師匠が、「電電公社が民営化されたNTTが、新たな回線を開発するそうやぞ」というので、NTTに替えた。ほどなくして、NTTが光回線の募集を始めたので、いち早く申し込んだ。一と月、ニた月……半年たっても何の連絡もない。頭にきて電話をした。「開発が遅...茶話116/また忘れた
「茶話114」で、文章は縦書きで書いた方が間違いが減るし、構成のまとまった文章になると書いた。そこで、縦書きのできる編集ソフトはないかと探したら「Tateedtor」というのかあった。ものは試しに、一文改行書きした記事をコピーしてはりつけた。予想通り、一行が長ったらしい詩のようで違和感がある。読んでみると、目をしょっちゅう上下に移動させなければならない。幾重にも重なった山を上り下りしているようで疲れる。横書きだったら、人間の目が得意な左右の移動で左から右に読んで行けばいい。それに、パソコンやスマホで読むときは下にスクロール、スワイプできるので楽だ。ならば書くときはどうなのだろう。というので、この記事は縦書きで改行せずに書いている。横書きで書いていた時は、一文が長くならないように気をつかっていたが、縦書きで...茶話115/かきたてのたてがき
横書きのブログの記事を、写真抜きの縦書きに直しているうちに気づいたことがある。縦書きの方が、文の間違いや、文章の構成の誤りを見つけやすいということだ。言い換えれば、縦書きの方が、文の間違いが少なく、文章の構成がしっかりとしたものになる。漢字、平仮名、片仮名まじりの日本語は縦書きに適している。しかし、それだけではなさそうだ。横書きの方が縦書きよりも読みやすく、読書スピードも速くなることが証明されている。眼球を左右に動かす運動と、上下に動かす運動のどちらがやりやすいかやってみればわかる。左右は動かしやすいが、上下には動かしにくい。野球で、スライダーやシュートなどの横の変化球は、目で追っていけるのでバットに当てやすい。逆に、フォークなどの縦の変化球は空振りしやすい。人間の目は左右横の動きには強いから、横書きの方...茶話114/縦か横か
『早春賦』春は名のみの風の寒さや谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず時にあらずと声も立てず氷解け去り葦は角(つの)ぐむさては時ぞと思うあやにく今日も昨日も雪の空今日も昨日も雪の空春と聞かねば知らでありしを聞けば急(せ)かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃かいかにせよとのこの頃か(作詞:吉丸一昌・作曲:中田章・大正2年)※思うあやにく=思うがあいにく小学唱歌だが、逆接と否定の言葉が多い。ちょうど今頃の季節を詞にしたからだろう。春なのだが寒いので、まだ春ではない。人生は思うがままにならないことが多い。パー券を売りさばくのに苦労した。しかし、裏金が入ってきた。ところが、裏金問題が発覚した。だが、派閥を解消すればいずれ忘れ去られるだろう。にもかかわらず、世間の批判は厳しい。とはいえ、法律のザルの目をなんとかかい...茶話113/逆接の季節
やっと出会ったいい話、いい記事。今日は良い日になる予感がした!
今朝、パソコンを立ち上げて直ぐ、それに出会いました。 あるスポ―ツ紙の野球欄でイ‐グルス記事を探していたら、そのタイトルの記事にぶつかったのです。(次のタイトルをクリックすればご覧になれます。)
ブログの記事を書いていて、「あれ、これって前に書いたやつとちゃうか?」と気づくことがある。特に、毎年同じようなことを繰り返している「菜園日誌(畑)」の記事に多い。そこで、畑活の冬休みの間に、2022年3月5日の「ジャガイモふせる」から、現在の「面白」まで128記事をコピペして一つにまとめることにした。できれば本にして、自分が死んだときの粗供養(香典返し)にしてやろうと、写真抜きの縦書きに直した。すると、いろんなことに気づく。他の人のブログを拝見していると写真の綺麗なことに感心する。撮影の腕もさることながら、さぞかし、いいカメラやスマホで撮っているのだろう。写真だけでも充分見るに値する。それに比べて、我が五年前の格安スマホの映りの悪いこと。だから、写真にあまり頼れない。一文改行で書いていると段落の切れ目がわ...茶話112/写真の威力
「百姓が花粉症になるはずが無いやろ!」花粉症で鼻をズルズルさせている友人に豪語していた。だのに、三年前に花粉症になった。年末ころから、朝起きると鼻水がとまらない。目ヤニがたまる。ああ、また酒の飲みすぎか。耳掃除していて、プチッと傷つけた。すぐに治るだろうと安易に構えていたがじゅくじゅくしてくる。鼻水が止まらない、目ヤニがたまる、耳が痛い。一ヶ月ほど辛抱して、我慢できずに掛かりつけ医に行く。「それ、花粉症やろ!」「百姓が花粉症になるはずは無いやろ!」と思いつつ、寝る前にもらった薬を飲む。次の日、すべてが治っていた。以来、この季節になると花粉情報が気になる。今年は2月の中旬頃から。ところが、年末から鼻水が出る。目ヤニがたまる、耳がかゆい。おまけに「じ病」が痛い。へんな時に下痢になる。「花粉はまだ飛んでないやろ...茶話111/ハナの季節
やっぱり大家族はいいな、と思わせる話です。楽天ドラ3日当投手
このところ、心をそそるような話が無くて、このイ‐グルスブログは開店しているものの休業に近い状態でした。新人自主トレも初めはともかく折り返しくらいから話題も乏しくなり、それも終わってキャンプまで何日か
孫に会うために田舎から東京に出て来たお婆さん。土産を持って行ってやろうと、駅前のミスタードーナッツへ入った。ショーケースを指さしながら「これと、これと……」店員が「名前をお願いします」「はい、山田ヨネです!」「お婆さんの名前ではなく、ドーナッツの名前をお願いします」「ええっとー、オールドファッション……」「おいくつですか?」「はい、100歳です!」「おもしろい」を漢字で「面白い」と書くのは当て字だと思っていた。しかし、ちゃんとした意味のある漢字だった。日本神話の「天岩戸隠れ」で、天照大神を天岩戸から引っ張り出して、世界に再び明かりが戻った時、八百万の神々が喜びの声をあげて舞い踊る。あはれあなおもしろあなたのしあなさやけおけおけ漢字にして意味を補う。天晴れあな面白あな手伸しあな清け飫け飫け(天が晴れたああ皆...畑128/面白
ワープロを使いだしたのは四十数年前の1980年頃。当時は5.25インチフロッピー(1.6MB)という直径13センチほどの丸い板に記憶させていた。それが、3.5インチフロッピーへ置き換わったころからワープロ専用機を使いだした。1995年にWindows95のパソコンが出てからはOfficeのワードになった。この四十数年間、自慢ではないが、ずうっと「かな入力」を使っている。ある調査では日本人の約90%がローマ字入力、かな入力はわずか約10%だという。なんとも嘆かわしいことだ。英語ならローマ字入力の方が速いのが当然だ。「goodmorning」はそのまんまローマ字で打てばいい。だから、日本人は、日本語の「おはよう」を、そのまんま平仮名4文字で打てばいいのだ。だのになぜ「ohayou」と6文字のローマ字にしてしま...茶話110/ああ……
考物(こうぶつ=なぞなぞ)にこんなのがある。問:大酒飲みの息子を親父が呼んだ。【魚の種類を五つ答えよ】答えは「さけ、さめ、たら、こち、こい」となる。ああ、なるほどと感心しているうちに、五匹の魚を漢字で書けるかと、新たな疑問がおこる。日頃、ワープロで文章を打っていると漢字をどんどん忘れる。インターネットでイチゴについてを調べていると、こんなのに出くわした。「サクラと同様に、リンゴとレモンもバラ科だ」さて、カタカナを漢字で書けるか?サクラの旧字体を「二貝の女が木にかかる=櫻」と分解して覚えたのと同様にして、学生時代は覚えていた。しかし、今はそれすら忘れてしまった。学生時代に「俺は、ユウウツのウツを漢字で書けるんやぞ!」と自慢する奴がいた。誰彼構わずに、やたら自慢する本当に嫌な奴だった。そして、こうして覚えるの...茶話109/漢字
もう三週間ほど、畑作業は冬休み状態。土をいじっていると、手袋をしていても爪の中に土が入る。タワシや歯ブラシでゴシゴシするが、今はその必要がない。一年で最も爪が綺麗な時期だ。そのせいか、あるいは歳のせいか、爪がよく伸びる。一般的には、一日で約0.1mm、一ヵ月で約3.0~4.0mmほど成長するらしいが、その倍以上の速さで伸びているように感じる>「苦髪楽爪(くがみらくづめ)」という言葉がある。苦労しているときには頭髪がよく伸び、楽をしているときには爪がよく伸びるという意味。やはり、楽をしているから爪が速く伸びるのか・・・、いや、それにしても髪が伸びない。逆の「苦爪楽髪(くづめらくがみ)」という言葉もある。苦労が多い時は爪がよく伸び、楽な時は髪の毛がよく伸びるという意味。しかし、これもあてはまらない。つまりは、...茶話108/爪
冬の畑は平らかで一面を見渡すことができる。夏の畑のナスやトマト、キュウリのような背の高いものがない。みんな地に這いつくばるようにして、じっと寒さに耐えて春を待っている。荒涼として殺風景だが、なぜかん平穏で心が安らぐ。虚心坦懐(きょしんたんかい)。「心を虚(むな)しうして坦懐なり」とでも訓読するのだろうか。「虚」は〈空っぽ〉、平坦の「坦」は〈平らか〉、「懐」は〈思い・心〉の意。心にわだかまりがなく落ち着いた平穏な心。心にわだかまりがないのだから、理にかなわない無理なことはしない。他から見れば愚弛ら(ぐうたら)かもしれないが、無理をしないのだから楽だ。「江戸いろはかるた」の「ら」の札は「楽あれば苦あり」。「上方」では「楽して楽知しらず」。どちらも「楽ばかり求めるといずれ苦労をする」「苦労しないと、将来、楽な生...茶話106/愚弛ら
前の記事で明治5年12月3日(=明治6年1月1日)の御改暦について書いた。旧暦から新暦に暦が改められるのだが、同時にもう一つ、時間についても不定時法を廃止して定時法が採用されている。採用以前は、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜とし、それぞれを6等分して十二の刻(とき)に区切っていた。真夜中の0時を九つとし、ほぼ二時間おきに八つ、七つ・・・四つ、次の12時から再び九つ、八つ・・・。そして、夜明けと日暮れの「六つ」を「明け六つ」「暮れ六つ」と呼んでいた。この数字の数だけ寺の鐘が鳴って時刻が知らされる。近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』のお初・徳兵衛の道行の場。この世のなごり夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、ひと脚あしずつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ぞうれば暁の...茶話107/時
行くと毎回ドラマが生まれる不思議なスポット、上平塚のヤマダイクマ
むかし「ダイクマ」だったタイプのヤマダ電機を「ヤマダイクマ」と呼ぶ 神奈川県平塚市のヤマダイクマ上平塚店へ、たまに行きます。 平塚・大磯方面に用事があったときに、帰りがけの買い物に重宝するのです。食品が置いてあるから。 そんなヤマダイクマへの行きがてら、ランチ探しでウロウロです。 休業日の店に入場できてしまい、追い返される まずはじめに、休業日のカレー屋に入ってしまって「ヤスミナンデスヨー、ゴメンナサイネ」と帰されるというハプニングが有りました。 いやだって、インドカレー屋のドアが、フツーに開いたんだもん……。 ヤマダイクマの近くのラーメン屋さんにマフラーを忘れた しのばず、近くのラーメン屋さ…
先週末から雨が続き、前線が東へ通過したあとの今週は西高東低の冬型で寒い。これが普通なのだが、猛暑があったせいなのか殊更に寒い。畑に行くのも億劫になって、ほぼ冬休み状態。例年なら11月中旬から冬休みに入っているので、これが我が畑のガバナンス(governance=管理体制)と思えばあきらめもつく。それに、この時期はたいしたタスク(task=達成課題)もないし、ああしろこうすべきだというインフランス(nfluence=影響を及ぼす人)もない。ここは素直にオンスケジュール(onschedule=予定通り)にコンプライアンス(compliance=遵守)するとしよう。明治時代になって様々な外国語、思想が日本に入ってきた。最初は、ご丁寧に一つ一つを日本語に訳していく(翻訳語)。society=社会、science=...茶話104/外来語
至誠君の田舎暮らし始まる(101)・・・懐かしい方からのメッセージ!
皆さん、こんにちは!滋賀県大津市から岡山県の田舎にUターンしたのを機に、「至誠くんの田舎暮らし始まる!」シリーズを始めました。今回は、101回目です。さて、ブログ経由で、懐かしい方からメッセージを頂きました。 *このシリーズは人気がないので、下記のバナーをクリックして、応援していただけると嬉しいです。 ↓ ↓ ↓・・・??? それが、こちらのメッセージです。「至誠さんこんばんは お久しぶりです。至誠さんに教えて頂いてインフラファンドとJリートで月10万円までは進撃できました(その他海外投資信託は増殖中)。ありがとうございます。さて、来年以降のNISAをうまく活用してやろうと手ぐすねを引いており…
「その犬、けったいな顔しとるなあ!チンか?」「ちゃうちゃう!ちゃうちゃうや!」「ええー?ちゃうちゃうとちゃう!ちゃうちゃうやて?ちゃうやろ!」「ちゃうちゃうとちゃうやろって、ちゃうちゃう!ちゃうちゃうや!」なんとも不思議な大阪弁の「ちゃうちゃう」。「違う」という動詞からできた言葉だが、「ちゃう」は「ー・ちゃい(ます)・ちゃう(。)・ちゃう(人)・ー・ー」の活用しかない。逆の意味の大阪弁は「ほんま」。「本間」ではなく、〈本当の真実〉の意で「本真」と書く。「このたこ焼き、美味いで!」「本真かいな?」「ほんまに本真や!」「なるほど、ほんまに美味いなあ!」平仮名で書いた「ほんま」は〈とても〉の意味になる。「ちゃう」か「本真」か判断できない時、大阪人は「よう知らんけど」と曖昧に返事する。「おい、戦争が始まるらしいで...茶話103/ほんまかいな?
昨日の午前中は唐辛子のクリスマスツリー作りで遊んだ(畑115/MerryXmas)。他人が見れば、「ええ歳こいたオジンが何んとつまらないことしてる!」と思うだろう。しかし、当のオジンは、つまらぬ遊びのお陰で身体も楽になったし、やる気も出てきた。意味も目的もないつまらないことに無意識に集中し、無意識に充実感を感じる子どもの遊びのようなものが、本来の「遊び」で、意味のないことに意味があるのだ。子どもが一日中遊んでも疲れを感じないのはそのためだ。大人の遊びや趣味は意味・目的があるし金がかかるから、報酬や見返りや自己満足を求める。だから、その時は集中をして楽しくとも、欲望や欲求が満たされないとストレスや疲れを感じる。仕事を子どもの「遊び」のような感覚で楽しくしよう、などというのは土台無理な話だ。だが、時として仕事...茶話102/どうする凡人
備前の旅の初日に溝にスッポリと落ちたにも関わらず九死に一生を得たのは(前回100の記事)、閑谷学校で買った「論語みくじ」を胸ポケットに入れていたお陰ではないか。孔子の徳(立派な行い・考え)が、我が身を守ってくれたに違いない。君子(くんし)は諸(こ)れを己れに求む。小人(しょうじん)は諸れを人に求む。(立派な人物は事の責任・原因を自分自身に求めるが、つまらない人間は他人に求める)すべては自分自身の行いが悪かったのだと反省し、孔子の徳にあやからんと、二日目、三日目は友人の畑の草抜き。子(し)し曰(いわ)く、君子德を懷(おも)へば、小人土を懷ふ。(孔子先生がおっしゃった、君子たる者が常に立派な行いを心掛けると、人民は安心して土に親み、耕作にいそしむ)草を抜いてすっきりとした畑を眺めながら、少しは君子に近づいたか...101/老いの小文3
そろそろ紅葉が綺麗だろう、というので、高校時代の友人が毎週田舎暮らしに通っている備前の国へ。道が混むので昼過ぎに、友人の車で大阪を出発。まだ体が本調子ではないので、一時間おきに休憩をとって、備前の国に入ったのは4時。少し道をはずれた所に閑谷学校が在り、二本の「楷の木」の大木の紅葉が、さぞかし見事であろうというので寄り道。受付で拝観料を払って敷地内に入れば、儒学の祖、孔子の徳を称える孔子廟が在って、その前に見事な紅葉があるはずなのだが、無い。訊けば11月の上旬に紅葉を迎えたということで、今はわずかばかりの名残の黄葉が残るだけ。「十日ほど前あったら見事あったんやけどなあ」と友人。春の備前の花見の旅もそうだった。「一週間前は桜が満開あったんやけどなあ」と友人。備前の旅はどうも過去形が多い。いたしかたなく国宝の講...100/老いの小文2
町内の老人会の日帰り旅行で泉佐野市の犬鳴山温泉へ。コロナで途絶えていたので四年ぶり。以前は一泊旅行だったが、観光バス代が馬鹿にならないし、高齢者ゆえに泊りだと何かと問題が絶えないので、近場の日帰り旅行になった。もっと以前は、町内会や農業組合の旅行とかがあって、親たちは年に四、五回旅行に行っていた。しかし、その子は一度として、親たちに旅行に連れて行ってもらったことがない。だから、我が子にはそんな思いをさせたくないので、年にニ、三回は旅行に連れて行った。大きくなった今、子どもたちに「信州の乗鞍に行ったん覚えてるか?」と訊くと、「ええ、行ったかなあ?」。なるほど、そういうことだったのか!犬鳴山に行くのだから、普通なら真言宗の名刹犬鳴山七宝瀧寺にお参りするはずだが、我が町内の老人会は、そんなことはしない。朝の9:...99/人生の同窓会
道の駅で柿を買ってきた。次の日、村の仲間から柿をもらった。その次の日、我が相方の友達が甘柿と渋柿を持ってきてくれた。そのまた次の日、家の裏のおばちゃんが「柿がぎょうさんなったさかい取りにおいで!」と言ってくれた。断るのも失礼なので取りに行った。昔っから在る古い村なので、どの家の庭にも柿の木がある。だから、柿の木の無い家に柿が集中する。江戸時代から続く古い家の柿は渋柿が多い。渋柿を絞って漉(こ)した液体をニ、三年発酵させて「柿渋」を作るためだ。醤油のような色で、殺菌・防腐・防虫・防水・消臭効果が高いので、木柱・板壁・漁綱、衣類、和紙などの補強に使われた。さらには傷に塗ったり、下痢止に飲んだりする常備薬でもあった。葉っぱにも抗菌作用があって、大和五條の柿の葉寿司に使われている。柿渋を採るほどの量はないので、渋...98/秋の風物詩
明治時代になり、男性は斬髪令(断髪令=明治4年)が出されたので散切り頭になったが、女性には特に決まりはなく日本髪のままでもよかった。十五歳くらいになると、それまでのお下げから前髪を上げて日本髪を結う。以後、大人の女性として扱われる。①ねえ、あの日のこと覚えてる?まだ髪上げをして間もない君が、リンゴ畑の樹の下を歩いて来たよね。その時、僕は初めて君を見て、胸がドキドキして、じっくりと顔も見ることができずに前髪に挿した櫛ばっかし見てたけど、櫛から垂れさがっている造花の花のように可愛く美しいと思ったよ。②それから何度か遭ったけど、会釈して通り過ぎるだけだった。でも、君と話をしたくって、ある日、「こんにちわ」って言ったら、君も「こんにちわ」って言ってすれ違おうとしたとき、君が着物の袂(たもと)から、まだ青みがかった...97/秋の実
夏野菜の撤去、秋冬野菜や春野菜の植え付け、秋野菜の収穫・販売と、秋の畑は忙しい。だのに、猛暑で苗の定植が遅れ、落花生の苗をイタチに半分喰われて二度植えしたので、収穫ができずに二週間のブランクができてしまった。そこへきて、この時期は地域の防災訓練や農業役員会議や、町内の秋祭りの打ち上げやら老人会の日帰り旅行が入っている。いつもなら、のんびりとエンドウの種でも蒔こうかという時期だが、気温は27度!こんな高温で種を蒔いても大きく成りすぎて冬越しできない。どうしようと、孫の手で背中を搔きながら考える。なるほどそうか!気温が高いのを逆手にとって、エンドウの種まきと空豆の定植を遅らして、遅れていたイチゴを定植することに決定!どうやら明日は雨模様だし。朝、畑へ行って、真っ先に、今年イチゴを栽培して放ったらかしにしていた...畑112/いちご
「94/白秋」に書いたように「青春」という言葉は古代中国からあった。ただし、まだ広く知られた言葉ではなかったし、「未熟な時期」の意味でしかつかわれていない。どちらかといえば「青春」の「青」に重点がおかれている。明治になるまで、男性は一人前になると前髪を剃り上げた。これを月代(さかやき)という。月代の剃り跡が青く見えるのは未熟である証拠だった。熟す前の果実を「まだ青い」「青瓢箪」というように、「青」は「青二才」「未熟」の意味でつかわれていた。今のような「青春」のイメージが出来上がるのは明治中期以降からだ。英語の「youth」あるいは「springtimeoflife」の和訳として、五行説の「青春」をあてはめたのだ。その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな/与謝野晶子(明治34)夢や希望に満ち、...96/青春とは
子どもが生まれてから一歳になるまでのお祝い行事は多い。①生後7日=お七夜(命名)②生後31日~33日=お宮参り(氏神のご加護頂く)③生後100日=百日祝い(お食い初め)④生後1年=初誕生日。現代は、生後6カ月=ハーフバースデーとかやらもある。今は家族だけですますことがほとんどだが、昔は親戚のみならず村中で祝った。それだけ生まれること、生きていくことが困難な時代だった。だから、子どもを大切にして行事ごとに成長を喜び、次の行事までの成長を願った。一歳を過ぎてからは三年、五年、七年目に子どもの成長を祝う七五三の行事がある。特に重要なのが七歳の祝いで、氏神の名簿に初めて名前が記され、独りの人間として認められるという重要な儀礼だった。つまり、七歳までは人間ではない。「七つ前は神の子」「七つ前は神のうち」という諺(こ...95/神の子
昨日は夕方の6時頃に、奈良の方から雨雲(奈良太郎)がやってきて、15分ほどの俄雨があった。雷も鳴っていたので激しく降った所もあっただろう。前日の「畑110/男心」で書いた「二上山に雲がかかったら雨やで」というオバンの観天望気がみごとに的中した。天気を予想することを、昔は「日和見(ひよりみ)」といった。日本各地には「日和山」と称される場所が100カ所ほどある。港町に多いのは、天気を予想することが自分の命を守ることにつながったからだ。昔、丹後の国に日和見を100%的中させるお婆さんがいた。今日、明日の天気どころか数か月後の気候まで的中させていた。これを聞いた大阪の米相場師が、天候・気候がよめたら米の収穫や良し悪しがわかって大儲けできる。というので、丹後の婆さんに大金を払って、大阪に連れてきた。そして、毎日毎日...94/白秋
下の文は何んと読むという嵯峨天皇の質問に、子子子子子子子子子子子子小野篁(おののたかむら)が即座に答えた。「ねこのここねこししのここじし」という話は様々な書物に書かれていて有名だ。同じようなものとして、江戸時代に流行った地口狂歌の一つに、山王の桜に猿の三下がり合の手と手と手手と手と手とというのがある。「三下がり」は猿が三匹、手をつないでぶらさがっている様子と三味線の弾き方の名称とが懸けられている。加えて、下の句の「手と手と手手と手と手と」は三味線のリズムになっている。NHK教育テレビで放送中の「いないいないばあっ!」の中で歌われる『おててとてとて』。おててとてとててとてとてみてみておてててとてとてぷくぷくおててふわふわおててごつごつおててみんなのでみんなので(作詞:小峰公子作曲:吉良知彦)同音の反復は子ど...93/重ね重ね
落花生を道の駅に出荷している。半分ほど出したが、残りの株の出来が悪い。これはおかしいぞと、日誌を調べてみると、そうだ!五月の十日に蒔いたうちの半分は何か(たぶんイタチ?)にほじくられていたのだった。生き残った半分は五月の二十日頃に定植し、ほじくられた半分は蒔き直し、加えて新しい三品種を追加して蒔いて、五月の末に定植したのだった。ということは、十日ほど遅らせて収穫すべきだったのだ!というわけで、十日ほど、畑でするべきことがなくなった。朝、「子ども見守り隊」の当番だったので横断歩道に立つ。そして、登校する子どもたちに「おはよう!」を何十回と言う。すると、「おはようございます!」と子どもたちが人数分返してくれる。さらに、中学生になったオービーたちも「おはようございます!」と返してくれる。少しシャイになった高校生...畑105/fruitfullife
いにしえの昔の武士の侍が、山の中なる山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、赤い顔して赤面し、家に帰って帰宅して、自分の妻の細君に、遺書を書いて書き置きし、仏の前の仏前で、小さな刀の短刀で、腹を切って切腹した。意味が重なる言葉を重ねてつかう表現で「重言(じゅうげん、じゅうごん)」という。漢字交じりの文章にすると、すぐにまちがいだと分かるが、会話の中では、ついついつかってしまう。「あとで後悔しないように、今現在、いまだ未解決の問題を解決する、最もベストで最良の方法は、借りているお金の借金を減らして、貯金をためることです」この重言を、詩や短歌の韻文(いんぶん=リズムを味わう文)ではわざとつかって、心地よい調べを出す[重言法]というのがある。松尾芭蕉の作ではないが、芭蕉が詠んだと誤解されている「松嶋や...92/重言
このブログを始めてから624日、この記事が300回目になる。もともとは、このブログタイトルと同じような名のホームページを開設していたが、デザインやら更新がややこしくなって嫌になった。しかし、書きためた記事をなんとかしたくて、簡単に更新できるブログに替えた。歴史カテゴリーの「その十五南北朝――あてまげの溝」までがホームページにアップしていたものなので、それをコピペするだけだから、ブログ開設当初はほぼ毎日更新していた。しかし、すべてをアップし終えるとネタがもう無い。そこで始めたのが、よもやま話カテゴリーの「ちょっといっぷく(今は数字だけ記載)」だ。若いときから、面白い話やためになりそうな話をメモに残していたので、その中からブログに使えそうなのを選んで記事にした。ただし、何かの本やネットから仕入れたネタは引用元...91/ドッカリと
数字だけを使った和歌がある。日本史の年号を覚えるのに使った「大化の改新六四五ひき」式の語呂合わせだ。八万三十八三六九三三四四一八二四五十二四六百四億四百[やまざとはさむくさみししひとつやによごとにしろくももよおくしも]山里は寒く寂しし一つ家に夜ごとに白く百夜おく霜下の図のような「数学的考物」というなぞなぞがある。・①と②は国名(日本の旧国名:例紀伊・讃岐)を答えよ。③は食べ物を答えよ。・x(エックス)はたいした意味はない。・数字の数え方は昔の「ひーふーみーよーいつむーなあやあこことー」を使う。たとえば、①のなぞなぞは、106を2で割ると53。すなわち、「いつ・み」で「和泉」となる。②は、13を3で割るのではなく、13を三つの数字に分けると「6・3・4」。つまり、「むさし(武蔵)」。③は、12(とーふ)を1...90/数字?
病院に毎回バスで通っている。先日、病院に行くとき、バスに乗り込んだ。すると、最後に乗り込んだ外国人の女の人が、20ユーロ札を出して、バスの切符を買おうとして、…
「なぞなぞ」は「何んぞ何んぞ」を略したものだが、江戸時代の「なぞなぞ」は、大喜利などでよくやる「なぞかけ」だ。「AとかけてBととく、そのこころはC」というやつで、ABの部分が問題で、Cが答えになっている。(例)谷間のウグイスとかけて破れた障子ととくそのこころは?答えは「はるを待つ」となる。「谷間のウグイスとかけて桜の花ととく」のように、A・Bを似かよったものにすると答えがわかりやすいので、A・Bを相容れない、かけ離れたものにするのがコツだ。だから、答えはかなり難しい。なぞなぞというより、答えを聞いて「ああなるほど」と感心する言葉遊びだといえる。では、なそかけを!①新婚夫婦とかけてガラスのコップととく、そのこころは?②まずい料理とかけて海の底ととく、そのこころは?③いろはの「ろ」とかけて朝の白露ととく。その...89/心は?
中国の「なぞなぞ」に「字謎」というのがある。問題を読んで漢字一字を答える遊びだ(訓読文にしている)。【例】山上には更に山在り。「山の上に更にやまがある」のだから「山+山」で、答えは「出」となる。それでは字謎!①はしらば上に在り、すわらば下に在り。②一人一点。③牛(が)丸木橋を渡る。①は漢字で書くとすぐにわかるので平仮名にしたが、「走・座」で、答えは「土」。②は「一+人=大」で「大」に一つ「、」を打てばよい。③は、丸木橋を一つの形に見立てれば、生きている牛だとわかる。字謎は、日本の「二階の女にきがある」で「櫻」と同様のなぞなぞだ。漢字の元は絵文字(象形文字)なので「型」にしやすい。上の図は日本の「集合文字」という漢字遊びだ。①は漢文で「吾唯知足」の組み合わせ。「吾は唯(ただ)足るを知る」で「私はまったく満足...88/字謎
例によって、『考物一千題』という「なぞなぞ」の本から抜粋。答えはすべて【植物】に関するものである。①「狐の大声」とは何?②「仇の狸」とは何?③「九の字が一つ」とは何?④「帰り来る都は秋の花盛り」とは何?⑤ある数からある数を引くと六が残るものは何?⑥寒くなり日も短くなる中にある木は何?※答えは最後の文章の中にあります。「考物(かんがえもの)」は現代の「なぞなぞ」にちかのだが、言葉遊びの一種といったほうがいいかもしれない。本来は五七五の俳句調で、次のような形をとっている。吸い物をお熱い内にと進められ【魚二つ】答えは「冷めます=鮫・鱒」となる。すこしだけ練習。※答えは末尾に。aおしいこと朝顔につく根切り虫【鳥三つ】b洗濯と薪取りも都合よし【旧の国名三つ】c外国へ出す郵便は逆の様【港の名一つ】一週間ほど前に大根の...87/??
道を歩いていると、向こうから知人らしき人がやって来た。「ひょっとして〇〇さんではないですか?」「Aではないですか?」と否定形を入れた疑問文なので「否定疑問文」という。「〇〇さんですか?」と普通の疑問文にすると、否定されたときに言い訳に苦労するが、否定疑問文だと「失礼しました」で謝りやすい。否定疑問文は、否定と肯定の両方をを予想した全方位型疑問文だといえる。新車を買って一週間してセールスマンが家に来た。「お車の調子にご不満はございませんか?」とたずねる。「~(し)ませんか」という形も否定疑問文になる。満足している人は、「ご満足でしょう」というセールスマンの意図を推測して「はい」と答える。満足していない人は、「ご不満があれば承ります」という意図を推測して「はい」と答える。面と向かい合った会話なら、声の調子で「...84/否定疑問
A「うちの犬、英語を話すねん」B「なんでやねん」A「煎餅を一枚やったら、ワン(1)て言うたがな」B「おまえはアホか」大阪漫才でお馴染みの「なんでやねん」「アホか」のツッコミだが、次のような構造になっている。Aのバカな発言を客は笑うと同時に「有り得ないこと言うな!」と気がまえる。その客の気持ちを、Bが「なんでやねん?」と疑問形で代弁することで、客は安心して大きな声で笑う。Aは疑問の答えとしてバカなことを言うと、客が笑うと同時に「こいつはアホだ!」と気がまえる。その客の気持ちを、Bが「アホか?」と疑問形で代弁することで、客は安心して大きな声で笑う。つまり、バカな発言に緊張した客の気持ちをツッコミが緩和して、笑いを増幅させているのだ。A「うちの犬、英語を話すねん」B「有り得ないこと言うな!」A「煎餅を一枚やった...85/なんでやねん
学生時代に習った芥川龍之介の『羅生門』の冒頭の一文である。平叙文(普通の文)で書かれているが、読者はこの一行で疑問を持つ。ある日の暮れ方の事である。一人の下人が羅生門の下で雨やみを待っていた。雨が降る夕暮れの羅生門の下で、下働きの下人が、一人で、なぜいるのか?読者が心の中で「なんでやねん?」「ほんでどないなるねん?」とツッコミをいれたくなる仕掛けになっている。ミステリー小説はいうまでもなく、すべての小説は読者の「なんでやねん?」のツッコミで展開していく。日常生活において、「なんでやねん?」のツッコミをいあれるような事態は出来るだけ避けたい。しかし、痛さをこらえて伸びた鼻毛を抜いた時の快感のような、少しばかりの刺激を求め、「なんでやねん?」のツッコミをいれるために、小説の非日常の世界へ入り込む。あるいは、「...86/なんでやねん②
六十年以上も前のことなのに、時々、思い出す。幼稚園の時、先生が「明日、砂場遊びをしますから、なにか一つおもちゃを持ってきなさい」と言った。なににしようか?と考えたが、考える必要などなかった。おもちゃといえば、夜店で買った15円のブリキのポンポン船しかない。なのに、夕方、畑から帰って来た親に「なに持っていったらエエんやろ?」ときいた。きく必要などなかった。ないのだから・・・。細かなやりとりは覚えていないが、夕焼けの中、父が、カブ(単車)の後ろに私を乗せて、富田林のおもちゃ屋さんに連れて行ってくれた。店に着くと蛍光灯が白々と灯っていた。蛍光灯すらめずらしい時代だった。おもちゃ屋に行ったのも初めてだった。両端の棚におもちゃがいっぱい並んでいる。なににしようか?と思ったが、悩む必要などない!棚のいちばん下にねっこ...82/同窓会②
「どないしたんや?えらいやつして!どこ行きや?」標準語の「やつす」は、「こんな姿に身をやつしてはいるが、元はと言えば侍の家柄」で、〈みすぼらしく目立たない姿になる〉の意味。しかし、大阪弁の「やつす」は、〈おめかしする・おしゃれする〉の意味になる。「高校時代の同窓会があって、大阪までいきまんねん!」大阪の人間が「大阪に行く」というのは〈大阪市内へ行く〉の意味。「そうかいな!せいだいきばってきて!」大阪弁の「きばる」は〈息む〉のではなく、〈はりきる・頑張る〉の意味になる。というわけで、コロナ禍をはさんで同窓会がある道頓堀のホテルへ七年ぶりに。地下鉄なんば駅に電車が止まって、皆がいく方向について行けば改札口があって、地下を上がると高島屋の正面玄関。左に行って御堂筋を渡ると場外馬券売り場、まっすぐ行けば正面に戎橋...81/同窓会
雑節の「二百二十日」ころから秋植えの種を蒔くつもりだったが、9月3日に種を蒔いた。宝くじ売り場の「本日は一粒万倍日!」という看板を見たからだ。一粒の種から万倍の収穫がありますようにという験をかついでのことだ。しかし、一粒万倍日だからといって、宝くじが当たらないのと同様に、野菜がよく育つとは限るまい。なのだが、〈いちりゅうまんばい〉という響きに、ついつられてしまう。新暦の9月を十二支にあてはめると、8日までは申(さる)の月になる。3日は子(ね)の日で申と相性がいい。だから、一粒万倍日で吉なのだとか。古来から信じられている東洋自然哲学に「五行説」なるものがある。「万物は木・火・土・金・水(五行)によって有為転変する」という説だ。図の右回りに相性がいい(相生)。木は燃えて火を生み、火は燃えて灰になって土を生み、...畑89/一粒万倍日
「宝」という漢字の旧字体は「寶」と書く。・「宀」=屋根におおわれた家。・「珤」=缶ないしは壺のこと。・「貝」=古代中国の貨幣(財産)。つまり、お金を壺に入れて、家の中に大切にしまっておくのが「寶」。ならば、「たから」という日本語の語源はなにか?ネットで検索すると、どこもかしこも、国語辞典『大言海』の「田カラ出ヅル意ニテ穀ヲ本ニ云ヘル語」を引用している。古来より財の象徴となる米は、「田から」収穫するので「タカラ」だという。辞書に書いてあるのだから、ほうほう、なるほどと、つい信じてしまうのが日本人の良くないところだ。戦前の昭和七年に刊行された辞書を、そのまんま信用するのはいかがなものか。田んぼで米を作るのは誰なのか!お百姓が自らの手で汗水流して作るのではないか!資本家階級の視点からではなく、労働者階級の視点か...畑88/宝
同じ町内に住んでいた古老から聞いた地域の歴史の話を残すためにブログを始めたのだが、記事の多くが日々の雑感になってしまった。だから、「日記」のつもりでブログを続けている。とはいえ、人に読んでもらうために書いているのだから敬体(です・ます調)で書くべきなのかもしれない。なのだが、日記を敬体で書くのは不自然なので常体(だ・である調)で書いている。内容によって文体を変えればよいのだが邪魔くさい。敬体にすると、偉そうにタメ語をつかってと思われることもないのですが、文末が単調になってしまい、だらだらとした感じを与えてしまうからです。その点、常体はてきぱきとして歯切れがよく、読みやすい。もちろん、断定的で威圧的な面はあるが。そもそも、外国語には敬語がないのだから、常体も敬体もないはずだ。英語の「Whatareyoudo...80/日記
ひらひらと猫が乳呑む厄日かな/秋元不死男子猫がぺろぺろと舌を動かして穏やかにお乳を飲んでいる。厄日(やくび)にもかかわらず。季語は「厄日」で秋。今年は、昨日の9月1日が厄日だった。立春から数えて「二百十日」にあたる。五代将軍綱吉の頃、幕府天文方(てんもんかた=暦の係り)であった安井春海が、二百十日に釣りに行こうと漁師に船を頼むと、「この時期は海が荒れるのでやめた方がよろしゅうございます」と漁師が言う。それから二百十日の前後に注意していると、毎年大嵐が起きた。これは一大事と、「二百十日」を暦に書くようになったという。大嵐は台風のこと。元は中国語で、台湾を通ってやってくる大嵐を「台風(颱風)」と言っていた。それが英語になって「typhoon(タイフーン)」。その英語が明治になって日本に伝わり「台風」が使われる...79/厄日
種苗法なるものが改正されて、2022年4月から「登録品種を自家増殖する場合、育成者権を持つ人の許諾が必要」となった。自家増殖とは、栽培している野菜から種や苗を採種することだ(=自家採種)。つまりは、登録品種(特許申請した品種)の自家採種禁止の法律だ。我が家でも四年前に、人気のサツマイモ「べにはるか」を市場で買って来て、芽を出させて育てて道の駅に出荷したが、今はできないことになっている。ただし、自分の家で食べる限りは問題ない。したがって、家庭菜園レベルなら、種苗法にふれることはまずない。いうわけで、今は夏野菜の自家採種の時期。予定しているのは、シシトウ・トウガラシ・ピーマン・ナス・トマト・オクラ・スイカ・マクワウリ・ナンキン・キュウリ・エダマメ。ほとんど在来種(昔から日本にある野菜)か固定種(同一種でしか交...畑87――ネタの種
四時半に目が覚めた。四時なら、もう一寝入りするのだが、中途半端な四時半。まあ、せっかくだから起きるとするか。それでもって、薄ら明るい中を畑へ。堤防から西の空を見ると大きな虹。なにかしら縁起よく感じてパチリ。何かで読んだ「虹ハ微薄ノ雨ニ日光映ジテ五彩ヲナス」という言葉を思い出した。虹を七色としたのはニュートンで、それまでの日本では、中国の五行説に従って五彩(色)と考えていた。井伏鱒二の『黒い雨』のラストで、主人公の重松が、姪の矢須子の原爆症が平癒することを祈ってつぶやく。「今、もし、向こうの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹でなく、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」これには伏線があって、小説中の被爆日誌に、重松が「白い虹を見た」と話すと、工場長が「悪いことの起きる前兆だ」という記述がある。つまり、白い...78/虹
みんなは自分に自信を持っていますか?今回は、自分の違いに悩む少女が、ひとつの本を通じて自分を大切に思う力を見つける感動の物語をお話しします。その本の中の言葉が、彼女の心に新しい風を吹き込みました。一緒にその物語を読んでみましょう 昔々、小さな町に住んでいた可愛らしい少女がいました。彼女はみんなとちょっと違うところがあることに悩み、いつも自信が持てないでいました。ある日、彼女は図書館でひとつの特別な本に出会いました。その本の表紙には輝く星が描かれており、きっと特別なことを教えてくれるに違いありません。 一度家に帰り、少女はその本を開いてみました。最初のページには「自分を大切に思うことが、幸せへの…
夢は、時に困難な状況や制約を超えて叶えられるものです。今回の感動的な実話は、身体的な制約を背負った野球少年の勇気と信じる心が、彼の夢を実現に導いた素晴らしいエピソードです。彼の物語を通じて、私たちは努力と希望の力を再び感じることでしょう。 野球への情熱を胸に秘める少年、彼の名はタクミ。彼は身体的な制約を抱えながらも、野球への情熱を諦めませんでした。しかし、医師たちは彼の状態を考慮し、激しい運動は避けるべきだと警告しました。そのため、タクミは仲間たちと試合に出ることができず、心の中で夢を温めていました。 それでもタクミは決して希望を失いませんでした。彼の信じる心は、制約を打ち破り、夢を追い求める…