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最近、結婚記念日がありまして。夫が、ダウン着るほど寒くない日の上着がほしいと呟いていたのを思い出しUNIQLOにて購入。コレです。オーバーシャツジャケットUN…
本当はいやなのに断れない、なぜかというと断ってしまうと嫌われるから、誰もが人生の色んな局面で遭遇することかもしれない。 周囲の人から嫌われないために、人からの批判を恐れて持つ感情、それらはすべてその人の自身の本当の感情ではない、我慢をしてる、無理をしてる。 無理を重ねてる人は弱い、逆に無理のない人は強い、無駄と思えることに我慢しない、人生の後半、無理のない生き方をしたいものである。無理のない人は強い
人は誰でも年齢を重ねるごとに身体は確実に衰えていく、どうしてもあちこちの具合が悪くなってくる、しかもひとつが治らないうちに別のところが悪くなるといった感じで心身の衰えはいやでも進行してくる。 老いて病が来る場合、もう完治することよりも痛みを伴わないまま死まで続けば、それは自分にとってありがたいと思うことがあると言った闘病者の声に共感することがある。 実際経験のモノサシが役に立たない、それが老いるということ、他人の老後は参考にならない、誰もが自分の老いに対してはアマチュア、だからほとんどの人は迷いながらも自分の考えで自分なりの老後を生きてるはずである。 楽しく生きるためには健康でありたい、誰もがそう願っている、私自身老いていく自分を見つめながら、一日一つでも愉快だと思えることがあればそれでよしとそんな思いで...老いていく自分を見つめながら
雑誌プレジデントでの特集「団塊世代1000人ハッピー度調査」1947年~1949年に生まれた世代、高度成長期にバリバリ働いてきた団塊世代の老後であるが、この調査によると約3割が現在も働いている、しかし働いても働かなくても幸福度は変わらないというものであった。 この調査結果に「定年後のリアル」の著者である勢古浩爾氏のコメントが本音で語られており共感できる、実際60歳で定年退職して10年のサリーマン経験のある勢古氏、実感のある言葉である。 「豊かな老後にとって大事なのは健康とお金だと思います、趣味に関しては私は共有する人がいることより一人でどこまで深く楽しめるかが大切です」 「また我々団塊世代が定年を迎えるとき、平均20年は生きるんだから何かやらないと駄目になるぞと散々脅かされました、でも何もしないうちに10...高齢者にとっての幸福度とは
何が幸福で何が不幸か、それを測るものさしというものが、あるのかどうか、あいまいで漠然としている、だから何を基準にするかというと他人である、他人と比較して自分の幸、不幸を決めやすいものだ。 本当は他人との比較ではなく幸せかどうかは、本人がそう思える気持ちの問題のような気がする、今をある程度、満足で幸せだと謙虚な気持ちで思える人はいくつになってもそう思えるはずである。 老後は特別でなく人生はつながっている、地味で単調で、なにより忍耐が必要なのが人生の後半といわれる老後かもしれない、それでも平凡な一瞬一瞬に幸せを感じることができれば恵まれた人生だと私は思っている。幸せな老後の人生とは?