メインカテゴリーを選択しなおす
浜松市中区住吉の元亀霊神社は、明治の敬神崇祖の念の強い篤志家であった住吉の故岡野丑太郎氏は、自宅の近くにある小塚に、元亀三年の三方ヶ原の戦いで散華した多くの将兵が、眠っていることを知り、自分の土地を提供して住吉町の鎮護として、昭和5年に元亀霊神を建てたそうです。この地域には、数多くの小塚があったといい、大正時代の開拓事業により失われていきましたが、その過程で、小塚から小札が掘り出されたことから、三...
ランキング参加中雑談ランキング参加中旅行ランキング参加中【公式】2022年開設ブログこんばんは! 豊橋公園とその周りを歩いて来ました。吉田城址は、明応5年(1496)ごろ、今川氏の許しを得て豊川の領主・牧野古白が築城した今橋城に始まります。 戦国時代には牧野氏や田原の戸田氏が東三河の覇権を目指して激しい争奪戦を行い、西三河の松平氏や駿河の今川氏が支配したのち、松平(のち徳川)家康の東三河平定後は重心・酒井忠次、次いで家康の関東移封後は豊臣秀吉の重心・池田輝政(吉田在城中は「照正」、のちに現存する姫路城を築城)らが城主をつとめました。江戸時代には深溝松平家や小笠原家、大河内松平家などの譜代大名が…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 04.松平郷松平氏
後世の徳川氏の主張では、松平郷の領主となった、松平親氏は、郷敷城を築き、嫡子の泰親と協力して、「中山七名」と呼ばれる、近隣の領主たちを滅ぼすと、勢力を拡大し…
医王山 瑞雲寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、南北朝時代の1338(暦応元/延元3)年に瑞鹿山 円覚寺(→神奈川県鎌倉市山ノ内、鎌倉五山第二位)の7代住職梅林霊竹が開山したという臨済宗円覚寺派寺院です。境内の地蔵菩薩は「都築橘樹(つづきたちばな)酉年(とりどし)開帳地蔵菩薩霊場」の1つに数えられ、12年に1度の酉年に開帳されることで知られます。寺宝に「鷹薬師如来」と呼ばれる像があり、徳川家康がこの辺りで鷹狩をしていた...
浜松市中区広沢の宗源院は、山号を宝蔵山(ほうぞうさん)といい、西来院と同様に曹洞宗普済寺十三派の在天派に属し、華蔵義曇(けぞうぎどん)の法弟在天弘雲和尚が応永23年(1416年)に開創しました。ご本尊は、虚空蔵菩薩・釈迦牟尼佛・普賢菩薩です。室町時代後期には、今川氏の庇護をうけ、今川義元自身が開基としての役割を果たし、堂塔伽藍の再建を行っています。そうした関係を裏付ける史料として、当寺には今川義元...
浜松市中区中沢町に位置する常楽寺。天平六年(734年)の開山で、高野山真言宗の古刹です。本尊は阿弥陀如来。 本堂往時は七堂伽藍が建ち並び一世を風靡したといいますが、戦火で建物、記録が消失し、詳細は不明。 十三佛堂こちらには、三方ヶ原の合戦において、徳川家康と阿弥陀如来像についての興味深い話が伝わっています。 中澤山 常楽寺当山は、遠州信貴山別院である。往時は七堂伽藍が建ち並び一世を風靡したという。惜しむ...
浜松には、徳川家康と武田信玄との三方原合戦ゆかりのお菓子があります。イラストが面白いでしょう?御菓子司「あおい」の小豆餅と銭取です。「あおい」の小豆餅と銭取の由来によると「三方原合戦の折り、空腹に耐えかねた家康は道端の茶店に飛び込み、老婆が売っていた小豆餅をほおばりました。その時、後方に敵兵の気配を感じ、家康は銭も払わず逃げ出しました。何も知らない老婆は、「お侍さ~ん。銭を下され~銭を!」と二キロ...
平山優「新説 家康と三方原合戦」家康はなぜ信玄に戦いを挑んだのか?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、平山優「新説 家康と三方原合戦」家康はなぜ信玄に戦いを挑んだのか?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどこ
東海駅巡り23冬-名鉄編(57) 名鉄名古屋本線・名鉄豊川線 国府駅 ~特急に乗車して豊川線の分岐駅へ~
新鵜沼駅から豊橋行きの特急に乗車しました。せっかくなのでチケットを購入して特別車両に着席します。2号車
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜昨日アップ⤴️予定だったのに1週遅れちゃった…っていうことで第17話の感想ぉ〜!!ついに西上を開始した武田…
浜松市西区庄内町の宿蘆寺この山門は、大河ドラマ「おんな城主直虎」の中で龍潭寺の山門として登場した宿蘆寺の参道に続く山門です。幼少期の直虎のおとわが、龍潭寺へ走って行く場面や、昊天と傑山が出家したおとわを待ち構え、山門くぐろうとするおとわを傑山が投げる場面などに登場しましたね。山門に掲げられている「藤谷山(とうこくざん)」の額は、徳川光圀(水戸黄門)の師匠である東皐心越(とうこんしんねつ)禅師の書。...
家康を辿る城旅「坂部城」!家康と於大、感動の再会…久松家ゆかりの洞雲院も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「坂部城」!家康と於大、感動
【どうする家康】#17 信長の片思いを利用、援軍を勝ち取る家康
援軍を勝ち取った「一蓮托生」 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第17回「三方ヶ原合戦」が5/7に放送された。体調不良を言い訳に、既にお約束になってしまった1週間遅れの感想ブログ。お付き合い感謝です。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 信玄(阿部寛)は徳川の拠点を次々に制圧。打つ手のない家康(松本潤)は、信長(岡田准一)の本軍が加勢に来るまで浜松城に籠城すると決める。だが、浜松に攻め寄せてきた武田本軍は、なんと浜松城を素通りし、西へ向かおうとする。このまま武田軍を通せば、遠江の民から見限られ、信長の逆鱗に触れる。何より、瀬名(有村架純)ら家族のいる岡崎城が危ない。打って出るべきか、籠城を…
家康クライシスのご紹介です。 大河ドラマで注目の集まる徳川家康。 本書は家康の人生を振り返る一冊です。 家康クライシス 天下人の危機回避術/濱田浩一郎【3000円以上送料無料】 【徳川家康ヒストリ
2013年現在放送中のNHKの大河ドラマ、「どうする家康」の主人公は、徳川家康である。 本書は、「血脈」、特に、「自称」を重視しているため、本来、本項の題名…
浜松市中区布橋の犀ヶ崖古戦場の一角(現在はバス停の前)に夏目次郎左衛門吉信の碑があります。夏目吉信は1563年の三河一向一揆で処刑されるところを徳川家康の寛大な処置によって助けられました。それ以来、家康に恩を感じ、三方ヶ原の合戦の際、敗走中の家康の身代わりとなり、「我こそは家康なり」と武田軍の前に立ちはだかり、討ち死にしました。「家康伝承と浜松」によると、馬を乗り回して、必死に戦った家康は、負傷した家...
大河ドラマ『どうする家康』主演の松本潤さんなどが参加した「浜松まつり」の騎馬武者行列が5月5日、浜松市で行われた。松本さんは沿道を埋めた観衆に笑顔で手を振りながら、市の中心部を練り歩いた。 松本潤さん「徳川家臣団、出陣じゃ!」…浜松まつりに68万人詰めかけるhttps://t.co/Z95EbiL6ra#カルチャー — 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) 2023年5月5日 『どうする家康』第17話「三方ヶ原の合戦」も主な舞台は浜松だったが、当然ながら、劇中の松本さんが演じる徳川家康(1542~1616)に全く笑顔はなかった。元亀3年(1572年)、阿部寛さんが演じる武田信…
三方ヶ原犀ヶ崖古戦場の犀ケ崖資料館には、徳川家康が戦場で肌身離さず持っていたというお守り「勝軍地蔵」が展示されています。家康公兜前立勝軍地蔵家康が17歳の初陣の時より、戦場に臨む際には必ず仏体一躯を甲冑に奉安して陣中守護神としたと伝えられています。浜松城主時代の若き家康に仕えたとされる見付(磐田市)の安間家の家宝でしたが、三方原合戦の死者の霊を祭ってきた宗円堂が、明治時代の再建された際、本尊として迎...
以前の犀ヶ崖資料館は、三方原の両軍の霊が祀った宗円堂というお堂でした。その霊を慰めるために、毎年7月15日に遠州大念仏が行われます。遠州大念仏は、遠州地方の郷土芸能の一つで、初盆を迎えた家から依頼されると、その家の庭先で大念仏が行われます。布橋の国道沿いに犀ヶ崖資料館があります。資料館は平成27年4月、新しく建て替えられました。犀ヶ崖資料館資料館では、三方原合戦、遠州大念仏に関する資料が展示されています...
■血塗天井と俵屋宗達の襖絵 浅井長政の菩提を弔う「養源院」(京都府京都市)
(写真:『養源院』は豊臣秀吉が建立したにも関わらず徳川の家紋が掲げられる数奇な歴史を持つお寺でもあります)『養源院』は豊臣秀吉の側室・淀君が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した寺であり浅井氏の菩提寺になります火災によ
浜松城の北側1kmに犀ヶ崖という断崖があります。ここは、三方原古戦場犀ヶ崖として昭和14(1939)年に静岡県の史跡に指定されています。元亀3年の三方原の合戦で、徳川家康は武田軍に大敗し、浜松城に逃げ込みました。戦いは夜まで続き、攻撃を続ける武田軍は犀ヶ崖まで進攻してきましたが、この辺りの地理に疎く、夜であったため、足を踏み外して崖から転落してし、武田軍は多くの死者を出したという話が残っています。またこれには...
どうする家康 三方ヶ原で惨敗 どうする家康 三方ヶ原の戦いでしたね 燃える家康 いなす信玄 心理戦がことのほかおもしろく 武田信玄の名言 「勝者はまず勝ちて、しかる後に戦いを求め、敗者はまず戦いて、しかる後に勝ちを求む。わっぱよ……戦は勝ってから、始めるものじゃ。」 心底震えました めちゃくちゃかっこいい 徳川軍は壊滅 徳川家康の生死も不明 来週がどうなるのか楽しみです
#241 第17回「三方ヶ原合戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月7日の大河ドラマ『どうする家康』の第17話「三方ヶ原合戦」壮年家康 最大の危機始まる格の違いを思いきり見せつけるテルマエ信玄。遠江を様々な方面…
武田家の重臣馬場美濃守の末子である日豪上人が、徳川家康が武田軍と対陣の際、家康軍が妙恩寺を本陣に使用することを許可し、また三方ヶ原の戦いで敗れた家康を妙恩寺の本堂にかくまったことにより、日豪は家康から信頼を得ました。家康が浜松城に在城するようになると、寺の紋に「丸に出二つ引き」を与えられ、囲碁の友としても親交を深め、家康の後年には日豪の為に浜松城内に一宇の精舎を建立して与えたのが、現在の妙恩山・法...
#197 TVメモ『戦国一華麗なる敗者復活戦〜今川プリンスと妻の二人三脚〜』
大河『どうする家康』の12話で氏真が妻とともに戦国武将の舞台から退場となりましたが、氏真実は退場してしまったわけではないんです。2023年3月26日放送『歴…
#196『三河物語』を読むその5 「四代目 松平親忠」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第5回は「四代目 …
#195『三河物語』を読むその4 「三代目 松平信光」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第4回は「三代目 …
2023年3月26日の大河ドラマ『どうする家康』の第12話『氏真』闇落ち氏真について 氏真の闇落ちと氏真のへの複雑な思いの家康 武田信玄と徳川家康で、今川家を…
徳川家康(4)葦かびの巻!家康を震撼せた三河一向一揆…信長との再会も!
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(4)葦かびの巻!家康を震撼せた三河一向一揆…信長との再会も!です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読み
浜松市東区天竜川町の妙恩寺に行って来ました。妙恩寺のHPによると、徳川家康は、妙恩寺へ最低二度は来ていることになっています。一回目は、岡崎城から引馬城(浜松城)へ引越ししてくる時。二回目は、三方原の戦いの初戦「一言坂の戦い」で負けたあと。 1568年12月2日に姫街道を使い三河国から遠江国に入り、奥山方広寺へ。12月4日井伊谷に宿陣。 井伊谷三人衆の手引きにより浜名湖北岸に来た家康は井伊家を味方につけることに成...
どうする家康 第17話「三方ヶ原合戦」 ~信玄の進軍ルートと一言坂の戦い~
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
#192『三河物語』を読むその3 「二代目 松平泰親」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第3回は「二代目 …
#163 まとめ 徳富蘇峰氏による信長・秀吉・家康の歴史三部作
司馬遼太郎先生の歴史小説の種本ともいわれた徳富蘇峰氏の『近世日本国民史』の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を年末年始に読もうと思いながら、ようやく2月に読了したの…
浜松城に隣接する浜松市役所の前に、「家康公鎧掛松」という史跡があります。この松には、次のような話が伝わっています。元亀3年(1572年)三方ヶ原の合戦から城に帰った徳川家康は、大きな松に鎧を掛けて木陰で休みました。このことから鎧掛松と呼ばれています。現在の松は、昭和56年に植樹された三代目で、初代の松は、浜松城の堀のそばにありました。また、当時、鎧掛松近くの清水で、合戦に疲れた馬のからだを冷やしたところ...
今日で、GWも終わりです。今年は、4連休、1日だけ働いて、5連休天気がいい日はほとんど 外(車の中)でお昼ご飯を食べました暖かくなってくると、ダンナの麻痺...
家康を辿る城旅「寺部城」家康初陣"寺部城の戦い"!渡辺守綱ゆかりの史跡も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「寺部城」家康初陣"寺部城の
遠州天体写真愛好会の写真展写真紹介 -17- 今、話題の徳川家康の居城と星のコラボ画像
地元の浜松市には、天体写真のベテランが集う遠州天体写真愛好会があります。その会員の方々により、毎年、美しい天体写真の数々を紹介する写真展が、浜北市のプレ葉ウオーク浜北で開催されております。昨年は、112点の作品が展示されました。今回は、20
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いきなり家康さんを襲ったのは虎松⁈ってことで第16話の感想ぉ〜!遠江国に入った家康を襲ったのは、遠江は武田…
【どうする家康】#16 信玄の策にはめられた家康、泣き落としで家臣を動かす
義弟は、血のつながりが無いはず NHK大河ドラマ「どうする家康」第16回「信玄を怒らせるな」を最初に見たのは先月30日のお昼だったか・・・BS4Kで見た。そこから、まだ薬でボンヤリしているうちにもう土曜日となり、お昼の再放送を見てまた「そうだブログを書こう」と遅ればせながら思い立った。あらすじを公式サイトから引用する。 浜松に居城を移した家康(松本潤)だが、城下で虎松(板垣李光人)と名乗る少年に襲われる。遠江の民は徳川を恨んでいるという虎松の言葉に、家康は傷つく。一方、信玄(阿部寛)に対抗し、家康は上杉謙信との同盟を探るが、それが武田方に漏れ、信玄を激怒させてしまう。武田との決戦を避けられない…
武田軍は、三方向から遠江に侵攻し、一言坂、二俣城で勝利。12月22日、武田方は、二俣城を出発し、西へと進路を取りました。織田軍からの援軍を得た徳川家康も、武田軍を迎え撃とうと浜松城を発ち、自ら出陣。戦場となったのが、三方ヶ原です。以下、Wikioediaより1572(元亀3)年、上洛を目指し、武田信玄が遠江国に進軍することを知った家康は、浜松城を出発・追撃し、三方ヶ原の地で戦いとなりましたが、兵の数でも軍術でも劣る...
御朱印帳画像 基本情報神社名:久能山東照宮拝受日:2023年5月4日サイズ:16cm×11cm初穂料:1,500円(御朱印帳のみ)/1,800円(朱印料込み)…
普済寺は、広沢山(こうたくさん)と号する曹洞宗の寺です。浜松市の中区にある普済寺の創建は、15世紀初期、寒厳義尹によって開山されたのが始まりとされています。当初は随縁寺と称し、現在の浜松市寺島の地にありましたが、永享4年(1432)肥後国(熊本県)大慈寺からきた華蔵義曇が再興し、広沢山(こうたくざん)普済寺に改め現在地に移しています。普済寺は古くから由緒ある寺として徳川氏の保護をうけていましたが、三方ヶ原の...
昭和20(1945)年以降、つまり「戦後」と呼ばれる時代には、その知名度がイマイチに陥っているものの、それ以前には超有名だった人物も少なからずいる。たとえば、神話がらみの人物なら、「三韓征伐」で有名な神功皇后とか、あるいは、その側近の武内宿禰がそうだろうし、確
ひょんなことから戦国合戦にまつわるエピソードを一つ思い出しました。 ただ全体として、非常に面白おかしいお話になっているので、どこまでが史実 なのかについては筆者には判断が付きません。 「本能寺の変」(1582年)によって織田信長(1534-1582年)が倒れたその後の出来事...
浜松八幡宮は、仁徳天皇の時代に、許部(こべ)の里(現在の浜松市南区小沢渡町)に創建された許部神社が天慶元年(938年)に曳馬の里に遷座して現在の八幡宮になったと伝えられています。このとき遠州灘海岸の小沢渡から移した小松を社領の一角に植え、のちに「颯々(ざざんざ)の松」と呼ばれるようになったと伝えられています。1570年(元亀元年)に徳川家康が、居城を岡崎城から浜松城へ移し、本八幡宮を鬼門封じとしました。1572...
2023年2月26日の大河ドラマ『どうする家康』の第8話『三河一揆でどうする!』の感想。 九死に一生を得る中で一向一揆と義元から、民によって生かされている己…
山県昌景軍が、柿本城、井平城を落とし、二俣城の武田本隊に合流。二俣城は、遠江国豊田郡二俣(浜松市天竜区二俣町二俣)にあった山城で、戦国時代、今川氏により築城され、武田軍の修築を経て、徳川の時代に天守台など諸施設が構築されました。天竜川と二俣川に挟まれたこの城をめぐって武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。一言坂の戦いで、家康を破った信玄は、10月16日に二俣城を包囲。...
桃太郎伝説の舞台 岡山県・吉備津神社が国指定重要文化財「南随神門」の修復 ... - ニュー
家康ゆかりの重要文化財 初めて一般公開 - FNNプライムオンライン FNNプライムオンライン 記者やデスクがとってきた、気になるニュース…