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長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、薬師如来を本尊とする曹洞宗の名刹です。寺の裏手にある医王寺山(標高120メートル)は、天正3(1575)年の長篠の戦いの時、武田勝頼が本陣を置いたところです。本堂の前には「武田勝頼本陣跡」の碑が建っています。「武田勝頼本陣跡」の碑山縣三郎兵衛息継ぎの井戸弁財天 蓮池また、山門の前には長篠の戦いにまつわる「片葉の葦」伝説の弥陀池があります。長篠の決戦前夜、勝頼の枕元に...
家康が元服した「静岡浅間神社」、日本一高い拝殿がそびえる!【静岡・静岡市】
静岡浅間神社は徳川家康の元服式も行われた、駿河国最古の神社。江戸幕府が巨費を投じた社殿が残ります。境内にある「どうする家康」の大河ドラマ館も併せて紹介!
長篠城跡の北端に接した大通寺のあたりは武田信豊、馬場信房、小山田昌行らの陣地があった所です。盃井戸武田の宿将馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋正次らは、武田軍が設楽原へ進撃する前夜、寺の裏山から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたといわれています。城藪稲荷平成18年(2006)、本丸から大通寺に移転。長篠の合戦の後に長篠城は廃城となり、この稲荷だけが残され、祀る人がいなくなった。このことを知ったおとら狐は怒...
徳川家康(5)うず潮の巻!"戦国の巨獣"武田信玄動く…決戦三方ヶ原!
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(5)うず潮の巻!"戦国の巨獣"武田信玄動く…決戦三方ヶ原!です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みど
徳川家康の旅ってどんな旅?史実と想像力でひらく家康たび!ゆかりの地めぐりも
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康の旅ってどんな旅?史実と想像力でひらく家康たび!ゆかりの地めぐりも…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1日感想が送れちゃったね…ってことで第20話の感想ぉ〜!!今回、活躍したのが、家康の正室、瀬名。武田信玄亡…
長篠・設楽原の戦い(4)鳥居強右衛門呼びかけの所~馬場美濃守信房の墓
今回は、Googleマップに表示された史跡と長篠城址周辺マップを合わせてまわってみました。二の丸、倉庫敷跡、糧庫跡長篠城址史跡保存館のすぐそばにある二の丸、倉庫敷跡、糧庫跡の碑。ここには、三つの碑が立てられています。当時は、この辺りに食糧庫があったということですね。鳥居強右衛門が泳いで脱出する時には、食糧庫まで武田軍が攻めてきていたといいます。家老屋敷跡鳥居強右衛門呼びかけの所鳥居強右衛門が長篠城の向け...
家康が再起を誓った「大樹寺」!"厭離穢土、欣求浄土"の教えと松平家代々の墓と…
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康が再起を誓った「大樹寺」!"厭離穢土、
地元浜松は、現在放送中の大河ドラマの影響で家康ブームになっております。今回は、浜松の家康ゆかりの地を紹介したいと思います。にほんブログ村浜松城徳川15代の礎を築いた出世城として有名です。野面積みの石垣が往事...
【どうする家康】#20 岡崎を救うためのクーデター、瀬名を地獄に誘う
岡崎組のクーデターだった弥四郎事件 NHK大河ドラマ「どうする家康」第20回「岡崎クーデター」が先週5/28に放送された。いわゆる「大賀弥四郎事件」として知っていた話だったが、今作では「大賀」ではなく「大岡」と。最近の知見によると、そうなるらしい。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻め込んだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田裕貴)らを援軍として送る。そんな慌ただ…
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
長篠・設楽原の戦い(3)戦国版「走れメロス」鳥居強右衛門磔の場と墓
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、三河の徳川家康方の奥平貞昌(後の奥平信昌)の家臣で、貞昌が長篠城に入ったのに従い、天正3(1575)年2月長篠城に入りました。同年5月、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ、籠城することになり、徳川家康のいる岡崎城へ使者を送り、援軍を要請することになりました。その命がけの困難な役目を自ら志願したのが強右衛門でした。14日の夜陰に乗じて城の下水口から出発。川を潜ることで武田軍の警戒...
4月25日快晴久々に 東海道歩き再開です 今回歩いたのは愛知県御油宿(ごゆ宿)から二川宿(ふたがわ宿)まで今は 大河ドラマどうする家康が放送されていることも…
では、「長篠城址史跡保存館」の中に入ってみましょう。ここでも松潤家康公がお出迎え!長篠城址史跡保存館は、「長篠城」の城跡にあり、「長篠の戦い」に関する資料を保存・展示しています。信玄遺言状(馬場信房末裔所蔵写し)1573年4月、武田信玄は、三河野田城を包囲中の陣中で病床に伏し、いったん甲府へ帰陣する途中の信濃伊那谷の駒場で53歳をもって病死した。甲陽軍鑑』によれば、信玄は遺言で「自身の死を3年の間は秘匿し...
徳川家康の父である、松平広忠は、1526年(大永六年)、三河国の岡崎城主、松平清康の息子に生まれた。 当時、松平清康は、十六歳であった。 松平清康には、庶子…
【三河:岡崎&安城の城】徳川家康のルーツ、三河松平氏ゆかりの城々を巡る。
最後の天下人・徳川家康のルーツである松平氏は、松平郷から岩津→安祥→岡崎と本拠地を変えた。それらの城々は、都市化された市街地にあっても今もしっかりとその痕跡を遺している。三河一向衆の中心地・本證寺や、足利一門・吉良氏の居た西尾城と併せ、西三河の城々を巡る。
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・参
松平清康は、宇利城攻め以降、桜井松平家の当主で、叔父の松平信定と不仲になったと言われている。 その理由は、宇利城攻略戦において、大手門を攻める、福釜松平家の…
今年の3月の長篠・設楽原の戦いの史跡巡りをして来ました。長篠城駅を降りて、早速見つけたのが、この武田勝頼ゆかりの「さかさ桑」この看板の裏側にあります。さかさ桑長篠の戦いで大敗し、敗走する武田勝頼らはこの部落の農家で食事をとった際、桑の枝を折って、箸にして使い、使った桑の枝を、その前の畑に刺して、再び北へ落ち延びて行きました。その後勝頼らが差した桑の枝は逆さに芽を出して成長したといいます。これは勝頼...
どうする家康 第20話「岡崎クーデター」 ~大岡弥四郎事件~
武田信玄の死後、徳川家康は武田に奪われた領土をいったんは奪還しますが、これに対して、信玄の後継者となった武田勝頼は攻勢に出て、天正2年(1574年)正月に...
今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地」!義元本陣跡「高徳院」も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地
後醍醐天皇の皇子・宗良親王の菩提寺である龍潭寺は、古くは地蔵寺といい、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わっています。井伊家は藤原鎌足の後裔とされ、藤原共資公(元祖共保公の父)の時、遠江国守として遠州村櫛に下り、共保公より井伊谷の地に移り、約五百年間にわたり、井伊谷の庄を治めました。保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では御醍醐天皇皇子・宗良親王を迎え北朝と戦いました...
徳川家康の金陀美具足が実物大のプラモデルのパーツになったよー!
徳川家康の金陀美具足が実物大のプラモデルのパーツになったよー!遊びに来てくれてありがとうです。ダッピー シェリー ブルーインパルスのブルーくんです。 ダッフィ…
井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。井伊谷城跡(城山公園)井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。南北朝の動乱期(1336~1392)には、...
【「天下人のスマホ」シリーズ『秀吉のスマホ』】群雄割拠の戦国時代を舞台にした「天下人のスマホ」新シリーズ。
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大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台にもなった奥浜名湖の北にある浜松市北区引佐町井伊谷。 井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。 井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。 遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。 広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。共保公とは、平安時代から戦国時代までの...
戦国最大の逆転劇「桶狭間の戦い」!ゆかりの地"桶狭間古戦場公園"そして"長楽寺"へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、戦国最大の逆転劇「桶狭間の戦い」!ゆかりの
【どうする家康】#19 お万、神仏後押しのハニートラップ成功
家康は摩利支天、お万は手作りの子授け観音? NHK大河ドラマ「どうする家康」は第19回「お手付きしてどうする!」が1週間前の5/21に放送された。また1週間遅れで書いている。スミマセン。あと少しで日曜昼の4K放送、第20回が始まる。滑り込みセーフか。 個人的には家康の人生に大きな教訓となったはずの三方ヶ原合戦の直後の19回だったから、家康の脳内に潜入してその内省の様子がつぶさに描かれたら興味深かったのになーと思ったが、山田孝之演じる服部半蔵も「笑ってはいけない城勤め」で参上するし、息抜き的なコミカル回の印象だった。とはいえ、今後に続く不気味な仕込みもありつつ。 まずは、公式サイトからあらすじを…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜信玄さんが去ってホッとする時に…何が起こった?ってことで第19話の感想ぉ〜三方ヶ原の戦いで徳川家康軍をフル…
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)の標高212mから220mの台地にあった戦国時代の山城です。天正元年(1573)、武田勝頼は、遠江侵攻の拠点とするため、家臣の馬場美濃守信春に命じて、牧ノ原台地に築城しました。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われています。駿遠の国境に位置し、掛川の高天神城攻略の陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。天...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・弐
松平清康は、十四歳~十六歳の間に、足助城の鈴木重政及び、岡崎松平家の西郷信貞に勝利した、軍事的天才であった。 その年齢での軍事的才能の発揮ぶりは、類例を見な…
武田軍の突然の撤退は、徳川家康に武田信玄死去の疑念を抱かせ、その生死を確認するため、武田領である駿河国の岡部に侵攻・放火し、三河国では長篠城を攻めるなどしたところ、武田軍の抵抗がほとんどなかったことから信玄の死を確信。家康は、武田氏に与していた奥三河の山家三方衆(作手城の奥平氏、長篠城の菅沼氏、田峰城の菅沼氏)の一角である奥平貞能・貞昌親子を調略。浜松秋葉神社境内の山家三方衆屋敷跡奪回した長篠城に...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 08.松平清康・壱
前述の通り、松平長親は、1508年(永正五年)に隠居し、長男の信忠に家督を譲った。 信忠は、永正三河の乱に参戦しているが、確実な戦功及び、軍事的采配の記録は…
長浜の浅井歴史民俗資料館は、浅井三代の歴史と浅井三姉妹の波乱の人生を、ゆかりある武具や資料、人形ジオラマなどで展示されています。お江誕生人形ジオラマ 小谷城落城人形ジオラマ 実宰院人形ジオラマ小谷城址ジオラマまた、江戸時代後期から明治時代における浅井の庄屋・養蚕農家・鍛冶屋なども再現されています。この資料館の背後に見える大依山は、元亀元年(1570)6月28に日の姉川合戦にのぞむ浅井・朝倉軍が合戦に前に一...
松平信光の死後、1508年(永正五年)、今川氏親の名代、伊勢宗瑞の率いる、今川軍が、大樹寺を本陣とし、岩津城を攻めた。 永正三河の乱である。 伊勢宗瑞は、今…
半世紀(1787-1837年)もの長期にわたって征夷大将軍を勤め続けたことでも よく知られているのが、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉(1773-1841年)です。 もっとも、この方はこの他のことでも割合賑やかな話題を提供しているのですが。 たとえば、 〇精力増強のためオッ...
どうする家康 第19話「お手付きしてどうする!」 ~武田信玄の死と足利義昭の追放、お万の方の懐妊~
三方ヶ原の戦いで徳川家康をこてんぱんにやっつけた武田信玄は、まさに破竹の勢いといえる快進撃で西上を進めますが、その途中、信玄は血を吐いて倒れ、そのまま病...
どうする家康 第18話「真・三方ヶ原合戦」 ~三方ヶ原の戦い~
遠江を瞬く間に制圧していった武田信玄は、徳川家康の本城である浜松城を目の前にして、突如、進路を西に変えて三方ヶ原台地に上がり、そのまま浜松城を無視して三...
中村家住宅から舞阪駅に向かう途中で通りかかった天神社中村家の氏神で、元々中村家の敷地内にありましたが、現在は中村家住宅の北西に移されています。中村家住宅「天神社跡地」明治13年より昭和33年まで鎮座弘化2年(1854)津山藩8代藩主 松平齋民(なりたみ)公が再建したもの。現在は中村家住宅の北西に移されている。釘隠しは津山藩 上屋敷 鍜治橋屋敷のものを使用した。こちらは、松平秀康(結城秀康)をお祀りしている神社で...
世界遺産「二条城」、徳川幕府の栄華と終焉を見届けた城【京都・京都市】
二条城は徳川家康の京都での宿泊所として建立された。家康が征夷大将軍に任命された際には、盛大な祝賀を開催。また、15代将軍慶喜が大政奉還をおこなった場所でもありまます。そんな、徳川幕府の栄華と終焉を見守ってきた二条城とはどんな城だったのか?国宝指定の二の丸御殿などをめぐりながら紐解きます。
「駿府城」に2つの天守台出現!?大御所時代の家康の居城探訪【静岡・静岡市】
徳川家康の大御所時代の居城、静岡県の駿府城跡を探訪。発掘現場が公開されてますが、大御所時代の天守台とは別の天守台跡が出現したというのも驚き!そんなミステリアスな見どころもある、徳川家康ゆかりの駿府城を探訪。
浜松市雄踏町に中村家住宅という重要文化財があります。天正2年(1574年)2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれ、庭には、秀康の胞衣塚が残されています。母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。中村家住宅のパンフレットによると、中村家の初代・中村正範(まさのり)は、源範頼の末裔の武士で、大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさ...
家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…家康決死の"大高城兵糧入れ"
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ三方ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第18話の感想ぉ〜浜松城を素通りしようとした武田信玄の軍勢を追い、か…
松平信光の死後、家督を継いだのは、三男の親忠であった。 松平親忠は、松平氏の宗家を継いだとされるが、実際には、信光の嫡子は、長男の守家と考えられる。 松平親…
長浜市にある曹洞宗の徳勝寺は、小谷城主・浅井氏の菩提寺で、元は応永年間(1394年~1428年)東浅井郡上山田村にあったの医王寺という寺でした。永正15年(1518)小谷城主であった浅井亮政が城下の清水谷に移し、浅井家の菩提寺としました。小谷城落城により、浅井氏が滅亡し、かわって湖北を治めることになった豊臣秀吉が、居城を小谷から長浜に移した際に、文禄4年(1595)、当寺も長浜城内に移築され、亮政の法号に因んで、「徳勝...
武田軍との戦いで、徳川家康は本多重次を呼んで、長期戦になった場合の兵糧について相談すると、米を十分に貯蔵しているとの返事が返ってきました。それに喜んだ家康は、米蔵の位置に重次の屋敷を作ることを許し、それが後の浜松城の作左曲輪になったといいます。 作左曲輪 「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」 と長篠の陣中より妻にあてた手紙で有名になった本多作左衛門重次(1529~1596)が住んでいたところです。重...
徳川家康の先祖、松平氏の当主として、実在が、確認できるのは、三代目当主とされる、松平信光の代からである。 前述の通り、信光は、親氏の息子、または、泰親の息子…