メインカテゴリーを選択しなおす
今日は家族が出払って、ぽつんとひとり過ごしている。にんまり。掃除をしながら何をしようか色々と考えていた。ガラスペンで新しいインクを使ってみたい。Netflixで見たいドラマもある。買ってきた新しいビーズがあるからブレスレットを作りたい。自由っていいなあ。あれこれ考えて、今日一日することを決めた。こんな暇な日は、暇について考えてみよう。半分読みかけの「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著を最後まで読んでみよう。ハイデガーの退屈論によると、「私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するということは、自由であるということだ」でも、人間とっては「なんとなく退屈」という感情は本当に恐ろしいものなのだそうだ。その感情から逃れるように「気晴らし」が考案される。ただ、その気晴らしの最中に「退屈」してしまうという現象もあ...暇を満喫
【1079個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 今回で最終回とします。 まずは、本の内容から。 そもそも、なぜ人は退屈するのか。 人間は生きていく中で、心になんらかの傷を負う。 忙しくしている間は、それらを忘れていることができる。 暇になった途端、過去の傷や後悔の念にとらわれる。 人は、刺激のない安定した状態を求めるが、暇になると過去の痛みを思い出す。 暇に慣れていないほど、暇に耐えられなくなる。 刺激がないことに耐えられないのは、刺激がなくなると痛みの記憶が顔を出すからではないか。 それが退屈の正体ではないか。 と…
【1076個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 今回は、3つの結論の3つ目の内容です。 人間が人間らしく生きると退屈とは切り離せない。 だとすると、動物になることが退屈から逃れる1つの方法と考えることができるのではないか。 ここからは僕の話。 本書を読み込まないとわかってこないような結論のように思います。 動物になるとは何か。 僕なりに説明します。 人間は、家庭では家族の一員であったり、仕事では会社の一員であったりします。 そうやって、いくつもの世界を行ったり来たりできる。 その頻度が高いのが人間であると、それこそ本…
【1074個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 今回は、3つの結論の2つ目の内容です。 贅沢を取り戻す。 今の消費社会は満足をさせない社会。 物を受け取るのではなく、終わることのない消費ゲームを続けている。 そうではなくて、物を過剰に受け取ることによって満足するのだ。 それが、浪費であり、贅沢である。 物を受け取ることを楽しむことは、しかし、けっして容易ではない。 消費社会につけ入られてはならない。 楽しむためには訓練が必要である。 絵画や音楽のように。 身近な「食べる」であっても同じであり、ただ栄養を摂取するのでは…
【1072個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 引き続き、哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 終盤戦。いよいよ、結論です。 結論は3つあるようで、今回はその1つ目から。 本書を通して、暇や退屈について新しい見方を獲得してきた。 既にあなたは何事かをなしている。 実践のただなかにいる。 ここからは僕の話。 著者の言うことではないと思わなくもないですが、一理あると思いました。 自分の課題や世の中の課題は、こうすればいいといったアドバイスをもらえば解決するような単純なことではないと思っています。 とはいえ、その物事の本質を少し理解できることで気持ちが楽になっ…
【1069個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 引き続き、哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 自由があるから退屈する。 決断すれば、自由がなくなるが退屈しなくて良くなる(かもしれない)。 たとえば、将来を思い悩む時。 自分に何ができるかなどを考えるのは苦しい。 何をしていいかわからない。 そんな時に聞こえる「資格を取ると安心」という世間の声。 そして、資格を取るという決断をする。 勉強を始める。 周りの人は褒めてくれる。 資格を取るという決断すれば、ある意味では楽になる。 退屈を避けるために、好きでもない資格勉強に励むという構図…
【1045個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 引き続き、哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 本書が問いたいのは、暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか。 暇の中で退屈してしまい、与えられた楽しみや快楽に身を委ね、安心を得る。 それでも、心のどこかでは何かが違う、何かがおかしいという気持ちを持つものだ。 生きていることの意味の不在。 大義のために死ぬことにすら、心の底では憧れてしまうこともある。 ここからは僕の話。 本書を読み進める前に、「退屈とどう向き合うべきか?」について考えてみたいと思います。 会社で仕事をしている中では、人一倍、暇…
【1063個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 待ち時間、何もしない退屈な時間。 それとは別に、パーティーのように人と話したり楽しい時間を過ごしたはずなのに、どこか退屈な時間だったと振り返ることもある。 ここからは僕の話。 暇ではない退屈の典型的な例かと思います。 何かをやっているけど、どこかむなしい時間。 意味を見出せないのか、つまらないのか。 はっきりはしないけど、退屈な時間。 そのような時間は、何もすることがなくて退屈な時間よりもたくさん溢れかえっているような気もします。 ビジネス書界隈…
【1067個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 その中で、人間は自由があるから退屈するという説が出てきました。 僕なりの解釈です。 たとえば退屈な会議。 心の声「こんな会議に参加せずに、自分の仕事を進めていれば方がよかった。」 たとえば退屈な飲み会。 心の声「こんな飲み会に参加せずに、家に帰って家族と過ごしてた方がよかった。」 他の選択肢(自由)があるというこで、もっと良い選択ができたのではないかというような後悔を生んだりします。 その対比の中で、退屈やつまらないや有用でないといった感覚が生まれているのかもしれません…
【1060個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 特に観光するところがない駅で、電車を4時間待たなければいけない。 何もする気にならない。 時計を見るが、まだ3時間50分ある。 行ったり来たりしてみる。 時計を見るが、まだ3時間45分ある。 ここからは僕の話。 正確に覚えてないので、なんとなくのイメージで書きました。 このような状態が典型的な退屈の1つ。 本書では時間がぐずつく、引き止められるというような表現をしていました。 それに伴うむなしい時間に、人は耐えられないと。 先ほどの駅の待ち時間。…
【1057個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 消費社会で、僕達はある意味で我慢させられている。 消費は満足をもたらさない。 満足されては困るからだ。 消費を繰り返し行うサイクルに閉じ込められている。 食べ物を食べることには限界があるが、消費には限界がないから、延々と繰り返される。 繰り返されるのに、満足がもたらされないから、次第に過剰になっていく。 ここからは僕の話。 ビジネスの文脈では顧客満足というのは意識されているイメージでした。 その顧客満足というのは、一時的なものなのかもしれないと、…
【1055個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 労働の時間と余暇の時間。 労働は生産的活動をする時間であり、次第に忙しくしなければいけない時間となった。 一方で、余暇は非生産的活動をする時間となり、次第に何かをしなければいけない時間となった。 ここからは僕の話。 なかなか直球でズバッとくる内容でした。 労働では忙しいことが自慢になり得ますし、余暇は何かをしていることが自慢になり得ると思います。 別に自慢をしたいわけではないにせよ、どこかそういう概念に取り憑かれているような気がしてきちゃいました…
【1053個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 暇とは、何もすることのない時間。 客観的な条件。 退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分。 主観的な状態。 とはいうものの、ひまじん(暇人)という言葉はバカにする意味を含み、暇だという言葉は自慢には使わない。 要するに、暇という言葉は評判が悪い。 歴史を遡ると、暇な階級というものがあり、裕福な階級であった。 暇ということは余裕があるということである。 暇は自慢でもあった。 産業革命が起き、階級制度が崩壊。 消費をすることが裕福である証…
【1051個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 ほとんどの現代人は定住している。 つまり、自分の家があって、そこに住んでいる。 人間(人類)は定住することが常識だと思っている。 狩猟採集時代(およそ数百万年前〜一万年前)、ほとんどの人類は移動しながら生活していた。 定住を望んだができなかったわけではなく、移動することが常識であり、習慣であったはず。 環境の変化により、定住せざるを得なくなり、定住をはじめた(という説)。 人間は移動する暮らしに適しているため、定住ができなくても不思議ではない。 …
【1048個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。 まずは、本の内容から。 ラッセルの1930年出版の幸福論の内容を扱っている部分の抜粋です。 現代人の不幸。 「食と住を確保できるだけの収入」と「日常の身体活動ができるほどの健康」をもち合わせている人たちを襲っている日常的な不幸。 飢餓や貧困や戦争に比べれば何のことはないと言う人もいるかもしれない。 日常的な不幸には、そうした大きな非日常的不幸とは異なる独特の耐え難さがある。 大きな違いは、飢餓や貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。 しかし、日常的な不幸にはそれが…
【1042個目】 こんにちは! 研究者せしおです。 哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読み始めました。 なかなか素敵なタイトル。 まだ序盤ですが、読みやすく、なかなか面白そうです。 序章前半の内容の僕なりにまとめてみます。 社会を豊かにしようと努力する時、そこには使命感を持って打ち込むべきものがあり、人々は幸せである。 社会が豊かになると、打ち込むべきものがなくなり、人々は不幸になる。 というようなことを、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)が書物の中で述べた。 豊かになることで不幸になる構造なのであれば、何かがおかしい。 金銭的や時間的な余裕が…
國分功一郎の奇説――國分功一郎「傷と運命――『暇と退屈の倫理学』新版によせて」を読む
久しぶりにブログを更新する気になったので、今年3月に刊行された哲学者の國分功一郎の『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)の書評を書くことにしよう。 暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)作者:國分 功一郎発売日: 2015/03/07メディア: 単行本 気がつくと、以前に記事を書いたのは10ヶ月もまえになるから、ほんとうに久しぶりだ。こんなに長くブログを放置していたのははじめてである。どうしてこんなにあいだが空いたのかというと、ほんとうに哲学の勉強をやめてしまったからだ。哲学者の千葉雅也の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)関連の雑誌…