メインカテゴリーを選択しなおす
こんな一節があった。余の沙門、婆羅門の如きは専ら戯を嬉ぶと為す、碁局・博奕、八道、十道、百千道に至る種種の戯法、以て自ら娯楽となす。沙門瞿曇、是の如き事無し。『長阿含経』巻14「第三分梵動経第二」このように、仏教以外の沙門や婆羅門は、様々な遊戯や娯楽を楽しんでいるが、釈尊はそのような娯楽を楽しんでいないとしているのである。それにしても、訳語の問題だとは思うが、既に「碁局」というボードゲームの話が出ていたり、「博奕(ばくち)」という賭け事の話が出ていることが気になる。「ばくち」というと、「博奕」の他に「博打」という表現もあるが、後者は仏典には見えない。前者については、以下のような用例も見られる。若しくは博奕の戯の処に至れば、輒く以て人を度す、諸もろの異道を受けて、正信を毀さず。『維摩経』巻1「方便品」さて、...仏教の修行者とばくちの話
警察学校の寮で集団賭博が発覚、と。んな初期の頃の「こち亀」じゃないんだから(爆)
・千葉の警察学校の寮で賭博か 一日で数十万円も 24人を書類送検(NHKニュース)/いやー、黎明期の「こち亀」で、派出所の休憩室で徹夜麻雀やら花札やらで両津巡査長や中川巡査、戸塚巡査とかが賭け事やってたのが懐かしいなーと。そしてまさか昭和も終わり平成も終わった令和の世で警察学校でそんなことを(失笑)