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こんな一節があった。余の沙門、婆羅門の如きは専ら戯を嬉ぶと為す、碁局・博奕、八道、十道、百千道に至る種種の戯法、以て自ら娯楽となす。沙門瞿曇、是の如き事無し。『長阿含経』巻14「第三分梵動経第二」このように、仏教以外の沙門や婆羅門は、様々な遊戯や娯楽を楽しんでいるが、釈尊はそのような娯楽を楽しんでいないとしているのである。それにしても、訳語の問題だとは思うが、既に「碁局」というボードゲームの話が出ていたり、「博奕(ばくち)」という賭け事の話が出ていることが気になる。「ばくち」というと、「博奕」の他に「博打」という表現もあるが、後者は仏典には見えない。前者については、以下のような用例も見られる。若しくは博奕の戯の処に至れば、輒く以て人を度す、諸もろの異道を受けて、正信を毀さず。『維摩経』巻1「方便品」さて、...仏教の修行者とばくちの話