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残念ながら信号機は古い腕木式ではない。1973年8月 OLYMPUS 35DCにほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
磐越西線で動態保存されたC57型は、現役時代とはかけ離れた飾り付けで、これまた現役時代の殺気だった爆走とは違い、観光列車を引いてノンビリと走っていたのでした。車齢や安全管理面からは当然ですが、獰猛ささえ感じさせたC57の変貌ぶりにビックリしたのを思い出します。 津川駅でファンに囲まれるC57。たいへんな人気です。 無煙化によって蒸気機関車が全廃になる寸前まで、旅客列車を牽引していた高性能機でしたが、そのエネルギーの源である高温高圧ボイラーは、現在の安全基準を満たしておらず、ボイラーが傷んでも新製ボイラーへの交換は出来ません。だましだまし使用しての観光列車牽引が、1日でも長く続くように祈っており…
【Nゲージ鉄道模型】車両工作アーカイブ】TOMIXC57-135号機の入線整備を実施しました(^^♪
皆様こんにちは(^^♪車両工作アーカイブ2009年10月23日の記事をお送りします。__________________________________________国鉄北海道シリーズにハマッテおります管理人です(^^;)本日は先日我が家
50年前の夏_Part12(室蘭本線DD51+DD51、C57135)
げげっ、ディーゼル機関車かよ~(がっかり)。蒸気機関車を廃止に追い込んだ通称デラックスデゴイチ(ダイナミックデゴイチとも)。今ではこちらの方が人気が高い?今は鉄道博物館に展示されているカマ。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
【C57 180】SLばんえつ物語【喜寿HM】2023年仲秋(秋色の磐越西線とNikon Z8の試写)
令和5年9月から10月にかけて撮影した蒸気機関車C57 180牽引SLばんえつ物...
運転室に入れていただいた汽車が登別駅を室蘭方面に向けて出発。右端に写っているのは、同行した相棒。しばらくすると先ほどの汽車が戻ってきて苫小牧方面に向けて出発。相変わらず撮影場所を動いてない(汗)。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
海岸沿いの斜面に沿い、切通しで丘を、谷を築堤で越え、岬に続く山はトンネルで抜け、川は鉄橋で渡る、次々に移り行く車窓の景色が、心に染みていく汽車の旅。 山あいの勾配区間のS字カーブで身をくねらせるD51牽引の旅客列車。切通しで窓に迫った緑から、展望の開ける築堤へと列車は進みます。景色の連続する変化が、見る者の胸に、移動する距離感を刻む汽車の旅です。 駅にモクモクと迫る山からの緑も、きれいに処理された汽車旅の駅。停車した車窓から眺める駅名標が、ここまで来たのか、と到達感を乗客に伝えます。レールのジョイントをタタンタタンと刻む音と共に、着実に旅程は進み、目的地は近づくのでした。 窓の景色の中で、乗客…
その昔、朝鮮半島を経由して大陸の文化と文明をいち早く取り入れ日本の中で最先端地域であった出雲の国と山陰道。蒸気機関車の無煙化による消滅とその後の鉄道輸送の衰退は、それ以上の地域の衰えの前兆だったのでした。 雨のプラットフォームに滑り込むD51牽引の普通客車列車。線路近くまで山並みが迫り・僅かな敷地に集落が佇んでいます。 D51の引く長編成の普通列車が輸送量の多い幹線を感じさせます。 切通しを抜けるC57牽引の普通客車列車。灌漑用の山水の水路配管が切通しを跨いで、斜面を上手に利用する地域の知恵が感じられます。水平線に島根半島が浮かぶ山陰本線。 圧力計などの計器がずらりと並ぶD51のキャブ。全ての…
総延長673キロメートルに及ぶ山陰本線には、名門梅小路機関区を筆頭に、福知山機関区、米子機関区など数々の機関区が運行を担っていました。浜田機関区は長門機関区と共に、山陰本線の下関口の蒸気機関車を保守していたのです。 朝の日本海を左に見て突き進むD51とC57。蒸気機関車の快走に機関区での保守は欠かせませんでした。 レンガ造りの古風な機関庫の前でブロワーを吹かし圧力を上げるD51。機関庫脇に並ぶ各作業班の詰所と、背後の巨大な照明灯が、この機関区の重要性を物語ります。 石炭灰と煤で砂利が見えなくなった構内に設けられた歩行通路も機関区の活気を伝えています。 出発まで、しばし休息中のC57とD51。山…
機関車乗務員のご好意により運転室に入れていただいた。右上の操作部に号機番号が書かれている。この頃は煙をまき散らす石炭だったのかな?1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
日本海に沿って走る山陰本線。日本海と鉄道は地域の時代毎の変化に大きく関わっていたのでした。 かつては北前船が行き来した日本海を左に見て、京都方面行の貨物列車を引くD51。山陰本線の京都↔下関間の距離は、東北本線の上野↔青森に次ぐ長さで、700キロ近い長距離路線でした。 明治中期以降に日本全国の鉄道網が整備されるまで、日本海を使い、大阪から北海道を結んだ北前船は、日本最大の国内輸送ルートでした。北前船は、単に北海道の産物を関西にもたらしただけではなく、瀬戸内海から、山陰、北陸、東北の西海岸、北海道を航海する津津浦浦で地域の産物を交易する、日本海沿いの長距離商いの仕組みでした。もちろん瀬戸内の塩を…