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11月は割と落ち着いて過ごせていました。 幻覚、幻聴、頭痛、自傷行為といった症状が起こる回数が少しずつ減っていきます。 その分、薬の増量、交換といったことは頻回に行われていきました。 調子がいい時は外出もでき、近場の温泉施設に行き、帰ってきてはAmazonプライムでゆるキャン△を見ていました。 集中力があまり続かないため、ちょっと見ては止めての繰り返しですが、最終話まで見ることが出来ました。 見ているとソロキャンプにあこがれを抱き、キャンプ道具を買いあさります。 バイクに積めるテントと椅子は持っていたので、その他必要なものを揃えました。 いざキャンプに行こうとすると、家族に反対されます。 この…
bipolar01は本記事につき一切責任を負いません。---Ⅳ.双極性障害の薬でダイエットに最適なのは?2018年の研究によると、双極性障害に処方されることの…
ずっと幻聴、幻覚は続いておりその度に自傷行為を繰り返していました。 希死念慮は抱いていなかったので、ただ幻聴、幻覚から気をそらしたかっただけです。 出社しないと解雇になるが、ドクターストップが出ており、それでもっていうメンタルはもうありませんでした。 私しかいないはずの家でリアルな声が聞こえ、色々なところから見られているという視線を感じ、自分では理解が出来ずその声と問答を行い、ひたすらに耐えることしかできませんでした。 たまにだが、何かに集中できると一時は幻聴や幻覚から解き放たられるが、集中力が切れると一気に戻ってしまう、この落差が一番辛かった。 なので何もせず引きこもる生活が続きました。 1…
みなさん、こんにちは!(*^-^*)今は、気分もよく落ち着いています(*^▽^*)さて、自分の魂で感じているのですが、精神疾患というのは霊的なものがかなり影響しているように思います。と言うのは、症状に苦しめられていて辛そうな状態は、間違いなく邪霊が取り憑いているとしか
父が退院してから1ヶ月が経った。私の所には全然連絡をしてこなかった父。それが突然今日電話がきた。 『胸が苦しい。具合が悪い』 急に始まったな『どう苦しい…
父の担当のケアマネさんから連絡がきた。父は要支援1。現在週に1回ヘルパーさんを利用している。今までは料理だけお願いしていたが、隔週で掃除もして貰えないかケア…
【再投稿】うつ病の父。双極性障害(躁うつ病)とアルコール依存症の母。
間違えて記事を消してしまいました。いいねをたくさんして頂いたのにすいません。再投稿させてください。 もうすぐブログを始めて1年がたちます。ここで今に…
父のうつ病の症状には波がある。先週は具合が悪い、救急車を呼ぶと騒いだが、今週は落ち着いて過ごせているようだ。ヘルパーさんと一緒に家の掃除をしたそう。叔父は気…
9月に入ると、仕事に行ける状態ではなくなります。 なぜか幻聴、幻覚に加えて解離性障害に似た症状が出始めます。 記憶の共有はあり、急に性格や話し方が変わってしまい、私自身は他の場所から見ているという不思議な感覚を何度かしました。 このような症状を主治医に相談すると、とりあえず10月末まで仕事を休むように言われ、また休職することになります。 会社にこの事を報告すると、社長から10月末までに治らなければ、自己退職するよう言われます。 私はもう仕事を辞めたくなかったので、自己退職するつもりはないと伝えました。 部長も応援してくれましたが、昔気質な社長の決断は変わらず10月末までに治らなければ、自己都合…
『あのままだとお母さんいつか自殺しちゃうんじゃないかな...』ある人にこう言われた事がある。 分かっている。私が知る限り母は2回自殺未遂をしているのだ…
8月初頭の診療内科受診時は、体調も良く、仕事も前向きに考えられていると伝え、減薬できるか聞いたが、まだ早いとの事で見送りになります。 睡眠の質もよく、自ら進んで外出もできるようになり順調だと思っていました。 しかしお盆休みの終盤の8月15日深夜に、突然パニック状態になります。 急に声が聞こえ、誰かに監視されているような視線を感じて目が覚めました。 夢かと思ったが、目が覚めてもその感覚が襲い、怖くなり耐えきれず自傷行為を始め、私はこの日から寝れなくなります。 翌日になっても幻聴や幻覚が治らず、心療内科を予約するがお盆明けという事もあり、予約が取れたのは20日。 状態は変わらず、仕事も休んでいまし…
6月より転職し新しい会社に勤めています。 20代に勤めていた会社なので、ある程度は仕事内容も把握しており、研修もなく初日から仕事を任せられました。 また地元の小さな会社なので、介護職とは違い、そこまで時間に追われることもなく、自分のペースで仕事が出来き、手の痛みはあるものの、サポーターをしてなんとかPC作業はこなせていました。 デスクなどの配置や機器などは変わっているが、20年ぶりとは思えないほどしっくりきて落ち着つきます。 顔見知りもたくさんいたので、人が怖いと思うことや不安感もなく安心して職場まで行けており、この時はもうここで定年まで働こうと決めていました。 日記やTwitterにも落ち着…
もうすぐブログを始めて1年がたちます。ここで今に至るまでの両親との関係を少しまとめておきたいと思います。 1983年生まれ。幼い頃から父は月に1~2回の…
心療内科の主治医からは、まだ仕事は止められていたのですが、仕事をしないと生活できないことを伝え、半ば強引に就職活動を始めます。 就職活動をしたかったのは生活以外にも、自分の弱ったメンタルを強くしたいという気持ちがあり、同じうつ病でも嫁ちゃんは半日パートだが仕事が出来ている事があったからです。 希望は介護職は諦め、重たい物を扱わないデスクワークの仕事です。 そんな時、嫁ちゃんがネットで見つけてきた仕事を紹介してくれました。 なんと20代の頃働いていた会社で職種も同じデスクワークの仕事。 これならできると思いましたが、出戻りになるので採用率は低いと思いました。 躊躇はありましたが、6月には働かない…
4月に入るとうつ症状は転職前より悪化していた。 睡眠障害(不眠、過眠) 抑うつ 摂食障害(過食) 自己嫌悪 頭痛 右手の痛み 自己嫌悪の部分で考えが変わったのが、仕事が出来ない自分を責めるのでなく、なぜ労働災害が起きてしまったのか、せっかくうつ病のことも理解してくれる職場に巡り合えたのに、あのことさえなければと、労働災害を起こした自分に苛立ちを感じていました。 そのせいか、心療内科では薬が増量されていき、気分は滅入る一方です。 一方で、早く右手が元に治らないかと焦り、心療内科、整形外科の先生にあたり散らかしていました。 何とかならないか? 精神的にも身体的にも早く元に戻してもらいたい。 そう思…
おはようございます。 ひまわりBちゃんです。 🌟ポチッとしていただけると嬉しいです🌟 にほんブログ村 私には、大切な娘が一人おります。 彼女はこの10年間、心の病と闘いながら生きています。 想像を絶するような、困難に出逢ったこともありましたが、 彼女は実に粘り強く頑張っています。 その結果最近、 「元来の、明るくユーモラスな彼女に戻ってきたなぁ。」と感じています😊。 彼女の趣味の一つが、絵を描くこと。 「お母さん、ブログネタに困っているなら、この絵を載せてもいいよ〜😊👍」 と先ほどLINEが来ましたので、載せてみました😅💦 タイトルは、 「最果ての陽」 そこは天国だろうか 地獄だろうか 夕陽は…
右手の靭帯を負傷して以来、職場近くのクリニックに週2回通院し、治療、リハビリをしているが一向に良くならず、どちらかと言えば痛みが増しているので、大きな病院で検査をしてもらうため転院。 詳しく検査すると、3ヵ所ほど靭帯を損傷しており、医師からは負傷してから1ヶ月経っており、治療、リハビリしても完治するかはわからないと言われました。 かなりショックでした。 現状で見守りとコミュニケーションを図るくらいしか役に立っていない。 介護福祉士にとって利き腕が使えないのは廃業を意味するとまで思っていました。 幸い、マウスを動かすぐらいは出来ていたので、勉強してケアマネをとれば事務職でやれる可能性はあるが、ま…
あれはいくつの時の事だろう。たぶん3~4歳くらいの年齢だったと思う。こんな場面を覚えている。 『からす~なぜ鳴くの~』みなさんも知っている七つの子の童…
双極性障害を持ちながらサラリーマンとして働いています。順調ではなく、休職、退職、転職経験も...今も悩みながら働いています。今回は障害者手帳アプリのミライロIDについての紹介です。
双極性障害を持ちながら一般就労しています。順調ではなく、休職、退職、転職経験も...今も悩みながら働いています。今回は現場作業を久々にしてみて思ったことについて書きました。
2021年3月、私はまたも睡眠障害に悩まされていました。 3月2日の朝4時頃、嫌な夢で目が覚めリビングに降りていくと、嫁ちゃんが泣きながらそこら辺にあった紙などを破り、 「こんなもの要らない。」 とブツブツ言っているのを見つける。 急いで駆け寄るも、その行為をやめようとしません。 落ち着くまで話しかけ、理由を聞くも涙が止まらない様子で、とても辛そう。 ふと頭の中で精神疾患という言葉が横切る。 以前、主治医に 「身内に精神疾患の人はいますか?」 と、言われたことがあります。 もしかして私の影響ではと思い、その日は私も嫁ちゃんも仕事を休み、私の行っているクリニックで診てもらいました。 朝からクリニ…
今回は、今現在についてお話していこうと思います。 私は、統合失調症を罹患してからまだ1年程度、精神疾患に罹患してから3年程度です。 統合失調症になり、職を失ってからは障害者年金を申請し、そのお金で生活しております。 病歴についてお話しすると、適応障害→抑うつ状態→うつ病→統合失調症の順に悪くなっていきました。 ここで統合失調症について、少しお話させてください。 個人差があるので、あくまで私の場合です。 普段は耳鳴りと頭痛、気持ちが落ち着かない、考えがまとまらない、集中できない、音に敏感といった症状があり、特に耳鳴りは酷くなると雑音が声に変わり、幻聴として罵声を浴びせる様に言ってきます。 細かい…
2021年2月に入ると、職場に着くと手の震え、倦怠感が襲うようになってきました。 適応障害と診断された時の感覚に似ている。 また前回みたいに、息切れとかで倒れるのは嫌だ。 私のメンタルはいつの間にこんなに弱くなってしまったのか? と毎日考え込んでいました。 仕事にはまだ影響していませんでしたが、休みたいと思うようになっており、この際、うつ病のことはクローズにしていたが、オープンにしようかと考え始めます。 そしてAさんに相談すると、それで気持ちが楽になるならいいんじゃないか、という事で背中を押してもらい、オープンにすることを決意しました。 2月中旬、施設長に話を聞いてもらい、実はうつ病を持ってい…
先輩職員さんも優しく、仕事も丁寧に教えてもらい、何の不満もなく2ヶ月が過ぎ、 先輩職員さんや利用者様の名前や顔も一致し始め、仕事が楽しくなってくる時期でした。 一人で仕事も任せられるようになり、将来への不安も無くなっていきます。 ここならうつ病が悪化せず、治療をしながら続けられると思っていました。 会社にはうつ病のことはクローズなので、知っているのは一緒に転職したAさんだけです。 そのAさんも私のことを応援してくれ、愚痴や仕事のやり方などを情報を共有していました。 そして職場に馴染んでくると段々と見えてくるのが、職員同士のパワーバランス。 特にそれでギスギスしている様子もなく、時折、愚痴を聞か…
この頃から、世の中はコロナの混乱期で、息子ちゃんも休校でずっと家にいる状態でした。 自宅環境が変わって、気分の浮き沈みが激しくなる一方でした。 その話を主治医に相談すると、病院を変えてから抗うつ薬がイフェクサーからレクサプロに変更になっていましたが、3ヶ月経っても効果が見られないので、新たに抗うつ薬のアリピプラゾールが追加されました。 この抗うつ薬が自分にはとても相性が良かったのか、飲み始めてから日に日に気分が良くなっていき、倦怠感は減り、体が軽くなって行く。 何より枯渇していた気力が、徐々に満たされていき、周りの風景も違って見えるようになっていきます。 ここ数か月は暗い部屋を好んでいたのです…
1月後半~2月前半の日記やTwitterは以下のような事が多く綴られていた。 生活面での金銭的な事 今後の仕事について やる気が起きない 過眠 一つ目、金銭面 この頃は傷病手当の支給しかなく、介護職リーダーをしてても正直、安賃金です。 その2/3しか支給されず生活は厳しくなっていきました。 傷病手当だけでは足らないため、貯金を切り崩して生活しておりました。 ですが、主治医より「難しいことは考えないようにしましょう。」と言われていましたので、お金のことは気にしないように過ごすため、家計のことは申し訳ないですが嫁ちゃんに全てを任せました。 しかし気にならないようになったのはこれから数か月もかかりま…
九州へ旅行後、調子は良くなりました。 帰宅後も、調子良く久しぶりに息子ちゃんを乗せて、バイクで走ることも出来ました。 しかし、日増しに仕事の復帰を考え始めると抑うつ状態に戻り、あれだけ復職を願っていたはずなのに、今はそのことを考えると気分は落ち込み、生活音が気になるまでに戻てしまい、今後のことが不安でたまらなくなっていました。 自分はどうしたらいいのか分からなくなっていき、体調も下降し始め、主治医からは、まだ仕事に戻るのは早いとドクターストップをかけられ、休職期間の延長が続きます。 長い休みの中で、気持ちの中にも変化があったのか、今までであれば、もやもやするところなのですが、どこかで考える時間…
不思議と旅行に来てから不眠は治っている。 環境が変わったので思うのかもしれませんが、朝からすごく気分がいい。 寝起きも清々しく、健康だった頃の気持ちを思い出します。 これで抑うつ状態が治るなら、休職中なのでしばらく九州に住もうかとさえ考えた。 嫁ちゃんの許可がもちろん下りることはなく、年に一度は行きたいと思っていましたが、この数か月のちコロナに世の中が包まれ、その計画も没になりました。 さて話は戻りますが、叔母の家がある熊本の山間部。 山間部だけあって外は寒く、水は凍っており、吐く息も真っ白い。 あたりを見渡しても数件の家と畑、あとは山と川だけです。 日中、弟さんはポケモンGO(地元のポケモン…
昨日は、お酒を呑んだこともあってか、夜中に起きることもなく、久しぶりによく寝れました。 2日目は、祖父母の墓参りして、熊本の叔母(母方の姉)の家に行くことになっています。 祖父母は熊本に住んでいましたが、高齢になり叔父の家で過ごしていたので、お墓は宮崎にあります。 墓参り後、叔父が息子ちゃんに宮崎の名所を見せてあげたいとのことで、鬼の洗濯板のある青島神社、鵜戸稲荷神社へ連れて行ってくれました。 鬼の洗濯板のある青島神社 鵜戸稲荷神社 有難いことに、思いのほか人は少なく、おどおどしながらも嫁ちゃんの手にひかれて、ゆっくり回らせてもらいました。 昼食を挟んで2ヵ所でしたが、時間も押しており16時に…
2020年12月1日初出勤の日です。 家から一歩出るのも、ソワソワして中々出れなかったが、職場の駐車場で一緒に転職したAさんと待ち合わせている。 ※一緒に転職した人をこれからAさんと呼ばせていただきます。 私は6月に車を売却し、新車で買ったバイクしか持っていません。 遅れるわけにはいかないので、気力を振り絞りバイクへ向かう。 バイクに乗り始めると冬なのに風が気持ち良くて、気が付くと職場の駐車場に着いていました。 Aさんと合流し、「体調はどう?」と聞かれ「帰りたい。怖い。」と答えるとAさんも一緒と笑いかけてくれ、気持ちが少し落ち着きました。 ドキドキしながらも職場内に入りとりえず大きな声で挨拶。…
29日の朝6時頃、弟さんと母が迎えに来てくれ、九州へと出発しました。 精神疾患になってから初めての遠出。 正直、おどおどしながら車に乗り込みました。 母は、私に気を遣いながら話しかけてるのが伝わてきましたが、弟さんは「太ったなぁ」と一言。 一瞬、場が凍り付き、普段なら気分が落ち込むところなんですが、なぜか弟さんに言われても気分の上げ下げはなく、普通に家族と会話できていました。 疾患してから20㎏太ってたので仕方ありませんが、ショックだったのは覚えています。 はじめに向かうは、宮崎の叔父(母方の兄)の家。 休憩を挟みながら10時間程かかります。 弟さんが運転する車の3列目で、私はほとんど寝てまし…
私の体調を心配した母が、年末年始に母の兄妹のところへ気分転換しに行こうと、計画してきた。 はじめは断っていた。 体調は良くなっておらず、気分が落ち込んだと思えば今度は感情が高ぶったりを繰り返していた。 そして億劫がまだ残っていたからだ。 主治医に相談すると「気分転換を図るのは良いこと。無理の範囲を超えなければ、行ったほうがいい。」と言われ、少し考えるようになっていました。 先生の助言、そして嫁ちゃんと小3になる息子ちゃんはまだ、叔父叔母のいる九州に連れて行ったことがなかった事。 なにより息子ちゃんが生まれてから、一度も顔を見せていなかった事があったからです。 私の仕事の関係上、長期休暇などなか…
この頃から気分の上げがあまり見られなくなり、一日中抑うつ状態で、リビングに布団を敷いて過ごしていました。 何も楽しいと思えることもなく、気が付くと一日が終わっている。 入眠できても、痙攣や悪夢で目が覚め、熟睡感もありません。 朝、服を着替えるだけでも1時間程度時間が掛り、そのうち部屋着から着替えることも、お風呂なども入るなどの生活習慣も億劫になっており、正直週に1回程度しか行っていませんでした。 何をするにも億劫に思える様になり始めた時期です。
薬もなく、症状は悪化していきましたが、前の病院には関わりたくなかったので、紹介状のいらない心療内科を探していました。 正直、心療内科に不信感があり、もう病院には行きたくありませんでしたが、仕事に行ける状況でもなく、診断書がなければ家族にも迷惑をかけてしまうので、ネットで調べ予約を入れました。 受診当日、行くのが怖く躊躇っていたのを覚えています。 しかし受診すると自分が思っていたのとは真逆の対応でした。 先生に話してるうちに涙が溢れ言葉になりませんでしたが、時間をかけて症状を聞いてくれ体重が増加していること、頭痛、倦怠感、傾眠、不眠の繰り返し、気分の浮き沈みなどを伝えました。 すると症状一つ一つ…
主治医 もう休養して3ヶ月。 適応障害は、原因となるものから離れて3ヶ月以内には、治るものなんです。 気軽に散歩に行ったり、本屋とか言って本を読めばいいんですよ。 なぜできないんですか? 私 それができないから困っていると伝えました。 主治医 できないんじゃないんです。 やるんです。 仕事はどうしました? 辞めましたか? 私 仕事は辞めたいとは考えていません。 主治医 あなたが私の言うことを聞かないから治らないんですよ! と声を荒げて言われました。 私はその一言で張りつめていたものが切れ、涙が溢れだし、ここで治療しても治らないと思い主治医に他の病院に行きますと伝えました。 すると薬も処方しても…
この期間も日記も書けず空白の期間。 通院しても一向に良くならず家族や友人、職場の皆ですら信じられなくなっていました。 「ゆっくり治療に専念したらいい」「ゆっくり休んで」など優しい言葉を掛けてくれましたが、寝れない、仕事のことが気がかり、仕事を休んでいる罪悪感、どうやったらゆっくりできるのか、もう訳が分からなくなっていました。 頭の中を色々な事が駆け巡っており、何事も嫌になって希死念慮を抱いてました。 ぼーっとしていても、いつの間にか涙が出ている。 そんな毎日が続いており、外出するときはどこで死のうかと考え、何時間も散歩していたことしか覚えていません。 ※※※ 後で聞いた話ですが、ふらーっと散歩…
2019年10月に入ると、日記やTwitterにつぶやく気力もなく空白だ。 覚えているのは、家族との時間も億劫になり、すれ違いの時間を過ごしていました。 家族がリビングにいると寝室に閉じこもり、家族が寝る頃にはリビングで過ごす、生活音が頭の中で響くのが嫌だった。 通院すれば主治医から仕事を辞めろ、外出をしろと一方的に言われるだけで、こちらの話は聞いてもらえず、生きているのが嫌だったことを覚えています。 何を考えても、最終的には自分が悪いと思うようになり、無気力にぼーっとうつろな毎日でした。
休職して約1ヶ月半、主治医に退職を勧められた。 増薬しても効果見られず、根本的に今の職場が自分に合っていないと言われ「自分は復職するため薬を飲み日々を過ごしている。」と伝えると呆れたように「精神論では治りません。」と言われた。 主治医が言うのだからそうかもしれないと思い、もう1ヶ月休職することになりました。 ただ仕事を辞めるのは簡単だが、その後の生活、妻子や家を持つ身としては心配事が増える一方で、病院に行くたびに憂鬱になっていきました。 体調は波があり、良い時は趣味のバイクで少しの時間ではあるが外出し気分転換できていたが、悪い時はイライラしたりボーッとしたりの繰り返し、悪夢を見ては起きたりと睡…
気持ちばかりが焦り早く復職することを考えていましたが、心身がついてこず、倦怠感、頭痛、眠気が襲い何もしたくありませんでした。 周りからは今は休んでと言われるたび、お金のこと、職場の皆に迷惑をかけていること、考えれば考えるほど体調は悪化し、いつの間にか自己嫌悪が酷くなっていきました。 寝ていても、嫌な夢を見てすぐ起きては寝ての繰り返したり、体が痙攣の様に震えて寝れない時もありました。 不安な気持ちを口に出せればよかったが、家族の負担になると思い言えませんでした。
今週のお題「人生最大のピンチ」 3ヶ月後の11月中旬頃、主治医に言われました。 「あなたが私の言うことを聞かないから治らないんですよ!」 ずっと主治医からは、散歩に行ったりして気分転換を図りなさい、と言われていた。 しかし、倦怠感強く動くのも辛く、自分がどうしたらいいのかもわからず、涙しか出ない事を涙ながらに伝えた。 「あなたのその根性が悪い。」 そう言われ帰宅時に、嫁ちゃんが運転する車からドアを開け飛び降りようとした時に、制止されたのをおぼろげに覚えている。
介護福祉士として働いていた3年前の7月末、職場で倒れ精神疾患と診断されました。 病名は適応障害。 別に仕事が嫌なわけでも、行きたくないとも思っていませんでした。 しかし気持ちとは逆に、日を増すごとに身体は職場に行くと息切れ、倦怠感が強まり、次第に会社に行くのが怖くなっていました。 医師と相談し、1ヶ月の休職と診断されたことさえ自分では伝えることができず、嫁ちゃんに連絡してもらいました。 休養期間中、倦怠感強くボーッと過ごし、気が付くと涙が溢れている毎日。 通院の度に休職期間は伸びていきました。
2度目の社会復帰から4か月が経ち、新年を迎えると、わたしの周りが動き出してきました。 自分の中では… 「やっていけるのか?」「大丈夫なのか?」と言う不安と、 「もっとやれるはず…」と言う気持ちに毎日振り回されていました。 そして、主治医からのアドバイス「無視しすぎない」「今までのような仕事の仕方ではダメ」と言う言葉が、さらにわたしを空回りさせていきました。 そんな状態で新年を迎えると、「主任をやらないか?」と言う話が出てきました。 「自分の頑張りを認めてもらえたのかな…」と少し嬉しくもありましたが、現状では毎日が精一杯。 そして、自分自身がまだまだ、病気をどう理解して、自分をどうコントロールす…
コロナ感染者は認知症や精神疾患の高い状態続く東洋経済ONLINEに2022/8/22に掲載された記事です。新型コロナウイルスに感染した人は少なくとも2年間、精…
11月に入ると気持ちも少し前向きになり、本格的にダイエットに取り組みます。 朝4時に起きて6kmほどウォーキングして、私は朝食、昼食は抜きにして、夕食だけにしてました。 もともと健康な時は、夕食だけ食べる生活。 1日1食生活が、高校生の頃から習慣になっていたからです。 周りからはよくびっくりされますが、私はただご飯を食べると眠くなり、何もしたく無くなるという、単純な理由からでした。 さて10月20日85㎏から始めて11月10日75㎏で-10㎏まで減っていました。 体重が減ってくると、より気持ちが前向きになり、ストレスも低下し、禁酒も始めるようになります。 残りのは20日間も同様に過ごしました。…
10月半ばに面接に行ってきました。 うつ病はクローズで面接に挑んでいるので、私1人に面接官4人と、メンタル的にきつかったことを覚えています。 しかも採決の結果は、その場で告げられるというオマケつき。 冷静さを保つ、大きな声を出す、出勤できる時期が12月1日からという事を伝えるので精一杯。 頭の中は真っ白で何を聞かれたのかも覚えていません。 しかし結果は採用でした! 本当にうれしくて、泣きそうになりましたが、そこはぐっとこらえ、面接を終えました。 精神疾患を患ってから本当によく涙が出てきて泣き虫になっています。 これで転職の方向性が決まり、現会社にはパートでも戻らない旨を伝え、最終的に11月末を…
【好きな漫画】卯月妙子『人間仮免中』。統合失調症を患っている作者が描く、コミックエッセイ。絶望的な状況の中で、それでも明るく幸せに生きようとする、あるカップルの物語。壮絶。...
3月の後半は、気分が不安定になり落ち着かず、また新しい薬のリボトリールが追加されました。 この薬も相性が良く、不安は一掃されます。 元気になると不思議なもので、日記もろくにつけずほぼ空白。 この3ヶ月は抑うつ症状も減り、コロナ禍でしたがバイクで花を見に行ったり、日帰りツーリングや自宅でBBQなどをしたりと、今まで体調不良で遊べなかった分を取り戻すように外出しており、月に3~4日程度は気分が沈むときもありましたが、次の日には治っている状態でした。 ただ、先生にも言われていましたが、薬のおかげというのは忘れず、薬の飲み忘れには注意していました。 地元の公園の花 鳴門スカイライン 佐田岬灯台
7月に入るとまた日記やTwitterに書き込むようになりました。 よく書かれていたのは飲酒についてです。 主治医から、完治の言葉は一言もなく、社会復帰の許可も出ていませんでしたが、勝手に自分は治っていると勘違いし、薬のおかげで楽になっているというのも忘れ、自己判断で飲酒の量を増やしてしまいました。 飲酒後の、気分が開放的になる感覚が心地よく、いつからか、外出してからお酒を飲むという習慣から、お酒を飲んで一日が終わる習慣に変わっていきました。 この頃になると抑うつ状態も出始め、外出の機会も減り、飲酒をしていないと何をしていいのか分からず、孤独感に包まれ、落ち着かなくなり、お酒を量だけが増えていき…
8月初頭の通院時、主治医にお酒の量が増え体調が悪いことを告白すると、柔らかくだがきつく心に響くような感じで怒られました。 特に覚えているのが 「私に悪いと思わず、自分や家族に謝りなさい。私のために治療しているわけではないでしょう。自分のため家族のためです。自分の体が一番で、あなたの調子が悪いと家族も心配するでしょう。」 と言われたときは、心が痛かった。 でも伝えられたことで、少しは気持ちが楽になりました。 やはり背徳感があったのです。 先生が簡単に説明してくれましたが、お酒を飲みすぎると気分の上げ下げの幅が広がり、睡眠の質が落ちる、結果抑うつ状態が悪化するとの事。 しかし、急にやめるとストレス…
9月中旬、会社より休職期間は11月末までとの最終通告が来ました。 12月から復職するのか、退職するのかを選択して、10月中に返事を下さいとの事。 ついに結論を本気で考えないといけなくなりました。 正直、今は職場に戻るのが怖いと思っていました。 なぜなら、私がいないことで他の職員に、迷惑をかけているという事。 その罪悪感があり、職員と顔を合わすのが怖い。 どう思われているのかが気になる。 健康な時であれば、上記のようなことも気にせず、面倒なことから逃げ出して、新しい職場に行けばいいやと割り切れていたが、今はその割り切ることができず、悶々と考え込んでしまう。 転職するならば、私は介護職でしたので、…