メインカテゴリーを選択しなおす
麻混の夏糸で編み始めたソックス、1本目は 足首を過ぎてゴム編みに来たところで2本目の爪先を編み始める。 まだソックス編みは初心者の私は、つま先から編み始める方法が1番、編みやすいと思うのだけど、それには、コードの長い輪針で マジックループと言う技法が欠かせないのだけど…つま先の増し目が出来て、ここからは増減なく筒状に編んでゆく地点まで到達したら、私は出来るなら…ミニ輪針に換えて編みたい。長い輪針で、...
瀧浪貞子さんの著書『光明皇后』は、光明子の人生を肉親との死別を軸にまとめた歴史書です。正倉院宝物献納や奈良時代の政界の重鎮として有名な光明子ですが、家族とりわけ一人娘の阿倍内親王との関係は複雑な様相です。
奈良時代の美貌の女帝元正天皇の生涯を描いたパネル展示『元正天皇展』を見に平城宮いざない館を訪れました。通常の博物館展示よりもリラックスした雰囲気で元正天皇の生涯を楽しく学べます。
奈良国立博物館で開催される、2022年第74回正倉院展に行ってきました。展示の概要、チケット購入方法、今年の見どころをまとめました。『正倉院展』限定グッズ情報もご紹介します。
東アジアにおける古代社会では、漢文が国際語として用いられました。 つまりは、今日でいう英語の立ち位置ですね。当時は電話もなく、交通機関も発達していない。遣り取りは、使者に託した文書で行われます。 実は、4000年前の中東でも、似たようなことが行われていました。楔形文字の文書が、国際語だったんです。……大英博物館・中東部門副館長で、楔形文字解読の第一人者である、アーヴィング・フィンケル氏の著書からご紹...
北海道にも古墳があります。8~9世紀前半にかけての築造。本土日本の時代区分では、奈良~平安初期に相当します。※江別古墳群(復元)、北海道江別市元江別 ※各々、一部を引用 古墳時代を象徴する前方後円墳こそ県下にはないが、終末期古墳とよばれる律令国家成立期前後の古墳は、県内にも多数存在する。これは北海道の続縄文文化の系統を引く土壙墓と、南の古墳文化とが融合して出現したもので、小規模な円形墳丘の中に石...
平安時代の行政区分を見ると、北海道(蝦夷地)がありません。では、北海道は外国だったのか? それも違います。北海道に「国」はなかったので。※境界の日本史(p136-137)/森先一貴・近江俊秀/朝日選書983/2019.4.25……本の見開きページをスキャンしてアップしました。検索すれば、ウィキなどで綺麗な画像がヒットしますから、地図の詳細は、そちらでご確認頂ければと思います(_ _)さて、上図は律令制に基いた行政区分、...
昨日、テレビで明日香村の特集をしてて見入ってしまった。数か月に明日香村を訪れたけど、初訪だったから一押しの有名な場所ばかりを巡り、知らなかった。最近、復元され…
呪術廻戦の両面宿儺は飛騨の妖怪。君の名はの舞台の架空の街「糸守町」も飛騨。実は飛騨が日本発祥のだとしたら?山本建造氏が飛騨の古老から受け継いだ古代史の口伝を考察します。
「渡嶋」と目にすれば、大抵の人が北海道の渡島(おしま)半島を連想します。ただし、読みは「ワタリノシマ」です。北海道~本州に跨る海峡付近を指しました。 ※引用(改行を加えました) 津軽の北ということから、当然のなりゆきとして導かれる、渡嶋を北海道とする説が、近年の学界では有力である。しかしその前提には、当時の「津軽」を現在の津軽半島一帯にまで広げて考える理解があり、この点についてはさらに慎重に検討し...
8世紀後半。秋田城下にもオホーツク文化人が住んでいた。 ※一部を引用(漢数字⇒アラビア数字)持統10(696)年に粛慎の志良守叡草[しらすのえそう]が渡嶋の蝦夷とともに朝貢しているが、その同族と思われる志良須宇奈古[しらすのうなこ]が8世紀後半に秋田城の城下に定住していたことが知られ、[以下略]※秋田県の県史 県史5(p33)/山川出版社/初版2001.5.25 第2版2012.3.25……「東北の歴史を基本から」と意気込ん...
九鬼文書という古史古伝があるのですが。 ずいぶん前に購入して既に読んではいるのですが。 しかし、ブログにまとめるのしんどいね。 なので長らく放置してました。 今回も、まとめたというレベルではありませ
前回続きです。よかったら、どうぞ~のんびり風景を眺めてたいけど、まだ他にも見所があるし、下山。降りるルートが、隕石が落ちて吹っ飛んだ山の馬蹄形に削られた斜面と…
東北には、阿部・安倍といった苗字が多いです。奈良時代の後半以降に下賜された臣姓で、その頃は大抵、「阿倍」と書いていました。平安期には、安倍清明で知られるように安倍表記が、江戸になる頃には、阿部表記が主流だったようです。……先に安倍清明(10世紀)を挙げましたが、こちらは中央の安倍。中央の安倍の歴史は古く、後世は陰陽道に生きるようになりましたが、継体天皇の時代以降、急速に力をつけた氏族であると見られてい...
■四聖獣の壁画に出会う『キトラ古墳壁画体験館 四神の館』(奈良県明日香村)
目次 1 キトラ古墳の壁画を拝みに 2 キトラ古墳周辺は公園が整備されていました 3 壁画には「方位の四神」が描かれる 4 『キトラ古墳壁画体験館 四神の館』 5 貴重な古代の壁画が大切に保管されています 1 キトラ古墳の壁画を拝みに (写真:高松塚古墳
■誰が?何のため?『亀石』・『石舞台古墳』・『酒船石』古代ミステリー(奈良県明日香村)
目次 1 古代ミステリーの地『飛鳥』をポタリング 2 聖徳太子が生まれた『橘寺』 3 巨石を用いた石室『石舞台古墳』 4 『誰のお墓か』はミステリーの一つ 5 誰が?何のために?『酒船石』 1 古代ミステリーの地『飛鳥』をポタリング (写真:『亀石』何の
■押戸石の丘~謎の巨石群に記されたシュメール文字?~(熊本県阿蘇郡南小国町)
目次 1 謎の巨石群「押戸石の丘」へ 2 「押戸石の丘」までは、細い砂利道が続きます 3 「嘘つきは挟まれる?」様々な巨石群 4 古代シュメール文字が刻まれる巨石 5 見渡す限りの草原と巨石群は一見の価値アリ 1 謎の巨石群「押戸石の丘」へ (写真:「押
出雲大社に話を戻します。素鵞社で砂をもらった我々、さらにぐるっと出雲大社の北側から西側に沿って歩いた。この辺から見る大社造りの神殿も立派だねー。 前々回記...
とりあえず拝殿で参拝したあとは出雲大社をグルリと周ってみる。行ってみたいトコもあるし。オオクニヌシを祀った中央の拝殿以外にも出雲大社の周りにはいろいろあっ...
さてそれではいよいよ出雲大社にお参りしましょうかね。いわんやもトホ妻ももちろん初めて。入口にあたるちょっとしたロータリーみたいな勢溜(せいだまり)から境内...
山陰旅行ネタに戻るぞ。何てイッカン性のないブログだ(笑)。稲佐の浜の次にこの博物館のことを書いておきたいと思う。出雲古代史博物館っていうのは出雲大社の少し...
播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行。 そこで、四代目先導こと槁根津日子(さおねつひこ)(以下、サオネツ)と出会ったのであった。 前回は椎根津彦(しいねつひこ)(
播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行。 小柄な剣根(つるぎね)が解説していた時、筋肉隆々の日臣命(ひのおみ・のみこと)が、島内の大岩について、自慢気に語ってきた。
狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行は、播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した。 ここで、本編の主人公、サノが口を開いた。 サノ「前回の予告通り、家島(いえしま)に着いたぞ! 兵庫県姫路市に編入されている
興世姫(おきよひめ)と別れた狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行は、嵐に遭遇した。 そんな危機的状況の中、一行を先導する者が現れた。 二代目(一号)「ンア~。」 サノ「おおっ! 二代目っ! 助かったぞ!」 二代目(一号)は、一行を荒波の
七つ目と八つ目の候補地、無人島の高島(たかしま)と高島山(たかしまやま)の一帯に滞在中の狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行に基づく伝承が他にもあるので、ここで紹介したい。 ここで、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)(以下、イツセ)が噛み