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鵜目山 観音院 清林寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)は、江戸時代前期の1692(元禄5)年に僧の清閑によって創建された浄土宗寺院です。江戸時代には九品山 唯在念仏院 浄真寺(→東京都世田谷区奥沢7丁目)の末寺だったようです。清林寺所蔵の木造菩薩立像は横浜市指定有形文化財であり、寄木造(よせぎづくり)の技法は平安時代中期に平等院鳳凰堂(→京都府宇治市)の本尊阿弥陀如来像を彫った仏師定朝の流れを汲む特色を示しています。今...
大杉山 龍福寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)は安土桃山時代中期の1587(天正15)年に僧の宝宗(→宝相坊とも)が開基した真言宗豊山派寺院です。創建時の宗派は新義真言宗で、「関東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺でした。もともとの本堂は江戸時代中期の1762(宝暦12)年の火災で焼失し、2年後の1764(明和元)年11月に住職の日栄によって再建されています。以来、1923(大正12)年9月1...
大棚山 得蔵院 東善寺(→神奈川県横浜市都筑区中川7丁目)は浄土真宗本願寺派(西本願寺)寺院で、創建時は武蔵国橘樹郡小机領の臥龍山 雲松院 神太寺の末寺の曹洞宗寺院でしたが、戦国時代中期に僧の浄念が浄土真宗寺院に改め現在に至ります。以前ご紹介した浄土真宗本願寺派の弘願山 長徳寺(→神奈川県横浜市都筑区牛久保3丁目)は創建時の寺号を浄念寺といいますが、ここの改宗開基浄念と関係あるのかは不明です。東善寺は江戸時...
青蓮山 福聚院 慈眼寺(→神奈川県横浜市都筑区中川7丁目)は戦国時代後期の1571(元亀2)年に僧の浄海が開山した真言宗豊山派寺院で、創建時は大徳寺といいました。戦国時代中期の永禄年間(→1558年~1570年)に火災に遭い、現在地に移ったようです。江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺でした。慈眼寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡大棚村の条に次のように...
大棚杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区中川6丁目)は創建年代は不詳ですが、別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺院)の大杉山 龍福寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)の近くにあった社殿を昭和時代後期の1983(昭和58)年の土地区画整理事業にともない現在地へ移されました。『神奈川県神社誌』によると、この場所にはもとは吾妻山吾妻社という神社があり、明治時代後期の一村一社政策により八幡社・神明社・吾妻社の3社が合祀さ...
弘願山 長徳寺(→神奈川県横浜市都筑区牛久保3丁目)は戦国時代に一向宗の僧・浄源によって開山された浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。創建時の寺号は浄念寺といい東本願寺に属していました。安土桃山時代の検地帳には常仙寺とも書かれていたようです。本尊は阿弥陀如来立像で、盂蘭盆会(→お盆)の8月15日夜には横笛法要が行われ、横笛の調べと読経はさぞ幽玄な雰囲気を醸し出すことでしょう。長徳寺は江戸時代後期の1830(文政...
茅ヶ崎杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎中央)は延喜式神名帳に記載された式内社(→武蔵国都築郡杉山社)と比定される神社の1つで、明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策により村内の神明社・天王社が合祀されました。境内社に稲荷神社があります。〖主祭神〗・五十猛命(いそのたけるのみこと)〖合祀祭神〗・神明社→天照大神(あまてらすおおみかみ)・天王社→素戔嗚命(すさのおのみこと)・稲荷社→稲倉魂命(いな...
渋沢山 龍泉院 心行寺(→神奈川県横浜市都筑区荏田東4丁目)は、江戸時代前期に僧の相誉によって創建された浄土宗寺院です。江戸時代の都筑郡荏田村は2代将軍徳川秀忠の御台所・崇源院(→浅井長政3女)の化粧料(→女性が嫁ぐ際に取り交わされた土地)で、彼女の死後は菩提寺の三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の寺領となり、心行寺はその末寺となった由縁で、本堂には徳川将軍家の位牌が安置されているといいます。増上寺の...
お社杉山神社(勝田杉山神社とも→神奈川県横浜市都筑区勝田町)は創建年代等は不詳ですが室町時代前期の応永年間(→1394年~1428年)に作られた鰐口が掛けられており、室町時代には前身となる社(やしろ)が建てられていたことが分かります。江戸時代後期の1838(天保9)年8月に社殿を造営し、1846(弘化3)年9月に鳥居を建立しました。明治時代初期の1873(明治6)年に勝田村の村社となり、1911(明治44)年に国の一村一社政策により村内にあっ...
長窪山 総泰院 正覚寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東3丁目)は、寺伝によると安土桃山時代後期の1593(文禄2)年に快栄上人(かいえいしょうにん)によって中興された天台宗寺院です。1590(天正18)年、豊臣秀吉による小田原合戦で小田原北条氏は滅亡しますが、その時に秀吉による禁制(→兵の狼藉を禁止する命令書)が「総泰院同観音堂」に出されていますので、小田原合戦以前に創建されていたことが分かります。江戸時代には日吉不動尊の...
寿福寺観音堂(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東3丁目)は、昨日ご紹介しました綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)が管理する観音堂で、円通閣とも呼ばれ茅ヶ崎城址(→小田原北条氏の出城)から徒歩2分ほどの場所にあります。奈良時代に東大寺の廬舎那大仏造立に尽力した行基が長門国志賀の荒磯(→山口県下関市)で手に入れた高さ約204cmの正観音像(聖観音像とも)を、勧進(→大仏造立の資金集め)のため関東を廻っていた時に...
綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)は、鎌倉時代前期に清和源氏の多田行綱の子の智空が長福寺として開基した真言宗寺院として始まり、鎌倉時代後期には都筑郡王禅村などを領有していた金沢流(かねさわ)北条貞顕(さだあき→15代執権)の帰依を受けました。室町時代に衰退したものの智空から7代目の空誓が江戸時代前期に浄土宗本願寺派として寺を中興し、その後、江戸時代中期の1716(享保元)年に8代将軍徳川吉宗の嫡子...
勝田山 最乗寺(→神奈川県横浜市都筑区勝田町)は創建年代は不明ですが、江戸時代前期に僧の教龍が創建した浄土真宗本願寺派(→西本願寺)寺院と伝わります。本尊は阿弥陀如来立像で、江戸時代中期の1795(寛政7)年に建立された本堂が現在でも使用されています。浄土真宗寺院の内陣は極楽浄土を金色で表しています。最乗寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡勝田村の条には次のように記されています...
老馬鍛冶山不動尊(ろうばかじやまふどうそん)は、神奈川県横浜市都筑区中川にある旧大山街道沿いにある不動尊です。本堂には大日聖不動明王が祀られています。境内には稲荷社があり、神仏習合のなごりを残しています。本堂に続く石段の脇には「霊泉の滝」と呼ばれる滝つぼがあることから、江戸時代には老馬鍛冶山不動尊は「滝不動尊」とも呼ばれていたようです。とくに江戸時代中期の老中田沼意次(たぬまおきつぐ)政権下の1782(天...