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<赤穂城(後編)>の”城門”を巡るー塩屋門が移築された花岳寺山門、現存屋敷門、復元大手門など
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
昨日は気温は17度まで上がり穏やかなお天気でしたが 青空がなく 残念でした満開の桜には 青空がお似合いなのに・・・・にほんブログ村昨日の続き 山科大石神社の続きのお話をご紹介させていただきます大石神社から 5分ほど坂道を歩くと大石内蔵助 大石義雄山科閑居跡があります こちらで討ち入りまでの1年ほどを過ごされました結構広い敷地に 立派な満開の桜が咲き乱れていましたが どこかさみしげに見えました大石義雄君...
播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(1667-1701年)が、江戸城松之大廊下において、 高家旗本(高家肝入)・吉良上野介吉央(1641-1703年)に斬りかかるという 由々しき事件を引き起こしたのは元禄14年3月14日(1701年4月21日)のことでした。 当日の江戸城が朝廷...
赤穂藩家老で義士の大石内蔵助の実像とは?仇討は不本意で豪遊・放蕩に耽った!?
「忠臣蔵」「四十七士」「赤穂浪士」などで有名な赤穂藩家老の大石内蔵助は、「義士」「ヒーロー」とされていますが、果たしてそうだったのでしょうか?私は以前から、彼の実像はそう単純ではなかったと思っていました。人間は誰でも複雑な内面を併せ持った存
泉岳寺の御朱印|赤穂浪士は本当に義士だったのか!?(東京都港区)
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
* クリスマスマーケットphotos____ 例年と比べ暖かい赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットでした。 12月14日って赤穂浪士討ち入りの日だよね。ドラマや映画では降りしきる雪を突いて大石内蔵助以下47士が吉良邸を襲撃するシーンを何度となく観ました。 江戸の冬は寒かったなぁ...
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。泉岳寺の本堂を参拝し、いよいよ赤穂浪士・赤穂義士(泉岳寺では「赤穂義士」の呼び名…
取りあえず福豆だけは買いました皆さんは節分の準備を始めていますか?赤穂大石神社祈祷済みが気に入りまして🤭✨ご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の…
江戸川柳でたどる偉人伝(江戸時代②)浅野内匠頭・大石内蔵助・吉良上野介・宝井其角・加賀千代女
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
赤穂義士墓御朱印 参拝日:令和4年(2022年)10月24日 開閉門時間 アクセス 泉岳寺境内図 義士墓所に向かいます。 義士墓所 義士墓所の入口に「義士への鎮魂」の水琴が有りました。ここから先は少し空気が違う感覚が有った。 義士墓入口の門 神聖な気持ちで階段を上ります。門を潜ると直ぐ右手に社務所が有り、義士墓に供えるお線香を300円で頂きます。 朱印料は志しと言う事で、500円をお納めさせて頂きました。 こちらも朱印帳直書きでした。 義士墓お参り前にお願いしておけば、お参りの間に書いて頂けます。 順番にお線香をお供えご供養します。 浅野内匠頭の墓 大石内蔵助の墓 四十七義士墓所 曹洞宗 萬松…
「吉良邸討ち入り」(1703年)浪士の一人に「堀部武庸」(ほりべたけつね/1670-1703年)の名がある。剣がメッチャ強いだけでなく、かなりの文才も備えていたようで、「堀部武庸筆記」という記録も残していて、これは後世の赤穂浪士研究の貴重な資料になっているとのことだ。
18きっぷケチケチ旅行の1日目、明石、坂越に続く3カ所目の途中下車です。 播州赤穂駅 赤穂城址までの道 赤穂城址 赤穂大石神社 花岳寺 岡山へ 播州赤穂駅 JR赤穂線の播州赤穂駅です。大学生時代に友人たちと海辺でキャンプするために一度訪れたことがあります。久しぶりです。 赤穂という名の町はここだけなのに、なぜ駅名に播州がつくかと思ったら、開業当時に飯田線に赤穂駅(現・駒ケ根駅)が既にあったからなんですね。 (Wikipedia情報) 赤穂といえば忠臣蔵のモチーフとなった赤穂事件です。浅野内匠頭は赤穂藩藩主でした。 実は忠臣蔵の話、あんまり良く分かっていないんですけどね。そこまで興味ないというか…
今日は【播磨国】の 赤穂城 を紹介したいと思います。 ここへ行ったのは、正直なとところ姫路城へ行ったついでだったのですが、実際にこの城を生で見ると立派で壮大な城でありました。 それは素