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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 69.徳川家康・五十七
関ケ原の合戦は、二次史料が、複数あるため、実態は、不明である。 以下は、筆者が、要約した、当日の様相である。 宇喜多秀家は、石原峠を背後に南東の方角に向けて…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 68.徳川家康・五十六
細川幽斎は、『古今集証明状』を八条宮に贈り、『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上した。 遂に、後陽成天皇は、細川幽斎の歌道の弟子、三条西実条と中院通勝…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 67.徳川家康・五十五
8月8日、吉川広家と安国寺恵瓊が、指揮を執る、約一万の軍勢が、長束正家勢と共に、伊勢へ出陣した。 石田三成は、岐阜城主、織田秀信と相談の上、尾張方面に出陣し…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 66.徳川家康・五十四
7月23日には、徳川家康が、最上義光に対して、石田三成と大谷吉継が、各地に書状を触れ回しているとの「雑説」があるので、会津侵入は、「御無用」とする指示が出さ…
国宝犬山城国宝犬山城犬山城天守犬山城 天守内犬山城天守内犬山城天守から木曽川を眺める犬山城城下町国宝犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城した平山城。1617年に尾張徳川家の付家老である成瀬正成が入城し、明治維新まで成瀬家が城
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 65.徳川家康・五十参
7月15日、毛利輝元は、上坂要請を受けると、広島を出発すると、同日に、加藤清正に豊臣秀頼への忠節ための上洛を促す書状を送った。 更に、同日、島津義弘は、上杉…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 64.徳川家康・五十弐
1600年(慶長五年)3月、越後国の堀秀治が、会津の上杉景勝の重臣、直江兼続に越後の年貢の下半期分まで持ち出された訴えを起こした。 更に、出羽国の最上義光ら…
徳川家康像徳川家康像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。岡崎城で生まれるも、幼少期は、今川義元→織田信秀→今川義元の人質となる。「金陀美具足」を着用し、桶狭間の戦いの大高城兵糧入りを行う。今川義元敗死後、織田信長と同盟。三
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 63.徳川家康・五十壱
文治派は、豊臣秀吉の死後、徳川家康の専横に対し、危機感を持ち、抑制しようとした。 しかし、武断派の多くが、徳川家康に味方したのに対して、文治派の中には、徳川…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 62.徳川家康・五十
豊臣秀吉の死の年、後継者の豊臣秀頼は、わずか、六歳であった。 そのため、五大老、五奉行の合議制となっていた。 豊臣秀吉の遺言によって、徳川家康は、三年間は、…
黒牢城 [ 米澤 穂信 ]:作者の執筆内容の幅に驚くばかりでした
特別お題「わたしがブログを書く理由」 本は、読んだ感想をちょっと書くだけで、ダンゼン、頭に記憶が残しやすくなるんですよね。 自分だけのノートにメモにするよりも、いっそブログにしてしまったほうが、いろいろ便利です。 内容紹介(「BOOK」データベースより)「おぬしならばこの曲事を解ける」本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の軍師・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。 What)これは何のた…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 61.徳川家康・四十九
豊臣政権を揺るがす、「秀次事件」を受けて、豊臣秀吉は、諸大名に対し、上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。 徳川家康は、豊臣秀吉の命令で上洛した。 以降、開発途…
「信長の野望」シリーズ初の“歩いて天下を目指す”戦国ウォークゲームです。信長の野望小学生の頃の「信長の野望全国版」から始まり、戦国群雄伝、武将風雲録…と続き、人生において、やったりやらなかったりの「信長の野望」ですが、久方ぶりに秀吉公と戦国
戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄公騎馬像戸田氏鉄公騎馬像と大垣城 戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 60.徳川家康・四十八
豊臣秀吉の直轄領は、太閤蔵入地と呼ばれたが、畿内及び、九州に二百二十万石である。 即ち、徳川家康は、天下人であり、主君の豊臣秀吉を超える、大大名になったと言…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 59.徳川家康・四十七
蟄居中の北条氏直は、富田一白と津田盛月を通し、徳川家康に対して、赦免の執り成し依頼を行っている。 翌年の1591年(天正十九年)2月、早々に徳川家康を通して…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 58.徳川家康・四十六
しかし、北条氏政が、講和条件を拒否したために、豊臣秀吉が、黒田官兵衛孝高に命じ、交渉に当たらせた。 6月16日、北条氏政の重臣であった、松田憲秀の長子の笠原…
NHK大河ドラマ「どうする家康」で、本多忠勝ロスの方は会いに行ってみてはいかがでしょうか。 本多忠勝公像本多忠勝像本多忠勝 武将印とパンフレット 本多忠勝(1548-1610)徳川四天王の一人。桑名10万石初代藩主。生涯において57度の合戦
「信長の野望出陣」でイベント攻城戦(第2期)が始まりました。竹中半兵衛の情報はこちら。竹中半兵衛重治公像竹中半兵衛重治(1544‐1579)秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 57.徳川家康・四十五
浅野長政は、5月20日時点で、豊臣秀吉の命に従って、急ぎ軍を返すと、武蔵国方面に侵攻しており、寿能城及び、岩付城を攻めた。 5月21日時点にて、浅野長政は、…
御城プロジェクト お城を擬人化した「城娘」を育成する本格タワーディフェンスRPGがハマります! 御城プロジェクト 御城プロジェクトとは、御城×育成×…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十四
松井田城主で、北条氏累代の重臣、大道寺政繁は、北方軍を碓氷峠で、迎え撃ったが、与良が、真田勢の先方の真田信幸隊に打ち取られた。 主力は、真田軍と激戦になった…
昔は9月15日が敬老の日今年は18日が休日で敬老の日 出来ればご声援お願いいたします m(__ __)m キングダム 運命の炎 公開中廉頗(れんぱ)老いても なお軒昂な人はいる中国の戦国時代の趙の名将 。藺相如との関係は「刎頸の交わり」として 有名な話。中が争っていては国家は揺らぐ。廉頗は 年老いても 一飯に斗米、肉十斤、甲を被り馬に上ったという、斗米は10升 十斤は 2,2KGお肉のほうは ...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十参
北条軍は、伊豆の南端の下田城を防衛線として、水軍を集結させていたため、西伊豆の諸城砦には、少数の陸戦部隊しか、配置していなかった。 同年の3月1日、豊臣秀吉…
この案内が広報おおつの8月1日号に載り、 受付開始週には早速予約の電話を入れた私。 詳細は⇒https://hieizansakamoto.jp/2023re…
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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 54.徳川家康・四十弐
11月24日、豊臣秀吉は、北条氏との手切れ書を北条氏及び、諸大名に配布した。 同日の豊臣秀吉から、徳川家康への書状では、来春の出陣決定と陣触れを出したことを…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 53.徳川家康・四十壱
豊臣秀吉は、北条氏政、徳川家康から事情聴取を行い、沼田領内の三分の二を北条氏政、三分の一を真田氏とする、譲歩に近い裁定を行った。 豊臣秀吉は、北条氏の当主の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 52.徳川家康・四十
1586年(天正十四年)11月1日、徳川家康は、京へ上ると、11月5日、朝廷に正三位に叙される。 この時、多くの徳川家康の家臣が、叙任されている。 徳川家康…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 51.徳川家康・三十九
1586年(天正十三年)11月29日、日本列島中央部を「天正大地震」が襲った。 被害は、甚大であり、中部、東海・北陸の広範囲に及んだ。 地震発生の際、豊臣秀…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 50.徳川家康・三十八
1586年(天正十三年)1月2日、徳川家において、主君の徳川家康に次ぐ、筆頭家老の重臣である、石川数正が、出奔し、羽柴秀吉に帰属する、事件が発生した。 石川…
信長の野望出陣がついにサービス開始!歩きながら戦国時代を体験しよう!
信長の野望の新作位置情報ゲーム、楽しみです!実際に歩きながら、街を戦国時代に感じることができるなんて素晴らしいですね。 東海道五十三次の疑似体験も楽しみです!どこかで合戦が起こるかもしれない緊張感を味
~一隻のポルトガル船が種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝えた~また、あるいは、~種子島に流れ着いた一隻の中国船に乗っていたポルトガル人が、 2丁の鉄砲を携えていた~いずれもいわゆる「鉄砲伝来」(1543年)についての説明文だが、漂着とされる船舶がポルトガル船だ
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 49.徳川家康・三十七
羽柴秀吉は、滝川雄利を使者として、浜松城に送り、徳川家康と講和しようと試みた。徳 川家康は、返礼として、次男の於義丸、即ち、結城秀康を秀吉の養子にするために…
宇都宮ライトレール?LRT?ライトライン?路面電車?開業に伴う便乗日記3部作もこれにて完結! ご愛読ありがとうございました、次回作にご期待ください。 なんかこの流れ墨田区PayPayの日記でやったな。 話題になってる時にとりあえず題材にしとけ感。 なんだっていい!おすすめスポットを知ってもらうチャンスだ!(ミストさん) さて今回題材にしたのは宇都宮駅西口から徒歩10分ほどのところにあります… カフェギャラリー柚 www.cafegallery-yuzu.com 結局西口じゃねーか。 しょーがねーだろー写真ないんだからー ライトレール沿線で行ったところと言えば ショッピングモール ベルモール B…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 48.徳川家康・三十六
四国では、6月11日、長宗我部元親が、十河存保の十河城を落し、讃岐国を平定した。 第二次十河城の戦いである。 徳川家康は、長宗我部元親に「淡路・摂津・播磨を…
映画「キングダム3」が公開され、注目度が高まる中国史。キングダムって何が面白いの?中国史ってほかにどんなのがある?そんな疑問に答える3冊を紹介します。 時は紀元前、春秋戦国時代。いまだ一度も統一されたことのない中国大陸 ...
<清洲城(清須城)> 天下を目指す”織田信長”の出発点となったお城、現在は模擬だが綺麗なお城に!
8/18(金)に「青春18きっぷ」を使い、岐阜・愛知3城巡りに出かけました。 1城目の「竹中氏陣屋」から2城目の「清州城」(愛知県清須市)へ向かいました。JR…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 47.徳川家康・三十五
森長可の討ち死によって、池田・森軍の左翼が、崩れ始めると、徳川軍の優勢となった。 池田恒興は、自軍の立て直しを図ったが、永井直勝の槍を受けて、討死にした。…
■徳川の屋台骨を創った老臣石川数正は徳川家康が竹千代を名乗る幼少の頃より近侍し、長じて家康嫡男の岡崎信康を助けた功臣です。まだ家康が松平元康を名乗ったころ、今…
鬼武蔵と呼ばれた男、森長可。武士に価値を見出さなかった猛将の胸中。
■どうする家康にまた屈指のイケメン武将が♪ 令和5年(2023)NHK大河ドラマ「どうする家康」を見ていたら、またイケメン武将が登場しました。イケメンの…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 46.徳川家康・三十四
4月7日、徳川家康は、羽柴秀吉の姉の息子、即ち、甥である、羽柴秀次の軍が、上条城・大留城等、篠木周辺に、二泊宿営した頃に、近隣の農民、伊賀衆からの情報で、秀…
群青戦記(ブレイブ)強さランキングTOP15!最強の高校生は誰?
笠原真樹が描く人気漫画『群青戦記』。『ブレイブ -群青戦記-』として映画化もされた本作のキャラ最強ランキングTOP10を紹介します。不破や戸田といった高校生アスリートの強さも考察しているのでぜひ読んでみてください。
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 45.徳川家康・三十参
羽柴秀吉は、織田信雄が、津川義冬・岡田重孝・浅井長時を処刑したことに激怒すると、織田信雄に対し、出兵を決断した。 徳川家康は、織田信雄と同盟を結ぶと、紀州の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 43.徳川家康・三十壱
前述の通り、織田信長が、本能寺の変によって、明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が、山崎の戦いで、明智光秀に勝利し、主君の仇を討った。 織田信長の嫡男で、織田家の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 42.徳川家康・三十
しかし、依田信蕃の許に集結するのに反対する、勢力は、北条氏政の信濃佐久郡の岩尾城主の大井氏の許に集まった。 11月、依田信蕃は、信濃国の前山城を攻めて、前山…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 41.徳川家康・二十九
6月11日、北条氏政は、本能寺の変で、織田信長が、横死したことを知ると、6月12日、軍事動員を行った。 6月中旬、秩父往還を守備していた、浄居寺城の大村忠堯…