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鉄砲伝来とサツマイモの神★ おゆすき観光 @ 鹿児島県西之表市 鉄砲館 栖林神社
前回の記事は、こちら『優しい風味の美味しいバター★ヤサシミノカタマリ ふるさと納税 @ 鹿児島県西之表市 種子島バター』今日も、ふるさと納税でいただいた、おす…
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のものであり、 それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に過ぎない~こうした受け止め方を「中華思想」と呼ぶ。そして、この「中華思想」がハンパな物でないことは、その東西南北四周の異民族に対する呼び方に
残った時間も目いっぱい楽しんじゃお 宮之浦へ~おいちゃんのリクエスト、歴史民俗資料館で島の歴史を勉強します。100円! どっちが?正解は左がヤクシカ!…
~一隻のポルトガル船が種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝えた~また、あるいは、~種子島に流れ着いた一隻の中国船に乗っていたポルトガル人が、 2丁の鉄砲を携えていた~いずれもいわゆる「鉄砲伝来」(1543年)についての説明文だが、漂着とされる船舶がポルトガル船だ
遥かヨーロッパからこの日本に「鉄砲」が伝わった、いわゆる「鉄砲伝来」は、戦国の世真っ最中の1542年か1543年のことだとされている。そのハイテク武器「鉄砲」が最初に上陸したのは大隅国の種子島。今なら中学生ほどの年齢だった若き領主・種子島時堯(1528-1579年)はこれ
~泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず~いわゆる「黒船来航」(1853年)で吃驚仰天した様を揶揄した狂歌だ。蛇足ながら、この「上喜撰」とは茶の銘柄であり、「蒸気船」(黒船のこと)にかけた言葉になっている。それはともかく、それこそ「見たこともない」ハ
戦国の時代に、遥かヨーロッパから九州の南に位置する種子島に初めて鉄砲という道具が伝わったのが、いわゆる「鉄砲伝来」(1542?1543年?)だ。ときの若き領主・種子島時堯(1528-1579年)は、その鉄砲が備えた威力を間近に見て、さっそく実物二丁を買い求め、そして、すぐ
楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 大航海時代が島国ジパングにもたらした影響
世界は大航海時代となり、黄金の国と呼ばれた日本には西洋文化やキリスト教が伝来し、戦や人々の信仰に影響していく。