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『愛国百人一首』の選定された49首目は新納忠元です。 (著者所持の『愛国百人一首』の新納忠元の絵札) あ ぢ き な や も ろ こ し …
戦国LOVEWalker「最愛の城100選」!城ファンが選ぶ大好きな城は?偏愛テーマも…
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、戦国LOVEWalker「最愛の城100選」!城ファンが選ぶ大好きな城は?偏愛テーマも…です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌な
『愛国百人一首』の選定された48首目は森迫親正です。 (著者所持の『愛国百人一首』の森迫親正の絵札) い の ち よ り 名 こ そ 惜 …
#632 47首目:三條西(藤原)實隆-シリーズ愛国百人一首 48
『愛国百人一首』の選定された47首目は三條西(藤原)實隆です。ここから室町戦国時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の三條西(藤原)實隆の絵札) …
【隠れた名作アニメ『へうげもの』】あまりにも通好みすぎた歴史アニメ。古田織部と千利休の人生を描いたマニアック作品。
(adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); はじめに 「日本の代表的なアニメといえば?」 こう聞かれたなら、あなたならどう答えるだろう。 やはり宮崎駿監督のジブリ作品だろうか? 全世界にコアなファンを抱える庵野秀明監督の『エヴァンゲリオン』? 富野由悠季監督の『ガンダム』も、未だ根強い人気を誇っている。 『サマーウォーズ』に代表される細田守監督作品だって人気がある。 『君の名は。』で一躍名を馳せた新海誠監督作品は? 世界的大ヒット映画『マトリックス』に影響を与えた押井守監督の『攻殻機動隊』…は、少しマニアックか。 大人向けアニメの先駆者…
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」 2026年の大河ドラマが、「豊臣兄弟!」とNHKから発表されました(2024/3/12)。主人公は、豊臣秀吉公の弟・豊臣秀長公で、仲野太賀さんが演じます。脚本は八津弘幸さんです。 本ブログの伯耆守は、黎明
7~9改 火宴供す 立花宗茂 9p 江戸時代(後)更新しました(筑後 柳川藩初代藩主、立花宗茂を俳句で詠んで)
*季語、及び年表は陰暦に基づいております。*改名を繰り返している人物は、人生の中で有名な名前で統一しております。*歴史上の人物の為、立場が違うと別の見方があるかと思われます。ご了承いただければ幸いです。誕生〜関ヶ原の戦いは、以前の記事にアップしております。7江戸時代(前)8江戸時代(中)9江戸時代(後)火宴供すは今回で最後になります。お読みいただきありがとうございましたm(__)m以前、歴史人物俳...
いまさらの感がありますが、いくつかのTV時代劇を観て、ひょいと気が付きました。 ~戦国時代と江戸時代の武士の座り方には違いがあるゾ~ もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんから、つまりは 正座(せいざ)と胡坐(あぐら)のことになります。 「正座」というからに...
加藤清正時代に築かれたとみられる熊本城備前堀東側の石垣で、最下段にある根石の据え方や石の積み上げ方が場所によって異なっていることがわかった。 10日午後0時半と午後1時半と午後2時半から現地説明会があるという。[熊本日日新聞]...
#256 『信長公記』を読むその31 巻14の4 :天正九(1581)年 信長公のお馬揃え
『信長公記』巻14 天正9(1581)年のその4は、豪華な信長公のお馬揃えについてです。 信長公、豪華なお馬揃えを開催 京都・安土でのお馬揃えに向けて信長公は…
#257 『信長公記』を読むその32 巻14の5 :天正九(1581)年 安土城でのことなど
『信長公記』巻14 天正9(1581)年のその5は、安土城での各イベントなどについてです。これで巻14は終わりです、。 相撲大会 諸大名などからの進物の数々 …
#258 『信長公記』を読むその33 巻15の1 :天正十(1582)年 安土城について&雑賀攻
『信長公記』最終巻の巻15 天正10(1582)年のその1は、安土城のことと雑賀攻めについて 豪華な安土城(安土城天主復元模型1/20スケール(内藤昌監修/…
戦国時代のサプライズ・スター!石田三成の知られざる"粋"な一面
もう2月も後半へと突入し、心の衝撃も大分和らいだので、記すことにする。”時空を超える!戦国ワールドとホストのギャップ!”で書いた通り、今年はなんと、時代劇にでも出てきそうな戦国手帳を使っている。そして、そのページをめくるたび、まさかの発見が!で、衝撃の事実が飛び込んできた。石田のみっちゃんこと、石田三成にまつわる小ネタが飛び込んできたのだ。はい、あの真面目そうな三成さんが実は・・・・・!石田のみっち...
「 悪し妻かたり 」 タイトルだけだと、なんだか毒々しい感じを受けたのですが、開いてみれば期待とはウラハラに、可愛いヒロインが。ほっとしたような、しないような。 設定は戦国時代でしょうね。 蛇神の加護を受ける一族の、蛇姫が、主人公。 戦で夫を亡くし、その仇と結婚させられてしまう。 ・・・と、なかなかイヤーな話から始まるのですよ。 それにしても、冒頭、蛇神と言うから、角とか生えてるようなドロドロした蛇を想像巡らせたのに、ふつーに可愛げな(?)蛇が出てきて💤 そして! やっぱり旦那さまはかっこいい。 女子漫画あるあるです。 けれども、飾りたてている描き方ではないですね。本当に綺麗な絵だと思います。…
5~6改 火宴供す 立花宗茂 6p 関ヶ原の戦い更新しました(筑後 柳川藩初代藩主、立花宗茂を俳句で詠んで)
*季語、及び年表は陰暦に基づいております。*改名を繰り返している人物は、人生の中で有名な名前で統一しております。*歴史上の人物の為、立場が違うと別の見方があるかと思われます。ご了承いただければ幸いです。誕生〜九州平定後は、前の記事にアップしております。5九州平定後6関ヶ原の戦い以前、歴史人物俳句と称して歴史上の人物の出来事を俳句で詠んでおりました。時が経ち、以前創ったものが俳句としてあまりにも稚拙...
お腹も満腹になったところで。いざ!出陣!!!!大阪と言えば。。。大阪城でしょう~~~下調べして電車で 大阪城公園駅までワーーーーーーーー!駅までかっこいい北海道は歴史が浅いから こういった戦国時代なんかの歴史を抱える場所がないんだよね~すでにタイムスリップ状態だわステキだ~そして行くぜーー!!!!大阪城観光客のみなさんは、ホントに多国籍 同じ日本なの?と思っちゃった博物館からなんだけど、こんな全貌...
日本の封建制度は、中世から近世にかけての日本における政治・社会体制で、特に武士階級が支配層となり、地方を支配する大名やその下の武士たちが、中央政権から一定の自治権を持って地方を統治する制度である。この制度は、平安時代末期から江戸時代末期まで続いた。 封建制度の始まりは、平安時代末期に遡る。この時期、中央政権の権威は衰え、地方の豪族や武士団が力をつけ始める。彼らは自らの私兵を持ち、地方を支配するようになる。特に源頼朝によって確立された鎌倉幕府は、日本における封建制度の基礎を築いた。幕府は御家人と呼ばれる武士たちに対し、戦功に応じて土地(荘園や公領)を与え、その土地の支配権を認める。これが封建制度…
~勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ~こうした助言・忠告うぃ意味した格言が~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉で、長い歴史の中には、この言葉を彷彿させる恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世でその例を取り上げるなら、
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
「外様」とは、本来、主家とは、緩い主従関係を持った、家臣を意味する。 江戸幕府での外様大名とは、関ケ原の戦い後、徳川家康に従った、豊臣家の大名である。 外様…
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
淀殿の真意は、不明であるが、豊臣家を滅ぼすまで、降伏しなかったのは、自分自身が、「天下人」の「母」としての地位に執着したのかもしれない。 また、大阪城に集結…
鬼場城 (長野県茅野市)上原城をあとにして、鬼場城へやってきました。鬼場城は、築城者や築城年代は不明ですが、矢崎和泉守が城主であり、武田信玄に属したという記録が残っているだけとなってます。諏訪から八ヶ岳連峰の麦草峠を抜けて、佐久へと至る街道とを見張る城であり、さきほど攻城してきた上原城の支城として機能していました。この付近の城跡の中では、上原城に並ぶか、それ以上の遺構の残存度だと思います。上原城か...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
織田家が、豊臣秀吉の天下を受け入れ、豊臣政権、江戸時代を生き延びたのに対して、豊臣家は、徳川家康に滅ぼされた。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の時点では、豊臣家を…
スポニチ Sponichi Annex「どうする家康」最終回 難役・語り&春日局 寺島しのぶ“
にほんブログ村にほんブログ村 「どうする家康」見逃し配信では歴代最高視聴数に NHK発表17日に最終回が放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」について…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
羽柴秀吉は、中国大返しによって、明智光秀に勝利し、主君の織田信長の仇を討った。 織田信長には、嫡男の信忠の他に、次男の信雄及び、三男の信孝を始め、信秀、長次…
上原城今回は、長野県諏訪市に位置する上原城を訪れました。信長の野望をやっている人ならおなじみの城ですよね。毎回あっさり落城しますが...この城は諏訪大社の神官で、諏訪地域の領主として君臨した諏訪氏の居城として繫栄していました。武田信玄に諏訪氏が滅ぼされた後は、板垣信方や長坂光堅等の有力武将が城代になるなど、信濃と甲斐を結ぶ重要な拠点として機能していました。武田氏滅亡後は、諏訪湖湖畔の高島城に統治機能...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
木下藤吉郎として、織田信長に仕え、羽柴秀吉として、大名になり、豊臣秀吉として、天下統一を果たした、豊臣家は、秀吉の死の十七年後に、遂に滅亡したのである。 既…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
天王寺・岡山の戦いにおいて、徳川軍が、苦戦したのは、勝敗の帰趨を制する、所謂、先鋒戦で、徳川軍が、毛利勝永に敗戦したためである。 先鋒部隊の敗戦は、徳川方軍…
PayPayキャンペーンやってますし いつもの如く便乗して観光名所の紹介でもしますね。 舞台は栃木県さくら市🌸 さくら市といえば千葉県だよなあ?と思う千葉県民。 あっちは佐倉市ですが。 氏家駅から歩いていき… 氏家ゆうゆうパークを通り 雄大な自然を鑑賞し 途中のむすびの鐘を鳴らしておきました(ぼっち) 恋人たちが願いを唱え2人で鳴らすと幸せになれるとされています。 ※公式サイトより抜粋 一人で鳴らしたけどご利益ないっすかね?? そして鐘の背後に見えるこんもりした森が… 勝山城跡 sakura-navi.net 橋がちょっといい雰囲気。 そして勝山と言ったら安房勝山だよなあ?? 普通は福井の勝山…
戦国七雄!史実武将強さ、韓燕日本、滅亡順、地図現在覚え方も解説
戦国七雄とは、古代中国の戦国時代に他国よりも優勢だった、秦と魏と趙と楚と燕と斉と韓のことです。 そし ...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
真田幸村の攻勢によって、徳川家康の本陣は、大混乱状態に陥った。 徳川家康の旗本は、三里逃げた者がいたと言われる。 その混乱の中で、武田信玄との三方ヶ原の戦い…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
一方、徳川軍は、茶臼山に、前日の道明寺・誉田合戦にて、損害を負った、大和路勢の35,000及び、浅野長晟勢5,000を配したが、松平忠直勢の15,000が抜…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
午前5時頃、木村重成の部隊は、若江に着陣し、先鋒を3手に分けると、敵に備えた。 その右手に藤堂勢の右先鋒、藤堂良勝、藤堂良重が、攻撃を行い、開戦したが、藤堂…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
一方、5月2日、豊臣軍は、河内口から迫る、徳川軍に対して、大坂城の東方、大部隊の機動には、適さない、低湿地帯で、迎撃することにし、木村重成の兵6,000が、…
福島正則公像 福島正則公像 福島正則(1561‐1624) 尾張清洲城主、安芸広島城主、のちに信濃川中島4万5千石(高井野藩)に改易。尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)に生まれる。母が秀吉の叔母であった縁で、秀吉の近習に取り立て
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
5月6日午前0時、後藤又兵衛の指揮する、2,800の兵は、平野を出発し、藤井寺を経て、夜明け前に道明寺に到着した。 しかし、他には、後隊は、無論、前隊さえ到…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
4月27日未明、豊臣軍は、九条口と奈良口の二隊に分け、郡山城への攻撃を開始した。 郡山城には、わずかな兵が、残っており、30人が討ち取られ、城下町の各方面に…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
12月10日、徳川家康は、名古屋城に入り、同日、徳川秀忠は、江戸を出発している。 12月12日、名古屋城において、徳川義直の婚儀が行われると、徳川家康は、1…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
12月19日、徳川方と豊臣方の使者は、講和条件に合意する。 20日に誓書を交換して、和平を成立させた。 同日、徳川家康・秀忠は、諸将の大阪城への砲撃を停止さ…
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
中村重勝の兵士達は、眠っており、不寝番の兵達は、皆揃って、餅などを食べながら、雑談し合っていた。 守将の中村重勝は、普段は、常に具足を脱がない、勇士としての…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 98.徳川家康・八十六
徳川家康は、真田丸を指揮する、真田幸村を調略しようとした。 本多正純は、実弟で、前田家の家老である、本多政重に真田信尹と協力し、真田幸村を徳川軍に寝返らせる…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 97.徳川家康・八十五
12月3日、大坂城内において、南条元忠が、徳川軍に、内通していることが発覚した。 南条元忠は、城内で切腹させられたが、豊臣軍は、南条が引き続き、内応している…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 96.徳川家康・八十四
豊臣軍は、木津川口砦と共に木津川沿岸の守備のため、博労淵に砦を築き、薄田兼相が、守将として700の兵で、守備していたが、木津川口砦の陥落後に、そのままになっ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 95.徳川家康・八十参
徳川家康は、その生涯において、数えきれない程の戦闘を指揮したが、常に、家康側は、少数の兵力で、大軍の敵に立ち向かったと言える。 今川氏真との戦い、武田信玄・…