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おかーさんが今、編んでんですよ。試作しながら、考えてんですよ。茶々の座布団じゃないんですよねぇー、それじゃあ何にも見えないんですけどーわかる事は、猫の座布団には小さすぎるって事だけ。でも座布団作りたいわけじゃないから。お花の形をしているので、花びらに無理
今日の日中はなんだか色々とムカムカする事が多かった 取り敢えずこんな日はタックルベリーに行くに限る 新品コーナーで最近の自分にぴったりなルアーを発見 ボンバダ アマゾンスプーク ペンシルでナマズパターンを実践しようとしている自分に うってつけだ tsuri-taro.hatenablog.com 底抜けにバカみたいなトロピカルカラーも良い インスパイア元はもちろんヘドンの… 形をマジマジと見ると ソリザラっぽい? どんな泳ぎをするのか楽しみだ 次はエビコーナーにあった ウッド製のウキ とてもキレイな仕上げだったので 中古で120THBだったが買ってみた "Sathien" というロゴが書いてあ…
以下は、警察庁広域重要指定116号事件と鈴木邦男氏に関連する出来事を時系列でまとめた年表です。グレーの網掛け部分は、客観的な裏付けのない鈴木氏の告白内容です。本連載の補足資料として参照していただければと思います。 〈赤報隊・鈴木邦男〉関連年表 1981年(昭和56年) 12月 日本民族独立義勇軍による米国総領事館放火事件。 同月 警視庁が一水会を家宅捜索し、令状を破った容疑で鈴木を逮捕。 (※23日間拘留されるも不起訴に) 1982年(昭和57年) 1月 一水会が機関紙に日本民族独立義勇軍の犯行声明文を掲載。 (※以後、公安警察から関係を疑われるようになる)
【赤報隊に会った男】② 第1の接触~「今後僕らは朝日新聞をやる」
1995年(平成7年)は、阪神大震災や地下鉄サリン事件、国松孝次・警察庁長官狙撃事件といった戦後史に残る出来事が続発した激動の年だった。 私は赤報隊に会ったことがあるという鈴木邦男の「告白」は、この年の6月、扶桑社が発行する週刊誌「SPA!」の誌面で唐突に始まった。 警察庁広域重要指定116号事件の発生からすでに8年。捜査にめぼしい進展はなく、迷宮入りしたとみなされるようになっていた頃の話である。 「夕刻のコペルニクス」という連載 鈴木は当時、「SPA!」誌上で「夕刻のコペルニクス」と題したコラムを連載していた。その連載の中で彼は、自分が代表を務める新右翼団体「一水会」の十数年前の
ああ、鈴木さんはとうとう、あの話の真相を墓場まで持っていってしまったのか………。 その訃報に接したとき、まずそう思った。そして、言いようのない落胆に打ちのめされた。 新右翼団体「一水会」の創設者で思想家の鈴木邦男が世を去ったのは今年1月。79歳だった。 想像するに、僕のような元新聞記者や元警察関係者の中には、同じような落胆を覚えた者が幾人もいたのではないだろうか。 なぜなら、彼が墓場に持っていった秘密というのは、昭和の終わりから平成の初めにかけて日本社会を震撼させた、ある未解決事件の真相を解明する糸口になったかもしれない性質のものだからだ。 「私は赤報隊に会ったことがある」 好々爺
偶然のことでしたが、かつて天皇の住む宮殿(皇居)において、未解決 (コールド・ケース)として扱われた殺人事件があったことを知りました。 非常に特殊な環境である宮中においてのコールド・ケース殺人事件というのですから、 少なからず関心が向いてしまいます。 残念なことですが、筆者...