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この記事では、連載本編で取り上げることができなかった鈴木邦男氏(以下、敬称略)の赤報隊に関する発言を紹介する。 ご存じの通り、この連載では「鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか」という謎をテーマに据え、生前の彼の言葉の数々を検証してきた。しかし、そこで取り上げた発言以外にも、彼は赤報隊に関して膨大な文章を書き残している。 その中から特に興味深い言葉を幾つかピックアップしたので、連載本編を読了した方々には、是非これらの言葉にも目を通してほしい。そして、彼の胸の奥底を推し量る材料にしていただきたい。 右翼・民族派のしわざとは思えない レコンの原稿を全て印刷所に入れて、初校をやっている時
鈴木邦男が「この男が赤報隊に違いない」と考えている本命の人物は、見沢知廉の奪還を持ちかけてきた〈第1の接触〉の男ではなく、中曽根総理襲撃を予告した〈第2の接触〉の男だった――――。 そのことを悟った僕は当然、この人物に質問の矛先を向けることにした。 ――――この人とは1度しか会わなかったんですか? 「もう1回会ったのかな。なんか、ものすごく慎重でしたね」 そう、この〈第2の接触〉の男はものすごく慎重な人物なのだ。 繰り返しになるが、改めて説明しておこう。 鈴木が1995年(平成7年)に「SPA!」の連載コラム「夕刻のコペルニクス」につづったところによると、朝
鈴木さんはかつて、「SPA!」の連載で「赤報隊に会ったことがある」と書きましたよね? 僕がこう問いかけると、鈴木邦男は「ありましたねえ……」と頷いた。表情はあくまで穏やかだ。 ――――会っただけじゃなく、かなりやり取りを書いていますね。ただ、その後、朝日新聞や週刊文春の取材に「あれは文学的表現」「筆が滑った」などとコメントしています。 「ははは……」 ――――実際のところはどうなんでしょうか? 「赤報隊でしょう、多分。僕は結構、いろんな犯罪者と会っているんですよ。それはどこか信用されているのか、何かあったら殺すよと脅されてるのか、分からないんだけども」 鈴木はこともなげに言った。
2017年(平成29年)春のある日。 僕は東京・高田馬場駅の近くにある喫茶店の個室で、鈴木邦男と向かい合っていた。 彼は当時、73歳。 僕にとっては父親よりも少し上の世代だが、スーツに身を包んだ鈴木は年齢よりずっと若く見えた。頭髪こそすっかり薄くなっているが、肌に色艶があり、その表情にはまだまだ気力が充実している様子がうかがえる。 同席者は誰もいない。1対1の対面取材である。 警察庁指定第116号事件の発生から今年で30年になります。この節目の機会に、この事件に対する鈴木さんの見方、考え方を忌憚なく聞かせていただけませんか。 こんな内容の手紙を鈴木のもとへ送ったのは、この数週間前だ
【赤報隊に会った男】② 第1の接触~「今後僕らは朝日新聞をやる」
1995年(平成7年)は、阪神大震災や地下鉄サリン事件、国松孝次・警察庁長官狙撃事件といった戦後史に残る出来事が続発した激動の年だった。 私は赤報隊に会ったことがあるという鈴木邦男の「告白」は、この年の6月、扶桑社が発行する週刊誌「SPA!」の誌面で唐突に始まった。 警察庁広域重要指定116号事件の発生からすでに8年。捜査にめぼしい進展はなく、迷宮入りしたとみなされるようになっていた頃の話である。 「夕刻のコペルニクス」という連載 鈴木は当時、「SPA!」誌上で「夕刻のコペルニクス」と題したコラムを連載していた。その連載の中で彼は、自分が代表を務める新右翼団体「一水会」の十数年前の