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この記事では、連載本編で取り上げることができなかった鈴木邦男氏(以下、敬称略)の赤報隊に関する発言を紹介する。 ご存じの通り、この連載では「鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか」という謎をテーマに据え、生前の彼の言葉の数々を検証してきた。しかし、そこで取り上げた発言以外にも、彼は赤報隊に関して膨大な文章を書き残している。 その中から特に興味深い言葉を幾つかピックアップしたので、連載本編を読了した方々には、是非これらの言葉にも目を通してほしい。そして、彼の胸の奥底を推し量る材料にしていただきたい。 右翼・民族派のしわざとは思えない レコンの原稿を全て印刷所に入れて、初校をやっている時
あのインタビューからはや6年が過ぎた。 あの日、あの喫茶店の個室で、鈴木邦男は最後まで笑顔を絶やさず、僕のしつこい取材に付き合ってくれた。 しかし、核心に触れる話はとうとう最後までしてくれなかった。 店の前で礼を言って別れた後、高田馬場駅の改札まで歩きながら無念さで天を仰いだ記憶が今も頭に焼き付いている。 それから1年近く経った2018年(平成30年)1月、NHKが「未解決事件 file.06 赤報隊事件」と題したドキュメンタリー番組を放送した。 NHKスペシャル「未解決事件file06 赤報隊事件」 警察庁広域重要指定116号事件の捜査に携わった元警察幹部や、捜査対象となった右翼活
インタビューの開始からすでに2時間が過ぎていた。 鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか――――。 この疑問に何としてでも答えを出してやろうと意気込んで臨んだインタビューだったが、それは簡単な仕事ではなかった。 これまでのやりとりを通じて、鈴木が過去に書いた赤報隊に関するエピソードの中に、数多くのフィクションが混入しているという心証が得られた。 しかしその一方で、鈴木があくまで「実体験」だと主張するエピソードもあった。 朝日新聞阪神支局襲撃事件の後、差出人不明の手紙で呼び出され、指定された場所から2度3度と移動させられ末に謎の男が現れ、「中曽根康弘を全生庵で狙う」と予告されたという話。 ま
鈴木邦男が「この男が赤報隊に違いない」と考えている本命の人物は、見沢知廉の奪還を持ちかけてきた〈第1の接触〉の男ではなく、中曽根総理襲撃を予告した〈第2の接触〉の男だった――――。 そのことを悟った僕は当然、この人物に質問の矛先を向けることにした。 ――――この人とは1度しか会わなかったんですか? 「もう1回会ったのかな。なんか、ものすごく慎重でしたね」 そう、この〈第2の接触〉の男はものすごく慎重な人物なのだ。 繰り返しになるが、改めて説明しておこう。 鈴木が1995年(平成7年)に「SPA!」の連載コラム「夕刻のコペルニクス」につづったところによると、朝
【赤報隊に会った男】⑥ 時効後の再告白~「関西のホテルで会った」
赤報隊を名乗るグループが朝日新聞社などを襲撃した警視庁広域重要指定116号事件は、2003年(平成15年)3月に全ての犯行が公訴時効を迎えた。 その翌年の10月、鈴木邦男は筑摩書房から「公安警察の手口」という新書を出版した。 鈴木の著書「公安警察の手口」(ちくま新書) タイトルの通り、日本の公安警察の捜査手法や組織構造、その問題点を体系的に論じたこの本の中で、鈴木は116号事件に言及して次のような文章を書いている。彼の胸の内を探るうえで非常に重要な資料だと思うので、少し長めに引用してみよう。 赤報隊は、朝日新聞の記者を殺害し、東京、名古屋などの朝日新聞社の本社、支局、寮などを襲撃し
鈴木さんはかつて、「SPA!」の連載で「赤報隊に会ったことがある」と書きましたよね? 僕がこう問いかけると、鈴木邦男は「ありましたねえ……」と頷いた。表情はあくまで穏やかだ。 ――――会っただけじゃなく、かなりやり取りを書いていますね。ただ、その後、朝日新聞や週刊文春の取材に「あれは文学的表現」「筆が滑った」などとコメントしています。 「ははは……」 ――――実際のところはどうなんでしょうか? 「赤報隊でしょう、多分。僕は結構、いろんな犯罪者と会っているんですよ。それはどこか信用されているのか、何かあったら殺すよと脅されてるのか、分からないんだけども」 鈴木はこともなげに言った。
以下は、警察庁広域重要指定116号事件と鈴木邦男氏に関連する出来事を時系列でまとめた年表です。グレーの網掛け部分は、客観的な裏付けのない鈴木氏の告白内容です。本連載の補足資料として参照していただければと思います。 〈赤報隊・鈴木邦男〉関連年表 1981年(昭和56年) 12月 日本民族独立義勇軍による米国総領事館放火事件。 同月 警視庁が一水会を家宅捜索し、令状を破った容疑で鈴木を逮捕。 (※23日間拘留されるも不起訴に) 1982年(昭和57年) 1月 一水会が機関紙に日本民族独立義勇軍の犯行声明文を掲載。 (※以後、公安警察から関係を疑われるようになる)
【赤報隊に会った男】⑤ トーンダウン~「あれは文学的な表現」
鈴木邦男が連載「夕刻のコペルニクス」でつづった赤報隊との接触エピソードは大きく4つ。その内容を整理するとこうなる。 〈第1の接触〉 1982年(昭和57年)秋~1983年(昭和58年)春ごろ、一水会メンバーによるリンチ殺人事件で窮地に陥った鈴木の前に謎の男が現れ、「警察に逮捕された見沢知廉を奪還してやろう」と持ちかけてきた。鈴木が断ると、男は別れ際に「今後僕らは朝日新聞をやる」と予告した。 〈第2の接触〉 1987年(昭和62年)5~11月ごろ、謎の男が差出人不明の手紙で鈴木を呼び出し、電話連絡で2度3度場所を変えさせた末に姿を現した。男は靖国参拝を中止した中曽根康弘総理(当時)
【赤報隊に会った男】② 第1の接触~「今後僕らは朝日新聞をやる」
1995年(平成7年)は、阪神大震災や地下鉄サリン事件、国松孝次・警察庁長官狙撃事件といった戦後史に残る出来事が続発した激動の年だった。 私は赤報隊に会ったことがあるという鈴木邦男の「告白」は、この年の6月、扶桑社が発行する週刊誌「SPA!」の誌面で唐突に始まった。 警察庁広域重要指定116号事件の発生からすでに8年。捜査にめぼしい進展はなく、迷宮入りしたとみなされるようになっていた頃の話である。 「夕刻のコペルニクス」という連載 鈴木は当時、「SPA!」誌上で「夕刻のコペルニクス」と題したコラムを連載していた。その連載の中で彼は、自分が代表を務める新右翼団体「一水会」の十数年前の
FIREしたらしたいことがいっぱいあります。やりたいことがあり過ぎて暇な老後になるイメージがありません。主にやってみたいことは以下のとおりです。 1.個別株投資 私は金融機関に勤めているので現在個別株投資をすることはできません。なので個別株を買って株主優待をゲットすることができません。いずれは桐谷さんみたいに株主優待生活をしてみたいと思います。 2.株式トレード 株式の短期売買もしてみたいなと思います。勿論長期投資がメインなのですが、刺激を満たすという意味で短期売買もしてみたいなと思います。 3.全国の温泉巡り SPAやサウナが好きな私としては全国の温泉巡りをしてみたいなと思います。どうしても…