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メガドンキホーテ四街道店の子供遊園廃墟♪(長崎屋からの転換店プレイランド跡地、千葉県四街道市めいわ)
<日付:2022/8/9:20220809> 夏休み期間中に色々子供をつれて行きたいところがあり、今回はメガドンキホーテ四街道店のテナント『かねだい』に行きました♪ 丘の上の駐車場から入った所にある『ぷれいらんど跡地』 現役時代に息子を連れて来たかったです♪残念。。。 上から見たようす 撤去に費用のかかる地面に接着している部分が残されているようです♪ ゴーカードのスペース? 自動車の絵があるので子供ゴーカードがあったと思われます♪ 巧妙に配置された段差 丘の上の駐車場は、ほぼ建物屋上駐車場と同レベルで接続、客用出入口は2階になっています♪ 駐車場から見た入口 だいたいこの辺に集結して駐車してい…
封印された英雄伝説 ターミネーター外伝 第3章「巨大な物体」
~ 第3章 「巨大な物体」 ~ <2970年> その後、たびたびQ太郎は、東京タワー遺跡に現れた。朝早いニュース番組で女性アナウンサーが、「AIが計算したとこ…
【湯谷温泉】人知れず消えた温泉郷(グランドホテルニュー湯谷)
下関のはずれ、山間部の県道沿いにある温泉郷の廃墟。ここには上に写っている「ニュー湯谷」の他にもう一軒「湯谷荘」という旅館もあったのだが、現在はこちらも廃墟になってしまっている※1。当地に残っていた温泉宿はこの2件だけであるため、2009年のニュー湯谷の閉鎖をもって湯谷温泉そのものが地図上から姿を消したことになる。 県道沿いに見える看板。「ラジウム温泉」とあるように湯谷温泉の泉質...
東金市油井のラブホテル街にそびえ立つ巨大な未完成ホテルの廃墟。この近辺では最も背の高い建物であり非常に目立つにも関わらず、ここから目と鼻の先にある心霊スポット「油井グランドホテル」(通称「活魚」)があまりにも有名過ぎるため、ほとんど関心が向けられることが無いというちょっぴり不遇な境遇にある。 ホテルの内部は千葉中から集結したヤンキーにより壁に落書きがされ破壊し尽くされており、かなり荒廃してい...
千葉県の御宿町にあるペットショップの廃墟。その名称や店舗の様子から、主に小型犬を扱っていたと思われる。外観からはガソリンスタンドを改装したものであることが伺えるが、こういった転用は非常に珍しい。 ロケーションは一般的な田舎の町外れの国道沿いといった所であるが、ガソリンスタンドはともかくとして、どうしてここでペットショップなど開こうと思ったのか甚だ疑問に思う。こうなることは開店前から十分に予測...
茨城県神栖市にあるラブホテルの廃墟。同じく廃ラブホのホテル・イマジンから程近いが、あちらは半ば農作地域だったのに対しこちらはモロに住宅街のど真ん中に位置しており、かなり近所迷惑だったのではないだろうか。そして閉店後もなお廃墟となって居座り続け、辺りに重苦しい雰囲気を撒き散らしている。廃業時期はイマジンにやや遅れて、2006年3月一杯だと思われる。 この廃墟に来て店外の“Hotel fo...
エントランス脇に群生するテッポウユリが美しいラブホテルの廃墟。周囲は住宅よりも畑の方が多い田舎であり、国道からもやや離れているためロケーションには難があると言わざるを得ない。 近隣の競合店「フォーシーズン」よりもやや高い値段設定となっており価格競争に負けたと思われるが、そのフォーシーズンもイマジンの後を追うようにして閉店してしまった。結局「価格競争の果ての共倒れ」という誰も幸せにならない結末...
茨城県神栖市にある水産加工会社の廃墟。南北を走る小道を挟んで東側には大きな加工工場が、西側には冷凍倉庫や惣菜工場(上の写真)などがある。倉庫は南京錠で施錠されているほか、東側の工場も敷地の周りがぐるりと高い鉄板で覆われており(後述)、一応は管理が試みられたようである。 ちなみにこの廃墟は現役の居酒屋である「エビス水産」とは何の関係も無い。 冷凍倉庫の出入口。 ...
千葉県御宿町の山中にある火葬場の廃墟。人気の無い寂しい山道を行くと、峠付近にこの廃墟だけがポツリと周囲から隠れるようにして建っている。 これまでも一部の廃墟マニアには知られていた物件であったが、2016年8月に発売された「ほんとにあった! 呪いのビデオ69」という心霊系のDVDに収録されて以降は有名となり、心霊現象の体験談も相次いだ。この廃墟には「髪の長い女の霊がいる」とされ、地元民は近づくことも無い...
聖母マリアの名を冠するパチンコ店の廃墟。外壁には子供時代のイエス・キリストを抱くマリアの姿が大きく描かれているほか、十字架を店のモチーフとして用いるなど、キリスト教を強く意識したデザインになっている。 内部にはハングル文字が印刷されたペットボトル入りの水がなぜか大量に残されており、「朝鮮玉入れ」などと揶揄されるパチンコの、韓国や北朝鮮との繋がりを暗示させる。日本のパチンコ店には「儲けが北朝鮮...
千葉県は九十九里浜の南端に位置するドライブインの廃墟。上階の窓からは太平洋が一望でき、外房を愛するサーファー達や地元民らから「九ドラ(クードラ)」の愛称で親しまれてきた。上の写真にも“Welcome KUUDORA”の文字が見える。 ところが2013年11月5日未明に厨房から出火して炎上、火は間もなく消し止められたがドライブインはそのまま閉鎖されてしまった。再開を望む声はあるものの2017年現在実現しておらず、建物は今...
(→「【プリンス平安】その3:式場~客室」より) ホテルの裏側には従業員の住まいらしき建物が見えたので、最後に少し寄ってみよう。 玄関の扉はまるっきり無くなっており、ウエルカム状態だ。 玄関から入ってそのまま直進して1階の居間へ。 こ れ は ひ ど い 居間の壁には、子供から父親へと贈られた感謝の言葉が残されていた。家の残留物や配色の傾向...
(→「【プリンス平安】その2:1階フロント周辺」より) 式場にはグランドピアノが残されていた。廃墟となった今、奏でられるは静寂に耳が痛くなる程の無音の旋律―― なお、この式場には壁や天井から剥がれ落ちた断熱材が床に層になって降り積もっている。これがアスベスト含有のものかどうかは素人には一見しただけでは分からないが、この式場に足を踏み入れるのであればそ...
(→「プリンス平安(赤平観光センター)その1」より) さて、それではフロントの横を抜けてその奥の区画を見ていこう。 通路には食器などを入れていたと思しき色とりどりのロッカーがずらりと並ぶ。 さらに奥にもこの通り。鍵のかかる作りであることから見て、これらは恐らく近所の銭湯か何かの廃墟から借りパクしてきたものか、元々は客用に用...
北海道の赤平市にあるホテルの廃墟。大きな式場を併設し、地元企業の祝賀会や学校の同窓会、米寿・喜寿のお祝いなど主に地元の人々の祝い事に使われていたほか、仏式の葬儀も行なっていた。つまりここではいわゆる「冠婚葬祭」が執り行なわれていたわけだが、現地に残された当時の写真を見る限りでは、同窓会や長寿のお祝いが大半を占める中で「婚(結婚式)」だけがすっぽりと抜け落ちてしまっており、赤平という土地の高齢化・少...
ブルースカイは栃木県を流れる鬼怒川沿いに建つレストランの廃墟である。心霊スポットとして地元では古くから知られており、栃木の定番物件のひとつに数えられる。 ここでよく聞かれるのが「女性店員がひどいイジメを受けた末に灯油を被って焼身自殺した」というエピソードだ。それをきっかけに客足が離れたのか、再オープンすらままならなかったのか、その後レストランは潰れてオーナーも首を吊って死んだという。 ...
栃木県のお化けトンネルで最も有名なのがここ、矢板(やいた)トンネルだ。正式名称を「弥(や)五郎坂トンネル」といい、こうして閉鎖される以前は車なども通れる普通の隧道(ずいどう)であった。 しかしその頃からすでにトンネル内では心霊現象が多発していたらしい。車のライトが点滅したり窓が勝手に開くといったようなことから、少しでも霊感体質の人だと車内にいても霊に自分の足を掴まれるのが見えるなど、かなりア...
畑トンネルは埼玉県飯能市の山中にある心霊スポット。そこに至る道も現在は閉鎖され廃道となっている。 心霊スポットとしては近隣にある旧吹上トンネルの方が有名すぎることもあって、元々は「そんな所もあったね」程度の場所であった。※1筆者の探索時点でも、地元民でもなければ場所を調べるのにも一苦労するというありさまだった。 しかし近年は心霊系のYoutuber?の影響なのか異様にこの場所が持ち上げられており...
本記事では、場所が非常に分かりにくい心霊スポット「小川脳病院(聖仁会小川病院)」へ行く方法を、地図・写真付きで詳しく解説する。廃墟内部の探索や写真については前回の記事をご覧いただきたい。 上の地図は2020年版の国土地理院のもの(小美玉(おみたま)市倉数(くらかず)付近)である。地図上に記載されていない山道を黄緑色の線で書き加えた。黄色で示しているのは実際の小川脳病院へのアクセス路である。また、記事...
正式名称「聖仁(せいじん)会小川病院」。「脳病院」とは恐怖をあおる通称で、実際は脳神経外科ではなく精神病患者の隔離病棟だったようだ。 人里離れた山奥というロケーション──窓という窓は頑丈な格子で塞がれ、重症患者を「閉じ込めておく用」の座敷牢も完備という、まさに至れり尽くせりの内容。 「病院の地下で患者の死体や脳のホルマリン漬けを作成していた」「戦時中の頃は繰り返し人体実験が行われた」など...
都賀(つが)病院は栃木でかつて恐れられていた心霊スポット。ここと東洋診療所(小山市)、野木病院(下都賀(しもつか)郡)を合わせて「栃木三大廃病院」と呼ばれていた。 心霊的な噂としてはラップ音の類(突然ドーンという大きな音が聞こえるなど)が特に有名。心霊スポットといえばどうしても「幽霊が出る」とされがちであり、そういった意味では比較的珍しい廃墟であった。 現在は建物が全て取り壊され、跡地...
1. 概要 ホテル藤原郷(ごう)とは、群馬県みなかみ町にある温泉旅館の廃墟である。ダム観光の旅行客に向けたホテルとして、藤原ダムの完成と同時期に開業した。 当初の経営は順調であったが、バブル崩壊後は一転して経営難におちいった。その後発覚した温泉の偽装問題がとどめとなり廃業。現在は群馬県でも指折りの心霊スポットとして知られている。 1-1. ホテル藤原郷の歴史...
1. 概要 朝鮮トンネルとは、岐阜県八百津(やおつ)町にある心霊スポット。国道418号線の通行止めで使われなくなった廃トンネルであり、正式名称を「二股トンネル」という。 それが一体なぜこんな名前で呼ばれているのだろうか? それは、このトンネルには昔から次のような噂(うわさ)があるからだ。「建設のために強制連行してきた朝鮮人徴用工が、人柱(ひとばしら)として壁の中に埋められている」...
これは近所の空き家です。 コロナ前まではニューハーフのお姉さんがブライダルショップをやっていた店舗ですがコロナで潰れて以来ずっと空き家になっています。そ…
キューピーの館は岡山県岡山市にある宗教施設(おそらく寺の関連施設)の廃墟。その名の通り無数の人形が吊り下げられた状態のまま朽ち果てており、見た目が恐ろしく不気味である。 人形には人名や日付が刻まれているものも多数あり、これが廃墟の怖さに拍車をかけている。一説には死んでしまった胎児や赤ん坊(水子(みずこ))を供養したものではないかと言われるが、これにはやや疑問も残る(後述)。 その強烈な...
武尊(ほたか)神社は群馬県みどり市にある廃神社。もともと廃墟愛好家の一部では知られた物件だったが、2007年発売の「ほんとにあった!呪いのビデオ23」で取り上げられた事をきっかけに、心霊スポットとして一躍有名になった。似たような経緯の廃墟としては、千葉県の御宿町火葬場などがある。 心霊界隈では「呪いの廃神社」と呼ばれ、先述のビデオの内容※1からここには「神社を管理していた老婆の霊が出る」とされている...
千葉県内にはホワイトハウスと呼ばれる心霊スポットがかつて2つ存在したが、これはそのうち「小和清水の惨殺屋敷」と呼ばれていた方。「小和清水」という名は地名ではなく、ここから西に300m程の所に洪水対策のために造られた「子和清水調整池」から取られている。 もう一方の「日吉台のホワイトハウス」と呼ばれる物件が全然大したことがないため、千葉県を代表するホワイトハウスという意味から「千葉のホワイトハウス」...
正式名称「油井(ゆい)グランドホテル」。元々はラブホテルだったものが、いけす料理を目玉にした割烹料理店(兼ホテル)に改装されたものである。そのため営業当時は「活魚(かつぎょ)」と書かれた看板が掲げられ、これが廃墟名の由来にもなっている。しかし閉業後しばらくしてその看板は失われてしまった。 この廃墟を一躍有名にしたのは、2004年に発生した「千葉県茂原市女子高生殺人事件」だろう。茂原駅前で強盗目的...
鹿児島県の新川渓谷にあった「ラムネ温泉旅館」の跡地。創業は明治38年(1905)。すでに本館は現存せず、現地にはかつての源泉だけが今も滾々(こんこん)と地下から湧き出している。 「ラムネ」の名を冠しているのは、泉質が炭酸ガスを含む発泡性の湯だったため。この種の温泉は全国的にもかなり珍しい。有名な霧島温泉郷と同じ市内にあるが場所そのものはやや離れており、泉質も全く異なる。 現在は国道を道なりに...
四国東南端の室戸岬にある国民宿舎の廃墟。国民宿舎とは税金を投入して建てられた公営の宿※1のことである。行政サービスの一環であるため宿泊費が安いことが最大のメリットであり、他にも民間ではありえない好立地にあるなどの利点がある。本宿舎も国定公園※2の中、それも絶景ポイントに位置している。 開業は昭和46年(1971)7月、総工費1億2500万円をかけて建設された。※3平成17年(2005)10月末をもって運営を休止。その...
四国の東南端に位置する室戸岬にあるコンクリート会社※1の廃墟。「企業組合」とは聞き慣れない名前だが、要するに中小企業の一種だと考えてよい。世の中の企業がほぼ株式会社と有限会社で占められる中、この形態を取る企業の割合は零コンマ数%の世界であり極めて稀である。 事務所に掲げられていた品質管理の合格証の有効期間は2005年(平成17)3月31日までであったが、強度試験の報告書はその日付以降のものも残されてお...
高知県は室戸(むろと)岬にそびえ立つ展望レストラン跡。ここは四国の東側の最南端にあたり、岬からは太平洋が一望できる。この素晴らしい展望を生かして結婚式場としても使われていたようであるが、昭和47年(1972)のオープンからわずか6年で閉鎖してしまった。 一度見たら決して忘れられないその奇抜な外観から、廃墟好きであれば知らぬ者は無いとまで評される廃墟である。しかしその割には実際に足を運んでみたという...
室町時代後期に活躍した禅宗の画僧「雪村(せっそん)」が、晩年を過ごしたとされる庵。ただし現存する建物は当時のものではなく、後世に再建されたものである。 雪村は今でこそ日本を代表する水墨画家として雪舟と並び称されるほどの高い評価をされているが、それまでは概して評価の低い時期が続いた。そのため代表作品の多くはアメリカへ流出してしまっている。 また、その生涯には謎が多く生没年もはっきりしない...
箱根山の麓、伊豆半島の付け根にあたる真鶴(まなづる)半島にある小学校跡。学校の名前にもなっている「岩」という地名は、読んで字のごとく岩石が多い土地であることに由来している。 そしてその岩石であるが、当地でのみ産出する稀少な石材「本小松石」は、香川県の庵治(あじ)石と並び、墓石の最高級品とされる。※1岩小学校の校歌にも「岩 岩 岩の子われら」と詠われるなど、現地住民の石に対する特別な感情──誇りのよ...
旧上岡(うわおか)小学校の創立は明治12年(1879)、設立当初の生徒数は51名であった。現存する建物のうち最も古いものは、明治44年(1911)に建てられた写真の校舎である。※1 昭和35年(1960)には生徒数278名と最盛期を迎えるが、その後は減少を続け、平成13年(2001)に閉校。閉校時の生徒数は36名であった。 閉校以後は、明治の面影を今に伝える貴重な木造校舎として注目されるようになる。NHKの「夢みる葡萄」を皮切り...
遠州秋葉(えんしゅうあきは)山といえば東海随一の霊山と名高く、古くから山岳信仰や天狗信仰の場とされてきた。山頂付近には日本全国に400以上ある秋葉神社の総本山が置かれ、火難除けの神様として広く世に知られている。※1 この霊験あらたかな山の麓、春野町に古い木造の分校跡が今も残っている。創立は定かでないが明治初期と考えられ、元々は分校ではなく「領家学校」という名の独立した学校であった。 明治7年...
高野山「奥之院」のさらに山奥に位置する秘境、奥高野。ここに野迫川(のせがわ)という村がある。この村のさらに外れ、池津川と呼ばれる地区は世帯数16世帯、総人口数はわずか25人※1という人口減少が特に激しい僻地である。ここに、古い木造の小学校が建っている。 ここであえて「廃校」と言わなかったのは、あくまでもまだ休校扱いだからだ。休校年は昭和54年(1979)。休校間際の昭和51年度(1976)の時点で、生徒数は全...
粟代(あわしろ)小学校の開校は明治6年(1873)10月10日。同じ年・同じ月には征韓論政変※1が起きており、西郷隆盛や板垣退助、岩倉具視といったいわゆる「歴史上の人物」が活躍していた時期である。 外観は明治期の学校建築の特徴※2を色濃く残しており、同じ明治期に建てられた小学校として有名な茨城県の旧上岡(うわおか)小学校と比べても屋根に本瓦が使用されるなど、より古い時代の趣を今に伝えている。 時が...
千葉県佐倉市の新興住宅地であるユーカリが丘にひっそりと眠る、木造の分校跡。写真の校舎は、昭和30年(1955)に志津小学校の第二分校として建てられたものである。当時はまだ「青菅分教場」と言えば、ここより西方にある第一分校を指していた。 それから6年後の昭和36年(1961)、第一分校が独立して上志津小学校となる際に本第二分校は現名称へと改められた。そして昭和52年(1977)3月をもって、青菅分校は廃校となる。...
のどかな山あいの町にある小さな幼稚園。園児数の減少が続くなか平成24年(2012)3月末で一旦休園となり、同年4月から元園児たちは山向こうにある気田幼稚園(※外部サイト)までスクールバスで通うことになった。 この移転にあたっては、熊切の園児たちが移転先でもすぐに馴染めるように、事前に交流会や合同のサッカー教室が開かれるなどかなり配慮がなされたようである。 幼稚園はその後平成27年(2015)3月末をもって正式...
宇都宮の北西部、大おお谷や町にあったヘルスセンター跡。ヘルスセンターとは今で言うスーパー銭湯のことであり、決して不健全な施設等のことではない。 大谷町で産出する岩石は柔らかく加工性や耐火性に優れるため、古くは古墳時代から建築材料として用いられてきた。その長大な歴史は地下に巨大な空間を生み出し、「大谷石地下採掘場跡」として現在有料で見学が可能となっている。その荘厳な姿はまさに「地下巨大神殿」と...
栃木県は日光の森の中にそびえ立つ地上9階建て、東側全面ガラス張りの廃墟ホテル。周囲はただただ山野が広がる中、突如としてこの巨大な人工物がぽつりと鎮座しているさまは、そのガラス張りの外観と相まってまさに「異様」の一言に尽きる。 1階にはフロントやバーと思しき小部屋があり、客室は8階まで。最上階は展望レストランとして使われていたようだ。この廃墟の目玉でもあるガラス張りの部分はだいぶ崩落が進んでしま...
C95にて廃墟写真集を出展します。以下詳細です。 【イベント名】コミックマーケット95 【日時】2018年12月31日(月) 10:00~16:00 【場所】東京国際展示場 【配置】東T-42b(3日目) 【サークル名】廃墟屋 【Webカタログ】https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/14212145 当イベントにて頒布する新刊の詳細は以下になります。 廃墟写真集 最新刊 『廃景 #8』 表紙サンプル 【サイ...
ポーランド南西部、ドイツとの国境に程近いレグニツァ(Legnica)近郊の集落ポントヌフ(Pątnów※1)にある宮殿の廃墟。この建物はドイツ系の有力貴族ロートキルヒ家※2のエルンスト・ヴォルフガング・フォン・ロートキルヒ・ウント・トラッハ(Ernest Wolfgang von Rothkirch und Trach)のために18世紀末に建てられた※3 。 古代ギリシャ建築をモデルにした荘厳な外観──6つのイオニア式の円柱で支えられたポルチコ※4(≒屋根...
(→「【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)」より) 市道側から見た宮殿。 写真左下の正面入口(上が丸いドーム状)の上部には、ポーランド王国の有力貴族Tęczyńscy家の紋章(赤い手斧)のレリーフが刻まれていたが、2010年代前半に崩落してしまったらしい。 (▲ 宮殿の南端部分) 鉄柵には「建設現場への立ち入り禁止」と書かれている。 建設現場? と思ったが、次の看板を見...
【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)
ポーランド南西部の地方都市グリヴィツェ近郊にある町ビチナ(Bycina※1)に今も建つ17世紀の宮殿の廃墟。貴族パッキンスキー※2(Paczyński)家によって建てられた3階建ての後期バロック様式の建築で、建物内には美しい礼拝堂を備えていた。 この見事なフレスコ画が描かれた写真の礼拝堂は、1730年頃に宮殿内に増築されたものである。第二次大戦中の赤軍による損壊やその後の火災のため戦後に一旦放棄されるものの、1946年に...
ベーリッツ・ハイルシュテッテン・サナトリウム(Beelitz-Heilstätten Sanatorium)
ドイツ北東部、ポツダムの南西に広がる広大な森林地帯に建つ、巨大な結核療養院(サナトリウム)の廃墟群。元々は19世紀の終わりにベルリンで働く労働者のために、ここに病院が造られたのが始まりである。当時の労働者は、産業化が進んだ都市部の汚染された空気によって肺を患うことが多かった。1898年に始まった建設は、その後3段階に分けて1930年まで続けられた。※1 また、国が有事の際には傷病兵の治療施設としても使用...
C94にて廃墟写真集を出展します。以下詳細です。 【イベント名】コミックマーケット94 【日時】2018年8月12日(日) 10:00~16:00 【場所】東京国際展示場 【配置】東プ-49a(3日目) 【サークル名】廃墟屋 【Webカタログ】https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/13915962 当イベントにて頒布する新刊の詳細は以下になります。 廃墟写真集 最新刊 『廃景 #7』 表紙 【サイズ】A4 ...
(→「その1:【田老鉱山】緑に包まれた選鉱場」より) (▲ 忘れられた世界──草花に覆い尽くされた、かつての栄華の残滓) (▲ 明星大学セミナーハウスの別館1号館。今も使われている気配は全く無い) (▲ 橋梁研究室。部屋のカーテンが朽ち果てているのが外からでも伺える) (▲ 旧鉱山事務所...
木々の生い茂る選鉱場がとても美しい廃墟。神殿を思わせる荘大な人工物が植物によって侵食されていくその光景はまさに圧巻で、ここは文句無く日本の廃鉱山の代表格と言えよう。 田老鉱山の開鉱は大正8年(1919)、ラサ工業株式会社がこの地で操業を開始したのが始まりである※1。採掘された鉱石は選鉱場で銅・鉛・亜鉛・硫化鉄鉱などに分けられたのち、麓の宮古港から船で関西や九州へと出荷されていった。昭和14年(1939)...